【完結】キアラの望みを叶えるために、全能の神が君臨するお話【挿絵有り】 作:ロウシ
1.
日差しが強かった。
セラフィックスでの労働は、どこを切り取っても重労働と言えた。
まず、何をとっても暑い。
セラフィックス自体に日差しを遮るものがないために、この施設は基本、炎天下にそのまま剥き出しである。
だから、外にいても暑い。
夏だと、さらに熱風が吹いてかき混ぜるために、余計に。
冬だと、逆に物凄く寒いのだが。
それはそうとして、基本は暑い。
油田を掘り起こす機械はごうごうと音を立てて毎日稼働しているし、地殻を掘るためのエネルギーはとてつもなく大きい。
その迫力は、近くに立っているだけで多大な物理的圧力を感じるほどである。
作業員も、流石に油に直接触れるような真似はしないが、大気に染み込んだそれが、服に肌に、髪の毛に刷り込まれていくのは止められない。
作業場は鉄と火と油の臭いで常に充満している。
もちろん、各階余す事なく冷房も空調も機能はしている。
ただ、下層に降りるごとに、冷房も空調もその働きは雀の涙となっていく。
排出された冷たい空気はあっという間に熱され、吐き出される濁った空気より空気が濁る方が圧倒的に早い。
油ぎった風が、生暖かく頬を撫でるのだ。
それを、朝から晩までやる。
油田を掘るというのは、つまるところ過酷な環境での忍耐勝負なのだ。
ここに油があるだろう、という目安をつけたら、実際に油が出てくるまで機械を突っ込んでガリガリと地盤を削っていく。
しばらく掘っても油が出なければ、別の場所を掘る。
ひとつ穴を移動させるのに、機械の調整が入る。
人の動きに調整が入る。
大規模でシステマチックな、それでいてアナログな人と、ドリルと、ポンプの移動と差し替えが必要になるというわけだ。
機械を動かす電力も馬鹿にならない。
なにせ、海上に孤立する基地なわけだから、一日に使える電力もちゃんと計算しなければならない。
それなのに、収穫ゼロの日も珍しくもないのだ。
その日も、キアラの元に、礼拝堂には人が詰めかけていた。
作業服を着た大男。
事務勤めの線の細い女性。
部署も、人種も、なんなら母国の言葉もバラバラである。
つまり、その人の趣向、趣味、文化、信じるものもバラバラなのである。
キアラはセラピストだ。
癒しを与え、道を示す。
時に立ち止まらせ、信じるものを思い出させるのが仕事だ。
だから、バラバラの人種の、バラバラな想いを、ひとつひとつ汲み取って言葉を選ばなければならなかった。
ある人には慰めの言葉でも、ある人にとっては侮辱の言葉となる。
そんなことが、異なる人種間ではザラにあるからだ。
抗うつ剤などの薬ももちろん用意はしているが、それを配る量も考えなくてはならない。
物資の運搬は頻繁には行われないからだ。
ひとりに薬を与え続けて、他の人に薬が行き渡らなくなることは絶対に避けなければならない。
幸いなことに、人の心の機微を、その人の信じるものを察する能力が、殺生院キアラという女性には生まれつき備わっていた。
それも、天賦の才であった。
だから、どこに行っても、どのような相手であっても、殺生院キアラという女性は信頼を得てきたし、頼られてきたのだった。
対面のカウンセリングが終わる。
夜になると、彼女は礼拝堂の二階の個室に入ってランプを灯し、各書類に目を通す。
キアラもまた、休むことなど許されない現場に身を置いているのであった。
最も、キアラ自身はそれを苦だと思わない。
いや、自分の出来ることとできないことはある。
上述の天賦の才能があっても、物理的にできないことに直面した時は、やはり肩にどっと疲れとどうしようもなさがのしかかるのだが、人のために働くという行為自体に、いらぬ苦労を感じるような人間ではなかった。
こつ、
と礼拝堂から足音が響いた。
新しい患者であろうか。
もう夜だというのに。
診察──相談の時間は終わっている。
消灯の二時間ほど前。
売店なども閉まっていて、皆疲れ果てて、普通は出歩く時間ではない。
緊急の患者だろうか。
精神の均衡は、ある日ある瞬間に、突然崩れる事も多い。
それもおかしな話ではない。
それにしては、礼拝堂にはいってくる足音は軽快で、落ち着いているが……
キアラは念の為に、書類をファイルに戻して、一階に降りていった。
「おこんばんわ、センセぇ」
降りてきたキアラを確認すると、その男は白い歯を見せて笑った。
ゴウであった。
2.
