ただ2000文字のレース描写はとっても疲れる。
「さあジュニア級の精鋭たち、皆難なく第一障害を越えました」
落ち着け。まだ障害を越えただけだ。
唯一、ではないが、懸念の一つである誰かしらの作戦変更も今のところはない。ここまでは計画通り。上々の出来だ。
「さあゴッドドラッガーとシシカエデ、前に出た。後ろにゼッケン3番イリーガルダンサーが続いていく」
足に負荷がかかる。そりゃそうだ。普段なら止まっている所を無理に進んでいるのだから。上手くいかないのも無理はない。
しかし気持ちは高まるばかりだ。負けたくないというシンプルな精神が、身体の血液循環を速めていく。
「さあ、後方集団も着実に前進しています」
後ろを振り向くのは悪手。今は前だけ見る。
もう少しで障害だ。今日の水分量が高いのが功を奏した。今の所順調。普段よりも辛いペースのはずなのに、肉体は次の闘争を求めている。
ヒリヒリと伝わる勝利の欲求に、面白いくらい体が反応する。良い、良い気分だ。
「さあ先頭2人! 同時に障害に辿り着いて足を止める!」
・・・だが、落ち着け。ここからは未知の領域だ。
今までよりも速いペース。妙にクリアーな視界と、興奮する肉体。自分の残りエネルギーはどの程度か。見誤った瞬間に敗北が確定する。
私は深く息を吸い込む。大きい呼吸の音が繰り返され、汗が頬を伝うのを感じる。
冷静さが戻ってくる。血の巡りはそのままに、脳だけを稼働させろ。
「さあ2人の女傑が並び立って様子を伺っている。後方のウマ娘も障害に辿り着いています」
私の持つ残存エネルギー総量は、きっと休んでいる今でさえ60%程。障害を登るのに30から40は必要だとして、体はその酷使に耐えられるだろうか。
不安が頭をよぎる。怪物どもの巣穴で、これから山場だというのに何たる思考か。合宿前と、なんら変わりはしない。
だが私は誓った。トレーナーにでも、神にでもなく。私自身に誓ったのだ。『もう二度と負けて堪るか』と。
肉体の火照りは十分。焦りも葛藤も至高の端だ。今見えるのは横に並ぶ、普段とは違う
「・・・ハハッ!!」
空に向かって私の声が飛ぶ。
ますます面白くなってきた。ばんえいも、私も。
「行った行った行った! ゴッドドラッガーだ! 青雲賞を制したその足が再び牙を向いている!」
体を下側に移動させようとしてくる重圧。それを無理やり閉じ込めて、足を坂に付ける。エネルギーの流動体。減りつつある残存エネルギーを無駄なく使う。
「そうこなきゃねッッ!!!」
カエデの明るい声がする。やはり来た。いや、来ると確信してた。彼女なら来てくれる。さあかかってこい。選抜レースのように簡単には下させない。
青雲賞の時、彼女は不調だった。それでもギリギリだったあの勝利を、私は飲み込めないでいる。だからこそ、全身全霊の貴方に、今ここで、心から勝ちたいと思う。
「障害の上で二人並んだぞ! 後ろからも上がってきている!」
負けない。もう二度と負けない。ライバルにも、レースにも、私にも。
紺碧の空の下。坂の頂上。重くなった足。私は必死に息を吐き、頭に浮かぶ言葉を反芻する。
「先に下ったのはやはりゴッドドラッガー! だが、シシカエデに続いてウェルミングス! 後続も順調に上がってきている!」
良い、今日が過去最高だ。身体と精神の完全な調和。闘争と肉体の完璧な同調。
一気に障害を下り、そのままの勢いで直線に向かう。視界が開けた。このまま直線一気。そう意気込んで、砂の中に足を投じる。
「ゴッドドラッガー、順調に直線を進んで、ゴールが見えてきた!」
私は直線を進みながら考える。
きっと流れは変わらない。このまま勝てるのなら勝ってしまいたい。
しかし、本当にそうなのか。このまま何の面白みも無くレースが進んでいくのか。かつて経験した、幾度とないどんでん返し。きっとこのレースもそれに違いない。
「ゴッド! 後ろ! 来てるぞ!」
「!?」
トレーナーの声。気が付かないうちに震え始める手。さっきより力が抜けた足。
ああ、まずい。飲み込まれる。
「デジャヴ・・・!」
選抜レースがよみがえる。再び獅子の牙が、私の最終直線を止めてきた。
「ここでやってきたのはシシカエデ! まだ距離はあるが大丈夫か!」
