1周目の世界 孤独の女神 第3話
退屈な授業が終わり、放課後どこへ遊びに行く等という話で賑やかな空気に満ちていた教室が扉の開く音と共に姿を見せた1人の女子生徒の姿に一気に静まり返った。
「長久。何をしている、私を待たせるとは何事だ」
腕組し、冷めた視線で道睦の名を呼ぶ狭間の姿と声に教室は沈黙に満たされた。その美貌と類稀なる頭脳、そして国会議員の父を持ち金もある。生まれ持っての勝ち組である狭間は軽子坂高等学校ではある意味浮いた存在であり、孤高とも言えるプライドの高さと常に己を磨く事を忘れない向上心の強さは一般的な高校生である軽子坂高等学校の生徒からは異質な物であった。そんな狭間に友人が出来るわけも無く、常に1人で過ごしていた狭間が長久を呼んだ。その事に長久のクラスメイトは驚きを隠せなかった。
「悪い悪い。すぐ行く」
「急げ、全く。お前が誘っておいて待たせるとは信じられん愚図だ」
「へーへー、すいませんねえ」
「謝る態度ではないぞ、少しは申し訳ないと思わないのか?」
「はいはい、分かってますよ」
「いいや、分かってない」
ぶつぶつと文句を言う狭間を軽くいなしながら教室を出て行く長久。その姿が見えなくなってから、2ーDの教室は長久と狭間の関係を邪推する声や、最近少しだけ狭間が丸くなったのは長久のお蔭かと言う話で持ち切りとなっていた。
「……なにあれ、面白くない」
「だよね、あの何をしても許されるって感じがむかつくのよ」
「きっと道睦君は脅されてるのよ、可哀想」
「親が議員だからって何をしてもいいって思ってるのよ、あいつは」
狭間への不平不満、そして人の良い長久に想いを寄せている女子生徒は狭間の長久へのあんまりの態度に怒りを露にする。確かに狭間の態度は横柄で、自分の意見を押し付けているようにしか見えなかった。
「楽しみにしていたのだぞ、分かっているのか」
「分かってるって、しかし幽子から映画に誘われるなんて思ってなかった」
「ペアチケットだからしょうがない。1人で見に行けるならお前を誘ってなんかいないぞ長久」
幼い頃に母と妹から引き離され、共に暮らしている父親の幽子への認識は政略結婚の駒、もしくはその肢体を利用してやろう程度の認識しか持っておらず、自身の血を分けた娘として認識しているかも怪しく、そして世話係は世話係で幽子に余計な事を教えれば父親に暴力を振るわれるという事で腫れ物に触れるような扱いをしていた。母親が出て行ってからは厳しい教育と淑女としてのマナーのみを徹底的に叩き込まれ、家族の情など何一つ存在しない中で育った狭間にまともな愛情表現の仕方なんか分からない、だから横柄な態度になってしまっていた……だが狭間は間違いなく長久に想いを寄せていたのは紛れもない事実だ。だがどう愛情を示せば良いのかわからず、また長久が怒らない事もあって長久へはかなりきつい当り方をしてしまっていた。
「解析ももう少しで終わりだ。だが根を詰めすぎるのも良くない、偶には息抜きが必要だ」
「だから映画に誘ってくれたのか、ありがとな。幽子」
「ふん、別にお前を気遣ったわけではない。私が休みたかっただけで、偶然映画のペアチケットが手元にあった。それだけだ」
ふいっとそっぽを向く狭間の姿は長久から見て照れ隠しをしているようにしか見えなかったが、それを指摘すれば烈火のように怒り狂うのは分かりきっていて……喉元まで込み上げて来た言葉をぐっと飲み込んだ。
「中々面白いと評判の映画だそうだ。行くぞ」
口調は何時もとおりだが、纏う雰囲気が楽しそうな狭間の姿に明るくなったなと思いながら先に映画館に入った狭間の後を追って映画館の中へと足を踏み入れるのだった。
「大丈夫か?」
「ら、らいじょふだッ!!」
「全然大丈夫そうに見えないけど?」
「う、うるひゃいッ!!」
狭間が長久を誘ったのは確かに評判の良い映画だった。正し、評判の良い「恋愛」映画だった。見に来ているのはカップルばかり、そして映画も甘いラブロマンスで初心な面がある狭間は完全にキャパオーバーを起していた。
「とりあえずどこかの公園でジュースでも飲もうぜ」
普段のクールさがどこにもないくらいに真っ赤になっている狭間の手を引いて長久は歩き出した。
