あとこの回ちょっとレース描写上手い。お気に入り。
暗い空が揺れている。パドックの中から、風で砂埃が舞うのを見る。観客席はいつもより少し多い。
今日は特別競走「青雲賞ジュニア級オープン」。ナナカマド賞のトライアルレース。
「・・・ちょっと空気が冷えるね。手袋付けても良いくらいかも」
手をさすりながらカエデが言う。さすがの彼女も緊張するようだ。
「パドックでちょっと多めに動くかな」
「そうだね」
体が強張るのも無理はない。今日の結果でジュニア級初の重賞「ナナカマド賞」の出走権がほぼほぼ決まる。入着すれば出られる。今回は8枠10番まで揃っているから、私たちのうち半分が本番には行けない。
だが、私たちの呼吸がおぼつかない理由はそれだけじゃない。
「・・・ジュニア級の「今のところの」最強が決まるもんな」
ウェルがパドックに入ってきた。彼女はゴーグルをつけている。
「私たち3人と、あとファクト。他にも粒ぞろいのメンバーだね」
そう、私たち3人だけという訳でもない。彼女、エルドラドファクトもいる。
この戦いは「ジュニア級」としての最初の戦いなのだ。これから首を狙い合う同期との最初の戦い。
私はラルバに新調してもらった蹄鉄を確認し、観客席のチームメイトに目配せをした。
「ここを勝って、ナナカマド賞も勝てばまず一冠。ヤングチャンピオンシップを勝って、イレネー記念も勝てば三冠」
呪文のようにつぶやく。集中するためのルーティンのようになっている。
結局の所「三冠」といっても大分地味なことの繰り返しなのだ。ばんえいは「積み重ね」の戦い。
塔の台座は完全になった。ひびの入る余地はない。
さあ、青雲の元、レンガの一つ目に手を掛けよう。
「さあ帯広競馬場第11R、ジュニア級オープン青雲賞。今、ファンファーレが鳴り響きました」
トランペットが鳴り響く。ゲートは狭いが、その分音が少し反響して大きく聞こえる、気がする。過度の集中による錯覚だろうか。
「全員ゲートインが終わりました。ジュニア三冠初戦の出走権は誰が手にするのか!」
ああ、身がすくむ。ここまで来て震えて堪るか。
「さあ、ゲートが開きましたっ!」
ガコンッ!
いつも通り、私たちはゲートの外に出る。ライトの光が目に入る。
「先頭はキャシーネイビー! いつも以上に良い顔をしております!」
第一障害までが長い。前に比べ、更にそりが重くなったからだろうか。
「そして2番手にジャグラーデイ、その後ろほとんど差が無くゼッケン6番マーシャルガズン」
いつも通りだ。だが、ウェルが前方に出ていない。カエデは差しでいつも通りだから良いが、こうも普段と違う戦法でこられると心配になる。不気味だ。
「ここまでが先頭集団。中段にはゼッケン3番エルドラドファクト、並んでゴッドドラッガー」
海辺で競り合った黄金郷がこれ見よがしと立っている。
横顔は、私を睨みつけたりなんかしない。見ているのは先頭だけ。ゴールの首を刈ろうと、一心に前だけ見ている。
「全員第一障害を難なく越えました。今日で一番きれいな並びです」
今日の水分量は1.6%。悪くはないが、体力的にはどうなんだろうか。
先頭の黒鹿毛のウマ娘は、すでに直線の半ばに入っている。気を抜いたら置いていかれそうだ。
だが、焦ってはいけない。私は足を砂に沈めた。夜の帯広に私の足音が響き渡る。
「ここで先頭は入れ替わりました、後方から上がってきたエルドラドファクト」
少しずつだ。微妙な水分量だからこそ慎重に。
多少なりとも体力に懸念があるのなら、落ち着いて止まるしかない。
「さあ第二障害前に先頭が付きました。後続も続々と続きます。差はほとんどありません」
今の私に先頭を走る彼女のような体力は無い。きっと、ここにいるウマ娘の多くが私の持っていない物を持っている。
だが、仕方が無い。割り切るしかない。私は「私の持っている物」のみで戦う。
「さあ横一線、最初に抜け出すのは誰か!」
深く、長い時間をかけて息を吐く。
足の残りエネルギーは45%程。勁を全力で意識して、障害を登ったらきっと15%ほど。
「こりゃあ、しんどいなァ・・・」
時間をかけて登るのは無理だ。きっとここで足を折ったら、間違いなく出遅れる。
