ちなみにウェルさんは204cm、会長は189cmです。
私は、何故ここに立っているのだろうか。
私は、何故コースの上にいないのだろうか。
私は、何故走る彼女たちを見ているのだろうか。
今日は選抜レース。私の出ない、大きなレース。
劣等
「レースの勝ち方、障害の超え方、息の整え方、足の踏み出し方。大きいことを成し遂げるには小さい事から始めるべきだ。」
その人は、私がチームに入った初日にこれを言った。重々しく、そして心強いこの言葉に私は勇気づけられ、そして今、押しつぶされようとしている。
「大きいことを成す、じゃねぇよなぁ…」
勝てなかったのは私のせいだ。誰のせいでもない。だからこそやるせない気持ちが襲い掛かってくる。なぜ勝てなかったのか、あの後何度も自分に聞いた。回答はどれも同じ。
『お前が弱いからだ』
知ったこと。私は弱者だ。それはいつも変わらない。「ウマ娘」に成りきることができなかった、半端者。
いつの日だろうと思い出す、幼い時に見たテレビの画面。
「アイネス!アイネス!アイネス!アイネス!」
湧き上がるダービーの歓声。焦がれる。強く、恐ろしく強く、私を魅了する。
「日本ダービー…」
私と彼女たちに大きい隔たりがあることを知ったのは、それの少し後だった。
「ばんえい、ですか?」
「うん。君等は「ばんえい」だよ。」
中央、地方程度の壁じゃない。「種族」が違うのだ。私たちはスタート地点どころではなく、走る場所すら違っていた。
ダービーに出る、なんて夢のまた夢。芝の上を走ることさえ不可能なのだ。なんと残酷なことか。トレセンに入学しても、私の脳裏には中央の鮮やかなターフがいつも過る。
「…あーあ。」
ばんえいが嫌いなわけじゃない。一位を取りたい気持ちに嘘はない。でも、どこか自分の中で「妥協して走っている」という気持ちがある。ここにいるウマ娘の多くは、きっと今の状況に何の疑問も持っていない。ただ、何も考えず、気負わず、マイナスな気持ちを無しにして走れることがどんなに幸運か。
能力試験のあの時、私は何を思ったのか。何にせよ、不要な感情だ。レースを走っている時に真っ先に捨てるべき感情だ。「これじゃない。」そんなことを考えるな。お前が走るべきは帯広なのだ。ここ以外にお前の居場所はない。東京にも中山にも阪神にも京都にも、お前の居場所はないのだ。腹を括れ、覚悟を決めろ。
必死に言い聞かせても、負の感情はなかなか消えない。
私は弱者であり、敗者だ。半端者であり、あきらめの悪い、ここにいる資格すらない、愚か者だ。頬を伝う涙が、それらを雄弁に語っていた。
「ウェル、大丈夫?」
「…ああ、大丈夫です。」
早川トレーナーは心配そうにこっちを見ている。私はタイヤ引きを続ける。
「怪我とかじゃないな、悩み事?」
バレていたか。この人に隠し通そうにも、それができる自信はない。
「あの、少し聞きたいんですけど。」
「どうした?」
私はタイヤを外し、少し息を吐いた。
「早川さんは中央のウマ娘と関わったことってありますか。」
「中央?、あるよ。」
意外だった。この人はばんえいの人だと思っていた。
「知り合いに中央のトレーナーがいて、会ったことあるけど…。それがどうかした?」
「その方はどんな感じでした?」
早川トレーナーは少しうなった後、言った。
「なんか、オーラがすごかった。こう、迷いのない感じ。」
「迷いのない感じ、ですか。」
そうだろう。あんな魔物の巣窟で、迷いのある者が生き残れるはずがない。
「…で、何を悩んでるの?」
話すほうが良いのだろうか。幻滅されないだろうか。
しかしもうどうでもよくなってきているのも事実。ええいままよと私は話し始めた。
「私、中央で走るのが夢だったんですよ。」
早川トレーナーはぽかんとした顔をし、すぐに頷いた。
「ばんえいが嫌いなんじゃないんです。でも、いつも頭には中央のターフが浮かぶんです。」
「…中央かぁ。」
早川トレーナーは少し考えた後、誰かに電話を始めた。
「ああ、はい。お願いします。じゃあ、それで。」
「あの、誰に電話してたんですか?」
「君の悩みを完全に払拭してくれる人。」
まったくもって心当たりがない。私の悩みを聞いてくれるカウンセラーだろうか。
「…誰ですか?」
トレーナーはニッと笑って言った。
「ここで一番強いウマ娘だ。」
生徒会室。入ったことはない。会長さんも知っているが、顔も浮かばないくらい印象にない。
「失礼します…」
「ああ、いらっしゃい。」
私は部屋に入るなり息をのんだ。そこに立っていたウマ娘は何もかもが違っていたからだ。
