紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

43 / 104

偉人は更に偉大な人の現れんがため存在す。

(エマーソン)



人物月旦

 

「戦場での猪武者が、政治の庭では豚野郎に堕しおった」

 

 九郎判官義経という国民的偶像を、ここまで情け容赦なくこき下ろすやつも珍しい。

 雪嶺三宅雄二郎、昭和十四年の言だった。

 

「あいつはいったい、何をメソメソ、腰越状なぞ書いていたんだ」

 

 と、青史に名高い美文に向けてもまことに烈しく、手厳しい。

 

「そんな遊戯に耽っている間があるのなら、さっさと鎌倉へ突っ込んじまえ。兄が自分を本気で拒絶するわけがない、これは必ず周囲に讒言する者があり、その悪漢の小細工だ、兄は誑かされておる、すわ一大事、君側の奸を払いのけねば、ものどもイザイザかかれかかれと火の玉になってわめき立てれば、部下も必ず従ったろう」

 

 あたかも一筋の矢の如く――。

 思慮を棄て、左右を忘れ、顧みず、まっしぐらに駈けに駈け、鎌倉へ向け突撃していたならば、その後の形勢、どう転んだかわからない。一ノ谷より屋島より、この腰越に於てこそ、義経は最も純粋に猪武者であるべきだった。ところが事実はどうだろう、「頭を返して退いたので、猪の長所が無くなった」。雪嶺はそれを心底惜しむ。惜しむからこそ、

 

「不意を打って鎌倉に乗り込んだなら、成功し得たと云へぬが、一層の事、思ひ切って之を敢てするの勇気があった方が宜からう。戦争の猪武者は、政治の豕男になった姿がある」

 

 と、酷にも程があるような、当たり散らしめいたセリフを吐かずに居られなかったのだ。

 

「それにひきかえ、アイツは立派なもんだったよ」

 

 と、同じ文脈で雪嶺は、義経の対照物として、実に意外なビッグネームを引っ張り出してのけている。

 アイツとは誰か。

 ローマの統領(コンスル)、ガイウス・ユリウス・カエサルである。

 

「カエサルがルビコン河に臨み、之を渡れば国法を犯すとせられ、勝つか負けるか、まゝよ進めと賽を振った所は、義経の腰越に於けるよりも決断がよかった。軍事にかけてはアレキサンダーに劣る事、後にチエルも云ふて居り、義経ほど勇気及び才能無かったと思はれるが、政治上の智略に長じ、此河一つを渡れば天下は我が物と見て取り、之を渡るや果して予想通りであった」

 

 畢竟、戦場の勇者は政治上の怪物に及ばないということか。

 

 もっとも仮に義経が鎌倉突撃を敢行し、首尾よく和製カエサルに成り(おお)せたとして。その場合、後世に対する人気のほどはどうだろう。決して今日ほど圧倒的では有り得なかったのではないか。

 

「判官贔屓」の言葉にしても、生まれていたかどうか怪しい。日本人の精神面への感化の度合いで測るなら、やはり腰越状を書き、頭を返して退いてこそ、翻ってはその後の淪落、悲愴な最期があってこそ、最上だったように思える。

 

 ある人物の幸不幸、その生涯の出来不出来を論ずる上で難しいのはこのへんだ。

 途半ばの死は、必ずしも失敗に直結していない。

 よくよく考えねばならぬ。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 グラッドストンは意志の強い男であった。

 

 一度正しいと信じたことは決して曲げない。全国民から反対意見を突き付けられても、あくまで初志を貫き通す、孤軍奮闘をものともしない勇猛心の持ち主だった。

 

 ――自我のみを愛しみ、崇信せよ。

 

 とはウパニシャッド経典の嘗て説いたところだが、何の因果か、グラッドストンの人格は、このインド哲学の妙諦に、忠実に沿って設計されたようだった。

 

「そういうやつだ」

 

 と、彼をよく知る軍高官が言っている。

 

「もしもウィリアム・グラッドストンが海軍に入隊したならば、たぶん、おそらく、最終的に、昔ながらの最も剛毅な司令官として名を馳せていたことだろう。彼は自分の考えに正しさを確信したならば、如何なる障碍をも排して戦い、よしんば苦境に陥ろうとも断じて降伏などせずに、艦旗をマストに釘付けにして、みずからの手で火薬庫を爆発させる人物だ」

