危険の魅力はすべての大きな情念の奥底にある。めまいなくして逸楽はない。快楽は恐怖がまじっていてこそ人を陶酔させる。
(アナトール・フランス)
何にだって賭けられる。天気だろうと、死期であろうと。
ダイスやカードなくしては賭博が出来ないなどというのはあまりに浅い考えだ。窮極、人と人とが居るならば、ギャンブルは成立させられる。
帝政ドイツの盛時には、モルトケの口数に於いてすら、彼の部下どものベット対象に具せられた。
毎年々々、皇帝の誕生日がやってくるとモルトケは、将軍たちや参謀部附の将校どもを差し招き、このハレの日を共に祝う
――パーティの開始を告げる元帥の辞、皇帝陛下のご健康を祝するためのスピーチは、きっと、必ず、十語以内に収まるだろう。
と。
衆の反応は分かたれた。
「さもあろう」と頷く者と、
「まさか、そんな、いくらなんでも穿ち過ぎた観測だ」と
既に対立の構造がある。
「ならば、賭けるか? どっちの見方が正しいか」
「いいだろう」
はっきり白黒つけない限り、おさまらない流れであった。
几帳面なドイツ人、しっかり審判役まで選ぶ。パウル・フォン・ヒンデンブルク、やがてモルトケと同じ階級、陸軍元帥まで至る、彼に「仕切り」が託された。
やがてモルトケが
結果が出た。
「諸君、皇帝万歳!」(Meine Herrn, der Kaiser hoch!)
それが今年の、モルトケの祝辞のすべてであった。「十語以内」派の勝ちである。負けた側は臍を噛み、したり顔の勝者らに財布の中身を吐き出さざるを得なかった。
堅物とか、糞真面目とか、沈毅とか。およそそうした概念の塊めいたドイツ人、しかも軍人社会にも、打ち寛ぐと言うべきか、ウィットに富んだ、こんな部分が存在していたようである。
――この程度のこと、不敬にもならぬ。元帥に対しても、皇帝陛下に対しても。
どうもそういう認識が成立していたようだった。
「余の机の上に一塊の大理石が載ってゐる。これは、わが皇帝の棺の置かれてあった古い寺院から取って来たものである。余にとってこれにまさる愛すべき贈り物はなかった。今日この石を眺めて、如何なる感慨が湧き起るかは、余は改めて書き記す必要はない」
自伝の中にて、亡き主君へと、こうまで熾烈な忠愛を捧ぐヒンデンブルクが許してる、けしからぬとも何とも言っていないのだ。
議論の要らぬことだった。
イギリス人は賭博を愛す。
目まぐるしく廻る運命の輪、曖昧化する天国と地獄の境界線、伸るか反るかの過激なスリル。その妙味を愉しめぬような
「あの連中の競馬好きは度を越している。なんといっても、欧州大戦の極端な物資欠乏期でさえ、競走馬に喰わせる秣畑はしっかり確保し、寸土といえど他の目的への転用を許さなかった国民だ」
長きに亙る外務省勤めのキャリアに於いて、笠間杲雄はそういう景色を幾度となく見た。
競馬やサッカー、カードや賽の目の配合にベットするなどまだまだ序の口。たとえば空を見上げては、今月何回雨の日があるか賭けようぜともちかける。
政府がいつ、予算案を上程するかも好んで博奕の対象に具したし、その内訳でもまた賭けた。政治に関心が強い国民性と書いたなら、まあ聞こえはよかろうが。
ある年など、「さる競馬界の名士」とやらが増税案の税率予想に参入し、しかもいちいち的中させて巨万の富を築いてしまい。あまりの精度の高さから機密漏洩の疑惑がもたれ、査問委員会が発足、上へ下への大騒動を巻き起こすに至ってしまった。
最終的には植民大臣の首が吹っ飛び、どうにかケリが着いたという。一応附言しておくが、これは決して、映画や芝居の筋書きではない。「英国官界では近年珍しい大事件だった」と、あくまで現実の沙汰として笠間杲雄は書いている。
「賭事の好きな点では、世界の人種中、英国人の右に出づるものはあるまい。英国人にとっては如何なる機会、どんな因縁でも直ちに以て賭けの対象となる」(昭和十二年『東西雑記帳』より)。たまらぬ紳士道だった。
この精神は二十一世紀の今日までも脈々として受け継がれ、彼のくにびとはロイヤルベビーの性別、体重、髪の色に至るまで、平気の平左で金を張り、しかもそのことで何らの呵責も感じない。
流石イギリス人だった。これは呆れか、感心か、はたまたその両方がこんがらがったシロモノか。我ながら自分の心が不明瞭だが、とにかく「流石」と言ってやりたい衝動だけは強くある。
「英国」と「競馬」に関しては、こんな珍談も伝わっている。
「競馬史上の最大インチキといへば、百年程前の英国で、あっと言はせたものがある。
当時のダービーでは常勝不落と言はれた名馬で「チェルシー」といふのがあった。美事な白馬だったのだが、それをインチキ師が一シーズン後、うまく手を廻して借り切って、ペンキですっかり栗毛に塗りつぶし、別な名をつけてフランスへ送った。そしてパリ附近の競馬場を、之で以てすっかり荒して大穴をあけ、数百万の賞金と馬券の儲けとを取ったのであった。これが国際的な大詐欺として今でも競馬史上に残ってゐる。その他、之に類するレースコース・スウィンドラーが極めて多い」(同上)
