【完結】キアラの望みを叶えるために、全能の神が君臨するお話【挿絵有り】 作:ロウシ
全ての命に祝福を
より強き、愛ある世界のために
0.
「なぜ、かばったのかね?」
老科学者は、神に尋ねた。
神は背後から声をかけられて、ん、と首だけを振り向かせ、目線をやる。
「理由が必要かい?」
簡素な声だった。
からからとした、乾いた声。
その軽さは、自らの気まぐれを開き直る身勝手さである。
「そうねえ、あるんなら聞きたいわね。だってアナタ、私たちの命は勘定に入れてない、って言ってたじゃない」
「ふふ、覚えてるモンだな。じゃあ、次はその言葉の意味を、考えてもらおうか」
「……アナタにとって、私たちの生死はそもそもどうでもいい……ということでしょうか?」
「…………」
神は口を閉ざした。
その言葉に心を溶かすように、目を瞑った。
まどろむような表情であった。
ゆっくり、口を開いた。
「神の気まぐれに理由を求めたがるのは、科学に心血を注ぐ者の定めと、理解しよう」
だが、と神は言う。
「そちらはそちらで、神はサイコロ遊びが大好物の、賭け事狂いだと言うことを理解してもらいたいね」
つまり、理由はない。
サイコロをふって、閉ざし、その中で丁半別れた。
神の預かり知らぬ空間で帰結した現実が、そこにある。
そして、神はどちらかに賭けており、蓋を開けてみれば、今回は神の目論む出目になったのだろう。
ただそれだけ。
それを理解して、老科学者はヒェッヒェと笑った。
気まぐれか、気まぐれか。
と確認するように言葉を繰り返した。
いかにも、全能者らしいわい。
そして、ごちた。
神は、歩き去りながら、つぶやいた。
「心配しなくても、セラフィックスの職員は全員死ぬ……が、もれなく生き延びるのだよ」
ただ、ひとりを除いて。
それは確約された未来。
だから、ここでおまえたちが死ぬことはないかもしれない。
おまえたちとて、祝福の元に産まれた。
産まれることを許したのだから、少なくとも、この世界の神は、おまえたちの
だから、神たる俺も、それに倣おう。
それでいいだろ?
それに、俺の存在意義は、何ひとつブレちゃいない。
「俺は、最初っから、
1.
満天の星空であった。
見上げると、煌めく星々が河のように横たわっている。
見下ろすと、海の表面を波に合わせて星の光が揺らめいている。
頬にあたる風が暖かい。
夜であるのに、しとやかに吹く風は、まるで陽光に熱されてのぼせているようだ。
それが充満しているからか、空気そのものの質が違う。
北海のセラフィックスとも、生まれ育った日本とも違う。
視線のずっと先。
海のずっと先に、うすらぼんやりと島が見える。
遠巻きに見ても、うっそうと生い茂った森の中に、人の生きる世界を切り拓いて作られた街があるのがわかる。
南の島。
いつか、
殺生院キアラは、そこに立っていた。
その世界は、記憶にある自分が夢見た世界そのものであった。
踏み締める砂の感触。
身を撫でる風の暖かさ。
生える木々の数と形ですら、夢で見たそのままである。
自身の姿は、水着であった。
しかも、大事な部分を貝殻で装飾されている、露出の多いビキニの水着である。
まあまあ、なんとハレンチな!
