紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

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金が世の中を支配せずして何が支配する。金さへあれば人間万事これに越した安心はない、それを粗末にする奴は我身知らずの骨頂で、なしくづしに首を縊ッてるやうなもンだ。

(村上浪六)




天地之間、黄金世界

 

 アコスタが工房を訪ねると、職人どもはもう既に今日の仕事を終えており、せっせと金貨を飲んでいた。

 

 比喩ではない。

 

 日給を安酒に変えてとか、そういうワンクッション置いた、取引を交えたものでなく。

 率直に、物理的な意味合いで――金貨を砕いて粉にして、一定量をざらざらと、喉の奥へと流し込むのだ。

 

「やあ、精が出ますな」

 

 と、この品のいいイエズス会士が言ったかどうか。

 

 ここはスペイン、マドリード。

 ジャコモ・デ・トレゾの作業場。

 この日の業務は幾点かのブロンズ像へ、金メッキをすることだった。

 その具体的なやり方は、日本に於いて奈良時代、東大寺の毘盧遮那仏をきんきらきんに彩ったのと本質的に変わらない。

 

 金と水銀を混交し、

 アマルガムを作製し、

 表面を磨きあげたブロンズ像へ、

 順次塗りたくってゆく。

 

 あとはそう、適度な熱を加えてやれば、

 水銀だけがうまいこと、成分中から蒸発し、

 金はそのままそこに残って固着するという寸法だ。

 

 然り然り、水銀だけを気化させて取り除くのがミソである。

 当然蒸気は毒を持つ。極めて強い毒性を――。

 

 東大寺の場合でも、こいつの所為で工人どもがバタバタ死んだ。

 神聖なもの、尊いもの、衆生を救うありがたいものを造っているにも拘らず、過程で生ずる犠牲たるやどうだろう。つくづく以って人世(ひとよ)は矛盾に満ちている。

 

 不幸中の幸い、東大寺には「切れ者」が居た。

 国中公麻呂という人が、

 

 ――どうもこいつが(わざわい)の根本としか思えない。

 

 と、水銀蒸気と死の氾濫の関係性に想到し、効果的な対策をやっとこ捻出したという。

 

 八世紀の日本に於いて既に然り、況や十六世紀のヨーロッパに於いてをや。

 

 水銀蒸気の猛毒ぶりは職人たちひとりひとりの脳髄に確と刻印されいた。吸えば吸うほど生命(いのち)が縮む、地獄の瘴気みたいなモノであるのだと。

 

 その一点に限っては、秦の始皇帝よりも遥かに賢かったろう。

 

 とまれかくまれ生命は惜しい、しかし客が(もと)める以上、仕事をおろそかにも出来ぬ。

 

(特効薬はないものか)

 

 水銀の毒を中和する、都合のいい薬剤は――。

 

 溺れる者は藁をもつかむ。

 切羽詰まった精神こそは、迷信の最良の培養土。案の定みるみる根を張って、奇怪な花を咲かせてのけた。それがつまり冒頭の、「金貨を飲む」習慣だ。

 

 水銀が金を慕う烈しさ、「驚くべき執着をもって金にくっつき、それを求め、かぎつけると、どこでもそれに向かって動いて行く」習性は、彼ら全員、実際に見て知っている。

 

 ならば金粉を飲み込めば、喉を通り、胃を通り、腸を通りするうちに、先んじて這入(はい)り込んでいた水銀も、自然と気配に惹きつけられて(あつ)まって、ひとかたまりに結合し、最終的には尻の穴からすっかり脱けるのではないか? そんな風に期待した。

 期待以上に、積極的に信じ込もうと努力した。

 

 ――これですっかり大丈夫、安心安全ご安泰というやつだ。なんてったって金貨を飲んでいるんだからな。

 

 効果の有無、科学的な正当性なぞ、およそ二の次、三の次。

「打つ手がある」こと、それそのものが重要なのだ。戦地で兵士がゲンを担ぐ心理に近い。「人間は生きて行くためには、何とかして運命の軛を取り去らうと努力する心がある。或は運命に歎願し、或は運命に媚び、或は運命を欺いて、幸福を得やうとする。運命を二元的に見、神と悪魔とにする時は、神に向かっては加持祈祷を以って歎願し、悪魔に向かっては調伏しやうとする」(生方敏郎『謎の人生』)。精神衛生を保つ為にはつっかえ棒が欠かせないのだ。

 

 人間性の弱点であり、また可憐さでもあったろう。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 いくらお(カネ)がありがたいシロモノだからとて、一万円札を刻んで炊いて粥にして、かっ喰らったら頭脳(あたま)回転(まわ)りが良くなると、本気で信じる馬鹿はない。

