紙上の人々・片影星羅   作:穢銀杏

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日本人は服従的人種に非ずして、彼等は自己の上に其支配民族又は優等民族あるを決して忍ぶものに非ず、為に日本人の増加と共に米国人の危険を示すに至るべし。

(カリフォルニア州知事、ウィリアム・スティーブンス)




「国産」綺譚

 

 税関に勤務しているとちょくちょく妙なモノを見る。

 

 神戸のとある貿易商から使い物にならない茶葉を、そのくせかなりの頻度で以って輸出している不思議さが、片山兵次郎の興味を惹いた。この興味こそ、一介の税関職員だった彼をして、国産カフェイン製造業者の嚆矢という思いもかけない運命へ至らしめたる発端だった。

 

 順序よく、先ずは茶葉から論じてゆこう。

 

 どう使い物にならないか。

 

 石灰塗れなのである。

 

 これではとても飲用に堪えない。にも拘らずいったい何処に需要があるのか、送り出される茶葉の量、年々増加しこそすれ、減少する兆しさえ見えてこない不自然さ。

 

(誰が、何にあんなモノを利用する?)

 

 兵次郎は疑念を持った。

 疼痛のように放置できない疑念であった。

 

 職務の域を踏み越えて個人的な熱意から方々探索してみると、驚くべき真実が、ほどなくして浮かび上がった。

 

 

「…番茶は飲用に供するのでなく、カフェインを採る原料に用ゆるのであるが、単に飲用品として送り出すと関税が非常に高いので、脱税の為めに斯く石灰を混じ、廃物同様にして送るのだと判り、且つ此の安い番茶からカフェインが精製されて高い値段で再び本邦へ輸入されるのだと聞いて大いに発奮し国家経済上決然その製法研究を思ひ立った」

 

 

 佐田介石が手を打って賞讃しそうな心意気──国産奨励、輸入防遏──であったろう。

 

 如上の記述は当代きっての薬学士、丹羽藤吉郎の筆による。

 

 兵次郎が苦心の末編み出した、彼独特の製造技術を事業化する際に当たって強力に後援した人物である。

 

 そう、義侠心(かんじょう)一途に衝き動かされた無謀な挑戦、素人ゆえの怖いもの知らずな暴走と、聞けば誰もが憫笑するに違いない片山兵次郎の挑戦は、ところがしかしあらゆる常識を裏切って、完璧に実を結んでしまった。

 

 天稟があったとしか言いようがない。

 

 化学的・薬学的知識に関し、専門的な授業など一切受けたことのない、まるきりズブの素人が、僅か数年間の研鑽のみにて既存の手法を遥かに超える効率的な「遣り口」を確立させてしまったのである。

 

 信じがたいほどの成果であった。

 

 実際問題、同時代人はほとんど誰も信じなかった。

 

 エセ科学でメッキした、巷に溢れる山師らと同一視され、銀行からも資本家からも、洟もひっかけてもらえなかった。

 

 そのあたりの機微につき、再び丹羽博士に聞こう。

 

「片山氏は苦心の末漸う簡単で完全な製法を発見し得たので大に喜び、実地に製造を試みやうとしたが何分にも無一物で手の出しやうがなく、或人の紹介で大正二年の春静岡へ来て二三の実業家に謀って見たが誰一人対手にもなって呉れぬ」──大抵の場合、結局人は肩書で他人(ヒト)を判断するらしい。

 

 もしも片山兵次郎が事業計画書を差し出すに、どこぞの帝国大学の卒業証書を添えていたなら、世間の風はこうも冷たくなかっただろう。

 

 だからそれ(・・)を持っている丹羽藤吉郎と縁を結び得たことは、片山にとって最大級の幸運だったに違いない。

 

「途方に暮れていると又或る人にカフェイン製造なら一先づ専門家の丹羽博士に相談するのが安全であると云はれ、其の人と同道で自分の所へ来たから親しく本人の研究した事を聞いて見ると、其の製法は合理的で頗る要領を得て居るので余は大いに激励し、自分から態々農商務省に出頭して説明の労までも執って首尾よく『片山式カフェイン製造法』と云ふ専売特許を取り、夫れから静岡市の資産家中村圓一郎氏に交渉して同氏が資本主となり、大正三年三月中旬静岡市在の吉田村に粗製精製の両工場を設け製造に着手して見ると果して立派な然も外国製に劣らぬものが」出来上がり、関係者一同、万々歳と相成ったというワケである。

 

 この場合、片山はむろんさることながら丹羽藤吉郎の偉大さもまた見逃せぬ。二流、三流の研究者だと、自己の専門分野に於いて一端なりとも素人に凌駕されたを不快がり、研究成果をうまいこと自分のものに剽窃せんとの野心すら起こさないとも限らぬからだ。

 

 間もなく開始(はじ)まる第一次世界大戦の影響で、輸入が途絶えたことにより、日本の薬価全般は異常な高騰に見舞われる。

 

 時代の風に帆を張って。──国産カフェイン製造事業は大いに飛躍したそうな。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 大正から昭和へと、世が移らんとした頃だ。国産奨励の掛け声が、ついに映画界にまで波及した。

 

 日活の根岸耕一が、

 

「一年二百八十万」

 

 と繰り返し、口やかましく言っている。大日本帝国が外国映画輸入のために年々支払う金額が、それぐらいになるのだ、と。

 

