3周目の世界 3人の救世主 その11
長にいが駐屯地に滞在すると決めて3日目……暖かい食事と柔らかい布団は確かにありがたいけれど、どうしても私の心は晴れなかった。
「……長にいの側にずっと葵がいる」
長にいの側に葵がいる……それがどうしても私の心を乱していた。寝転がっていたベッドから身体を起こして胸に手を当てるなだらかとまでは言わないが、膨らみには乏しい自分の胸に思わず溜め息が出る。
「牛乳飲んでたのに……ッ」
崩壊前は牛乳を毎日飲んでいたのに全然私の胸は成長してくれなかった。体質もあるらしいけど、余りにも理不尽だと思う。
「……やっぱり長にいも胸が大きいほいが良いのかなあ……」
葵は私よりも背が高いし、胸も大きいし、それに美人だし……。
「むうううッ!!」
こんな事で悩むなんて私らしくないって分かっているんだけど、どうしても胸のもやもやが消えてはくれない。
「……やだなあ」
長にいが葵と付き合うのは嫌だなあと言う気持ちがどうしても強くなる。長にいは私のお兄ちゃんで、ずっと一緒にいてくれた。そしてずっと守ってくれていた……。
「嫌よねぇ、貴女のお兄さんが取られちゃうわよ」
「誰ッ!? っ!?」
突然聞こえてきた第3者の声に驚き振り返った私の目の前に広がったのは闇の中に浮かぶ血の様に紅い瞳だった。それを認識した瞬間に私の身体は金縛りにあったように動かなくなった。
「大丈夫よ。私は貴女の味方、貴女の恋を成就させてあげる」
甘く蕩けるような声が私の耳を打ち、思考が段々鈍くなっていくのを感じる。助けを呼ぼうとしても私の口から声が発せられる事は無く、闇の中から浮き出るように1人の女が姿を見せた。
(百合……子)
崩壊する前の東京で、そして崩壊した後の東京でも出会った百合子が私を慈しむ様な目で私を見下ろしていた。
「怖がらなくて良いのよ、貴女は私の娘」
私の母だという百合子にふざけるなと怒鳴り返そうとするが身体が痺れて動かない。唯一自由に動く目で百合子を睨みつけるが、百合子は私のそんな抵抗すらも楽しげに見ながら笑っていた。
「可愛いわね、貴女をめちゃくちゃにしたいけど……でもそれはまだ後のお楽しみ。貴女に教えてあげるわ、女の喜びをね」
百合子の目が怪しく輝き、その手が私の頬に触れる。驚くほど冷たいその手に身体が強張った瞬間に目の前の百合子の姿が弾け、MAGの光になって私に降り注いだ。その光が降り注ぐごとに身体が熱くなって、鼓動が早くなる。
(やだ……たすけ、助けて……長にい)
私が消えてしまう……私と言う存在が百合子に上書きされて消されてしまうような恐ろしい感覚に心の中で長にいに助けを求めながら私の意識は闇の中へと沈んで行くのだった……。
「ふう、やっぱり良く馴染むわね。大丈夫よ、翔子。貴女は長久と結ばれる……勿論私もね」
立ち上がった翔子の口調は百合子の物になっていた。雰囲気も妖艶で怪しい雰囲気へと変わり、襟首に手を伸ばし躊躇う事無くボタンを引き千切り胸を僅かに露出させる。
「まずは貴女の願いを叶えて上げるわ。その後は貴女も私が抱いてあげる、貴女も長久も私の物なんだからね。3人で世界が終わるまで獣のようにまぐわいましょう」
酷い執着と情欲を滲ませた声でそう呟いた翔子は鼻歌交じりで部屋を出て長久の部屋へ向かって歩き出した。
腹部に重みを感じて俺は目を覚ました俺は馬乗りになっている翔子の姿に驚き目を見開いた。
「長にい……好き、大好き♪ ねえ長にいは私の事好き?」
上着を肌蹴させブラジャーを見せつけながら好きかと尋ねてくる翔子の目には強い情欲の色が浮かんでいた。
「長にいなら何をされても良いし、どんなこともしてあげる。私の事めちゃくちゃにして良いんだよ♪」
蕩けるような甘い声に理性が溶かされていくのを感じた瞬間に寝ぼけていた意識が一気に覚醒した。身体を起こして翔子の両手首を掴んだ。
「あんまり乱暴なのは嫌だよ?」
流し目を向けてくる翔子は確かに魅力的だったが、そんな見え見えの色仕掛けに引っかかるほど馬鹿ではないつもりだ。
「翔子に何をした。答えろ」