 

 そんな真似をしてみても、福澤諭吉の天才に(あやか)れるわけがないだろう。敢えて論ずるまでもない、至極当然のことである。

 

 が、これを当然と看做すのは、科学によって合理的思考を鍛冶された現代人の特権らしい。遠く日本史を振り返ると、英才教育の一環として万札の粥を息子に喰わせる式の思考、迷信が、ずいぶん長らく蔓延っていた。

 

 建炎通宝を竈に塗り込むあたりはまだいい。なんとなればこの銅銭を鋳造した南宋は、火徳王朝たる宋復興を悲願に掲げていたからだ。だから最初の年号も、建炎――炎ヲ建ツルと設定したわけである。

 

 火への祈りが籠りし通貨を、火焔を扱う竈に塗り込む。そうすることで火の災いが除かれると期待して。まんざら理屈が通っていなくもない行為だろう。

 

 ところが小判でひと撫ですると顔の痣が掻き消えるとか、匂いを嗅ぐだけでぴたりと鼻血が止まるとか、そっちの方に傾くと段々わけがわからなくなる。いったいどんな根拠があって、そんな発想に至るのか。

 

 江戸時代に編纂された『銭範』附録『古銭厭勝効験』中には、そうした民間療法? の数々が克明に記載されている。ちょっと抜粋してみよう。

 

 

○時気温病にて頭痛壮熱せば古銭百五十七文水一斗を七升に煎じ汁を服す

○心腹煩満又は胸脇の痛に古銭二十文水五升を三升に煎じ用ふ

 

 

 どちらも古銭の出し汁を飲めば病気が治ると説いている。

 

 

○下血には古銭四百文酒三升を二升に煎じ服す

○赤白帯下には古銭四十文酒四升を二升に煎じ服す

 

 

 水ではなく酒で煮込むやり方もある。

 折角の香気が銅臭で台無しになりそうで非常に勿体ないのだが、健康の前には、まあ、些事か。

 

 

○腋臭には古銭十文を焼き酢に浸し麝香を抹にして入れ其汁をぬる

○百蟲耳に入には古銭十四文を猪膏に合して煎じ注入る

○霍乱転筋には古銭四十九文木瓜一両炒め烏梅(うばい)五枚を合せ煎じて服す

 

 

 色々使っているだけに、このあたりはちょっと効果がありそうだ。

 

 金を太陽、

 銀を月、

 銭を星にそれぞれ(なぞら)え、尊重せよと啓発した学者もあった。

 

 

「金銀銭は、天地人の三つに象り、国家を治ること鼎の足の如し、金は陽にして日に象り、銀は陰にして月に象り、銭は陰陽の間にして星に象る、故に金銀銭を粗末にする者は、日月星の三光に捨てられ、立身出世覚束なし」

 

 

 やはり江戸時代の本草学者、水野澤斎の言である。

 これだけ持ち上げてもらえれば貴金属も満足だろう。直江山城守兼続に「不浄の物」「手で触れたくもない」と蔑まれ、扇子によって弄ばれた昔を思えば、なんと目覚ましい出世であろうか。

 

 

 ここまで書いて、ふと想起した。そういえば幼かったころ、御先祖様の墓石に幾枚もの古銭が乗っているのを見かけたが、あれも何か深い意味があったのだろうか。

 

 

 長いこと風雨に曝されて、すっかり黒ずみ、つまみ上げれば錆粉がぼろぼろこぼれて指につく、見るもきたならしいあの物体。

 子供心に興味を惹かれ、持って帰ろうとしたものの、親に見つかり窘められた。

 

 元の場所に戻しなさい、と。私は素直に従った。

 

 今にして思えば、その従順さが悔やまれる。隙を窺い、こっそり懐に忍ばせてしまえばよかったのだ。他所様の墓ならまだしも、自分の家のモノなのだから苦情を持ち込まれる筋もなかろう。こんなことで祟るほど、私の先祖は狭量ではなかったはずだ。

 

 既にはや、二十年以上も昔の記憶であるというにも拘らず、こうしてはっきり瞼に浮かぶ。流石は「人の世を統べる大魔王」。カネの魔力は、やはり途轍もないものだ。

 

 





一身の衣食住を安くするも銭なり、父母妻子を養ふも銭なり、家内団欒の快楽も銭なくしては叶はず、戸外朋友の交際も銭に由て始めて全ふすべし、慈愛を施すも銭なり、不義理を免るゝも銭なり

(福澤諭吉)

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