【完結】キアラの望みを叶えるために、全能の神が君臨するお話【挿絵有り】   作:ロウシ

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突然の新章本当に申し訳ない


世界中に花束を
第一話:何故だろう何もないな、あんなに欲しかったのに。あるのは寂しさと、霞がかった空だけ


 

0.

 

 

 追い詰めたはずの屋上。

 対峙するのは男女がひと組。

 血に染まった赤く、真黒い男。

 麗しき衣に身を包んだ、神聖溢れる女性。

 男の全身に塗りたくられているねばこい赤は、全て返り血である。

 

 ここにくるまで、いくつもの屍を生み出した。 

 迷いなき善意と、文字通りの狂信へとその姿を変えた執着のみを携えて、信徒たちは男へ縋りついた。

 その歩みを止めんとすべく。

 しかし、誰ひとり武器を持たなかった。

 男に向けられたものに、殺意や敵意の類はほとんどなかった。

 銃を持つ敵対者に対し、列を成して群がる、素手の彼らが持つものは、狂信の他には哀しみと、助命の嘆願であった。

 自分の命ではなく、女の命を乞うているのである。

 

 殺さないでくれ!

 

 恐怖ゆえの言葉である。

 だが、その言葉が指す方向は、己の命ではない。   

 

 彼女を、殺さないでくれ!

 わたしたちから、彼女を奪わないでくれぇぇ!!

 

 血を吐くような言葉であった。

 魂を放り出すような言葉であった。

 終いには、もはや言葉の体裁は整わず、猿叫の類であった。

 しかし、それは紛れもない善意から滲み出て派生する、心配と恐怖の感情を煮詰めたものでできていた。

 男の鋭い殺意に、その双眸が見据える先を、信徒たちは見ていた。

 男が成そうとすることを、その未来を。

 その未来は、信徒たちにとって、この世界を闇に落とさんとする、夜の使者の悪業の果てである。

 何人倒れても、それを踏みつけてでも、男の腕に縋りついた。

 

 ああ、あのヒトを殺さないでおくれ!

 わたしたちの居場所を、奪わないでおくれよ……!!

 

 重石となるべく縋り付く者たちを、しかし、男は容赦なく撃ち殺していった。

 何故なら、理屈の上では──彼らもまた、人の世に必要ない者たちであったからだ。

 人の世に、混乱と災いをもたらすと、定められたものだったからだ。

 社会に、である。

 秩序に、である。

 その心にあるものが、底の底から善意のみであっても。

 その身体から発信されるシグナルが、喩え優しさだけだと伝えてきても。

 ()()()()()()()から、彼らは人の世に害をもたらす寄生虫だと断ぜられた。

 せめて、光ある世界で息をしなければ、まだ、安然とした夜の世界に身を潜めていれば、生きることだけはできた人々でもあった。

 

 だが、そうはならなかった。

 審判は降った。

 他ならぬ人の意志で。

 

 新興宗教。

 世に食いっぱぐれた天才、異才、異能者、異端者を抱え込むカルト教団が、その勢力を伸ばしている。

 各々の国、あるいは村の規模ではありがちな話である。が、今回は規模が違った。

 それは、国を跨いでいた。

 人種間の差別やくだらぬ秩序の壁を悠々と乗り越えて、手を取り合っていた。

 熱力学と社会性の上辺だけが成熟し、もはや腐り果てるこの時代に、彼らは時代錯誤も甚だしいバベルの塔を打ち建てんとしているのだった。

 ならば、炯々たる正常で全能なる神の信徒たちが、それを赦せるはずはない。

 その歴史に置いて、人々が手を結び、飛躍的な協力と発展から神の膝下に立たんとしたことに対し、神からの返答は『全能の雷』によるバベルの粉砕であったのだ。

 ならは、彼らの存在は今の人の世。

 今の神の麾下においては、叛逆の(ともがら)に違いない。

  

 だから、男が派遣された。

 だから、男はここにある()()たちを殺している。

 

