よろしくお願いします。
春は、蝉の鳴く季節である。
「み~ん、み~んっ!」
朝の柔らかな日差しによって僕の意識は微睡から浮上する。
眩しくも、心地の良い暖かさ。思わず目を閉じ、二度寝したくなるというもの。
春のいいところだ。もし夏だったら暑苦しくてたまらない。
これが夢の世界ならば、時間を気にすることなく遠慮なくベッドに入ったままでいられるのに、と若干惜しみつつ僕は身体を起こす。
「み~ん、み~んっ!」
……まぁ、夢だったらよかったのにね。
当然、春に蝉が鳴くわけはない。
僕の頭は正常であり、ただの現実逃避に過ぎない。
そもそも、これは蝉が鳴いているのではなく、蝉の鳴き真似をした人間の声だ。町内中に響き渡るということはもちろんないが、静かにしていれば近隣程度には聞こえそうな程度の声量の。
となれば、人によっては苦情を訴えてくるだろう。気性によっては怒鳴り込んでくる人すらいるだろう。
だけど、今日に関しては僕はあまりその心配をしていない。
いやあ、夕べにお隣さんを懐柔しておいてよかった!
情けをかけられたとはいえ、
調子に乗ってあれこれ貰いすぎてしまったが、我に返ったのは。家に帰り、渦高く積み上がって部屋の一角を占拠する値引き品の山を見てからだった。
そもそも値引き品というのは、その期限が近いから値引きされるのである。つまり、今日か明日に消費しなければならない。最終奥義として冷凍庫に突っ込むにしても、家にあるものでは到底入りきらない。
だって仕方がない、好きなだけくれるっていうんだもの。そんなの調子に乗って然るべきだ。
ちなみに、どうやってそんな量を持って帰ったかというと、黒スーツの一般戦闘員さん数名に協力してもらって運んだ。彼らは快く家まで着いてきてくれた。いい人達である。
家にまで着いてきてもらってはそのままハイさよならでは申し訳ないと、麦茶を振る舞い、戦闘員さん達を見送った後。
僕はその事実に気付いて愕然としたね。ヤバい、どうやって処理しようかと。
で、思ったわけ。あ、お裾分けで配ればいいじゃんって。
頑固なおじいさんに、噂好きなおばさん。
滅多に外に出ないせいで何かと死亡説が浮上する痛いお兄さんに、悪の組織ファンクラブなるものの自称重要人物らしいおっさん。
周囲に住む人たちに色々持っていけば、それはもう喜んでくれた。
多少五月蠅い程度なら、目を瞑ってくれるだろう。
……何人かは、本物の蝉と勘違いしてくれるような気がするけど。
「み~ん、み~んっ!」
では、どこのヤバい奴が朝っぱらから蝉の鳴き真似などしているのかというと。
そいつは何が楽しいのか、僕の部屋の窓に外から張り付いている。
それも、蝉の着ぐるみをその身に纏って。
もう一度言う。全身、蝉の着ぐるみを着て僕の部屋の窓に張り付いているのだ。
「……はぁ」
だが、不審者じゃない。いや、恰好を見れば完全に不審者なんだけど、露わになっているその顔は知っている。
何が楽しいのかニコニコとしながら喧しくみんみん鳴いてる彼女は、顔だけ見れば美少女だ。
恐らくほとんどの人はそう答えるだろう、きっと。なんだったら、僕もそう答える。答えるしかない。
溜息を吐き、窓に近づく。
途端、それはもう嬉しそうに自己主張するように、一層みんみんと五月蠅くなり。同時に、興奮するようにくねくねと窓に張り付きながら器用に全身をもじもじさせる彼女。
その頬は朱に染まり、何かに期待するように目は輝いている。満面の笑みだ。
僕も、ニコリとその視線を受けて微笑んだ。
そして迷うことなく、シャッとカーテンを閉めた。当然だよね。
しかし刹那、まるで咎めるように鳴き声は早くなる。
カーテンの、窓の向こうで、まるで抗議するようにそれは聞こえてくる。
「みんみんみんみんっ!!」
いや本当、夢だったらよかったのにね。
「――もう、駄目じゃないのシュウちゃん! 蝉さんが張り付いてたら、窓を叩いて追い払わないと!!」
「よし、取り敢えずそのおかしい頭を叩こうか?」
「っ! おだてようったって、そうはいかないんだからっ!!」
「……今のどこを聞いてそう受け取れるのかなあ」
高校への通学路に向かう僕の後ろを、ちょろちょろと動く影。
朝の蝉の着ぐるみの女であり、高校のクラスメートでもあり。もっといえば、僕の幼馴染でもある彼女の名は、
何を隠そう、この朝っぱらから頭のネジが外れたようなコイツこそ、僕を何度も人質として捕まえてくる、悪。悪の組織であるブラック・マーベラスの女幹部、アンフェアその人である。
確かゲームの設定では、戦闘スーツの謎パワーで大人化してるだとかなんとか。
よって、この高校生の少女が素の姿なのだが、悔しいことに今の状態でも僕より大分身長が高い。
ちなみに変身前の今と、変身後の大人の姿で口調も性格も大分違うのだが、それはもう慣れたというか慣れざるをえなかったというか。
「あ、ミノル君だ」
と、そんな鬱陶しい彼女に纏わりつかれながらも歩いていると。
ミリナが、前方を見てポツリと声を上げる。