単純なスピードでウェルやカエデには勝てない。先頭で駆け出すのは必須条件。
「スー・・・フゥゥゥゥゥ・・・」
横をチラリと見る。カエデはあと10秒。ウェルとエルドラドファクトはもう準備完了で、様子をうかがってる感じだ。
私は改めて上を見上げる。障害の奥には、夜空と薄い雲がかかっている。
さあ、山登りの時間だ。
「出たっ、最初に障害を登ったのはゼッケン8番ゴッドドラッガーだっ! 続いてエルドラドファクト、他数人も同時に出た!」
地球の裏側の青い雲よっ、私の背中を押してくれっ。
「さあゴッドドラッガー、頂上で止まりました。シシカエデは少し厳しいか」
カエデにしては少し溜めが少なかった。珍しいことだ。だが、彼女の足ならば絶対に後半巻き返してくる。
私は頂上で足を止めた。握りしめる手が小刻みに震えている。どういう事だろうか。
「おおっと!! ここで一気に上がってきたぞウェルミングス!! 先頭と並んだ!!」
何か、鋭い矛をこちらに向けられた感触。そりゃあそうだ。
圧倒的なその自信と、彼女なりの「プライド」を引っ提げて、必死に首を狙ってくる。
役者は出そろい、闘争が始まる。第二障害後の直線に入った。
「さあ先頭はウェルミングス、続いてゴッドドラッガー、エルドラドファクト、シシカエデと続いています。後続は厳しいか」
少しずつ前との距離が全員詰まってきている。横一線になるのだろうか。
いつぞやの中央で見た「並ばない」とかいう展開にはさせない。520kgの重りがそれを許さない。
「さあ4人並んだ!! 4人同時に頭がゴールに入りました!! ここから止まらないで抜け出すことができるか!!」
横顔なんて見てる暇はない。息も絶え絶え、気を抜いたら血反吐が出そうなのだ。あと4歩程度だ、そんなもの私がゴールした後に存分に見ればいい。
前に、前に出ろ。足から大地に流れるエネルギー、私を前に進ませろ。勝利じゃない、ただ少しばかり前に出てくれれば良い。一歩一歩を、ただひたすらに積み重ねろ。
「ゴール!! 一着は!!」
ああ、気持ちが良い、青色の雲が夜空に見える。
「ゴッドドラッガー!!!!」
「お疲れ様。ライブ良かったよ」
「あ、カエデ。着替えてきたんだ」
長袖の制服の上にパーカーを羽織り、彼女は笑みを浮かべている。
「・・・今日は、負けちゃった」
「・・・うん」
彼女、何か焦っていた。障害前の溜めが後5秒長かったら、今日のライブで踊っていたのは彼女だったろう。
「いやぁ、負けたくないって思っちゃったんだ。ゴッドもウェルもファクトも、命を懸けてここに来てるのが分かって、すごいワクワクした。それで、初めて心の底から負けたくないって思ったんだ」
彼女の顔は、隠しきれない悔しさと、不思議な満足感が溢れている。
「うぉい、何二人でエンディングみたいにしてんだよ」
ウェルが走ってきた。息が切れている。
「なんで走ってきたの?」
私の問いかけを無視し、彼女は大きな声を轟かせた。
「・・・ゴッド! 次は負けねぇ!」
「・・・!」
彼女がこんなにも気持ちを出すのは初めてだ。激情を無理くり抑え、今ここに立っているのだろう。
「私も、次も負けないよ」
私はゆっくりと答えを出す。
飾り気のない言葉で良い。彼女は私に「答え」を求めてないのだから。
「・・・そういえば、エルドラドファクトさんは?」
「さっき帰っちゃったよ。今後のトレーニングの準備するとか」
彼女もいろいろ思うことがあったのだろう。気が早い事だ。
「・・・ゴッド、飯行こうぜ」
「あ、良いね。私も行く」
青い雲の行方は、ナナカマドの方角へ。私たちはそれの後ろをついていく。
「・・・今日勝ったんだから、ゴッドの奢りな」
「勝手に決めないでよ」
無限に思えるようなその時間を、私たちは笑いながら進むのだ。
設定紹介Q&A
Q.オープン?って何?
A.ざっくり言うと、賞金獲得額でつけられる格付けのこと。
A-1とあった場合、Aの部分が格付け、数字の部分は同じ格の中のランクだと思ってくれれば、大体OK。そして、それの中で一番高い水準が「オープン馬」。その馬が出れるレースなので「青雲賞オープン」の名がついてる。
・・・つまりあの同期の4人は全員がっつり勝ってるというわけです、ウェルさんとか別に全然弱くないじゃん、と。