 必要とされるものが残り、そうでないものは排他される。

 かの時代に行われた魔女狩りのように。 

 あの頃に比べれば大々的かつ残忍ではなくなっただけで、現代においても異端者が社会から弾き出される道理(システム)は、依然存在し得るのだ。

 むしろ、よりシステマチックに集団社会(コミュニティ)が形成される現代だからこそ、夢を見る時代は終わったのだ。 

 科学が宗教に代わり、秩序の道を開拓し、万能の信仰を集めることによって、異端が許容される世界は所詮まやかしに過ぎないことを浮き彫りにしているではないか。

 

 そして──目の前の女が浮かべるものは、あるいは同情の笑みであった。

 

 女は躊躇なく飛び降りた。

 

 止める暇も無かった。

 女の動きは妙に緩やかだったが、そのタイミングが巧みであった。

 男の心の隙間をするり、するりと抜けて、巧みに行われた。

 女の身体が眼前から消え失せた瞬間、男は自身の心にどす黒い染みが広がるのを実感した。

 

 あれは、いつのことだったろうか。

 その始まりが、いつだったかと言う話だ。

 善を成すために、生きていた。

 犠牲としたもののために、生きていた。

 そのために、人を殺した。

 殺し続けた。

 必要とあらば。

 抑止として、守護者として。

 殺し続けるうちに、男は気づいた。

 殺す対象が善人か悪人かと言うことは、関係がないということに。

 人の心にある善悪は、その行動として抽出される際に、素直ではない。

 心の情熱と行動の不均衡は、ヒトが善を成すか悪を成すかを単純に決めるものではないと知った。

 

 時には──例え用のないほどの巨悪が、弱者を救う限りない善を生んだ。

 時には──比類なき善意が、取り返しのつかぬ悪へと、人を堕とし続けていた。

 

 男は、正義の味方として活動を始めてから、この世を構成するものは善悪ではないと、すぐに気づいた。

 二元論的な視野で人の世を見ることは、正義か、悪を成すものとしては、嫌悪して然るべきことなのだと悟った。

 

 それでも──男は、自分を変えられなかった。

 それでも、男はやり方を変えられなかった。

 

 果たして、その後悔の念であろうか。

 代わりと言わんばかりに、男は死にゆく彼らの最期を、心に縫い付けた。

 向けられる怨痕憤怒を真っ向から抱きしめて、己が四肢に縛り上げた。

 それを、重石とした。

 罪人が抱える重石と。

 罪人が償う罰とした。

 やがて、それに耐えきれなくなる時が来る。

 心か、身体が先かはわからない。

 だが、筋骨神経の一本動かせなくなるほど、重くなる時が必ず来る。

 その時が、清算の時だと願っていた。

 その時まで、歩き続けるつもりだった。

 

 その渦中で、良心と憧憬はことごとく引き裂かれた。

 焼き尽くされ、灰となり、心の闇にとうに沈んだ。

 限りなく沈んでいく。

 そのたびに、まだ、底があるのかと、何度も思った。

 人に内在する闇は、段階を踏むが底知れぬ無限であった。

 誰もが持ちうる底冷えするような、残酷な領域にその心は堕ち続けた。

 あっけないほど、抵抗なく。

 良心と憧憬に与するものが、そこに、溶け入るように、激しく砕けていった。

 それは、理性だった。

 あるいは、感情と呼べた。

 人間の精神を組み上げる善性が、爆竹のようにパチパチと衝撃に波を立てて、飛び散った。

 感傷に色付ける油絵具たちは、心を縁取るガラス玉の中で、混ざり混ざって(にび)色と成った。

 すなわち、死の色である。

 タチが悪いことに、死の色と化した心の闇は、落ちゆく善性を踏み台に、その肉の外に露出する。

 それは、特に、引き金を引く時に現れた。

 誰かに死をもたらす時に、喜び勇んで男から溢れ出た。

 

 はやく、撃て。

 殺せ!

 善のために。

 はやく、はやく。

 人が死ぬところを見せてくれ!

