「すっかり冬だねぇ」
12月の帯広に、しんしんと雪が降る。既に外には白い膜が薄く張られていた。
「明日のトレーニングって雪かきから?」
「天気予報ではそんな積もらないとか言ってるけど。あ、ラルっちポン酢取って」
部屋の中央に置かれたこたつで、私たちは鍋をつついている。誰が言い出したかもわからないが、ひとまず私たちは鍋を囲んでいるのだ。理由はさしてどうでもよく、その事象自体が大事で貴重だった。
しかし、そんな私たちの会話が弾む中扉が開いて、ヒトミミの影が水を差す。
「・・・いや、なにしてるの」
「お、西高おつかれー」
入ってきた影はこの部屋の主だった。彼女はカギを玄関に投げ入れ、部屋に進んでくる。
トレーナーはビール缶の入った袋をキッチンに置き、言いたいことの多そうな表情を抑えつつ口を開く。
「何で人の部屋で鍋食ってんだよ」
「休日だし集まって鍋でも食べるかって話になったんだけど、場所がなくて」
トレーナー室は鍵が掛かっていたし、寮の部屋は狭すぎるから、この人数では入らない。
「つーかどうやって入った。鍵掛かってたろ」
「帯刀さんがスペアキー貸してくれた」
バレットさんはそう言うと、手元のビニール袋の中からストラップの付いたカギを投げる。トレーナーはそれを受け取り、ため息を付いてから言った。
「・・・私の分はあるよな」
鍋
「ココロは足どうなの?」
ゲイザー先輩は寄せ鍋をかき混ぜながら言う。
「リハビリ中だけど、松葉杖さえあれば日常生活送れるかなって感じ~、あちっ」
先輩は椅子に座りながら言った。流石にこたつに座るのは厳しいみたいだ。
「いやー、とはいえあのレースは衝撃だった」
「まだ言ってるのね」
バレット先輩はあのレース以来、ほぼ毎日その言葉を吐いている。
「だってチームサドル初めてのBG1ウマ娘だぜ? 心躍るだろ」
「あれ、バレットさんBG1獲ってないですっけ」
「ないない、帯広記念3着が最高」
先輩の感動は大きそうだ。自分の取れなかった称号を得ている彼女に、何か思うところがあるのかもしれない。
「私も重賞勝ちはあるけどBG1はないなぁ」
この中で2番目に歴が長いゲイザー先輩は、野菜を追加で投げ入れながら呟く。しかしその言葉には、どこか複雑そうな気持ちが込められているように聞こえた。
「・・・ちょっと思ったんですけど、西高さん反応薄くないですか?」
ラルバが訝しむような眼で言う。ココロのケアにつきっきりの彼女としては、もっと勝利を喜んでもらいたいのだろう。
「え、ああ、うん」
トレーナーは2本目の缶ビールに口を付けてから続ける。
「ココロが怪我したってのもあるけど、なにより私が先生の見習いしてた頃に毎年のようにBG1ウマ娘出てたからさ・・・」
「うわぁ・・・、薄情なやつ・・・」
「ちょっと引きますね」
ココロ先輩が一番笑っている。どうやらその薄情さに嫌な思いはしないらしい。
「サイレスも惜しかったね、ばんえいダービー」
話を変えるかのようにトレーナーは言った。
「んー、惜しかったけど3着だし」
「最終直線は見応えあったよな」
ココロ先輩はにやりと笑い、サイレス先輩に言う。
「ばんえいオークス2着のハザクラが、ばんえいダービー1着ってことはさ~」
「うわ、そういうこと言っちゃいけないでしょ」
オープンウマ娘が一室にいると、こういうこともあるのだなと思いつつ、私は口に白菜を詰め込む。
「しっかし、ハザクラ強かったよな」
「チームアルフェッカは大騒ぎだったぞ。トレーナーも号泣してた」
「アンタもそのくらい喜んだらどうだ」
「さて、今日はこんくらいで解散にすっか。明日も早いし」
「今何時?」
「8時半」
寮長に言われた時間を確認しながら、私達は食器の片付けを始める。異様に手際のいいラルバを眺めながら私は呟く。
「BG1のレースってどんな感じなんですか?」
興味本位で言ったその一言に、雑談で盛り上がっていた部屋は静まり返る。
私とラルバはキョロキョロしながら先輩方の顔を見渡す。
「BG1はな・・・、特別だよ・・・」
「いやホント・・・、どう言葉にしたものか・・・」
全員の手が止まってしまい、ラルバが手早くその中を片付けていく。私も手を動かしながら耳を傾けた。