どうであろう、否が応でも『銀と金』――福本漫画の大傑作を彷彿とする話でないか。
物語の最終盤、三百億を賭け合った競馬勝負で平井銀二はこう言った。
「人間によく似た者がいるように 馬にも瓜ふたつのものがいる
その紛らわしさを利用した いわゆる擦り替えによる八百長騒ぎは
かつて日本でもあったし
本場英国でもあった 珍しくもない……
表沙汰になった事例だけでも 一度や二度じゃないのですから
首尾よく誰にも悟られず 成功した例は その数倍ある……
擦り替えは可能……」
チェルシー号の大ペテンは、彼の語りの裏書とはなるまいか。
人間、
その格好の例証ともなるだろう。
以下はほとんど信ずべからざるエピソードだが、発信者のフィリップ・アーマンド・ギブス卿はあくまでも、「真実」と主張して譲らない。
第一次世界大戦の真っ最中に、英国国王ジョージ5世がドーバー海峡をひょいと跨いで、フランス首脳部と心温まるご交流を営まれたのみならず、将官連の制止を振り切り、砲弾乱れ飛ぶ最前線にその身を曝したという話を、だ。
士気は目に見えて上向いた。
あたりまえのことである。
いと高き御方の視界の中で臆病なふるまいを演ずるようでは、それこそ末代までの恥、英国男子の名折れであろう。兵士は勇猛心を奮い起こした。
王もまた、権威の源泉たるに相応しい態度をお示しになられた。
爆風が頬をなぶるほどの至近弾があった際にも、ジョージ5世は泰然として、少しも恐怖の色合いを面上に差し上らせなかったという。
が、生憎と、
慣れない戦場の喧騒に、あるとき遂に精神の臨界を超えたらしい。恐慌を起こして棒立ちになった。
しかもそれが泥土の上で起きたのだから堪らない。いっぺんにバランスを失って、騎乗中のジョージ5世もろともに、
(あっ)
あってはならない事態を前に、お付きの者らは悉くその顔色を失った。無理もない。彼らの受けた衝撃たるや、太陽の落下を目の当たりにしたのと大差なかろう。もう駄目だ、何もかもがお終いだ、である。
翌日、ジョージ5世は傷病兵用車輌に乗せられ後方へと送られた。
しかもその車輌というのが、何ら特別仕立てではない、既に幾度も彼我の間を往来している一般的なものだったから、兵士たちの誰一人としてその中に国王が乗っているとは気付かなかったそうである。
よく出来た話だ。
あまりに出来が良さ過ぎて、プロパガンダを疑わずにはいられなくなるほどである。
というより、常識的に考えればそうだろう。権力者は自分を危険に晒さないとか、そういう僻み根性を抜きにしても、どうにもジョージ5世の人間性にそぐわないのだ。
君臨すれども統治せずの模範的な体現者であり、即位二十五周年の演説で、
「私はごく平凡な一人の人間に過ぎない」
と発言した男が
が、しかし、フィリップ・ギブスは第一次世界大戦中たった五人のみ存在していた英国公認ジャーナリストのうち一人。
酸鼻を極めた西部戦線の実情と、さんざん検閲された欲求不満を、戦後
真実の暴露に対しては、ひときわ執心していたとみて相違ない。
そんな男が保証している。戦後幾年経ようとも、ジョージ5世の前線視察にまつわるエピソードを、だ。
してみると、国王陛下の「平凡な人間」発言は単なる謙遜にあらずして、もっと別な、たとえば痛烈な自国誇りの意味合いを含んだものであったのではなかろうか。祖国存亡の危機が目睫の間に迫った場合、一般的な英国人なら誰しもが、自分程度の勇気を発揮して当たり前。我が身の危険を顧みず前線に馳せ向かうのは紳士として当然の嗜みであり、取り立てて騒ぐには及ばない、と――。
第一次世界大戦中の列国軍隊。その
陸軍に所属し、最終的な階級は少将。日露戦争では参謀を務めたというから、単なる机上の空論家ではない。
1917年から1919年まで河野は欧州に出張し、戦場視察に熱心だった。
結果得られた評価録を引用し、今回の稿を閉じるとしよう。
「戦前大陸軍として其名を世界に誇ったロシアの陸軍は、先づ戦争第二年目に戦意が挫け、後遂に崩壊した。仏伊両軍にも第四年目に軟風が頻りに荒んだ。即ち、仏軍には其春非常なる精神的危機があって、戦線では銃を棄てて軍隊を離るゝものが続出した、幸に当局の果断なる処置と米国の参戦によりて辛うじて此頽勢を挽回することが出来た。伊軍にも同様の危機があって、其年の秋カポレットの大敗を招いた、…(中略)…又連戦連勝の独軍でも西部戦線異状なし処か、最終年の夏には将校の不在の間、戦線に於て団体をなして投降することが初まり、又後方の森林村落には戦線からの逃亡兵がウヨウヨする程大異状であった。此間唯独り英軍のみが不撓不屈、極めて堅実味を維持し孜々として戦勝に向かって努力した。要するに英国は連合軍勝利獲得の中堅であった」