 

 耳元で囁き、引き金を引く指を囃し立てる悪意に、しかし、男は抗った。

 人を殺す──それを勲章の如く誉に感じる悪意を、頑なに突っぱねた。

 それに身を委ねたら、どれだけ楽だったことか。

 殺人と殺戮の旗印として、正義を掲げることができれば、どれほど救われただろうか。

 だが、それだけはできなかった。

 一線を超えることだけは、できなかった。

 

 あの日までは。

 

 目の前で、女が落ちていく。

 突き落としたのではない。

 銃口は向けていたが、なぜか、撃つ気が削がれていた。

 女の言葉は魔性を孕んでいた。

 女の目つきは、快楽と愉悦によどんでいた。

 こちらのことを、嘲笑う顔をしていた。

 哀れな童と笑っていた。

 命尽きるこの時。

 命刈り取る死神の訪れ。

 この瞬間を、期待して待っていた顔だった。

 女は、自ら命を手放した。

 微笑みを浮かべ、目を閉じ、躊躇いなく死の深淵にその身を投げた。

 

 男にはわかっていた。

 その時点で。

 奈落に落ちるのは、女ではない。

 目の前で落ちゆくそれは、己の最後の理性であった。

 贅肉を削ぎ落とした結果、なんともか細く頼りなくなった細枝のような、己がしがみついていた、わずかな正義感であった。

 積み上げた犠牲者の怨痕が、女の跡を追いかけるように手を広げて、招く深淵に呑まれていく。

 落ちた女を、しばらく経って、目で追った。

 放心のまま、覗き込む。

 女は、地面に横たわっている。

 物理法則は極めて従順に働いていた。

 彼女の信者が縋り付いていた奇跡など、宇宙法則そのものである、万有引力の普遍性に抗えるはずもない。

 奇跡は起こるはずもなかった。

 つまり、あの女は救世主(キリスト)のように生き返ることもない。

 それも当然。

 あの女は、救世主ではないからだ。

 アスファルトに叩きつけられた衝撃で、女は腰から砕けて、上半身と下半身が別れていた。

 身体そのものはかろうじてその原型を保っているが、飛び出した内臓と大量の血液が、なぜか左右対称に()()()に拡散して、さながらロールシャッハテストのようだった。

 光を失ったその顔だけが、異常なまでに美しかった。

 何の汚れも、血もついていない。

 光はない。

 だが、死人の浮かべる輝きではなかった。

 慈母の笑みを浮かべていた。

 それは、女が自分に向けたものである。

 自己満足の果てに、作られたものだった。

 

 それを見た瞬間に、崩れ去った。

 男を形成していた全てが。

 男をかろうじてここに立たせていた、尊厳が。

 正義が。

 そよぐ風に逆らえぬ綿毛のように、音も立てずに空へと抜け落ちた。

 膝から、へたり込んだ。

 立っていられなかった。

 涙は、出なかった。

 代わりに、涙以外の全てが流れ出た。

 

「ぐ……う……お、ぉっ……」

 

 声が、出なかった。

 善き人を救うはずだった。

 だが善き人を殺した。

 だが、結果的に悪は死んだ。

 教祖たる女は死に、女が作り上げたカルトは滅んだ。

 人の世を狂わす魔性は、ここに斃れた。

 オレは、間違ったことはしていない。

 正しいことをしたはずだ。

 

 正しいことを……

 

 ………………

 

 言い訳を脳につぶやいて、男は歩き去った。

 

 そして、後日。

 女は、女を教祖と慕っていた信者の残党によって、神へと祭り上げられた。

 男は、建てられた祭壇──犠牲者を弔う為に、国連から造られた形だけの石碑に──信者たちが花と、信仰と、祈りと、愛を捧げているのを見た。 

 涙を流し、それに縋り付く様を見た。

 

 『死の瞬間まで、我らと共にあった、慈しみの聖女』。

 

 彼女はこの世界で、そう成ってしまった。

 オレが、殺したせいで。

 彼女はこの世界で恒久の愛と正義となり、

 オレは、永遠(とわ)の罪人となった。

 

 

1.

 

 

 エミヤ[オルタ]は藤丸立香たちと行動を別としていた。

 側に浮かぶは金星の女神たるイシュタルである。

 パッションリップを救いにいくなどと、馬鹿げた善性に従って死地に飛び込むことを、エミヤ[オルタ]は滑稽だと思った。

 それを汲み取ったのが、よりによってBBであったのは正直癪な話であるが、自分だけがBBと個別に話をつけ、セラフィックスの真実の探求のために行動を開始した。

 