さっきまでの感覚の正体はわかっている。誘惑魔法のマリンカリンだ。夜魔や女性型の悪魔が多く扱う精神を乱すタイプの魔法で対象の情欲を刺激する物でサキュバス系統の得意技だ。かなり危ない所だったが、翔子じゃないと気付いた事でマリンカリンに抵抗する事が出来た。
「少しは誤魔化せると思ったんだけど、中々やるわね」
「その口調……百合子か、翔子に何を……」
「駄目よ、違う女って分かっているのにほかの女に現を抜かすのは男として最低よ」
軽々と引っくり返され翔子の身体に取り憑いているであろう百合子に完全にマウントを取られ、腹の上に馬乗りされた。
「良いじゃない、確かに翔子の身体を使っているのは私だけど、翔子が貴方を想っているのは事実よ? それに答えてあげるのが男の甲斐性じゃないのかしら?」
確かに翔子が俺に思いを寄せているのは分かっている。分かっているが……俺はそれを受け入れる訳には行かないのだ。
「俺じゃない、俺を翔子は好きなんだ。俺に出る幕はないッ!!」
俺は翔子が想い、慕っていた「長久」ではない、その身体を使っているだけの別人だ。そんな俺が翔子の想いを受け入れる訳には行かないのだ。本来その想いを受け取るべき長久は俺が憑依する前にインフルエンザを拗らせて死んでいるのだから。
「頭が固いわね、そんな事は彼女には関係ないでしょうに、それに貴方だって最初は満更じゃなかったんじゃないの?」
「うるせえなッ! 人に身体に取り憑いてべらべら喋ってんじゃねぇッ!!」
翔子の顔と声で喋るなと怒鳴りつけ俺の上に馬乗りになっている百合子に腹が立って、ラスタキャンディを使って身体能力を強化してブリッジの要領で百合子を弾き飛ばす。
「あらあら、本当に硬派ねえ。だけど……ふふ、ここは情欲に溺れておいたほうが良かったんじゃないかしら?」
その言葉に反論しようとし、込み上げてくる吐き気を抑えきれずその場に蹲った。
「げほっ! ごほっ!! おえええッ!!」
ラスタキャンディにもう身体が耐え切れないのか咳き込むごとに大量の血が俺の口から吐き出される。
「ほら言わんこっちゃない。もう貴方の身体は戦える状態じゃないのよ? 今の貴方は穴の空いた水風船、普通に過ごしているだけでも貴方の生命力は空いた穴から零れ落ちていくわ。それを補充しないと本当に死ぬわよ」
「だから翔子を抱けってか、ふざけんなよッ!」
確かに房中術で失った生命力を補う事も可能だろう。だがそれをすれば自分が死にたくない一心で肌を重ねているようでますます惨めになる。
「俺は短くても太く生きると決めたんだ。無様に生に縋るつもりはない」
「それが周りの人間をどれだけ傷つけると分かって言ってるのかしら?」
確かに翔子達は悲しむだろう、生きる術があるのならばそれに縋るのも1つの手だろう。
「俺の人生の幕引きは俺が決める。他人にどうこう言われる謂れはないッ! 翔子から出て行けッ!!」
「出て行くつもりはないわ、もしも追い出したいのならばこの子の中に入ってきなさいな。そこでこの子の気持ちに触れても、まだそんな戯言が言えるか楽しみに待っているわ」
糸が切れた人形のように崩れ落ちる翔子の身体を慌てて抱き止める。
「うぐ、げほっ!! ごぶっ!!」
翔子の軽い身体を支える事すら今の俺には重荷なのか、咳き込み倒れかけるのを気合で踏み止まり翔子を抱き上げて部屋を出る。あれだけ騒いでいれば駐屯地の人間も起きるのか基地内には明かりが灯っていた
(助かる……)
視界が定まらない中で明かりがあると無いとでは雲泥の差がある。翔子を抱えたまま足を引き摺るように前に出るが、思ったように身体が動かない事が歯がゆくてしょうがない。
「怒鳴り声が聞こえたが……おいッ!? どうした何があった!?」
「長久さん大丈夫ですか!?」
血相を変えて走ってきた武と俊樹に安堵し、思わずその場に膝をついた。
「あ、悪魔が翔子に取り憑いた……サイコダイバーを、サイコダイバーを連れてきてくれッ! 時間が無いッ!!」
百合子が翔子の精神世界にいる。長く時間を掛ければ翔子と百合子の精神が混ざりかねない、一刻も早く翔子の精神世界に入り込む必要がある。
「そんな事よりもお前の手当てだろッ!? 死ぬぞッ!!」
「そうですッ! そんなに血塗れで」
「良いから言う通りにしろッ!! 武、俊樹ッ!!!」