身長は私より小さいはずなのに、大きく見える。肩幅も広い。タイツの上からでも足の筋肉のすさまじさが分かる。
だがそれだけじゃない。気迫か覇気か。近くに立つだけで窒息しそうになるような、高密度の「強さ」。
「帯広トレセン生徒会会長。エゾオウです。よろしく。」
差し出された手を見て初めて、私がどこに何をしに来たかを思い出す。私は深く呼吸をし、差し出された手を握り返した。
「早川君から話は聞いているよ、中央がチラつくんだってね。」
「…はい。」
ソファに座り、出されたお茶に手を伸ばす瞬間、自分が震えていることに気が付いた。
思う以上に緊張している。息を吸わなければ。
「君のような生徒はいつもいるんだが、君は珍しいな。」
「な、何がですか?」
会長さんはソファに座りなおしてつづけた。
「身長もある。肩幅も、気迫もまだ未熟ではあるが良い物を持っている。にも関わらず、中央か…。」
どういうことだろうか、なぜ珍しいのか。
「十分な才を持っていながら、それを発揮できる地ではない、別の場所を望む。そういうのはなかなかいない。」
「…はい。」
彼女は少し笑って、こっちを見た。
「私たちばんえいウマ娘は、学術的には「輓系種」というウマ娘の種類になる。「ペルシュロン」「ブルトン」「ベルジャン」など、その中でも更に細かい括りがある。だが、それらに共通することがある。私たちばんえいウマ娘は大型で、体力があり、走り単体では「サラブレッド」という種である彼女らには遠く及ばないが、他の面では十分彼女たちとも渡り合えるということだ。」
「それは、知ってます。」
会長はお茶を一口飲み、再び話し始める。
「でも、全世界どこを探しても、私たち「輓系種」が走る競技は存在しない。」
「え、そうなんですか?」
どこかカナダとかにはありそうなイメージだ。サンタクロースのトナカイのような感じで。
「そう。ばんえいは日本唯一どころか、世界唯一なんだ。」
世界唯一。日本の北海道で行われる、ただ一つのレース。
「つまり、「北海道最強」は「日本最強」であり「世界最強」なんだよ。」
「世界で最も強い…、ですか。」
言葉では理解できる。だが、納得はできていない。
「うん、じゃあ少し私の話でもしようかな。」
会長は立ち上がり、奥の机から写真を一枚取り出した。
「これは、私が4度目のばんえい記念を獲った時の写真だ。」
「4度目の?、4回も取ったんですか?」
会長は頷き、「すごいだろ?」と言って笑った。
「…だが、私の最初の重賞はシニア級に入って2年目だった。」
「え?、そうなんですか?」
こんな強さの極致が、初の重賞勝利がシニア級に入ってから。意外だ。
「私も君と同じだったんだ。障害を上ることより、芝の上で走るほうがかっこいいと、心のどこかで思っていた。」
会長は懐かし気に外を見た。彼女にもそんな過去があったのか。
「…でも、必死にレースに出た。必死に。煩悩だって吐き捨てて、レースに出続けた。…そして、あるレースに出たんだ。ただの協賛レースだったんだけどね。」
「何があったんですか?」
私はお茶を飲み干し、聞いた。
「障害の上から見下ろしたあの景色を、私は生涯忘れない。たかが1.6mの上から見た景色だったけど、私にとっては十勝岳の頂上の景色より美しかった。そしてあれ以来、私はばんえいに心を奪われたままだ。今もなお、ね?」
会長はこっちをチラリと見て、少しもの悲しげに言った。
「君が頭で理解しようにも、経験しないことには分からない。…だが、君ほどの才能が埋もれるのは私としても惜しい。」
分からない。どんなレースなのだろうか。その上から見る景色とは、どんなものなのだろうか。
「私も、期待しているよ。君がそういうレースに出会えることを。」
会長は手を振りながら、私がドアを開けて外に出るのを見守った。最初に感じたあの威圧感はもう無かった。
外で待っていた早川トレーナーに聞く。
「あの人、何者なんですか。」
「エゾオウ。ばんえい記念を4度勝利し、幾多の重賞を勝ち抜いた最も強いウマ娘。」
…なるほど。
「じゃあトレーナーさん、私トレーニングします。」
「え、今から?」
私は分からない。もしかしたら、一生「そのレース」に出会えないかもしれない。
「…出たいレースがあるので。」
でも、信じるほかないのだ。私に残された道は、ただそれだけなのだから。
設定紹介Q&A
Q.会長の年齢っていくつよ
A.永遠の10代でいたかったんだが・・・(本人談)
デビューは中等部2年。現役年数は8年。2年前に引退済み。そう考えると20代の前半・・・?