 イシュタルは、そのお目付役といったところ。

 KPを撃ち抜きBBの支配から解放しても、なお付き纏う物好きである。

 神とは身勝手なもの。

 言って聞かぬ存在で元々。

 だから、放置する。

 邪魔をすれば改めて射殺すればいい。

 道に塞がるなら撃ち抜いて切り開く。

 今更神殺しに戸惑いと禁忌を覚えるほど若くはない。

 

 たどり着いた研究室。

 無事であった三人の科学者。

 この異常事態において、生命力と情熱に身をたぎらせる彼らに、苛立ちを覚えつつ、セラフィックスの内情を吐露させる。

 

 判明したものは、セラフィックスの目的。 

 超大型礼装の開発。

 地球との対話。

 そのために、若く才ある魔術師たちの消費。

 露見した目論見、予見していた通りの邪悪さに、やはりな……とエミヤ[オルタ]は眉を顰めて深く息を吐いた。

 

 弱者からの搾取。

 何も知らぬものを、崖っぷちに追い詰めて並べ、ひとりひとりを崖下に突き飛ばすような非道。

 飽き果てるほど見た行いだ。

 魔術師というものは、どうしてどの世界もやることは同じなのか。

 銃を握る手、その内に、じっとりと汗が滲んでいる。

 戸惑いが滲み出たのか。

 いや、そんな感傷が、この身に残っているはずはない。

 

 ひとしきり話を聞き終わる。

 その口ぶり、三人の科学者は己の末路を予見している。

 説明が終わると同時に一変した表情──やはり、イカれた笑顔なのだが──とその言葉に、名残惜しさを含ませていた。

 

 エミヤ[オルタ]は銃口を向けた。

 そして、引き金を引き──

 

 その手から、銃が消えていることに、ようやく気づいた。

 

「!?」

 

 その目がぐわりと、彼らしからぬ驚きに広がった。

 銃は、抜いた瞬間には確かに存在した。

 銃口を向けると同時に、トリガーから伝わる重さは確かにあった。

 手が、グリップを握る形をしている。

 だが、握っているものは(くう)であった。

 それを認識して、はじめて手の中から鉄の重さが消える。

 イシュタルに、意識のみを向ける。

 彼女も、驚きの感情が見てとれた。

 

 イシュタルではない──!

 

 三人の科学者へと目を配らせる。

 変化、変質はないかと目を凝らす。

 三人は、もとい三人のリーダー格の、老科学者は笑っていた。

 先ほどのイカれた笑いではない。

 それは、こちらをハメた故のそれでも無かった。

 自分達に、予想していたが予想外だった出来事が起こった。

 そういう時に遭遇した顔であった。

 それは、例えるならギャンブルで大勝ちをした表情に近い。

 サイコロを転がして、賽で塞ぐ。

 丁半を当てるところを、ピンポイントで出目の数字を当ててしまった時のような……

 ともかく、三人の科学者たちにも、この本質は想定外であるらしかった。

 

「ぶっそうな話の途中にワルいんだがね──」

 

 おじゃまするよ。

 

 その言葉は、闇から投げかけられた。

 この場合の闇とは、エミヤ[オルタ]の意識外領域のことである。 

 常日頃から警戒網を、自身から隙なく広げることを欠かさぬ彼であったが、セラフィックスの真実は網の隙間を作り広げるほどに、彼の興味と関心を惹きつけていた。

 

 それは、闇から、姿を現した。

 

 魔性を孕んだ目つきであった。  

 ただ歩み寄る動きが、雅であった。

 流し目で、半目で、見に纏う闇に艶やかさがあった。

 大きな、それでいてしなやかな身体を持つ、男であった。

 

 

2.

 

 

 何者だ、というエミヤ[オルタ]の問いに、男は、

 

「『神』さ」

 

 と答えた。

 あっけらかんとしていて、その言葉の力を軽視するような色とリズムを刻んでいた。

 朗らかに、口笛でも吹きそうに、軽妙なそれであった。

 イシュタルが身を震わせた。

 口を結んで、唾液を飲み込む動きが視界に収めずともわかるほど、動揺している。

 自負と尊厳に身を委ねる事を常と振る舞う、彼女らしくない振る舞いであった。

 その存在が内包する、はるけき過去から現在までをも見通す目が、『神』を通して何を見ているのか、何を映し出しているのか、エミヤ[オルタ]には知る術はない。

 わかるのは、『神』の手には、エミヤ[オルタ]の銃が握られていること。

 銃口を自分の側に向け、銃身を握ってプラプラと、顔の横に立てて揺らしている。

 おもちゃでも扱うような気軽さである。

 そして、エミヤ[オルタ]の、ちょうど銃で人を殺傷たらしめる射程範囲まで、ずかずかと入り込み、銃口をその身に向けたまま、グリップと引き金をエミヤ[オルタ]に向けて、返却の意を示した。

 

「…………」

 

 何を考えている──

 そう考えるのは自然なことだった。

 試されているのか、オレは?