と身をくねらせるが、当たり前に反応はない。
ならば、とキアラは砂浜を歩いた。
自分の息に合わせて、星々が瞬いているようだ。
ゆらゆら、ゆらゆら。
定まらない光の在り様は、人心を蕩けさせる魔力を孕んでいる。
記憶に導かれるまま、キアラは歩いた。
やがて、安い作りのホテルが見えた。
白い石造りの壁。
雑草の手入れは放り投げられている。
海風にさらされて、痛みきって黄ばみ、壁も石畳も角が崩れて丸くなっている。
壁に、窓口はあるが、窓はない。
吹き抜けの風がそのまま、部屋の中に入ってくる作りである。
横から入る分には、ベランダと砂浜を隔てるものがない。
だから、キアラはサンダルのまま、そこに登った。
戸板を打ち合わせただけの、雑に組み立てられた床が、ぎしり、ぎしりと軋んでいる。
板の下に支えがないのか、あるいはサビきって折れているのか、不安定に揺らぐ道が、その期待感を高めていく。
その先に、彼はいた。
やっぱり、とキアラは思った。
彼は、海を正面に構えて、ホテルの部屋を背に向けて、ベランダと砂浜を隔てる階段の上に座っていた。
その隣に、酒瓶がひとつ。
グラスが、ふたつ。
彼は、キアラに目配せをしない。
だが、自身がここにいることは、とっくにご存知だろう。
歩み寄って、すっ、と横に座った。
彼の横顔を、キアラは見た。
「やあ、センセぇ」
顔を傾けて、にこりと、『ゴウ』は笑いかけた。
キアラの記憶にあるゴウとは違って、少し、ニヒルな笑みであった。
「いい場所ですね」
キアラは、あくまで理性的に言葉を紡いだ。
ゴウと言葉を交わす瞬間に、たまらぬ情欲が、彼女の肉の
たちまち秘部を湿らすような快楽が巡った。
反射的にか、す、とキアラは少し、身体を近づけた。
ゴウは、嫌がらなかった。
落ち着き払った態度で、キアラを迎えていた。
波音だけが、静かに染み渡る。
さて、なんと口にするべきか。
ゴウは、黙ってグラスに酒を注いだ。
やはり、中身はにごり酒であった。
夜の中でも、その色の悪さがはっきりと見てとれる。
安酒も良いところだろう。
だが、グラスを渡されて、キアラはそれを嫌がらなかった。
「……まずいですわね、やっぱり」
「ああ……だけど、このマズさがよか。こん世界ばよう引き立てるやろ? じゃけん、これでよかとよ、センセぇ」
こくこくと喉に通す液体は、舌を焼くような酸味と、喉を焦がすような苦味があった。
良い酒ではない。
だが、静妙さがすなわち神聖な佇まいを人に回勅させるこの世界では、そのマズさは風流と受け入れられよう。
寄り添えぬ刺激が二律するとき、ギャップとして、それを飲み干す個の存在を、世界に引き立てるのである。
「夢に、連れてきてくださったのですね」
ゴウが何者であるか──
ここがどこであるのか──
キアラは、その質問をしなかった。
論ずるに値しないからである。
仮にも、SA.RA.PHは己の世界である。
自己に内在する領域に触れることで、ゴウの存在が人界を超越するものであることは、わかっていた。
全能者。
あるいは、そうも呼ぶのだろう。
だから、その手の質問に意味はない。
ただ、ここにある現実を噛み締める。
「それで……私に、何か言いたいことがありそうですね」
ゴウは、うん、と頷いた。
子供の様な、短く、名残惜しそうな声だった。
「センセぇ。あんた、負けるぞ」
ゴウはちびり、と酒を口にする。
キアラはその言葉を、しっかりと受け止めた。
艶やかに、目を細めた。
それでも、星々の瞬きは変わらない。
「それは──予言、でしょうか?」
「いや、確定した未来だよ」
口調が変わっていた。
訛りが消えていた。
いや、雰囲気が変わっている。
キアラに向けられる横目の視線が、朗らかで柔らかな空気が、鋭く固く、冷たいものになっている。
だが、一抹。
ほんの少しだけ。
キアラには、そこに、寂しさも含まれているのだと、感じていた。