 需要はある。

 人々は映画に飢えている。

 

 その渇望を癒やすのに、いついつまでも舶来物に頼りきりでは情けない。日本人の欲求は日本人みずからの手で作られた、国産品で満たさずしてなんとする。各々ふるって努力せよ。これはひとえに映画会社の利益問題のみならず、最近大蔵大臣のご執心たるいわゆる国際貸借の改善とやらを図る上でも一役買ってくれるはず。──

 

 なかなか大きな風呂敷広げて、気焔を吐いた根岸耕一支配人。

 

 しかしながらそんな彼をしてさえも、ターゲットはあくまで国内、自分と同じ日本人に留まった。日本産のフィルムで以って欧米人を熱狂させる、邦画の輸出ということは、到底無理、無茶、無駄な試み、不可能と、諦観していたようである。

 

 ──人情風俗をあまりに異にするゆえに、西洋人には到底邦画の面白味は解せまい。

 

 と、まるで近藤経一の──「ある一つの国といふか地方に生れた芸術は、到底その国の人以外には完全に理解もされないし、楽しまれもしない」──口移しのような観念の中に逃げ込んでいる。

 

 そこが根岸の想像力の、いわば限界点だった。

 

 まあもっとも、白人至上主義の病(カラードペナルティ)がなおも色濃く残存している当時では、どれほど優れた作品を送り出してみせたところで果たしてちゃんと正当に評価され得るのかどうか、怪しい限りであるのだが。

 

 そのあたりまで考慮に入れると、やる前から諦めるなと、単純に根岸を責められもせぬ。

 

 映画の未来に関しては、寺田寅彦にも一家言ある。この人物はともすれば、今日のアニメの隆盛を透見したかの如き調子の随筆を、ところどころに書いているのだ。

 

 

「独立な芸術としての有声映画の目的は、矢張り既にあるものゝ複製ではなくて、寧ろ現実にはないものを創造するのでなければなるまい。折々余興に見せられる発声漫画などは此の意味ではたしかに一つの芸術である。品は悪いが一つの新しい世界を創造して居る。…(中略)…映画は舞台演劇の複製といふ不純分子を漸次に排除して影と声との交響楽か連句のやうなものになって行くべきではないかと思はれるのである」

 

 

「アニメは文化」と我々は、胸を張って言って良い。

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

 胃の裏側に横たわるカズノコみたような形の臓器を、杉田玄白以下蘭学者たちはまず初め、「大機里爾(だいキリール)」と銘打った。

 

 機里爾とは、すなわちKlier。オランダ語で「腺」を意味する言葉である。

 

 この器官の主要目的がアルカリ性消化液の分泌と、血糖値調整のホルモン分泌にある以上、当を得た命名であったろう。

 

 ただ、五臓六腑をまとめて書き並べてみた場合、肝臓心臓脾臓肺臓腎臓、胆胃大腸小腸膀胱ときておきながら最後の最後に「大機里爾」では、なにやら全体の調和を欠いて、体裁の悪さが拭いきれない憾みがあろう。

 

 それのみが理由、というわけでもないのだが。

 

 兎にも角にも改称の必要が高唱されて、やがて大槻玄沢が機転を利かせたことにより、この課題は達成される。

 

 彼のものした『重訂解体新書』の原稿中、「大機里爾」は「肫臓」と表記されていた。

 

 その由来は、洋書に於けるこの器官の原語たる「パンクレアス」に重きを置いたものらしい。パンは汎であり「すべて」を意味し、クレアスはまた「肉質」を指すラテン語である。一連の意味を踏まえて玄沢は、「肫」の一字を新造してあてがった。

 

「屯」とはこの一文字で「たむろ」と読ませることからも知れる通り、あつまる、集合するといった意味を内包している。よってこれに肉月をくっつければ効果覿面、たちどころに「肉の塊」という意味になるではないか。

 

 妙案といっていい。

 

 これで安心、ご苦労さん――と胸を撫で下ろしたのも束の間のこと。

 

 ほどなくして、思いもかけない方向から「待った」がかかる。実はこの「肫」という字、玄沢が考案するよりもずっと以前から別の意味で使われていた、いわゆる既製品だったのだ。

 

 平安中期に編纂された漢和辞書たる『倭名類聚抄』中に、もうこの一字を発見できる。鳥の五臓、特に胃を指す言葉であった。

 

 ――これはいけない。

 

 一同、意見が一致して、件の器官は再び改称を迫られるという展開に。

 

 最終的な決着は、宇田川玄真の『医範提綱』によりつけられる。玄真もまたパンクレアスを由来としながら、しかし「屯」ではなく「萃」の一字を以って肉月に接着せしめたのが秀逸だった。

 

「萃」が「あつまる」という意味を持った文字であることは、上海アリス幻樂団に、幻想郷の騒動に多少なりとも触れた方なら誰しもが知っているに違いない。――不羈奔放の鬼、伊吹萃香の名を通じて。

 

 斯くして漸く、「膵臓」という単語が世に出現(あらわ)れた。

 

 なんという紆余曲折の歴史であろう。日本人の創意によって新たに生まれた和製漢字、いわゆる「国字」について調べてみると、時々こういう遠大な逸話が思いもかけず芋蔓式に発掘されて面白い。

 

 

 

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