 そう思うのも仕方がない。

 神は、魔性にその身を浸らせて、口を縦に細めて、とらないの? と艶やかに言った。

 含みがある。その視線に。

 エミヤ[オルタ]は、ゆっくりとグリップを握り、引き金に人差し指を伸ばして、そのまま男の手から銃を抜き取った。

 見た目に損傷はない。

 小細工を仕込まれた形跡は、ない。

 

 訝しんで得物を見るエミヤ[オルタ]を見て、ひでぇなあ、と神は言った。

 掌を向けて、腕と手を少し広げて、肩をいからせるように上下する。

 やはり、挑発するような、戯けた言動であった。

 

 エミヤ[オルタ]はそれを意に返さず、言葉を発せず、ただ鋭く睨み返した。

 知っていた。

 生前の記憶から。

 こう言う手合いは、こちらの本意を抜き取らんとする輩である。

 真正面から対処していては、いつのまにか、こちらの心も身体も支配されかねない化け物である。

 話をしてはならない。

 神が身に纏う魔性を、エミヤ[オルタ]は理解している。

 神は、エミヤ[オルタ]の警戒を十全に浴びつつ、その上で、それを制御していない。

 だから恐ろしい。

 悍ましくさえある。

 会話を行えば、この男はこちらの存在を引き込まんと、軽やかに言葉を綴るであろう。

 こちらに首輪をつけて、猿轡を噛ませて、手綱を握らんとする。

 本来ならば、何ひとつ言葉を聞かず、相対の瞬間に射殺するのが最適解である。

 こいつが何者かは、どうでもいい。

 何者であるか、という問いかけを生じさせるのが神の目的なのだから。

 撃ち殺し、全ての事件が終わった後に、行くばくかの謎と痕跡が残るのだとしても、この手の類を最後の最後まで生き延びさせるよりは、しこりを残す方が遥かにマシである。

 

「なぜ撃てない? そんな顔をしてるな」

 

 その心を、神たる男は見透かした。

 刹那の動揺──しかし、平静を保つ。

 そう怖い顔をするな。そう言った。

 

「抱きしめて、キスしたくなるだろう?」

 

 ちゅっ、と神はキスを投げた。

 エミヤ[オルタ]の顔に青筋が走った。

 話をするべきではない。

 だが、話をせざるを得ない。

 神たる男は、ごく自然に、エミヤ[オルタ]と科学者たちの、間に立ったからだ。

 

 撃っても当たらない。

 そういう確信があった。

 邪魔だと力で払うこともできないだろう。

 ならば、話すしかない。

 

 観念に開きかけたエミヤ[オルタ]の口を、しかし、機先を制して閉ざしたのは男であった。

 うまいタイミングである。

 明らかに、見計られていた。

 

「俺と、組まねえかい?」

 

 何を考えている──?

 

 再び、同じ疑問が、ニュアンスを変えて頭に廻る。

 出会ってまだ、三分とたたない。

 お互いのことを何も知らない間柄である。

 いや、こちら側は、少なくとも男が超然とした存在であることは嫌でもわかっているが。

 この男の存在が、セラフィックス──ひいてはSE.RA.PHで渦中にある事件と何ひとつ結びつかない。

 サーヴァントではない。

 それはわかる。

 神、つまり超自然的存在の擬人化存在というのも、まあ嘘ではあるまい。

 だが、そんな化け物が、セラフィックスの何とどう関係していると言うのか。

 この事件の裏に、言いようのない苛立ちを感じていること。

 その苛立ちが、かつてどこかで味わったことがある気がするという、深い馴染みを感じさせるものであるということ。

 

 セラフィックス、BB、SE.RA.PH。

 カルト化した集団(コミュニティ)、ブッティズム的心理に背景に置いた権威主義的パーソナリティの発露。

 すなわち、暴力の解放とそれに伴う残虐性の解放である。

 汎人類史──というより、普遍的宇宙の時間の流れから、時層そのものがズレた世界。

 そこに、自分という要素を混ぜ込んだ場合に起こり得ること。

 

 なぜ、自分が選ばれたのか?