「俺というイレギュラーがいるかは関係なく、おまえは負けるよ」
「言い切るのですね」
もちろん、とゴウは微笑む。
また、ちびり、と酒を飲んだ。
キアラも、ちびりと、飲んだ。
酔いしれるには、なるほど、少し苦すぎる。
「この世界の抑止力は、よくできてる」
ゴウは語った。
それは、キアラの敗因である。
未来において、
だけど、おまえは時間的必然点となった。
つまり『
未来において確立しきった存在は、その時点に至るまでは、もうそれ以上の何かにはなれない。
『
人類悪とは、人類が打ち立てた愛憎極まる歴史の中で生まれた副産物らしいじゃないか。
つまり、人類史の醜い
それを、抑止力は『人類が打ち勝てぬ巨悪』と定めず、『人類が越えるべき巨悪』と定めている。
もっと言うと、『人類が必ず乗り越えられるもの』と定めているわけだ。
サーヴァントシステムとやらにおける、
つまり、この世界では光の速度が秒速三〇万キロメートルである理由は、人間が宇宙に存在するためであり、この世界で地球上の酸素濃度が二〇パーセント弱なのは、人間が生存し、繁栄するためということだ。
最初から、あらゆる事象が『人間の存在』という未来の絶対値を基準に、確約された上で起こり得る。
道中で人類や世界がどんな危機的状況に陥っても、『人間の存在』が未来の果てに確約されている限り、そこに至るために事象が書き換えられるわけだ。
それは、ちょうど、神の真言のように。
神という『果て』が先にあるが故に、あらゆる事象が神の言葉通りに未来へと紡がれるのに、似ているか。
「つまり、おまえは絶対に、カルデアには勝てない」
俺がいようがいまいが、それは変わらんよ。
「では、なぜ──」
キアラの吐く息が、熱かった。
彼女はにごり酒を少し口に含ませた状態で、ずい、とゴウの耳ともに顔を近づけた。
そして、凡夫ならば、脳を溶かし尽くしてしまう様な甘い声で、言った。
「なぜ、ここで、私にそれを……お伝えになられたのでしょうか?」
あるいは、逢い引きを誘う様な扇情さがあった。
自らが吐く言葉とその熱だけで、キアラは心身共に、濡れそぼっているようだった。
ゴウは、全く意に介さず。
鋭い視線を返した。
「最後通告だよ」
今ならまだ、俺の力で全てを無かったことにしてやれる。
おまえも、元の世界に帰す。
だから、封じ込めたセンセぇを返しなさい。
「……イヤですわ」
「子供じみたことを、言うんじゃないよ」
「イヤですよ、もう」
「……妬いてるのかい?」
「……まさか」
「…………」
「…………」
深く、沈む様な静寂。
ひゅう、と風は変わらない。
だが、温かな風が、どこか冷たく感じる。
痛々しいほどに。
感情が揺れるように、この世界が揺れている。
ゴウは、ちびり、と残った酒を飲み干して、下の上でその苦味を存分に転がして、飲み込み、勿体ぶった息を吐いた。
困っているような所作であり、腹を括ったような、暗い表情であった。
「どうしてですの?」
キアラは、決して悲しい顔はしていない。
ただ、その言葉には、多分な苦しみが飲み込まれている。
「なんで、
吐き出した疑問の答えを、キアラは既に分かりきっている。
神を信仰しなかった。
幼き自分は、少なくとも
ゴウは、目を閉じている。
俯いていた。
キアラの言葉に隠された苦痛をあっけなく読み取って、瞼の裏に想っている。
真剣に。
だが、このキアラにとっては、何もかもが遅すぎる神の振る舞いであった。
人間ならば、彼女になんと言葉を返すのか──神である彼は、己に問いかけている。
「すまない……と言ったところで、納得はしないだろう」
「ええ、許しませんし。私はやはり、人類をもう、人類として見ることはできませんわ」
「……その気持ちは汲むよ」
露骨に悲しげな声であった。
ゴウは、くい、と視線を海になげた。
光の海。
キアラの視線を誘う動きである。
キアラは、それを追った。