俺の手当てをしようとする2人を怒鳴りつける。感情的になってしまったが、それだけ今の俺には時間が無かった。
「分かった。俺が呼んでくるッ! 俊樹は葵を呼んで来て2人を医務室に連れてってくれ」
「わ、分かりました!」
俺の指示に従って動き出してくれた2人に安堵し、俺は腕の中の翔子に視線を向けようとしてその顔が見えないことに気付いた。
(ああ……くそ、まだだ……まだ壊れてくれるなよ……頼むから)
一時的か、それとも本当に終わりが迫っているのか目がぼやけ始めている事に今気付き、祈るようにまだ壊れてくれるなと俊樹が葵と自衛隊を連れて戻ってくるまで只管にそれだけを祈っていた。
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「確かに彼女の中には悪魔が入り込んでいる。かなり上位の悪魔で、時間を掛ければ彼女の精神が崩壊するだろう」
「なら早く俺達を翔子の精神世界の中に入れろッ!」
サイコダイバーの診察結果を聞いて武がサイコダイバーに詰め寄るが、サイコダイバーは首を左右に振った。
「悪魔の方から妨害されている。彼女の精神世界に入れるのはこの中で1人だけだ」
サイコダイバーが俺に視線を向ける。分かっていた事だ、百合子は待っていると言っていた。俺が行かない限りは翔子の精神世界から百合子を追い出すことは出来ないのは分かりきっていた。
「分かった。俺を翔子の中に連れて行ってくれ」
「長久さん正気ですか!? 今の貴方の状態を分かっているんですか!?」
「そうですよッ! あの時の貴方は尋常な様子じゃなかったッ! 今は休むべきですッ!」
俊樹と葵が止めに来るが、俺はそれを押しのけてサイコダイバーの前に立った。
「俺は行く。翔子を死なせる訳には行かないからな、連れて行ってくれ」
「……分かった。精神世界では心が折れなければ負けることはない、だが逆を言えば精神が死ねば君も死ぬ。それを忘れないでくれ」
サイコダイバーの言葉に分かったと返事を返し、サイコダイバーの手を握ろうとすると武に肩を掴まれた。
「死ぬなよ、ちゃんと戻ってこい。それと戻って来たらちゃんと治療を受けてくれ、翔子が心配なのは分かるが、俺達もあんたが心配なんだ」
「ああ。分かってる」
治療を受けるんだと言う武に分かったと返事を返し、サイコダイバーの能力によって俺は翔子の精神世界へと入り込んだ。
「悪いが此処から先は俺はいけない、俺に悪魔と戦う術はないからな。戦えない代わりに見た事は言わない、それで良いな?」
「ああ、ありがとう。黙っててくれ」
精神世界に入り込んだ俺の身体はボロボロだった。精神が肉体になるのだから今の俺の精神力ではまともな姿をしていないと分かっていたが……中々酷い有様だ。腕も足も千切れかけ、胸部と頭部だけが無事と言うゾンビと言われても納得してしまうほどに死に掛けの姿をしていた。
「イメージすれば服とかも作れる。精神世界では精神力が全てだ、君が思うようになる」
そう言われて俺の脳裏を過ぎったのは先代ライドウの姿だった。その姿を連想すると黒い詰襟にマント姿に俺の姿が変わり、腰には錬気刀、マントの下にはコルトパイソンが現れていた。
「気をつけてな、精神の痛みは肉体の痛みを凌駕する、発狂するなよ」
最後まで心配してくれているサイコダイバーに返事を返さず、片手だけを上げて俺は翔子の精神世界の中に足を踏み入れた。そこは長久と翔子の思い出が只管に流れている一本道だった。
「……悪い気がしてくるな」
俺じゃない長久との思い出の数々が流れていくのを見て気まずい気持ちになる。だがこの先に百合子と翔子がいるのならば俺は足を止めるわけには行かない。最初は幼い少女の憧れ、それが徐々に1人の異性に向ける愛情へと変わっていく……翔子の17年の思い出をまるで映画のように見ていた俺は気がついたら布団の上で眠る翔子とその翔子の頭を慈しむように撫でる百合子の前に立っていた。
「ようこそ、さて彼女の記憶を見てもまだ自分は死ぬべきだ何て戯言を言えるかしら?」
幼稚園から高校までの翔子の思い出の中には常に「長久」がいた。どれだけ翔子が「長久」の事を想っているのかも理解した。その上で俺は錬気刀を抜いて百合子に突きつけた。
