唸る重低音。迸るフロウ・アンド・ライム。狂ったように暴れ回るレーザー光線とスポットライト。フロアには誰かも知れない男と女が踊って叫んで酒を飲む。
それを「足りぬ」と煽って歌うはステージ上のマイクスター。
ビートを上げろとスターが言う。
テンション上げろとスターが叫ぶ。
会場が、空間が、爆ぜた音の嵐に揺れ動く。
男が笑ってステップを踏み、黄色い悲鳴が湧き上がる。
女は得意気に腰を振り、周囲の視線を奪ってゆく。
酔わない者など在りはしない。誰も彼もが空気に酔いしれるそこは渋谷の神南。若者の遊び場が一つ、『Club Ibuki』の名で知られる会員制のナイトクラブであった。
足を踏み入れるのは当然『らしい身なり』の者ばかりであり、『暗黙の了解』とも言えるドレスコードをみなが守っている。
定められたからではない。
そうあるべきだとみなが認識しているのだ。
「盛り上がっているわね」
輝夜はそんな場所へ、VIPとして足を運んでいた。
フロアで踊り酒を飲みかわす一般客とは違う。
二階のVIP専用のVIPルーム、その展望席だ。
其処は一般会員が決して足を踏み入れることの出来ない、床と三方がマジックミラー張りでフロアを一望できる特別席であり、なおかつ利用するには巨額の富を必要とされる部屋であった。
輝夜はそのVIPルームの中央に敷かれた真紅のカーペットの上。さながら玉座がごとく置かれた革張りのソファにひとりくつろぐ。
ソファの前にはシンプルでいて格調高いガラス細工のテーブルが一つある。その卓上には各種フルーツの盛り合わせやナッツ類が上品な器で並び、未開封のボトルと返されたグラスが見本品のようにセットされていた。
それはつまるところの輝夜がなに一つとして手に取っていない証拠である。同時に、彼女がこの場へと長居する気がいっさいないことも意味していた。
「輝夜、入っていい?」
フロアと完全に遮音された部屋の外。部屋唯一の出入り口に設置されたドアフォン越しに、機械混じりの音声が輝夜を呼ぶ。
その音声に彼女は視線をやることなく答えた。
「ええ、どうぞ」
瞬間。
輝夜の返答へ応えるようにして開いた扉から、音の濁流が怒涛の勢いで流れ込む。静寂を押し流してゆくクラブミュージックは、和を愛する彼女の趣味趣向にはとんと合わないものであった。
「……よくもまぁこんな大音量で、耳は大丈夫なのかしら」
なればこそ、輝夜にはフロアのみながノる音楽は騒音以外のなにものにも聴こえず。彼女の誇る黄金比率の美貌が幽かに歪み、言外に不愉快であることを物語っていた。
「アッハハ、大音量って轟音フカす輝夜がそれ言っちゃうんだ」
扉がひとりでに閉まり静寂の戻った部屋で輝夜のぼやきに答えたのは、東京卍會の特攻服に身を包む虎色ヘアの少年。首からも虎柄のタトゥーが覗き全身で虎を主張する少年は、右手に一人を引きずり左肩に一人を担ぐ、計二人の人間を運びながらもヘラヘラ笑って輝夜の前へと歩み出る。
そうして、連れ込んだふたりをゴミのように投げ捨て言った。
「はい、コレが
「へぇ、それはそれは……ご苦労さま一虎」
瞳を細めて薄笑う輝夜は、労う羽宮一虎へ見向きもせずに続ける。
彼女の視線はガラステーブルの向こう側。横たわり苦しげに呻くだけの、血に汚れた傷だらけのふたりへと注視されていた。
「さて、来てくださってどうもありがとう。会えてとても嬉しいわ」
優しく自愛に満ちた聖母のごとき声音で輝夜は言う。
されど声音に反してひどく凍えた人間味を感じさせない夜色の瞳に、身内である一虎の頬を一筋の汗が伝い落ちてゆく。
輝夜の瞳が
「ほんとうに、ほんとうに会えてとても嬉しいのよ」
そう言って笑みを深めた輝夜はソファから立ち上がると、足音を立てずに優雅な所作でガラステーブルをゆったりと迂回しながら口開く。
「
輝夜の美声で流麗に紡がれたのは万葉集が一首。彼の書に数多くの和歌を残した偉人、大伴坂上郎女による恋情の歌であった。
「きっと大伴坂上郎女もこんな気持でこの詩を詠んだのね」
その意味するところは「私はこのごろ千年の時を待ち遠したように思います。ああ、あなたに逢いたい」である。
無論、これは輝夜による盛大な皮肉だ。
彼女が男に恋い焦がれることは永遠になく、和歌や古典文学を愛好する輝夜が詩の意味を違えることもない。
「あなたたちもそうは思わなくて?」
クスクスと忍笑う輝夜の声に、倒れたふたりが顔を上げる。
そうして四つの瞳に映り込んだのは、軍人。某国の