夜にまぶされて、世界を閉じ込む空と海は、光り輝いている。
この世の光景とは思えない、神秘的な世界。
「……ひとつだけ、聞いてもよろしいでしょうか」
「なんだい?」
「アナタの、
ゴウは、はっきりと大きくかぶりを振った。
まさか、と言った。
「俺は、センセぇといる時は、『ゴウ』の意志と感情に身を委ねていたよ」
下層労働階級とはいえ、セラフィックスに勤められる程度には後ろ暗い男さ。
だが、同時に、愛深い男でもあったのさ。
だから、俺が依代にできた。
あんたと寝たいという下心は、もちろんあったさ。
だが、『ゴウ』という人間は、本当にあんたの瞳の中に沈黙する、心の澱みを見抜いていたよ。
あんたには理解し難いかもしれないが、下心と本気の心配ってものは、ひとつの人間の中に並び立てるものだ。
あんたを、本気で心配してた。
そして──本気であんたに、恋を
「……そう、ですか」
風が吹いている。
風が、吹いている。
星が、瞬いている。
世界が、そこにある。
殺生院キアラは、確かに夢の世界にいた。
ひとりの男に、愛を向けられていた。
ゴウは、立ち上がった。
キアラの正面に立った。
向き合った。
見上げる彼は、とても大きい。
そして、美しい。
神の魔性。
それは、キアラがこれから手に入れるものと同類のもの。
だが、神たる者がそこに浮かべる笑みは。
人懐っこい、子供のような、ゴウの笑みであった。
「センセぇ」
言った。
少し、声が震えている。
悲しみに。
「未来で、また、逢おうね」
訛りのある言葉であった。
間違いなく、疑いようのなく、それはゴウのものであった。
つ……と、頬をなにかが伝っている。
キアラの目の前に男がいる。
現実ではない今。
現在ではない何処か。
だが、確かにその男は、キアラに対してかけがえのない愛を携えていた。
愛ある世界に生きる、ひとりの人間であった。
2.
目を覚ます。
泣いていた。
光り輝ける世界の中にいる。
目覚めたのは、ケバケバしいほどに艶やかで、美しい世界。
頬に伝う涙に、彼女は覚えがない。
なぜ、温かい涙などが、出ているのか。
偽の涙を流すことは、腐るほどあった。
人のためと偽り、虫の信仰を受け取り、虫を破滅させるためだけに、涙を流せるのが自分である。
だが、それは決まって、心の氷が水となって溢れるだけの、冷たく他人行儀な粒である。
今頬を零れ落ちた涙は、ヒトの温もりがあった。
それは当たり前である。
自分は世界で唯一の、愛すべき人間なのだから。
自らのために流す涙には、暖かさはあって然るべしである。
だが、
だが、違うのだ。
その身をやつす深海に溶け入るように、涙の跡が消えていく。
それをなぞるように、指先をそっと当てる。
もう、暖かさは消えていた。
だから、彼女はそれを、気のせいだと思うことにした。
たまたま、あくびでもしたのだろうと。
耳をすませば、騒音。
目を凝らせば、狂乱。
舌を湿らせれば、踊り狂う戦士たちの煌めきが味わえる。
その感動は、間違いなく本物である。
だから、つい、涙が出たのだと。
百二十七人もの英傑の殺し合い。
人理と真理に存在を刻む彼らが、亡者の願いに捧げる無用の献身。
くだらなさすぎて、愛おしい。
みっともなさすぎて、泣けてくる。
だから、彼女は涙を忘れることにした。
再誕の時は近い。
産まれることは祝福である。
彼女は、未来に思いを馳せて。
静かに、静かに微笑んだ。
3.
男は、泣いていた。
物理的な涙は流していない。
だが、泣いていた。
そのありさまを眺めて生じるものは、ひたすらに、彼女に対する哀れみであった。
あるいは、身の内から湧き出る依代の愛情が、男の胸を締め付けている。
心から搾り出されるものがあるならば、それは感情である。
それが哀しみならば、やはりそれは、涙に違いなかった。
男は静かな目を閉じた。
憐憫。
祈りを捧げるような涙のしずくが、その目から滴った。