「俺は長久じゃない、翔子の想いを受け入れる訳には行かない」
「……そう、じゃあしょうがないわね。ここで貴方の精神を少し弄くってあげるわ。大丈夫よ、翔子と私で愛してあげるわ」
「悪いがごめんだね。翔子には俺よりももっと良い相手がいるさ」
「その言い方腹が立つわね、貴方を傷つけるつもりは無かったけど……少し痛い目を見てもらうわよッ!」
百合子の姿が裸に蛇を2匹巻きつけた姿へと変わった。上位の悪魔ということは分かっていたが、想像を遥かに越える大物が百合子の正体だった。
「リリス……ッ!」
旧約聖書のアダムの妻であったが、後に楽園を追い出され悪魔と化した女性であり、サキュバスやリリムを始めとした女性悪魔の母とされる最上級の悪魔の姿に俺の背中に冷たい汗が流れるのだった……。
男と言うのは自分勝手で残される者をまるで分かっていない、アダムの面影を持つ長久と私の面影を持つ翔子の姿を見て、2人がアダムとイブの生まれ変わりであると理解した。ルイ様には教え導くようにと言われたが、2人の姿を見て私は2人を結ばせて幸せな姿を見たいと思ったのだ。そして2人の子供として私は生まれ変わり、失った心の隙間を全て埋める事が出来る。
【どうして分からないの、このままでは貴方は死ぬのよ? 人間なんだから死ぬのが怖くないの?】
精神世界だから心が折れない限りは死ぬ事はない。だが発狂させる訳には行かないので手加減した攻撃を繰り出しているが、それでも手足が吹き飛んでいる長久だが、その精神力は強靭ですぐに手足を再生させて攻撃を繰り出してくる。
【貴方では私には勝てないと分かりきっているのにどうして立ち向かってくるの?】
何故分からないのかと、死ぬのが怖くないのかと問いかける。
「確かに死ぬのは怖いさ……」
【なら翔子の想いを受け入れてあげればいいでしょう? 彼女は心から貴方を愛しているのよ】
「だがそれは俺じゃないッ!!」
【いいえ、貴方よ。考え方も、振舞い方も全部貴方と長久は同じなのよ。どうしてそこまで意固地になるの】
長久の振るった錬気刀を片手で受け止め、そのまま自分の方へ引き寄せる。マリンカリンは対象が誰かを強く思えば思うほどに効果が効き難くなる。私のマリンカリンに抵抗出来ているのはそれだけ想う相手が長久にも居るという事だ。そしてそれは翔子である筈なのだからどうしてそこまで意固地になって翔子を受け入れようとしないのかと問いかけると長久は口ごもった。その仕草に図星なのだと分かり私は畳み掛けるように言葉を投げかけた。
【貴方と翔子は結ばれるべき存在なの、そうあれと生まれているのよ。貴方だって翔子の事が好きなはず、どうして受け入れられないのかしら】
互いに想いあっているのだから共にあればいい、悪魔と天使との戦いに巻き込まれているのだから平穏な生活は難しいかもしれないが、それでも愛を育む事は出来るはずだ。
【私が守ってあげる。貴方も、翔子も、そして何れ生まれてくる子供も守ってあげる。だから私の言う通りにして】
ずっと感じていた私に欠けている物……翔子と長久を見てそれが何かを感じていた。今はこうして戦っているが、私だって戦いたいわけではないのだ。足りない物、ずっと渇望していた欠けていたものが目の前にある。失った幸福を私ではない私が得ようとしている……私はそれを手助けしたいのだけなのだ。
「あんたが俺と翔子を思ってくれているのは分かる。だけどそれは出来ないんだ」
【どうして? 何故そこまで拒むの?】
悪魔の目から見れば長久のMAGは豊潤で美味そうに見えるが、それは表向きだ。長久のMAGの濃度は命を対価にしたもので、命を燃やして発生している物……そしてMAGを溜める箱に穴が空いている長久はその生命力を消費し続けている。それを補えば生きていられる、好きな相手と共に生きていられるというのに何故拒むのかと問いかける。
「駄目なんだよ、どうしても別の相手が脳裏を過ぎる。翔子が好きでも、俺には別に好きな相手がいた。もう名前も顔も思い出せない、だけど他に好きな相手がいたんだよ。どうしても名前も顔も思い出せないのにそいつらが脳裏を過ぎるんだよ……全部、全部忘れられたら良いのに、少しだけ、少しだけ残ってるんだよ……楽しかった記憶がどうしても俺の心をざわつかせるんだ」
