西暦2005年。
中学三年生となった輝夜は前世の情報通りに成長してゆく。
煌めく濡れ羽色の黒髪。肌は穢れ知らずの処女雪色。女性らしく華奢な体躯は黄金比率の体現を始め、静謐と神秘の掛け合わさった、闇夜へ輝く月を想わす幽玄の美貌は限界知らずに増すばかりであった。
其処へ幽かと残る幼さが未だ青い少女性に拍車を掛けていて、産まれながらに同性愛の性癖を植え付けられてしまった彼女は常日頃から忌々しく思い零す。
「どうして私の理想の相手がココにいるのよ……!」
輝夜は記憶がなくとも前世の想いを継ぐ存在だ。
否、継いでしまった存在である。
魂へ刻み込まれた性癖は前世の影響を直に受けていた。
必然。
男が嫁とした『蓬莱山輝夜』は彼女にとっても嫁であった。
オタク用語の『嫁』を定義するならばだ。
謂わば己の理想を詰め込んだ究極的な恋愛対象。次元すら飛び越えて、触れることは疎か言葉を交わすことさえ出来ず、ただ一方的に想い焦がれ情念を向けるしかない存在を指し示す。
輝夜にとって恋愛兼性的対象とは、趣味趣向を抱き合わせた理想像とは、二次元存在たる『東方Projectの蓬莱山輝夜』其の人であった。鏡を見れば何時も其処にはその理想に近い相手がおり、年々己が求めた究極的美少女が完成されてゆく様子は、同時に彼女へ途方もないもどかしさを抱かせ続けていた。
何せ其処にいるのだ。
絶対に叶わぬ恋した相手。
二次元の嫁が目の前にいるのだ。
初めから触れられない相手であれば。
画面の向こうの二次元でしか在り得ない存在であれば。
輝夜は前世にいたオタク同様に、三次元には興味の欠片すら抱かず、二次元に恋するユリ女子として人生を謳歌できていたかも知れない。
「其処にいるのに……、運命の相手が其処にいるのに……」
輝夜にとって憧れの女性像が『蓬莱山輝夜』であったならば無問題。成りたかった自分に成れて、第二の人生を華々しく生きていたであろう。
だが、しかし。
輝夜にとって『蓬莱山輝夜』は憧れの対象ではない。
成りたい存在ではなかった。
抱きしめたい対象なのだ。
にゃんにゃんしたい相手なのだ。
手を繋いで買い物へ、海へ、山へ、そしてホテルへ。
自身の想いの全てをぶつけたい相手であった。
「理想の恋愛対象に自分自身が成ってどうするのよ!」
『俺の嫁』が実在してしまったにもかかわらず。
現状、当人たる輝夜だけは絶対に結ばれない形と成った。
「やっぱりこれは呪いよ! ああ、まったくもって苛立たしいったらないわね! ほんと理想通りよ私!」
輝夜は『蓬莱山輝夜』と成って今日も脱衣場の鏡を眺めた。
無論、いろいろな意味でだ。
「姫、ひとりで何を騒いでいるの? そろそろ学校へ行く時間よ。 ……姫? 姫っ! はぁ……もう、ちょっと輝夜! いい加減にしなさい! 学校、遅刻するわよ!」
15歳の中学三年生。
実家は富豪のお金持ちで。
誰もが惚れ込む容姿はまさしく至宝とされていて。
学校では小学時代から成績優秀文武両道にもかかわらず。
素行は極めて不良を貫くクイーン・オブ・アウトロー。
「…………はぁい。 いま出るわよ、えーりん」
鏡に恋する元男乙女。
それこそが教育係に頭の上がらない蓬莱山輝夜である。
「人生ままならないものね」
/
淡い桃のシャツに羽織った上着は有名ブランドの特注品だ。
洋物のジャケットへ和風の袖を付け足して、大きなリボンとうっすら描かれた朧月の雲紋様。シャツの色と合うように、わざわざ同じ染料を用いて誂えさせた其れは輝夜一番のお気に入りだ。
そして上着が和装を意識したものであるならば、当然の如く下も和風に揃えて然るべきであろう。
意識したのは十二単。淡い桃の上に対して下は鮮烈な朱だ。
上着同様に薄く描かれた紋様は、金糸で編まれた竹に竹の葉。桜と梅の花に紅葉。裾にはフリルを拵えてもらっていた。
靴はロングのブーツ。
靴底に鉄板入りの機能重視だ。
鞄は持たない。
輝夜は女の子ゆえにP◯Pより重い物は持たない主義だ。
「良し、今日も完璧な『
時刻は通学前の朝早く。
輝夜は玄関横の姿見を前に、軽やかに回って口零す。
遠心力で花開く様に広がり踊った超ロング丈のスカート。十二単を意識した割には薄手の布地が、ブーツを覆い隠せば準備は万端となった。
爪先で二度三度、床を蹴って彼女は笑う。
呪いだ何だと言いながらも、彼女はこの瞬間を好んでいた。
この『
