目を閉じると、同期の彼女の大舞台、その最後の直線が脳裏に走る。それは悲劇とただ言い表すにはどうしようもなく美しく、あの日の咆哮は残響として私の心の内に残っている。それらは万人にとって意味のないことかもしれないが、少なくとも今この瞬間の私にとっては、背中を押す未知の力の供給源だった。つまりは。「憧れ」と化したわけである。
私はパドックに立ち、空を見る。上旬の快晴はどこに行ったのか。ここ1週間の降雪を表すかのような曇天が広がっている。私がため息を付いていると、観客席から私の名と話し声が聞こえた。
「なんか、地味なんだよねー、あの子」
「姉もそうだったじゃん。4番人気くらいで、さらっと重賞獲っちゃうけど、安定でも大穴でもなく、みたいな」
「盛り上がりに欠けるんだよねー、勝負服も名前もかっこいいのに、なんというか、他のスターウマ娘の」
「影って感じ?」
影の闘争
私は自分に言い聞かせる。勝つつもりで走れ、強気で行けと。それが出来ないから5番人気なんだろうと自分で自分を笑いながら、ゆっくりと息を吸う。初のBG1の大舞台。不安も疑問も溢れるばかりで、一つだって解決しそうにない。
「さあここで本日の1番人気、ばんえいオークスではココロゴウに続いて惜しくも2着でしたが、その実力は健在。1枠1番、ハザクラ」
相手は皆強大で、私よりも輝いているかもしれない。それはきっと素晴らしいことで、勝つのはそんなウマ娘なんだろう。オークスで学んだのはそういう事だった。
ではここで一つ疑問が浮かぶ。私では勝てないのではないか?
憧れは背中を押すエネルギーであり、この期に及んで不安と疑問を生み出し続ける原因と化した。
「おーい、サイレス」
私が思考の海に投げ出されたその瞬間、私の名を呼ぶ声と共に私は現実に引き戻される。
「あ、西高」
私は柵の近くにより、黒ジャージの彼女に話しかける。
「5番人気だな、もう少し行けると思ってたんだが」
「まあ最近負け続きだったから仕方ないんだろうけど」
私は振袖を揺らしながら頭を掻く。
「しかし、今年もみんな強そうだね。衣装が違うからかな」
「そういうお前だって、いつもの数倍気合入ってるように見えるぞ? 何があった?」
「さあね、自分でも分からないよ」
トレーナーは少しの笑いを混ぜた後に、ゆっくりと、語り掛けるように言った。
「お前はココロゴウじゃない。ハザクラでも、ましてやエゾオウでもない。お前はシャドーサイレス。それ以外になんてなれやしないさ。いいな?」
「・・・うん」
私は手を振るトレーナーに目配せをし、パドックに戻る。頭の中で、さっきの言葉が繰り返される。私は私以外になんてなれないだなんて、そんなこと誰だってわかってる。わかってるんだと思ってた。
(・・・ハハッ、そうか)
脳裏に走った風景は、あの日の最終直線。あそこに立っているのは私ではない。彼女だった。
その姿は聡明で、優雅で、泥臭く、儚かった。世に幾百と存在する薄っぺらい言葉で形容してはいけないような気さえした。そこにいていいのは彼女だけだったから。
未知の力の供給源、鼻で笑えるような間の抜けた考えだ。少し前の自分を殴りたい。憧れだなんて、お前がそれをいくら抱いたところでお前が「それ」になれる訳ではないのに。
・・・今この場にいるウマ娘は皆強大で、美しく、それぞれがそれぞれの矜持を全身に背負ってここに立っている。あの日の彼女も、彼女なりのプライドがあって、最後の最後まで足を止めなかったはずだ。それを私が勝手に模倣しようだなんてのはお門違いにも程がある。
きっとどんなウマ娘も、私よりも輝いている。それはきっと素晴らしいことで、私は「それ」を目指すべきだと思ってた。
「・・・なんたる傲慢、ふふ」
反吐が出る。無理に決まっているだろう。脇役中の脇役が度が過ぎたことをほざくな。お前が輝くなんて天地がひっくり返ろうと不可能に決まっている。
私が戦える場所は、目に入らない暗闇の中。先頭を進む彼女達を
「さあ、始めようか」
私だけの闘争が始まる。矜持なんてものはない。主人公の描く輝かしい1ページに、少しばかり泥を塗ってやろうと思い立つだけ。
高らかに鳴り響くファンファーレで、背筋が伸びるのを感じる。日の沈んだ空にかかる薄い雲を見て、自分の無力さを嘆き、口角を上げた。
私は、走っている。
「さあ第二障害を続々とウマ娘達が突破している!」
裂けそうな肺、崩れ落ちそうな足元、酷使によって疲弊しきった脳。それらを全部ひっくるめて、私は走っている。
「後ろからは1番ハザクラ! ヘイダルドラゴン続いている!」
私はここにいる。ここで走っている。いくら観衆の視線の先が先頭集団の彼女達だけだろうと、私は存在している。