 

 と。

 重力の存在と同等に自国の強力な海軍軍備を首肯する、英人らしい口ぶりだ。

 

 

 奇しくも筆者は、似たような評価を受けたやつを知っている。

 福岡生まれの陸軍大将、明石元二郎その人である。

 

 

 明石に親しく仕えた部下に三浦憲一なる憲兵少佐が存在したが、明石の没後しばらくしてから、とある座談の席上で、明石の「英姿」――主に統監府時代に於ける――を追慕して、

 

「何事によらず徹底的に事を運ぶ。森林保護と云へば、私有の森木さへ自由に伐採を許さない。児童の就学奨励と云へば、どんな事情や理由があっても、強引に引ッ張り出す。清潔法を行ふとすれば、塵一本も残してはならず、道路の開通と云へば、田でも畑でも墓地でも容赦なく突き通してしまふ。どんな苦情が出ても一切耳を藉さない。凡てはこのやうに、徹底したやり方であった」

 

 喋りつつ、その猛烈に振り回された苦労まで等しく蘇ってきたのであろう、遠い目をしてしみじみと物語ったものだった。

 

 実際こういうタイプの男は自分も部下も情け容赦なくこき使う。

 

 単に追随してゆくだけでも一方ならぬ気力体力が要求されたに違いない。そのあたりから逆算すると、三浦少佐も凡器量とはとても言えないことになる。

 

「朝鮮の荒涼たる禿山を今日の如く青々たらしめたのも明石、兎も角も道路らしきものを造ったのも明石、衛生思想を普及したのも明石、一度びこの事を成すべしと信ずれば、眼中官もなく民もなく、唯一目散に突進実行する男」

 

 大塊こと野田卯太郎による評も、やはり三浦の認識と気息を合わせたものである。

 

「こんなことをしたら嫌われるのではないかと、何もしない男が一番嫌われる」――女をコマすにせよ、事業で成功を収めるにせよ、何にせよ。人生に栄華(はな)を添えるため、押しの強さはとかく必須条項だった。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 そのころ官途に在る者の威勢ときたら馬鹿々々しいまでであり、鼻息だけでどんな巨漢も吹き飛びそうで、維新政府の殿堂は、一朝にして天狗の巣穴と化した観すら確かにあったといっていい。

 

 わけても明治十六年、県令として石川県に繰り込んできた男など、そのまま『平家物語』に登場させても一向違和感のないほどに、成り上がり者の傲慢を一身に煮固めたようなやつだった。

 

 逸話がある。

 

 県令閣下、ある晩なじみの料亭に主立つ部下を差し招き、酒宴を張って紅燈緑酒のたのしみを散々味わい尽した挙句、

 

「みろ」

 

 一座をぐるりと睥睨し、側に控える芸妓(おんな)相手に言い出したことが凄まじい。

 

「こいつらは皆、おれの犬だ」

(あっ)

 

 女たちこそ蒼褪めた。

 維新前ならもうこれだけで、刀を素っ破抜くに足る。

 たとえ膾に刻まれようと誰も不審を覚えぬまでの放言であり、如何に酒の席だとて、笑って流せる沙汰でない。

 

 そういう空気の緊張を洞察する能力を、この県令はどうも生まれつき欠いていた。

 もっと言った。盃を目の高さに掲げ、

 

「おい犬ども、返事をせんか、ワンと言え」

 

 あろうことか、そんな命令まで出した。

 

 県令たるこの男、彼の姓を岩村という。

 名前は高俊。

 長州人からキョロマと呼ばれ、虫螻(むしけら)並みに軽蔑された男であった。

 

 その軽率と倨傲によって北越戦争を惹き起こしておきながら、しかし斯かる経験は、岩村の内部で一切教訓化されず、従ってまた厘毫たりとも懲りる部分はなかったかと思われる。キョロマはしょせん、キョロマのままであったのだ。

 

 岩村高俊はともかくとして、石川県庁職員も、どうかしていた。岩村を袋叩きにするどころか、顔に酒を吹きかけも、座を蹴って立ち上がりさえもせず、唯々諾々とワンワン鳴いてみせたのである。

 

「いいぞ、いいぞ」

 

