紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

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大正科学男ども

 

 

 ――これからの時代、産業発展の鍵となるのは合理化だ。

 

 大河内正敏がその信念に到達したのは、明治の末期、私費で挑んだドイツ・オーストリア留学が寄与するところ大という。

 本人の口から語られている、

 

「工業用アルコールの値段ひとつ比較してもわかることだ」

 

 と。

 

 当時の日本で最も廉価にアルコールを醸造(つく)っていたのは台湾であり、これは彼の地が「砂糖の島」であったのと無関係では有り得ない。つまり製糖作業の副産物たる糖蜜を原料にとっているからであり、この糖蜜というもの、製糖業者にしてみれば碌すっぽ使い道のないくせに放っておくと腐敗して、悪臭を放ち胸をむかつかせるという「厄介者」に他ならず、引き取ってくれると言うならばタダでもくれてやりたい位の代物だったわけなのだ。

 そこからアルコールを醸造(つく)るのだから、

 

「つまり原料は無代価同然」

 

 と、大河内は大胆にも言い切っている。一ポンド十銭という日本最安のアルコールの実現は、そのような仕組みであるのだと。

 

 ところが、である。

 

 奇妙としかいいようがない。同時期のドイツはジャガイモという、人の口にも家畜の口にも用のある、極めて価値の高い資源でアルコールを醸造(つく)っているにも拘らず、その価格は一ポンドせいぜい六、七銭と、台湾製を遥かに下回る低空飛行であったのだ。

 

 この奇妙の因って来たる所以はなにか。

 大河内本人の言葉を借りて説明しよう。

 

 

「ドイツでアルコール醸造が計画せらるゝと、まづその醸造工場で使用する大部分の馬鈴薯を耕作し得る地方の中央に工場が建てられる。同時に醸造の際生ずる粕を全部消費するに足るだけの養豚場が工場の周囲に建てられる、醸造の際生ずる芋の粕で豚を養ひ、又畑から出る馬鈴薯の葉でも茎でも、それぞれ皆豚の飼料に供せられて、一物の廃品になるものはない。そして養豚場は又馬鈴薯畑の肥料の一部を供給し、或る場合には醸造の際生ずる炭酸ガスまでも畑に導いて肥料とする。

 豚の肉は生のまゝで或ひは加工して市場に供給され、毛、革、骨、血その他すべてのものが工業の原料となる。ゆゑに当初の目的であったアルコール醸造は副産物の形となって、その生産費は著しく低下される。斯くの如くして有価の原料を使用しても無価の原料を使用するよりも廉価になるのである」

 

 

 何事につけても無駄のない、「理路整然」を地でゆくような堅牢なるゲルマンメソッド。

 

 昭和に入れば「能率」の二字も日本社会に溶け込んで、多くのことの説明をずいぶん楽にしてくれるのだが。どっこい、あいにく、上の文章が物されたのは大正時代のことである。

 

 従って大河内正敏も、便利至極なこの二文字をどこにも挿入していない。

 

 が、訴えんとするところ、要旨は同じであったろう。

 

 大河内はまた、人造絹糸――レーヨンにも、かなり早くから目をつけていた。

 

 

「米国における人造絹糸の生産は、戦前の大正二年には僅に百十八万斤に過ぎなかったが、十年後の昨年には二十倍以上に激増して二千六百八十三万斤に達してゐる。しかも価格は大体において生糸の三分の一である」

 

 

 大正二年の・十年後を・昨年と書いている以上、同十三年の筆致であるのは明らかだ。

 この急成長を前にして、彼はにわかに不安になった。

 

(人造繊維が天然繊維を圧し拉ぐ日が、遠からずして来るのでないか)

 

 そう、人造藍の発明が、天然藍をほぼ窒息へと追いやったのと同様に――。

 

(そのとき日本は、いったいどうなる)

 

 どこを向いても、桑畑と水田ばかりが広がっているこの国は。

 想像するだに物狂おしいことだった。このまま生糸をのんべんだらりと基幹産業に据え続けようものならば、それこそ祖国はみずから望んで累卵の危うきに立つ破目になる。大河内は焦慮した。焦慮が彼の筆先に、ある種の鬼気を宿らせた。

 

 

「日本は、おくれ馳せながらも、速に人絹の科学的研究に熱中し、世界のそれよりも更に一歩進んだ人絹を日本において製造し、遂には世界の人絹工業の鍵を握る覚悟が必要である。それが徹底的に敵を圧倒し去る唯一のみちである。