「落ち着いたか?」
「あ、ああ……か、勘違いしないで欲しい。そ、そのだな。恋愛映画と知ってチケットを貰った訳ではない、ただその……私の世話をしてくれている父が雇ったメイドに相談をしたらこれをくれただけで、わ、私が選んだわけじゃないんだぞ!」
噛む事はなくなったが、映画の衝撃から抜けれていないのか動揺を隠し切れず、聞いても無い事を喋り墓穴を掘っている狭間に深く突っ込むのは良くないと判断した長久は自販機で買って来たジュースを狭間に手渡した。
「とりあえず飲めよ、少し落ち着くだろ」
「ん、ああ。ありがとう」
互いに無言でジュースの缶のプルタブを開け、よく冷えたジュースを口にする。高校生が見るには少し早いラブロマンス物の映画を見て火照った身体が夕暮れの風と冷たいジュースで冷えていくのが2人にはよく分かった。
「……私の家は少々複雑でな。お前も知っていると思うが私の父は国会議員だ」
狭間の雰囲気から余計な相槌を打つべきではないと長久は直感的に感じ、無言で頷くと狭間はジュースの缶を両手で握り締め俯きながら口を開いた。
「世間では人道を説く立派な議員となっているが、不倫はするわ、堂々と愛人を家に連れ込むわ。それを指摘した母を殴り家から追い出すわ。私の父は人間の屑だ」
ぽつぽつと小さな声で呟き始める狭間、その内容が聞いたら不味い話なのはすぐに分かったが、狭間の弱々しい姿を見て開きかけた口を長久は閉じた。
「母は妹だけを連れて家を出た。父は私を政略結婚の駒くらいにしか思っていない……私には分からない、分からないんだ。誰かを好きになる、愛するという事が分からない……ただお前といる時は心が安らぐ……お前に迷惑を掛けてると思うがな」
「いや、別に迷惑……「お前だって私が学校でどう思われてるか位は知ってるだろ?」
長久の言葉を遮り、自分がどう思われているか分かっているか分かってるだろう? の言葉に長久は少し黙って、バツが悪そうに頭をかきながら不器用な笑みを浮かべた。
「ん、まぁな……だけど俺は噂とかじゃなくて自分で見た物しか信用しない主義だし、お前口は悪いけど良い奴って知ってるぞ」
「ふ……お前は変な奴だ。こんなめんどくさい女に優しくしても何にもないぞ? 人を愛する事も分からない、人を傷つける事しか出来ない愚かな女を勘違いさせると後が怖いぞ?」
「分からないなら知ろうとすれば良いんだよ。まずはそうだな……友達を作るのはどうだ?」
「こんなめんどくさい女と友達になりたいなんて思う人間がいるか?」
「そうだな……とりあえずここに1人。お前と友達になりたいと思ってる奴がいるぜ?」
差し出された長久の手を呆然とした様子で見つめた狭間は最初は小さく、徐々に大きな声で笑い長久に視線を向けた。
「馬鹿な男だ。こんなめんどくさい女と友達になりたいなどとな」
「よく言われるからなぁ馬鹿って……だから俺は気にしないさ、それにお前は人との接し方が絶望的なまでに下手なだけで悪い奴じゃないって俺知ってるし」
「……お前は私を励ましたいのか、貶したいのかどっちだ?」
「そりゃ勿論励ましたいさ。それで俺と友達になってくれるか? 幽子」
差し出された手を狭間が掴んだかどうかは分からない、だがその日から少しだけ狭間の態度や言動が柔和な物へと変わった。だが……それが破滅への引き金となる事を狭間も長久も知る由もないのだった……。
情けない話だが俺ではSTEVENさんのプログラムを解析する事は出来ないので、完全に幽子に任せることになった。その代り俺は全力で裕子のサポートをすることにした。まぁサポートと言っても弁当を作ることくらいなのだが……。
「あいつは俺をなんだと思ってるんだ?」
弁当のおかずのリクエストにミニグラタン、ナポリタン、蛸さんウィンナーと書いてある。ナポリタンと蛸さんウィンナーくらいは出来るが、グラタンって……普通の一般男子高校生にリクエストする弁当のメニューじゃないとと思わずぼやきながら母さんに相談するかなあと考えているとざわめきが聞こえて顔を上げる。
「ん? すげえ、いかすな」
腕にPCをつけて頭にゴーグル型のディスプレイをつけて歩いている同年代らしい高校生の姿がやけに脳裏に焼きついて離れなかった。