だが、落ち着け。深く息を吸え。恐怖は飲み込め。精神を奮い立たせろ。心で負けて良いわけがない。
「・・・ア゛ア゛!!」
私の狂い声が帯広競馬場に高らかと鳴く。残りの直線は私の物だ、という強い意志を示す。
「シシカエデとてつもない勢いで迫ってくるが! ゴッドドラッガーの頭は既にゴールに入っている!」
その叫び声は自己の認識に繋がる。良い具合に力の抜けた脳が『あれ』を思い出した。前の日に言っていた最後の策だ。
私は手を強く握りしめてから、深く息を吸った。
『怖気づいた』『飲み込まれた』 『体力の限界』
私の答えは、唯一つ。
『知ったことじゃない』
「おおっと!? ゴッドドラッガー、ゴール板の上で止まってしまった!! エネルギー切れか!?」
今日初めて後ろを見る。異常なまでに冷静な頭で、汗を流しながら走るカエデの目をじっと見る。なんて美しいのだろうか。きっと一瞬だったはずなのに、それは永遠のように感じられる。
そう。永遠のような「一瞬」で構わない。あともう少し。もう少しだけだ。
「・・・いや、ガス欠じゃない。アイツ、狙って止まってる」
「ハァ!?」
引き付けろ、あと一歩に迫った勝利を求めて手を伸ばす。その隙を利用しろ。
「さあシシカエデがゴールインするのか、それともゴッドドラッガーか!」
私は横に来た息切れするカエデを見ながら、一瞬。一瞬だけ笑って、自分にしか聞こえないよう呟く。
「・・・ありがとう」
気力十分。体力十分。私は、足を今日一番強く踏み込み、一気に駆け出した。
「・・・ゴォールイン!!」
「おつかれ」
「あ、おつかれさまです。トレーナー」
ライブの汗も乾いた。筋肉痛一歩手前の体を無理に動かして、私は返事を絞り出す。
「・・・トレーナーから見て、どうでした? 今日のレースは」
先程から気になっていた質問だ。自己反省の前に、この人の意見を聞いておきたい。
「うーん。100点満点はあげられないかな」
私も同意見だ。笑いながら控室の外に出る。
「ちなみにその心は?」
トレーナーは歩きながら口を開く。
「障害を登りきる時、ちょっと粘れば最後の無理は必要なかった」
「ですね。やっぱ分かりますよね」
しくじった、とは思いたくない。だが、一瞬とはいえ相手の思惑に乗せられたのは確かだ。
「でも、そこを含めても90点は超える。良いレースだったよ」
「・・・へへ。ありがとうございます」
この人の考えていることはいつも分からない。怒っている時と元気な時のテンションの差がおかしかったり、変なところもあったりする。だが、トレーナーとしての腕は間違いなく帯広トップクラスだ。そんな人が「良いレース」だと言うのだ。誇っていいだろう。
私が内心微笑んでいると、後ろからジャージの裾を引っ張られる。
「・・・ゴッド」
「・・・カエデ」
いつになく神妙だ。何を思ったか、西高トレーナーは先に行ってしまい、イレネー像の前で二人きりになる。
「今日はおめでとう」
「・・・うん」
いつになく。本当にいつになくだ。初めて見る表情。
「私、完敗って初めてなんだ。負けたことはあるけど、その時は毎回蹄鉄が悪かったり、足とかメンタルが不調だったり。でも、今日は違った」
空気が張る。どうしようもない怒りか、不甲斐なさか。何にせよ彼女に、今まで感じたことの無いような感情が沸き立っている。
「・・・絶対。絶対負けないよ、次は」
「・・・私も」
私ははっきりとした声で返事をする。
そう、彼女もまた「敗北を飲み込む」のだ。勝利に対して貪欲だからこそ、負けを負けとして受け取るのだ。競争に身を置くのだから。
「・・じゃあ、また」
「うん」
終わらない。私と彼女の勝負はこれが最後ではないのだ。
さっきの「また」がどんなものであるかは知らない。ただ、きっと。
ナナカマドの実のように赤く、力強く、美しいものであると思う。
設定紹介Q&A
Q.レース描写ってどうやって書いてる?
A.ノリと勢い。あとは添削と推敲。
一回「展開」を決める。ザっと、ザっとね。誰が先行して誰が減速して。そしたら勢いで書き上げる。
したらば、ゆっくりと推敲。いらない部分を削いで、物足りない部分を足していく。
・・・つまりは時間がかかる。大事な部分だからこだわるけど、いっぱいやるとしんどい。