「大変やねぇ、センセぇは」
礼拝堂の最前列の椅子に座っていた。
ズボンはいつもの作業着。
上は長袖の黒の無地。
靴はいつものごついブーツであった。
風呂にはまだ入っていないのか、それとも肌と服には染み付いてとれないのか、油の臭いが薄っすらと漂っている。
ゴウはキアラが淹れたコーヒーをごくごくと飲んだ。
ひと飲みで目が覚める、カフェインたっぷりのやつだった。
「何か御用ですか、ゴウさん?」
「あ、センセぇちょっと怒っとる? 目尻にこじわがいてててて!?」
キアラは言い終わる前にゴウの足の甲を踏んづけた。
分厚いブーツとはいえ、ヒールの踵で思い切り踏み込めば、べこんと凹んで沈み込む。
「ごめ、ごめんてセンセぇ! 本当に痛かけん、やめてやぁ!」
「いいですか、ゴウさん。女性にそういう事を言ってはいけませんよ」
ぎゅうぎゅうと丹念にかかとを捻った後、キアラはヒールをゴウの足からどけた。
ゴウが、踏まれた足を股の間に持ち上げて、ブーツの上からすりすりと撫でている。
「それで、何の御用でしょうか?」
「えっ? なんじゃろね?」
あっけらかんと言い放つゴウ。
その顔にはなんの悪意も他意もない。
ただ、顔を見たかっただけ……? と、キアラの質問にゴウ自身が答えがなくて驚いていた。
キアラはがくりと肩を落とした。
「あ、あ、貴方、全く用もないのに、ここにきたんですか……?」
「えー? ちょっと待っとってぇーセンセぇ。いま、理由ば考えるけん」
「……もういいですよ。ふう」
ため息をこぼして、キアラは自分の分のコーヒーに手をつけた。
ずずっと苦味と酸味が身体に染み込むようだ。
「そうそう、思い出したばい。おいはセンセぇの愚痴ば聞きにきたとよ」
両手をぽんと叩いて、ゴウが言った。
愚痴、ですか……私の? とキアラが聞き返した。
うん、とゴウは頷いた。
「センセぇ、いっつも人の愚痴ばっか聞いとりますやん。やけん、センセぇの愚痴は、おいが聞いちゃろうと思ったとよ」
「あらあら、お優しいんですね」
「ぬぬ、センセぇそれ、本気で聞いとらんじゃろ?」
ええ、もちろん。
とキアラは言った。
セラピストとして活動する。
それを、愚痴を聞いていると解釈するのは、間違った例えではない。
セラピストであるキアラの職場が、礼拝堂であることに焦点を当ててみよう。
精神医療と宗教的見地は、ちょっと似たところがある。
どちらも、愚痴の吐き出す場所であるからだ。
宗教というのは、ある側面から見れば、どんなものであれ、その発生にはすべからく愚痴の吐き合いがあったと言える。
例えば日本におけるキリスト教。
江戸時代に農民たちの間で流行った隠れキリシタン。
それがなぜ流行ったのかというと、彼らは祈ることで救われたかったということと、同じ悩みを抱えるものたちで、愚痴を吐きあえる世界を共有できたからだろう。
端的にいうと、弱きものたちの傷の舐め合いである。
「うちのお殿さまは、最近年貢の取り立てが厳しい」
「このままじゃ、おまんまの食い上げだ」
「飢饉でみんな、飢えちまうよ」
「ウチのカミさんが、武士に連れてかれちまった」
普段、絶対に逆らえぬ権力者に対し、内に秘めた増悪を吐き出し合う。
その上で、こんなに苦労してるんだから、俺たちは、死んだら天国に行って楽ができるはずだ。
と祈りを捧げていたのである。
それが、積もり積もりすぎた増悪となって暴走する時もあるのだが、まぁそれはそれだ。
あるいは、罪の告白もあった。
人は罪を抱えたまま生きることは苦痛である。
だから、正直に罪を告白したものを全知全能の神は赦し、そのものに天国へのチケットを渡すのだと謳ったのだ。
教会の懺悔室がそれである。
神父に対し、訪れた罪人は誰にも言えない罪を告白する。