「勝ちたいって意思はどんなレースであれ全員が等しく持ってるはずなんだけどさ。BG1のレース前に勝負服を着て、胸を張って。さあ出走だってなった時にちゃんと分かるっていうか、再認識するんだよね。ここにいる全員が、勝ちたくて、勝ちたくて、勝ちたくて堪らないんだって」
ココロ先輩は台拭きをトレーナーに投げ渡しながら、ゆっくりと言った。どこか分かるようで分からないその感覚を想像しながら、私は聞く。
「私もその時になれば分かりますかね?」
「分かるよ。逆に言えば、その時が来ない限りは永遠に分からない」
私はイレネー記念の情景を想像しながら、手を動かす。きっとその時が来たら、何もかも理解できるのだろう。吸う空気が張り詰めるあの感覚や、畏怖と敬愛が混ざり合ったあの感情とはまた違う、そういう特別な何か。興味深く、面白く。何にせよ強く惹かれる。
私が思考を膨らましていると、トレーナーが少し考えるようなしぐさで言う。
「ひとまずばんえいダービーが終わって、次は来週、帯広記念か」
バレット先輩はノリノリで言う。ヴォイニッチ手稿が描かれた奇抜なTシャツに身を包みながらも、笑うその姿は何故か様になる。
「ゲイザーはまた来年だな~、今年はオープン上がれなかったもんな~?」
「うっせぇ、お前だってどうせ6番人気くらいだろうが」
「6番人気で何が悪い、BG1なんて出てるだけで世代のトップだぞ、強いし偉いじゃねぇか」
バレット先輩のその一言に、その場にいた全員が大きく頷いた。
「「「「それはそう」」」」
「じゃあ西高トレーナー、今日はお邪魔してすいませんでした」
「はいよ、また明日。まだ降ってるから滑んなよ」
すっかり暗くなった外を、私はタバコと共に眺める。
夜空でも白い粒は見えるものだ。煙がそれらの合間を縫って消えていくのを見るたびに、どこか切ない感情が芽生える。
私はラルバとゴッドに手を振り、後ろを振り返る。
「ココロ、大丈夫か?」
「ああ、うん。大丈夫。サイレスもいるし」
彼女はそう明るく振舞い、軽く笑った。その一つ一つの動作に少し胸が締め付けられる。
「それより、サイレス良いの? みんなと帰らなくて」
「いやいや、良いの。ちょっとココロとトレーナーと話したいことあったし」
「・・・?」
サイレスは、ゆっくりと手を伸ばし、雪を手に取った。淡く白い粉雪は、手の上に乗った瞬間溶けて消えていく。それを静かに眺めてから、彼女は言った。
「・・・移籍、しようかなって」
その言葉に、私もココロも言葉を詰まらせる。何故唐突にそんなことを。2年ほどの付き合いになるにも関わらず、私は彼女が何故そんなことを言い出したのかわからなかった。
「どうして、そんな。急に」
「急だよね。自分でもそう思う」
彼女は頭に付いた雪を軽く払い、何か後ろめたいことを言うかのように続けた。
「このチームが嫌になったとか、トレーナーやメンバーのみんなが嫌いになったとかじゃない。そうじゃないんだよ」
トレーナー寮前の街灯の光で、彼女の足元から影が伸びている。
「でも、私が強くなるためには、このチームにいちゃいけないんだ」
「・・・何で」
私より先にココロが口を開いた。
「このチームは、みんな素敵だよ。バレット先輩は飄々とした言動に実力が伴ってるし、姉さんはアホだけどいつだって前向きだし、ココロもいつも誰かのため、そして自分のために走ってて、とにかく強い。ゴッドは諦めない心と内に秘めた闘志があるし、ラルちゃんは真面目で、芯が通った自分のやりたいが言える子。トレーナーだって、雑だけど誰よりもウマ娘のことを考えてる」
急に褒められてどこかむず痒い気持ちになる。彼女はそんな私の反応を見ながら続ける。
「みんなが、私のヒーローなんだ。応援したいし、憧れる」
私は静かに口を開く。
「・・・だからか」
「そう、だから」
どこか、彼女の考えてることが分かった気がした。
「・・・身近にそういう存在がいるとさ。自分が勝たなくても良いって、思えちゃうんだよね。そうやって私自身の「勝ちたい」が薄まってくんだ」
彼女は勝ちたかった。いつの日も、どんな日も。だけど、それを邪魔していたのは彼女を支え続けていた彼女の仲間であり、私だった。