 なぜ、苛立ちと煽情にも似た感情をずっと抱えているのか?

 

 突拍子もないこの神と、自分。

 カルデアと、SE.RA.PH。

 そして、セラフィックス。

 それらを紐づけられるとすれば、その直感的嫌悪が関係しているのだろうか。

 

「なに、いや。別に契約しろとか、FA宣言しろって言ってるワケじゃねえさ。ただ、ここにいる間は俺と戦略的な──」

「……神とやら」

 

 ようやく吐き出せた言葉には、隠しきれぬ困惑があった。

 

「いくらなんでも、言葉が足りなさすぎるのではないか?」

「ああ……ああ、そうか。馴れ馴れしかったか。わりぃね。こっちはもう、気が逸って逸って、十年来の友の心地だったもんでね」

 

 神はけらけらと笑った。 

 無邪気な顔であった。

 

「だが、俺のことは、知ってんじゃないの? 礼拝堂の記録書の、『大きな男』。アレが俺だもんよ」

「────ッ!?」

 

 神が、既に降臨していた?

 いったい、どういうことだ?

 

「セラフィックスがこうなるまで、何をしていた?」

「人間観察」

 

 おまえさんも、よく知る人間のね。

 その言葉を聞いた時、エミヤ[オルタ]の心地は地獄を想起していたに違いない。

 這いずってその足跡を追いかけていた地獄が、とうとうその肩に手をかけた瞬間だった。

 

「もう検討がついているだろう?」

 

 礼拝堂の記録書を残した人物。

 終末的状況において、"光り輝けるもの"を気取っていた、哀れな女。

 

「セラフィックスを地獄に変え、己の世界へと変質せしめたのは、魔神柱と殺生院キアラだよ」

 

 

3.

 

 

「あの女か……」

 

 予感はしていた。

 予感が当たった。

 知った上で振り返るならば、感じていたうずきも、苛立ちも、全てが答えから逆算した証明式のようである。

 

「…………」

 

 イシュタルは沈黙していた。 

 その目が、今度はエミヤ[オルタ]へと向けられている。

 肉の(うち)に想起する過去を、彼女もまた……

 そして、かける言葉を探していた。

 迷い悩むに心を費やすその様は、神の気まぐれではなく、人の慈愛に等しい。

 エミヤ[オルタ]は、自分の心に際限なく湧き上がる真黒い衝動を抑えていた。

 不均衡と情熱。

 真黒い色ではあるが、燻っていた炎がめらめらと燃え広がって、自らの無念と尊厳のために、この世界を焼き尽くさんとしている。

 

「なぜ、これをカルデアに伝えない?」

 

 しかし、合理的な言葉を、彼は選んだ。

 引きちぎれかけた理性は、都合よく枯れ果てかけていた、彼の本能的欲求を抑えるに至る。

 神は、言った。

 

「向こうは、大丈夫なのさ」

 

 ただでさえねじ曲がった運命に従って、彼らは自ずと彼女(キアラ)の前に立つさ。

 そこから、エミヤ[オルタ]は、

 

「つまり……オレではヤツの前に立てんと言いたいのか……」

 

 神は大袈裟に手を振った。

 いやいやいや、そういうこっちゃねえよ。

 途中退場するから〜とか、そんなモンじゃねえ。

 

「オレがおまえさんを選んだ理由はそんなんじゃねえ」

 

 それは、

 

「おまえさんが、あの中でイチバン神秘的(ミステリアス)艶やか(セクシー)だったからだよ」

「…………なに?」

 

 その目だ、と指差す。

 

「暗い情念を抱えた眼だ。燻る炎が魂の底に根付いている。ハードボイルドだねえ。諦観、憤怒、愛憎、嫌悪……まあ、あんまりよろしくないとされる色だよな、それは」

 

