「選抜出るの?、今年の?」
練習終わり、トレーナーは驚きの声を上げた。
「はい。言ってなかったんですけど。」
トレーナーは煙草の火を消し、携帯の灰皿に入れた。
「そっか、出るのか―・・・」
トレーナーは少し悩んだ後、ボードに何か書き込んで言った。
「今年は豊作らしいから、結構しんどい戦いになると思うけど、自信は?」
「分からないです。どうなんですかね。」
トレーナーは少し空を見上げた。その横顔は、何を考えているのか見当もつかない。きっとこの人には「勝てる勝てない」なんてないんだろう。あるのは「自分ができるだけのことをする」の1点だけ。それを信じて、私たちは皆ここにいる。
私がそんなことを考えていると、トレーナーは言った。
「明日、レースを一本やる。相手は・・・」
トレーナーはタイヤを片付ける後ろ姿に向けて指をさし、言った。
「ちょうど良い、アイツだ。」
私は思わず顔が引きつり、「ホントにやるんですか」という顔でトレーナーを見た。
「・・・ココロの走りは一回見といた方が良い、と思う。」
トレーナーは苦笑いを浮かべながら言った。肝心の彼女からは普段通りの元気な声が聞こえてくる。
「うわぁぁぁぁ‼‼、ここめっちゃ蟻いる‼‼、ここめっちゃ蟻いる‼‼」
暴脚、ココロゴウ
「コース全部借りれるのはこの時間だけだから、ちゃっちゃかやるぞ。」
障害はある程度登れるようになったが、レースとなると話は別だ。障害同士の間も大きいし、何より200mもある。そう簡単に走れる距離じゃない。
「ココロ先輩、お手柔らかにお願いします。」
「嫌だ‼、本気で行くよ‼」
やっぱりこの方頭がおかしい、覚悟を決める以外ないようだ。私は歯を食いしばりスタート地点に立った。
「ココロはああ言っても本気じゃない。だが、いい具合に火が付いたな。」
「どっちが?」
「どっちも。」
バレット先輩が旗を上げた。私は足に力を入れる準備をする。
「位置についてー、よーい」
旗が振り下ろされる音と共に、私は一気に駆け出す。ココロ先輩の足腰の強さは尋常じゃない、スタートに失敗したら即座に置いて行かれる。
まずは第一障害、つまづくわけにはいかない。
私は坂に足を掛けた。体重とそりの重さを考え、若干溜めてから一気に推進する。
「フッ・・・‼」
坂の頂上に上がり、傾斜を利用して加速する。駆け出せるか。
「・・・よいしょっと。」
私より少し遅く第一障害を越えた先輩が、2歩3歩歩いたところで止まる。
「・・・え?」
止まった?、何故?
「え?トレーナー、「刻み」教えてないの?」
「あれは言葉で伝えるより体感する方が早いんだろ。」
「普通に忘れてた説もありうるけどね。」
ココロ先輩の息の音はどんどん離れていく。これは勝てるんじゃないか?