 わが国の農村の死命に関し、経済界、貿易界の浮沈を左右する人造絹糸に対し、この覚悟、この決心がなくて何とする。

 日本の科学者は死力を尽して人造絹糸の研究に没頭し、国家は幾千万円の国帑を費やしても、その研究を助成せねばならぬ」

 

 

 猛然と呼ぶに相応しい、圧倒的な熱量の放出された(あと)だった。

 

 危機感は叡智の源である。大河内の先見の明は凄まじい。大正の御代の時点で既に彼のアタマの内部には、「技術立国日本」の理想が凝然と横たわっていたのであろう。

 

 

 

※   ※   ※

 

科学者に対し「それが何の役に立つか」といふ質問は絶対に厳禁である。

 

文明は科学の原理を応用したもので、科学そのまゝでないことを忘れてはならない。電燈は電気学の応用であって、電気学そのものではない。ゆゑに純正科学の研鑽、真理の探究は一日も(ゆるが)せにすべきものではない。それが研究の当時には、無益の業のやうに見えても、他日それから如何なる事柄が誘導されて、人類に裨益を与へるかは、容易く予知出来ないものである。

 

(武田久吉。アーネスト・サトウの次男にして植物学者、「尾瀬の父」)

 

※   ※   ※

 

 

 

「なんでそんなことしたんだアンタ」と訊かれれば、「したかったから」という以外、どんな答えも返せない。

 

 つまりは好奇の狂熱である。

 

 研究者にとり、なにより大事な資質であろう。

 

 沢村真は納豆菌の発見者だ。練れば練るほどねちゃねちゃと、粘り気を増すあの糸を、顕微鏡にセットして、そこに蠢く桿状菌をレンズ越しに確かめた、いちばん最初の人類である。

「Bacillus natto Sawamura」と命名したその菌を、沢村は次に大豆以外の多くの豆類・ないし豆を原料とする食製品に植えつけた。

 

 自分が見付けた微生物の可能性、潜在力をとことんまで試してみたくなったのだろう。

 

 が、結果はあまり捗々しからず。これは結構有望なんじゃなかろうか――と、内心密かに期待をかけたインゲン豆でも納豆菌は根付かずに。「繁殖も悪く、粘り気も生ぜず、つまり納豆にならなかった」とのことだ。

 

 納豆菌との相性は、やはり大豆が飛びぬけて良好としか思えない。

 

 それが証拠に、豆腐には楽々作用した。素敵滅法界に繁殖し、苗床をみるみる喰い荒らし、原型のないドロドロに溶けた物体に変化(かえ)てしまう結果を見せた。

 

(なんと)

 

 この眺めには沢村も、改めて舌を巻く思いであった。こうまで激しくタンパク質を分解するか、さても強力な酵素かな、と――。

 一通りの実験を終え沢村は、

 

 

 ――納豆を分析して見ると多量のペプトン、アミノ酸が出来て居る、此のペプトンは細菌が大豆の蛋白質を分解して生じたものである。

 

 ――納豆菌の酵素は頗る強盛で、殊に豆の蛋白質に対して作用することが強い、されば本邦人の如く、豆類より多くの蛋白質の養分を採るものは、納豆を毎日食へば消化を助け、栄養を増す効が少くあるまいと思ふ。

 

 

 と、如何にも「納豆博士」の異名に恥じぬ提言をしてくれている。

 実際問題、沢村真の納豆知識はひとり生理学的分野に限らず、文化の面でも充実していて、

 

 

「昔は寺から檀家に贈る歳暮や年玉には大抵納豆を使った。蓋し昔の坊さんは一切肉食をせず、其代用として主に豆類から蛋白質を摂り、精力の消耗を補ったので、豆の料理が寺では大いに発達したのである。座禅豆の如きも其一つである。

 ――ところが今日では坊さんの方が余計肉を食って、俗人の方が却って精進物を食ふやうになったから、納豆の製造も俗人がやってゐる」

 

 

 折に触れてはこんな具合に、軽妙洒脱にやってのけたものだった。

 よほど好きだったのだろう。

 好きな相手のことは何でも知りたくなるというではないか。その対象は、なにも人間でなくていい。それが自由というものだ。たまらぬ自由の味だった。

 

 

 

 他にもいる。

 

 

 

 見返りを半ば度外視し、自分の好む対象をとことんまで突き詰める自由精神の所有者は、だ。

 

 沢村真と同時期に、北川文男というやつが居た。

 