絶対に結ばれなくても、鏡の中へ完成された嫁が映り込む。
「我ながら矛盾するけど……どうしようもなく好きなのよね」
いつも通りだ。
あの『蓬莱山輝夜』を直接見られて歓喜する魂。自分の意志とは無関係に、『
苛立ち、忌々しく思う。
腹立たしくて、己の奥底を力の限りに掻き毟りたくなるのだ。
そうして彼女は、蓬莱山輝夜はいつも外へ出て行く。
だから彼女はいつも不機嫌そうに顔を顰めて門を潜るのだ。
「あ、姫! おはよー!」
「ハヨ、輝夜」
「おー輝夜、おはよ」
都内の一角へ堂々と居を置く、武家屋敷染みた蓬莱山宅を出て十数分。中学へ入って毎朝々々同じ場所で屯して、輝夜を出迎える三人組みの顔を見れば彼女は楚々と口開く。
「三人ともおはよう。エマは今日も元気ね、素敵よ」
不機嫌であった輝夜が神々しくも穏やかな笑顔を向けた先。其処に立つのはガラの悪い二人組で左右を挟まれた、金のセミロングを左肩へ流し落とす美少女であった。
名を佐野エマ。
彼女は輝夜の小学時代に出来た妹分にして大親友であり、エマの横で呆と棒立つ腐れ縁の幼馴染、佐野万次郎の義妹でもあって、万次郎とは逆位置で棒立つ金の辮髪に蟀谷へ龍のタトゥーを刻んだ男、龍宮寺堅の彼女というとんでもない肩書を併せ持った存在である。
「えへへ、ほんと? ありがと姫!」
「おい輝夜。オマエいつも逢う度にエマ口説くなよ」
「輝夜ってばエマ好きすぎっしょ」
ケタケタ愉快そうに笑う万次郎に反して、疲れ切った顔でボヤくのは龍宮寺堅ことドラケン。またの名をケンチンである。
彼は小学五年生の時分。
鮫島一派を切掛けとして出会った万次郎と輝夜に惚れた。
以降は今日日今までほぼ毎日ふたりにくっついて回っていたはいいものの、結ばれた恋人から毎回のように自慢されている、姉貴分の輝夜との惚気話へ付き合わされて辟易していた。
無論、嫌いという訳ではない。
ただ、余りにも幸せそうに語る恋人に疲れたのだ。
そして、少しばかりの嫉妬もあった。
「なら別れたら? エマは私が責任を持って幸せにするから」
「やだ! 姫ってば大胆! でもそこが素敵!」
「ウケる、てか俺はー? 輝夜、俺も幸せにして」
「黙ってなさい
堅の嫉妬を煽る様に、さり気なく、それでいて力強く。
エマに寄った輝夜は彼女の腰を抱いて言った。
にっこり笑顔の万次郎に関しては、輝夜は視線すら向けていない。
彼女にとって万次郎は、足元へじゃれつく犬程度の認識であった。
落ち込む万次郎。笑顔で堅に敵意を向く輝夜。彼女の胸に顔を埋めて、頬ずりを行うエマは存外に顔がガチである。
その恋人の桃色状態に堅は頭を抱えて項垂れてしまう。
「あー……別れねえから。おら行くぞー」
「あら、残念ね。あなたの旦那はあなたを手放さないそうよ」
「知ってる! ウチら相思相愛だもん! 当然、姫もだよ!」
「無視? ウケんだけど」
ここまでがいつも通りの挨拶であった。
エマが入学して以来、四人は何時もこうして学校へ向かう。
万次郎の自転車の荷台へ輝夜が横乗り。
堅の自転車の荷台はもちろんエマだ。
道中エマは堅に万次郎にと、次々に話題を振ってはおちょくってゆく。そうして若い少年少女の談笑を耳に、精神年齢五十間近の輝夜はいつも通りにひとりPS◯でゲームへ勤しむ。
「姫はまたゲーム? 今度は何やってるの?」
「C◯DED ARMS……FPSよ」
「FPS……? 輝夜はほんとゲームばっかだな」
「俺さ、輝夜にゲームで勝ったことねーわ」
携帯ゲーム機が充実し始めてしばらく。
輝夜は何時でも何処でもゲーム、ゲーム、ゲームとなっていた。
そんな輝夜のゲーマーぶりを知っている面々は、基本的にゲーム中の彼女の邪魔はしないのだがしかし。今日はそうもいかない事情があった。
「悪いが輝夜、ゲームは後にしてくれ。三番隊の話だ」
堅の一言で雰囲気は一変した。
和気藹々とした空気は霞み、刺々しいモノと化す中。
しかし未だ手を止めない輝夜は抑揚のない声で報告する。
「三番隊所属、清水将貴の噂は黒よ」
淡々と、手を止めることなく。
FPSの世界で眼前の敵を殺しながら輝夜は言葉を紡いだ。
「三中近くの公園で定期的に喧嘩賭博を開催していたわ」
万次郎は、堅は、エマは、平坦な彼女の声を静かに聞いていた。そうして次々と明かされてゆく事実に、万次郎と堅の眉間にシワが寄り、輝夜の締め括った言葉に殺気立つ。
「