そう思いながら第二障害の前で止まる。第二障害は「溜める」、確かあのレースでもそうだった。
・・・まだ、まだ上がれない。全然体力が残ってない。
ガシャガシャという音が少しずつ近づいてくる。足音に余裕がある感じがある。
「並んだ、さすが「暴脚ココロ」、速い。」
「ゴッドちゃんは体力と言うより、気力が切れちゃった感じだ。」
おかしい、息が全然整わない。全力ダッシュの後に急に止まってしまった感覚に似ている。
横を見ると、いつの間にかココロ先輩が立っていた。まずい。かなりの距離があったはずなのに。
「フゥゥゥゥ・・・・・・」
息に余裕がある。目の前の山を登ることに何の迷いもない。
「お、行った。」
恐ろしい程に速い。これがレースか。
それよりも、まずい、置いて行かれる。
「あ、釣られた。」
足が重い、にも関わらず踏み出してしまった。もう後戻りはできない。腹をくくり、2歩目を踏み出す。
ココロ先輩はすでに登り切ろうとしている。追いつかなくては。
「ゼハァ・・・!?」
息切れ・・・!、しくじった。単なる体力切れじゃない、踏み込みに集中してなかった。上がろうとするエネルギーに変換できてない、まずい、まずい、すさまじくまずい状況だ。
「あっちゃー、やっちゃったね。膝を折っちゃった。」
膝小僧に土がべったりつく。それは全然問題じゃない、ここからどうする、立て直しが効くか。
ココロ先輩はすでに障害を越え、ゴールに向かって走っている。さすが暴脚ココロ、届かない。
「ッッッアァ‼‼」
私は残るエネルギーを総動員し立ち上がり、足を前に出す。置いて行かれるな、一気に踏み込め。
私は障害の上に立ち、大きく息を吐いた。まだ、まだ残ってる。ここから、走って・・・走って、はしって・・・、あっ
途端に足に力が入らなくなる。水道の蛇口を止めたみたいに、足からエネルギーが消える。
ドサッ、という鈍い音と共に、天地がひっくり返った。
目が開いた。鉛のように重い体とまでは言わないが、体調は良くない。
「起きたな、調子はどうだ?」
天井、じゃない、空だ。うっすらと雲がかかった空が視界に広がっている。
「トレーナー、何があったんです・・・?」
「脱水症状。無理をさせたな、申し訳ない。」
トレーナーは私に水を渡しながら言った。その顔からは普段のヘラヘラした感じが消え、本気の心配が読み取れた。
「いえ、大丈夫です。勉強にもなりましたし。」
私がそう言うと、奥からココロさんが走ってきた。
「大丈夫かぁぁぁ!!」
「大丈夫です、ご迷惑おかけしました。」
体を起こしてから、一気に楽になった。さっきまでの不調が嘘のようだ。
私は水を少し飲み、トレーナーに言った。
「・・・体力って無尽蔵じゃないんですね。」
トレーナーとココロさんはそれを聞くと、少し笑っていった。
「そう、そうだよ。ウマ娘だって無敵じゃないさ。」
ココロ先輩は私が無事なのを確認して、トレーニングに走っていった。いつものアラレちゃんポーズだ。
「じゃあこっからは座学だ、メモは・・・、取んなくていいか。」
トレーナーさんは立ち上がり、コースを踏みしめながら言った。
「ばんえいにおいて何が一番必要か分かる?」
「・・・体力?」
「ああ、70点正解。」
トレーナーさんは笑いながら第二障害を見て言った。
「正解は「気力」、第二障害を登る気概。」
納得だ。ゼロに近い体力で見上げる第二障害は、絶望そのものだった。
「んで、その気力を保つためには体力の温存が必要なのです。」
「・・・止まるんですね?」
ココロさんがやったあれだ。第一障害を越えた後、足を止める。止めつつ、少し歩いて、止まって、ゆっくり歩いて、を繰り返す。
「そそ、あれを「刻み」って言う。ばんえいの基本技術だ。」
「刻み、ですか。足を刻むってことか。」
次の一歩のための、楽する一歩。次の全力のための、手抜き。
「・・・私が言わなくても、ココロ先輩からいろいろ学べたかな?」
「勿論です、やっぱり先輩ってすごいです。」
トレーナーは煙草を取り出しながら「そうよなぁ」と呟く。私はそれを見て、息を吐きながら言った。
「選抜レース、絶対負けません。」
設定紹介Q&A
Q.ウマ娘版のばんえいのルールって何か特別なのあるの?
A.いくつかある。
「手をついて登ってはいけない」 ひざを折った拍子に付いてしまったとか、躓いてしまったとかで付くのは基本的にOK。ただ、障害とかをそれで上った場合降着となる。
「罵倒、挑発などの行為」 ばんえいはゆっくり進むのでレース中に会話とかまあ出来ないことはないんですけど、だからってこういうことしちゃ駄目ですよ、と。これも降着になったりする。