搾り出すように吐き出された言葉には長久の自身への嫌悪と断ち切る事の出来ない想いが感じられた。
【不誠実だと自分を攻める事はないわ。貴方はここで旅路を終えても良いのよ】
肉体と精神の繋がりがおかしいのは長久が本来この世界の住人ではないからだ。だが楔があれば、長久は本当にこの世界に根付く事が出来る。その楔が翔子なのだ、翔子を受け入れれば寿命も、生命力も全ての問題が解決する。
「駄目だ、俺は歩みを止めたくない」
【その先には絶望しかないわよ】
「それでもッ!! 俺は前に進むしかないんだッ……頼む、退いてくれ。あんたは悪魔だけど良い奴だ、俺と翔子の事を本当に思ってくれている。だけど俺は翔子を受け入れられない、受け入れちゃいけないんだ。俺は異物だから……」
【違う、そんな事はないわ。貴方は異物なんかじゃない、この世界を生きている人間よ】
長久の根底には自分がこの世界の住人じゃないと言う引け目がある。だがそんな事はない、この世界で生きていたいと願えば良いのだ。
「俺は……進まないといけない、駄目なんだ。止まるなって、歩き続けないといけないんだ」
なんて可哀想な子なのだろうか……私の失った半身のアダムと良く似た長久が余りにも哀れで可哀想だった。
【……分かったわ。今は退いてあげる、だけどね。忘れないで、貴方はこの世界を生きている人間で、異物なんかじゃないわ】
私も少し急ぎすぎていたのかもしれないと反省し、退く事を約束し翔子の精神世界から抜け出す。
「守ってあげるなんておこがましかったのかしらね」
長久も翔子もとても強い子だ。私が守ってあげると、見守ってあげるなんておこがましかったのかもしれない。
「翔子、頑張りなさいな。貴女でなければ長久を止める事は出来ないわ」
失った物に囚われて、前を向けない長久を再び前を向いて歩かせる事が出来るのは翔子しかいない。2人が結ばれて私が失った幸福をいつか手にしてくれるならと私はその場を後にしたのだが……この選択を私は一生後悔する事になるだろう。
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長久の墓に縋りつき声も枯れるほどに泣き崩れている翔子に私は近寄った。
「百合……子」
私の名前を呼んで顔を上げた翔子の瞳に光は無く、頬も痩せこけ酷い有様だった。本当なら慰めるべきなんだと思うけど、生憎私には時間が無く厳しい言葉を投げかける事になった。
「翔子。選びなさい、貴女が望むなら私が道を作ってあげるわ。今もどこかで苦しんで傷ついて歩いている長久を迎えに行くか、それともここでずっと泣き崩れているか……貴女が選びなさい」
長久との誓いを果たして世界を救い3柱の救世主となった翔子。だけどそんな事を翔子は望んでいたのではない、翔子はただ自分の好きな相手と一緒にいたかっただけだ。
「……長にいに会えるの?」
「それは貴女次第よ。どこにいるのか分からない長久を探すのはとても大変よ、探しに旅立ったのならばもう2度とこの世界には帰ってこれない、そして長久に会えるかどうかも確実じゃない。だけど……もう1度長久に会いたいのならば満月の夜にカテドラルの最上階に来なさい、私はそこで待っているわ」
トラポートでカテドラルへと移動する。一方的に言葉を投げかけただけで、翔子から返事は無かったが私は大丈夫だと確信していた。何故ならば……魔法の効果で私が消え去る瞬間に見えた翔子の瞳には長久が生きている時の強い意志。光が戻っているのだった……。
3周目の世界 3人の救世主 その12へ続く
今作の百合子の目的、翔子と長久にそれぞれ憑依して性行為を行なった後に2人の子供として生まれる自分と翔子達を守りながら2人を愛でる大人の自分と分かれて退廃的な生活を送ろうとかなりアブノーマルな事を目的としていました。最後のくだりは後日譚に繋がるフラグとなっております。千代子と違って、翔子は追いかけて行く事を選択する予定です。それでは次回は3週目の世界のラストイベントのアリス編に入って行こうと思いますので次回の更新もどうかよろしくお願いします。