 近江の産、東京帝国大学出身、医学の分野で学位持ち。世間的な知名度はおよそ天地の開きだが、情熱はまんざら引けを取らない。

 この北川は、色素に興味を持っていた。

 

 白なり黒なり黄色なり、人間の皮膚を色付けしているなにものかの正体を闡明したいと念願し、そのために東京中の理髪店を駆けずり回って――「毛髪も皮膚の一部分であって、同じく角質から成る。爪も皮膚の一部分で、矢張り角質から出来て居る。故に爪や毛髪に就て研究すれば、色素の本体が分かる訳である」――集めたりも集めたり、三貫分ものヒトの髪の毛を手に入れた。

 

 身近な単位に変換すると、11.25㎏に当たる。

 

 この膨大な繊維質を利用して、北川文男は真理の扉をこじ開けんと試みた。

 

 何を措いても、まずは洗浄からである。「石鹸や曹達(ソーダ)でよく洗ひ、次に塩酸で洗ふ。塩酸で洗ふのは、総て毛には鉄分が附着して居るので、それを落す為である。それから今度はアルコールで洗って処置するのである。さうして処置された約三貫目ばかりの毛を、稀薄な曹達液で煮ると、毛は溶けて、一石位の、黒色の粘液になる。それを硝子綿で漉し、塵埃などの無くなった液を、一分間三千回転の遠心機にかけると、やがて十匁位の色素が取れる」……おっそろしく手間暇かけた工程だった。

 

 再び単位に言及すると、十匁は37.5gという。十匁筒といって、戦国時代の火縄銃の弾丸が丁度これぐらいの重量である。

 

 11.25㎏から37.5g――。

 比率にして、実に300対1だ。

 まさに精髄といっていい。

 この「精髄」を北川は、むろんさっそく顕微鏡にかけ、思いつく限りの角度より観察したものだった。

 

 それでなにごとが判明したか。

 実に面白いことがわかったという。

 

 

「斯くて取り出した毛の色素を、顕微鏡下に照らして見ると、其一粒々々が皆黄金色に見える。色素の分量の多くなるに随って、褐色ともなり、黒色ともなる。西洋人の頭髪が黄金色を帯ぶるのは、色素の分量が少いからであり、日本人の頭髪が漆の様に黒いのは、色素が多量に含まれて居るからである。而して色素其者の成分は何れも同じで、黒髪といひ、金髪といふも、そは唯色素の多少に因るのであって、何等此外に特別の原因があるのではない」

 

「皮膚の変形なる毛髪の色が、さうして出来たものである以上は、毛髪と同じ質なる皮膚の色も自然説明される。即ち白色人種は、皮膚の色素の少量なるに因り色が白く、黒色人種は多量の色素を含有するから、色が黒いので、又皮下の血管や皮膚の角質の具合で、日本人のやうな黄色にもなるのである」

 

「人種の差別は色のみには由らない。骨格其他に於ても異なる所があるが、単に色だけで言へば其色素は本来同じ質のものなので之に優劣高下の別ある筈がない」

 

 

 常識だ。

 現代人なら義務教育の過程に於いて必ず習う、ごくありきたりな知識であるに違いない。

 しかし大正の御代にあっては、寝耳に水といっていい、大新発見だったのだろう。でなくば北川の喜びようが説明できない。この大正男は無邪気にも、

 

 ――人類初の快挙だぞ。

 

 とまで言い切り、弓張月さながらに、めいっぱい胸を反らしているのだ。

 

 

「従来西洋でも人間の毛髪の色素を純粋に取り出した学者は無かった。随って皮膚の色に就ても根本的には分らなかったのである。私の取り出した純粋な色素の成分は、炭素、酸素、水素、窒素、硫黄から成るもので、如何にしても溶けた状態にはなり得ぬ、即ち膠質性のものである」

 

 

 以上が彼の言い分だった。

 

 メラニン色素の研究史には疎いゆえ、北川の言を裏付けることは出来ないが。もし真実(ほんとう)なら日本人は一方ならぬ碩学をみすみす埋れさせている。

 

 キャタピラ(無限軌道)ないしレーダー(八木アンテナ)あたりの「前科」をみるに、大いに有り得そうなのが、蓋し頭痛の種だった。

 

 

 





今後如何に防遏しても科学は遠慮無しに進歩するであらう。此の結果をして人類の幸福側にのみ働かせる事は科学者の仕事ではないので、政治家や経綸家に一段と奮発して貰ふ事を希望するのである。

(辻二郎)

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