 俺は好きだけどね。だが、世間はそうじゃねえ。

 だからよ、と続ける。

 いやに饒舌であった。

 

「この世に憎しみと憐れみしか抱けないと、そう思うならやめればいい。早いハナシが、常世に地獄を見るだけならば、それが嫌なら死ねばいいのさ。俺はいつだって、誰に対してもそう思ってる。『世の中クソだな』と本気で思うなら、さっさと死ねばよかろうと」

 

 目をぐわりと見開いて、神は言う。

 本気の目であった。

 

「だけど、人がそれでも生きちまうのは、生ある時間ってのが、前にしか進まねえからだよなあ。実際のとこ、時間の連続性なんてモンは、()()()()にすぎねえんだが……まあ人間ってやつの認識できる時間ってのは、死ぬその時まで前のめりだ」

 

 だから、死ねなくても仕方ない。

 俯きながら、とぼとぼ歩く。

 未来に向かって、歩かざるを得ない。

 死に向かって、死ぬ時まで。

 

 だけど、おまえさんは、死人じゃねぇか。

 サーヴァント。

 時間超越点の一種から、時空を跨いで派遣される情報複製体。

 その大半は死人のコピー。

 実際、召喚されたはいいものの、ソリが合わないと自害を選択するヤツも少なくないんだろ?

 

「そこで、おまえさんだよ。おまえさん、元はこの世界の抑止力の下っ端だろう? そういう経緯を得ているからか知らんが、なぜ、今をもって現実に嫌悪を抱えたまま、ここにいるんだい?」

「────!」

 

 諦観に身を沈めつつ、やらなきゃ気が済まねえのか?

 カルデアのマスターたちのアマちゃん振りに呆れつつ、その助けをしなきゃ気が済まねえのか?

 矛盾だ、それは。

 生きることを地獄と思いつつ、そこにかすかな希望を見出して、縋っていやがる。

 人間的矛盾。

 人間的不合理。

 この在り方を、神秘的(ミステリアス)艶やか(セクシー)と呼ばず、なんとする?

 他に、例えが思いつかねえなあ、俺には。

 おもしろすぎる、あまりにも。 

 

 ……あの女も、かつてはそうだった。

 

「……なに?」

 

 自らの力に蝕まれ、社会的調律の限界をわきまえず、わからず。

 どうあがいても均衡を乱す我が身の悪性に苦しみつつも、それを人のために役立てようと、生きる道を模索していた。

 自身の死がもたらす破壊を、無意識に理解していたんだなあ。

 だから、生きようともがいてた。

 その果てに、こんな孤島に追い立てられて、それでもなお、少女的夢想を捨てられない、致命的矛盾を抱えていた。

 

 よく、似ている。

 似ているよ、おまえたち。

 俺から言わせてもらえれば、ね。

 例え、おまえさんが()()を嫌っていたとしても、ね。

 

「…………」

 

 そう怖い顔で睨むなよ。

 また、キスでもしたくなるだろう?

 ただでさえ、おまえさん俺の好みのタイプなんだよ。

 そう情熱的に誘うなよ、()()()()()()()()じゃねえか。

 

「……具体的な話をしてもらおうか」

「ちょっと! こんなヤツの話を飲む気!?」

 

 イシュタルは、明確に神に敵意を向けていた。

 無理からぬ話である。

 だから、神は彼女に関しては、何も言わない。

 正しい。

 彼女の判断も、危機感も、正しい反応だからだ。

 この場で反応がバグっているのはエミヤ[オルタ]の方である。

 それも、無理からぬ話であった。

 神と言葉を交わすこと。

 その脅威を、彼は、話し始める時、危惧していた通りに今、味わっていた。

 本人は、もう気づかない。

 気づけない。

 会話をしてしまった時点で、彼は逃れられぬカゴの中にいた。

 既に、彼の真黒い情念を飲み込むほどの、『深淵』の渦中に飲み込まれている。

 

 だから、神の言葉はイシュタルの抗議をどこ吹く風と流していた。

 語るに及ばす。 

 議論に値せぬ、と。

 

「なに、しばらくはBBの指示に従ってくれてりゃあいいさ。俺も、タイミングを見計らってるトコでね」

 

 我が全能の解放の時をね。

 

 神は、笑っていた。

 

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