黒のワイシャツにきっちり締められた黒ネクタイ。膝下まである黒の上着はすべての釦が閉じている。腰元にはしっかりと黒革のベルトが巻かれ、ゆるりと膨らむ胸元では『天上天下唯我独尊』の文字が、右腕には『暴走卍愚連隊』、左腕には『初代参謀副総長』、そしてその背中には『初代東京卍會』の金の刺繍が輝いていた。
上着の裾下からわずかに覗く黒のボンタンは、黒革のロングブーツに隠れてほぼ見えない。加えて彼女は黒革の手袋まではめており、まさしく全身が黒一色。肌色の見える場所が顔以外にはなく、黒髪も相まって白磁の美貌がよりいっそうと際立つ。
『東京卍會・初代参謀副総長・戦姫の輝夜』
またの名を『輝夜姫』が、戦装束をまとい其処にいた。
笑みを湛えて、嬉しげに、楽しげに、風雅を装う。
その瞳はどこまでも暗く、奈落を想起させてやまない。
「……ねえ。聞こえていて?」
輝夜の静かな呼びかけに、這いつくばるふたりの肩が跳ねた。
中学三年生の少女よりも明らかに年上であろう、成人を迎えているかもわからない大の男たちの瞳が滲む。
「なん……で、お」
輝夜の圧に耐えかねたのか、ぽつりと男のひとりが口開く。
震えで噛み合わせが悪く、言葉はたどたどしく覚束ない。
「……、「なんで」なにかしら?」
輝夜は一歩、問いながら言葉を発した男へ寄る。
その距離は、彼女の足が男の頭を潰せる位置取りであった。
星一つ見えない夜空の瞳が、涙ぐむ男の瞳を覗き込む。
「な、なんで、おま、東ま、が……か、かわ」
「ああ、あなたたち……自分がここにいる理由を理解していないのね」
断片的な男の言葉に、輝夜は納得顔で笑みを深めた。
そこから好意や友好を感じられはしない。
男たちの震えが増してゆく様を、一虎が呆れ顔で眺めていた。
「そうね、そうよね。わからないと怖いわよね」
しげしげとひとり頷いて、輝夜は右手の人差し指を立てた。
そして、一言。
「小野ヶ崎春恵」
沈黙していた男の肩が、わずかに反応するがしかし。
輝夜は次に中指を立て、ピースを作って続けた。
「上南宇江弓子」
そうして順々に、輝夜は指を立てて女性の名を上げてゆく。
ゆっくりと、知らしめるようにして名を上げる。
右手では足りずに左手を、それでも足りずに折り返す。
その指が一本上がるたびに、その指が一本下がるたびに、蓬莱山輝夜という少女の中から、人としての大切な熱が消えてゆくような錯覚を一虎はひとり覚えていた。
「御瀧園彩」
二十三人目、そこでようやく輝夜は手を下ろした。
VIPルームに痛いほどの沈黙が広がる。
男たちは上げ連ねられた名に心当たりがあるのかないのか、輝夜の視線を避けるようにして頭を垂れて震えるだけであった。
「クラブ」
ため息一つ、輝夜は次に単語を並べだす。
ナンパ。カラオケ。ボックスカー。公園。廃ビル。次々と淀みなく上がる単語に男たちはただ震え、ふたりを見下ろす輝夜は淡々と続けてゆく。
その内容は徐々に物騒加減を増し、彼女は終に核心を口にした。
「強姦、集団暴行、薬物強制投与……まだ、足りなくて?」
雅やかな少女の口から零れた言葉は、男たちの悪行のすべてを物語っていた。
蓬莱山輝夜や羽宮一虎のような暴走族とは違う。
彼らは神南を中心に都内で女性を襲い、動画と写真をネタに売春行為や性的奉仕を強要する性犯罪グループの中心人物であった。
きっかけは輝夜が友人から受けた相談だ。
曰く「生真面目な友達が見知らぬ年配の男と連日合っていて、しかも相手が毎日違う」というものであり、「日に日に顔色も悪くなっているし、深夜に遊び歩くような娘じゃないのに今も電話を片手に寮を出ていってしまった」という内容であった。
当然、仲の良い同性からの相談に輝夜は即時行動を起こす。
それが7月7日をまたぎ8日へ入った深夜のことである。
そして輝夜は迷わずに情報を求めた。
求め先は彼女が「イナバ」と呼んで重宝している、都内在住の蓬莱山輝夜を信奉する信者たちである。
その数は優に500を越え、深夜にもかかわらず輝夜の出した「情報求む」の一斉送信へ、多くの信奉者たちが我先にと応えた。
結果、輝夜は日付の変わった7月10日の深夜。すなわちほんの一時間前まで携帯を片手にディスプレイと睨み合い、そうして集まった情報を元に仲間を引き連れ『Club Ibuki』へと愛車を乗り付けたのである。
「そう……。あなたたちがそこにいて、私たちがここにいる理由はあなたたちよ。それを理解できたのなら次は、」
懺悔の時間よ。
そう言って、微笑む輝夜は男の頭を目掛けて足を踏み降ろした。