ダービーでの最終直線。彼女の脚が出なかった理由は何なのか、嫌というほどに考えた。だがその原因はあまりにも身近だったようだ。皮肉すぎて、笑い話にもなりやしない。
「最初は引退も考えたんだけど、ココロを見てたら、なんだかみんなに失礼かなって」
ココロはそう言われ、少し俯いてから彼女の目を見る。
「なら、仕方ない。そうだよね、トレーナー」
「・・・ああ」
ココロは松葉杖でゆっくりと雪の下に移動する。その姿は儚げで、私は思わずタバコの火を消す。
「サイレス、天馬賞でね」
「・・・うん。それまで負けないでよ」
ココロが手を差し出すと、涙ぐみながらもサイレスはそれを握った。
「・・・西高、トレーナー」
サイレスはゆっくりとこちらを向き、いつになく改まった口調で言った。
「心の底から、感謝を。いろいろ駄目な部分もあったけど、本当に、本当に素晴らしいトレーナーだったよ」
私は胸の内に込み上げる熱いものを感じながら言う。
「・・・言いたいことがありすぎて絞れねぇな」
キャメルのタバコに再び火をつけ、皆目変わらない空に向かって、複雑な心情と溶けて消えた希望を、煙と共に吐き出した。形にならない紫煙が、電灯の横を通り過ぎていく。
「・・・勝つことが全てじゃない、とは言えない。アスリートである以上勝つために戦ってほしい。だけど、お前がどこに行っても、もちろん学園を卒業した後だとしても。仲間とか、友情とか、たとえそれが無駄なものだと思ったとしても、手放さないように。これはトレーナーとしてじゃなく、人生の先を生きる者としての言葉だ」
彼女は私がそう言うと、深く頭を下げた。
「2年間、ありがとうございましたっ!!」
「・・・おうよ、達者でな」
「止めなくてよかったのか? ココロ」
「引退なら首輪つけてでも止めるけど、別のチームでも走ってくれるなら、ね。ちょっと寂しくなっちゃうけどさ」
私は先に帰ったサイレスの後ろ姿を思い出しながら、雪道を歩いている。松葉杖のカツカツという音が、雪の中でもはっきりと聞こえる。
「・・・サイレスはさ。私の事強いって言ってたけど」
沈黙に耐えかねたのか、ココロは口を開いた。
「本当にそうかな、って思うんだ。私って強いのかなって」
「・・・さあな、私にそれは判断できない」
私がそう言うと、ココロは立ち止まる。彼女の目には涙が浮かんでいた。
「立ちはだかるライバルを、それぞれが持ってた夢を、彼女たちの自信と希望を、下して、下して、下して、下して。その恨みと渇望で出来た屍の上に、私は立ってる」
私は何も言わずに、ただ彼女を見ている。
「・・・足に痛みが走ったとき、心の中で「ああ、ついにか」と思った自分がいたんだ。皆の怨嗟がついに私の首まで届いたんだなって。そこで、それに抗おうだなんて思いもしなかった」
「だからって」
私は言う。
「止めるわけにはいかない。それがお前に与えられた「憧れ」で「思い」の形なんだから」
「え・・・?」
「第一、怨嗟なんて誰一人抱いてない。お前はサイレスの言ってた通り、みんなの、そして自分のために走れるウマ娘だよ。他の奴は持ってない才能だ」
彼女は黙ってその話を聞いた後、再び歩き出した。私は雪道を眺めながら、彼女の涙の音を聞く。
「・・・もう一回。0からやり直して、天馬賞で胸を張ってサイレスと戦うよ」
彼女の絞り出した声。それは微かだったが、確実な成長の証だった。
「・・・そうか」
寮の前に付いた。私はもう1本タバコを取り出し、静かに付ける。
「早く寝ろよ。日ってのは案外早く登っちまう。影だって、すぐ出てくるからな」
「・・・うん。おやすみ、にっしー」
「ああ。おやすみ」
雪道は静かに続いている。帰り道を見ながら、私は静かに涙を流す。伸びた影を避けながら、私は静かに前を向いた。
設定紹介Q&A
Q.西高さんのタバコ事情を教えてくれ
A.愛煙家の方。
2日で1箱くらいのペースで吸ってる。銘柄はキャメルが好きらしい。喫煙開始年齢は18。当時のドラマで好きな俳優が吸ってるのを見て始めた。生徒の前で吸わないよう学園から言われているが、相当無視している。とはいえトレーニング中は吸わないのがポリシー。