周囲には、僕達と同じように学校への道を歩く生徒達。
そんな彼らの中に、ポツンと一人で歩くその背中はあった。
背が高く、若干癖のある茶髪。
顔立ちは俗にいう整っている部類にあたるが、その切れ長の目はどこか近寄りがたい空気を放っており。
いうなれば、クールなイケメンという印象を第三者は抱くことだろう。
まぁ、僕から言わせれば孤高のイケメン(笑)なんだけど。
「おーい、ミノル君ー!」
そんな彼に、ミリナは手を振りながら元気に駆け寄っていく。
しかしやっと解放された……なんて一息吐くことも僕はできない。
なぜなら、もう片方の手で僕の腕を引きづるようにしているから。
悲しいかな、僕は彼女より背も低ければ力も弱い。だから大抵のことはされるがままだったりする。
さて、それではミリナに声をかけられたミノルはというと。
「……ちっ」
あからさまな舌打ちを一つ。こちらを一顧だにせず、歩き続けている。
反応はしたものの、ほぼ無視に近い。むしろ単純な無視より悪い。
しかしそれは今日に限ったことではないので、ミリナは気にせずニコニコとしている。
何も知らない人が今の僕達を見れば、あまり関係がよくないものかと邪推することだろう。
が、僕は知っている。
本当に鬱陶しいのであれば時刻をずらせばよいのに、それをしないことを。
走るなり歩く速度を上げるなりしてもよいものを、むしろ逆に僕とミリナに歩く速度を合せていることを。
前に一度、僕とミリナが声をかけずにそのまま通り過ぎて登校したことがあった時、その日学校で何も言わずに一日中ジッと僕の方を見ていたことを。
そして、このミノルの正体が、ヒーロー組織『スターライト』に所属する『ハートビート』であることを。
つまり。
紛うことなきツンデレである。あまり言いたくないが、若干そっちの気があるような気がしないでもない。
が、あくまでも気がする程度。そして後々それを気にする必要がなくなるのも僕は知っている。
何故なら、
「はぁ……」
とはいえ、これが普段の僕の朝の一幕。
悪の組織の女幹部である幼馴染その一に朝っぱらから付き纏われ。
ヒーローである幼馴染その二に見たくもないツンデレをかまされる。
ちなみに、僕の名前は、
悪の組織は勿論、ヒーロー組織とも直接的な繋がりはなく、本来この物語に名前すら登場しない、モブの一人。
この馬鹿馬鹿しいゲームの世界、おおまかな筋書きはこうだ。
偶にとんでもないことをやらかすものの、大抵は割とどうでもいい悪事を起こす悪の組織が全国に点在する世界。それに対抗するためにヒーロー組織も全国に展開し、日夜悪と戦っている。
主人公、和田木ミノルはとあるきっかけでヒーローとなり、成長していく。
その過程で、実は幼馴染の神川ミリナが悪の組織の幹部であることが判明するのだが、ルートによってはその正体を知らぬまま彼女を倒したり、最終的に正体を互いに知った上で彼女と結ばれたりする。
で、どういうわけか僕はそんな主役二人の幼馴染という立ち位置となっている。しかも高校生には明らかに見えないショタというおまけつき。
そんな人物は一切登場しなかったはずなんだけども。
……いや、一回ショタコンの某悪の組織のボスが起こした事件で
にしても、イレギュラーな存在。
当然僕はこの二人の正体を知っているが、当の二人は僕が
でもって、まだ物語の展開的にお互いが敵対関係にあることをこの二人は知らない。
悪の組織の超技術か何かで成長した姿になる
そんなわけで超簡単にまとめれば、ミノルが主人公、ミリナがメインヒロイン。
序盤は、二人はただの幼馴染であったが、物語が進むにつれてお互い立場を異にしながらも、徐々に惹かれ合っていくという物語。
メインヒロインであるミリナによく絡まれているような気がするが、身長面諸々、あちらにとって僕は弟のような感覚なのだろう。まったくもって不本意だが。
だって、正規ルートなら二人はくっつくし、それ以外のどのルートでも互いに恋愛感情はあったはずだし。
だから、放っておいても問題はないのだ。この点に関しては。
が、どうにかしたい点が一つだけある。
それは、どういうわけかよく人質にされることだ。
ミリナ――もとい、悪の組織であるブラック・マーベラス、その幹部であるアンフェアに。
大人モードでも弟感覚なのか知らないが、しかし表立って本人に直接人質にしないでくれとも言えない。正体を知らない体で通しているわけだし。
何かいい方法はないかネットで聞いてみたものの、解決にはまだ遠そうである。
早く展開が進んで、二人が恋仲になればいい気はするんだけども。
とまあ、そしてそんな世界で、名前すら出ないモブとして生まれたのに何故かよく人質にされる僕。
目下、当面の困りごとはそこなのであった。
「やっぱり時代は、ミノ×シュウでしょ! 涙目のショタがクールイケメンにぶち込まれるんだわ!」
「何言ってんの、生意気ショタがクールぶった気弱イケメンを押し倒して、それで……っ!」
「あの三人、同い年だってのに、まるで家族みたいな身長差だよなー」
……そこなのであった!