~翌日~
「と言うわけで、こんなのが欲しい」
「……お前は馬鹿か? ああ、いや馬鹿だったな。疑問系にするべきではなかった」
「辛辣ッ!!」
あれやこれやと試行錯誤して作ったミニグラタンを食べている幽子に昨日見かけた高校生が身につけていた物が欲しいと言ったのだが、幽子の返答は余りにも切れ味の鋭い罵倒だった。
「お前の絵が下手すぎるのもあるが、これでは駄目だな。ボールペンを寄越せ」
「お、おお」
鞄からボールペンを出して幽子に渡す。すると幽子はフォークを咥えたまま俺が書いた絵に修正を加える。
「まずはベルトでは駄目だな……ふむ」
俺の書いたへたくそな絵の裏に幽子が新しく設計図を描き始める。ラフな下書きだが、俺が考えた物よりも遥かに完成度の高いイラストに驚いた。
「お前、絵も上手なんだな」
「運動が少し苦手なだけだ。それ以外に苦手な物はない」
ふふんっと自慢げな表情をする幽子。基本的にプライドが高くて、人を見下す癖があるけど……ちょっとこういう所は子供っぽい所があって親しみが持てる。
「とりあえずこんな物だな。これならば安定性もあるし、運動しても落とすことはないだろう」
「なるほどなあ……ちなみにこれを作るとしてどれくらい掛かる?」
かなり完成度の高いイラストを見て、どれくらい金が必要そうかと尋ねると幽子は4歩指を立てた。
「4000円か?」
「馬鹿を言え、4万だ。これは最高の素材での話だが、安くても2万はいるだろうな」
「うげえ……マジで?」
4万は勿論、2万だって金欠高校生には厳しい額だ。安上がりで作れないかなと思っていたが……やっぱり現実は甘くないようだ。
「そもそもなんでこんな物が欲しいんだ?」
「いや、なんとなく?」
「なんとなくで散財するなら止めておけ、それに……お前これをつけて歩くのか?」
呆れた表情を向けてくる幽子に何が言いたいのかと一瞬考え、昨日のざわめきを思い出した。
「……変かな?」
「警察の世話になるかもな」
歩いている人を見たから良いアイデアだと思ったが……もしかすると、いや、もしかしなくても……かなり変かも知れない。警察の世話になるかもしれないなと言う幽子の言葉と、俺が逮捕されたと聞いた時の両親の反応を想像し……。
「止めとこう」
「それが良いだろうな。良かったな、私に先に相談しておいて」
確かにその通りだと思う。道具を揃えて作って、いざ使おうとしたら多分絶対躊躇する。作る前に幽子に止めて貰って良かったと心から思いながら俺もミニグラタンを口に運んだ。
「お、美味い。マヨネーズだけでもしっかりグラタンって感じがするな」
「何? これはマヨネーズなのか?」
「ああ。そうだけど……あれ、もしかして幽子って料理出来ないのか?」
マヨネーズでグラタンを作って信じられないと言う表情をしている幽子だが、マヨネーズでグラタンを作るを作るって言うのは何も珍しい話ではなく、世のお母さんでは割と普通の事らしい。
「失礼な事を言うな、私だって料理の1つくらい出来るのだぞ」
声を上擦らせるでもなく、当然だと言う幽子。だが俺の目は見逃さなかった、幽子の目が左右に泳いでいる事を……。
「じゃあ今度弁当交換しないか?」
「む、む……そうだな、ああ、それも良いな。いつも作ってもらうばかりじゃ悪いからな」
声が少し震えてるけど、なんでもそつなくこなすイメージがある幽子だ。多分人に作るのが初めてとかそんなのだろうなと思いながら幽子に作るようになってからやや彩が鮮やかになって来た弁当を頬張る。
「そういえば進展があったって電話で言ってたけど、何が分かったんだ?」
昨晩興奮した様子で進展があったと電話があったが、一体何が分かったんだ? と尋ねる。と幽子は鞄から何かの辞典を取り出し、見ろと言わんばかりに俺に差し出してきた。
「何だ。これ?」
見たことのない文字が踊っていて何の辞典なのか分からずなんなのかと尋ねる。
「ヘブライ語だ」
「ヘブライ語? なんでそんなもんの辞典を持ってるんだ?」
「昨日解析をしていたらヘブライ語の文字の羅列が出て来てな。それと現在では使われていない古い形式のギリシャ語とかも出てきたんだ」
「ええッ!? そんなのわからねえよ」