 岩村は、腹をゆすって大笑いした。

 

 西郷が何故絶望し、表舞台から消えたいと、北海道に隠棲し、そのままそこで朽ちたいと、世捨て人の心境に沈淪していったのか、一秒で解せる光景だった。

 

 

 ――なお、この逸話(はなし)の出処は例の三宅雄二郎、雪嶺と号す、旧加賀藩の儒医の子だ。

 

 

 つまりは石川県人である。その雪嶺に吹き込んだのは、想像するより他ないが、さしずめ土地の古老だろうか。よく醸された鬼気を感じる。あるいは列座のひとりだったやもしれぬ。

 

 石川千代松の如き碩学でさえ、ふと感情が激すると、

 

「薩長の野郎どもがなんだ!」

 

 と怒号せずにはいられなかった、それが明治という時代。以って「官」の鼻高々と、そこに入れてもらえなかった在野の不遇、嫉視怨嗟の深刻性を知るに足る。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 旅の楽しみとはなんだ?

 

 見たこともないものを目の当たりにし、味わったことのないものを舌の上に乗せること、どれほど雄渾な想像力を以ってしてでも追っつかぬ、「リアル」に圧倒されること、総じて未知に触れること。世界観を拡張される快さ――とどのつまりは福澤諭吉が言ったところの、「天然に於て奇異を好む人の(サガ)」を満足させるこそに在る。

 

 この「天性」を解説するため福澤は、実例を多く添付した。

 

「山国の人は海を見て悦び、海辺の人は山を見て楽む。生来其耳目に慣れずして奇異なればなり。而して其これを悦び之を楽むの情は、其慣れざるの甚しきに従て益々切にして、往々判断の明識を失ふ者多し。フランスの南部は葡萄の名所にして酒に富む。而して其本部の人民には甚だしき酒客を見ざれども、酒に乏しき北部の人が南部に遊び又これに移住するときは、葡萄の美酒に耽溺して自から之を禁ずるを知らず、遂に其財産生命をも併せて失ふ者ありと云ふ」

 

 フランスワインの質の高さは折り紙つきだ。

 普仏戦争に際しては、侵攻してきたドイツ兵をも虜にしたと聞き及ぶ。

 

 掠奪しては大いに呑んで、ふと気がつけば体質変化、もはやビールばかりでは満足しきれぬ細胞組成に変化()っていた。戦後平和が恢復されて祖国に引き揚げた後も、あの芳醇な液体が欲しくて欲しくて堪らなく、ために輸入激増し、その利益によりフランスは、むしり取られた賠償金をみるみるうちに補填した――と、そういう逸話さえもある。

 

 身代潰しのアル中どもを生産するならお手の物。魔性を帯びた酒なのだ。さてこそ魅力がいや増そう。

 

 むろん福澤の掲げた例は、フランスのみにとどまらぬ。

 国内にも目を向ける。

 

「又日本にては貧家の子が菓子屋に奉公したる初には、甘を嘗めて自から禁ずるを知らず、唯これを随意に任して其の飽くを待つの外に術なしと云ふ。又東京にて花柳に戯れ遊冶に耽り放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして必ず田舎者に多し。然も田舎にて昔なれば藩士の律義なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るゝこと少なき者に限るが如し。是等の例を計ふれば枚挙に遑あらず、普ねく人の知る所にして、何れも皆人生奇異を好て明識を失ふの事実を證するに足る可し」

 

 深窓の令嬢が庶民の暮らしに憧れる、そこで育った不良児に、無闇矢鱈と恋の炎を燃え上がらせる。

 

 あるいはまた、貴顕富家の坊ちゃん育ちが軍に入ってシゴかれたがる、「本物の男になるために」とか嘯いて。

 

 これらもまた、福澤が上で指摘した「ヒトのサガ」の例として加え入れていいだろう。

 

「枚挙に遑あらず」とは、なるほどよく言ったもの。きっとこれからも数限りなく展開される、人情劇の一典型に違いない。

 

 

 人生万事小児の戯れ、人とはなんと他愛ない。

 

 

 他愛ないと認識して更に尚、その戯れに本気になって打ち込める、それがどうやら修養の初歩、「人物」たるの必須条件であるらしい。

 

 いやはや道は遼遠だ。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。