「だが現在変わらず先頭は7番エンジンクラウン! 後続も続いているが厳しいか!」
・・・色鮮やかに輝く、その後ろ姿を私は追う事しかできない。
そう、追うことしか出来ない。どんなに格好つけようと、どんなに前口上を並べようと。光が前で輝く限り、影は後ろにしか伸びない。
じゃあどうする。問いの答えは二つに一つ。
「頭がゴールに入った、さあ後ろからハザクラ伸びている、伸びているぞ!」
ここで役割は終わりだと悟り、足にこれでもかと込められた力を抜き去るか。
「いや、後ろからシャドーサイレスも来ているっ!」
数瞬だけ、今のこの瞬間だけ、私の中で盤石に定義された線に抗ってみるか。
「エンジンクラウンは詰まった! シャドーサイレスとハザクラが迫ってきている! ハザクラが優勢か!」
・・・神様とやらがいたなら。きっとここで私の疲れを全部消し去って、都合よく勝たせてくれるのだろうか。そうやって一夜限りの主人公を満喫させてくれるのだろうか。
だが、世界はそう都合よく回らないようだ。足に蛇口をひねるかの如く注がれていたエネルギーは、弾ける気泡の如くどこかに消えていく。
私が選んだのは前者だった。それが正しくないことは理解していたはずなのに、心の内はその判断を可決しなかった。
「先頭はハザクラ! シャドーサイレス一歩及ばないかっ!」
結局、ここでも私は、私だった。憧れた「私以外」にも、目指すべきだった「私以上」にもなれなかった。影の中から伸ばした手は、光に入ることを拒んでいるようにさえ思えた。
そうやって、私に与えられた1ページは消えてなくなっていく。
トレセンに入った理由は、驚くほどにシンプルだった。
姉に追いつきたかったのだ。
彼女は完璧な存在じゃなかったし、私の方が勝っている部分だってあった。本は私の方が多く読んでたし、部屋の片付けも私の方が上手だった。
だけど、いつの日も。いつの日だって。彼女の方が強かった。
最初に見つけた、私のスーパーヒーロー。
きっとあそこから、シャドーサイレスという「ばんえいウマ娘」は始まった。
影法師
「3着か~。惜しいとこまではいったんだがなぁ」
「惜しいとこまではね、結局BG1は掴めなかったよ」
私は控室で座りながら言う。全身に纏わりつく疲労感が回復するにつれ、BG1のレースが終わったという事実に少しずつ実感がわいてくる。
「・・・なあ」
「・・・はい」
トレーナーの久しぶりに聞いた低音の声。きっと何もかも分かっているのだろうと考えると、何もかもが申し訳なくなってくる。
「・・・全力で失敗するのは良いことだ。それなら何時だって許すよ、少なくとも私ならね。だが、妥協は看過できない。これはどのトレーナーも同じだ」
私は黙って頷く。追いつけないと勝手に悟った。それは絶対に正しいことじゃない。
分かっている。私だって分かっている。
トレーナーは私を見て小さくため息を付き、席を立った。たばこの箱が手の中には握られている。
「お前がそんなに野暮なウマ娘だなんて思ってない。私も、チームのメンバーも」
それだけ言うと、トレーナーは外に出ていってしまった。私は一人部屋に残される。
ポツンと自分一人の空間の中で、私はもう一度、思考の海へと身を投じる。それに意味があるのかも分からないままに。
(野暮なウマ娘だろう。誰がどう見ても)
ばんえいウマ娘の1世代。その群雄割拠の中、私の存在価値は何なのか時々考えている。
皆が皆美しく、私に持ってないものを持っている。だとしたら私が走る意義とは。私がいなくとも、私と同じかそれ以上の偉業をこなすウマ娘は待っていれば現れるだろう。
(・・・ああ、そっか)
私に足りなかったのは、勝ちたい気持ちだったんだ。私が主人公じゃなくていい、という気持ちは言ってしまえば、勝つのが私じゃなくていいという妥協の意思。
「・・・やっぱり姉さんは強かったんだなぁ」
零れない涙に自分でも呆れながら、私は静かに呟いた。
設定紹介Q&A
Q.チームメンバーの名前の由来を教えてくれ
A.具体的にですね、了解です
ゴッドドラッガー 長くなるのでまたいつか、結構大事な話ですし。
ストームバレット 昔書いた一時創作(削除済み)の主人公からパクってきた。
ココロゴウ 初期案執筆当時に「勝山号」を調べてたから、それのノリで「ゴウ」をつけてみた。ココロはみんな大好き「オレノココロ」から。
シャドーゲイザー 「ゲイザー(Gazer)」が「見る人」って意味なのをスターゲイザーガンダムから知って、かっこいいから入れた。
シャドーサイレス シャドーは姉妹設定からの連想。「サイレス(Silence)」は青馬といえばサンデーサイレンスだよなということで引っ張ってきた。(同じだと被るのでサイレスに)