ヘブライ語に古代ギリシャ語なんて分かるわけがない、お礼としてくれた筈だが……これ本当に解析させる気があったのかと思い始めてきた。
「どうもこのプログラムは複雑にヘブライ語や古代ギリシャ語、そして一見して意味が無さそうに見える文字や線で構成されている。つまり普通ではない何かと言う事だ」
「オカルト的な話か?」
「多分な、これを解析した後に何が出てくるか楽しみになってこないか?」
押さえ切れない好奇心が顔に出ている幽子に頷いた。人間誰しも未知に対する好奇心を押さえ切れない、フロッピーディスクの幾重にも掛けられたプロテクトもそうだ。だがオカルトとなるとますます好奇心を刺激されるのを感じる。
「何があるんだろうな」
「分からないが……これはとんでもない何かだろうな。全てのプロテクトが解除された時が楽しみだ」
解除したらなにがあるのか、ヘブライ文字に古代ギリシャ語。普通に暮らしては決して触れる事のない古代の遺産。それが使われているプログラムの何々があるのか、触れてはいけない物に触れているような背徳感と隠されている物を暴く興奮を前に俺と幽子は正常な思考を失い、この謎のプログラムを解析する事に完全に魅了されてしまっているのだった……。
「全く道睦の奴め、失礼な事を言いおって、私だって料理の1つや2つ、この通り出来るんだ」
自信満々に自分だって料理が出来ると口にしている幽子だが、彼女の作った料理は歪な形のおにぎり、野菜炒めにスクランブルエッグに切った野菜にドレッシングを掛けただけと決して料理と言って胸を張れる物では無いが、それでも作った幽子としては初めて作った割には上手に出来ていると自画自賛の表情を浮かべていた。
「さてと後はこれを弁当箱に詰めるだけだな」
弁当箱を探しにキッチンを後にした幽子だが、弁当箱とそれを包むナプキンを手にキッチンに戻って来た幽子は床にぶちまけられた料理と踏み潰されたおにぎりを見て、それをした人物を睨みつけた。
「お父様、なんて事を……うッ!!!」
酔っているのか赤らめた頬をしている父親を見て、普段ならばまた癇癪を起したかで済ませる幽子だが、今回は訳が違っていた。長久に見せる為に作った料理をひっくり返された事に怒りを露し文句を口にしようとした幽子だが、父親の振るった右拳が殴り飛ばされ小さな呻き声と共にその場に崩れ落ちる。
「くだらん事をして、手に怪我をしたらどうするつもりだッ! お前の価値が下がるだろうがッ!! そんなコトは雇われの者にやらせておけばいいのだ!!! 良いか! お前は私のいう事を……なんだ、その目は私に文句でもあるのか!!」
殴られて倒れている幽子だが睨む事を止めず、その反抗的な表情に父親はますます激昂し、耳障りな金切り声で幽子を怒鳴りつける。酔っている上に頭に血が昇っている父親は意味のある言葉を発しておらず、言うだけ言って満足したのかワインのボトルを手にキッチンを出て行った。
「人間の屑め……ッ! 折角作ったと言うのに……」
殴られた左頬は青黒く腫れていた。だが幽子にとっては頬の痛みよりも、自分の作った料理を引っくり返された事に対する悲しみによる胸の痛みのほうがずっと痛いのだった……。だが幽子にとっての悲劇は今日から始まった。酔いが覚めた幽子の父親である狭間議員は自身の部下にある命令を下した。幽子が自分に逆らう意志を見せた、従順だった幽子を変えた誰かがいる。それが誰なのかを調べろと言う命令を下し、その命令が幽子をより絶望の中へと沈める事になる。
「な、長久……? だ、誰か! 誰か救急車をッ!! お願いだッ! 救急車を呼んでくれッ!!」
雨の日のある日――水溜りを己の血で真紅に染め、ぴくりとも動かない長久の傷を制服を真紅に染めながら両手で押さえて少しでも止血をしようとする幽子の悲痛な叫び声が街へ響き渡るのだった……。
1周目の世界 孤独の女神 第4話へ続く
次回から少し悪魔や悪魔召喚プログラムを出して行こうと思います。この世界のTSしている狭間はかなり酷い目にあいますが、決して曇らせが好きと言う訳ではないので、そこだけは勘違いしないでください。ただシナリオ上必要なだけですので、それでは次回の更新もどうかよろしくお願いします。