神父はそれを黙って聞き、それを問うことも誰かにバラすこともせず、墓場まで持っていき、神に献上するのだ。
罪を告白できたものは、また、より良い一日を生きることができるようになる。
──と、そんな仕組みである。
もちろんそんな単純な仕組みですまないことも多々ある。
だが、セラピストが愚痴を聞いている、という例えは、概ね的を得ているものであった。
キアラは、ふふと笑った。
微笑みである。
唇に指を重ねて、思わずこぼしていた。
それに気を良くしたのか、ゴウはつらつらと語り出した。
センセぇ。
センセぇは、毎日いろんな人の愚痴ば聞きよる。
えらかこつやち思うたい。
ばってん、ばってんよ。
そやったら、センセぇの愚痴は、誰が聞きよるんやって、思ったとたい。
センセぇは、みんなん愚痴ば聞きよる。
すげぇ増悪の言葉を、毎日浴びよるわけやろ?
それって、キツかこつやろ。
言葉って、ひとつひとつは大したことなかもんでも、積み重なるとおっそろしい力ば生むけんね。
センセぇ、マイっとらんかって、思ったとよ。
訛りが強すぎて、正直ちょっと言葉がわからないところがある。
ただ、心配してくれていることはよくわかった。
真心から。
下心なく。
だから、つい、笑みがこぼれてしまったのだ。
だが、その善意をキチンと受け止めた上で、キアラは言った。
諭すような、優しい口調で。
「ありがとうございます。その気持ちは、とても嬉しいです……でもね、ゴウさん。私はこれでも医者なのですよ。患者とのやりとりには守秘義務があります。誰が、例えどんな殺意や悪意の言葉を吐いていたとしても、私が聞いた以上は、それを他人に話すことはできないんです」
なぜなら、彼らはその増悪を、私だからこそ吐き出してくれたのだから。
私を信頼してくれているからこそ、吐き出したのだから。
その信頼を、裏切ることはできません。
と付け加えた。
ゴウは目を白黒させていた。
んん、と唸った。
彼の身体から発せられる空気が、しょんぼりだよーと言っていた。
「いらん世話やったね。ごめんね、センセぇ」
「いえ、いいんですよ。ありがとうございます、ゴウさん」
貴方のような人が、ちゃんといることがわかっただけでも、救いですから。
「……どゆこと?」
ここでは、みんな、自分のことでいっぱいいっぱいですから。
ああ、なるほどね。
とゴウは頷いた。
セラフィックスに勤める人。
とりわけ、キアラに助けを求める人たちは、視野が狭くなっている。
自分はこんなに苦しいのに。という、何においても「苦しい自分」というものが思考の優先順位を独占してしまい、正常な判断ができなくなっているのだ。
自分、自分、自分。
他者を気にかける心はもちろん、他者に目を配るということが心から抜け落ちるのだ。
だから、それをキアラは『精神の迷路』だと言っているし、精神を病んだ人を、その迷路に迷い込んだ人、と表現する。
だから、ゴウのように、純粋に他人を気遣える人がここにいることが、周りをちゃんと見て行動できる人がいることが、さまざまな意味を含む救いそのものである。
とキアラは言ったのだ。
「センセぇにお墨付きをもらっちまったや。いやぁ、嬉しかねぇ」
とゴウは言った。
照れ照れと頭をかいた。
でも、
とキアラは言った。
ゴウが顔を上げた。
キアラの顔を見た。
菩薩のように柔らかな顔が、そこにあった。
「私だって、たまには褒めてもらいたいし、吐ける愚痴を吐きたくなる時はあります。だから、その時は、お願いしちゃいましょうかしら」
おお、おお。
とゴウの目がきらきらと輝き出した。
感情の動きが単純である。
その単純さが、妙な愛嬌を生んでいる。
複雑さがなにもない、あるのはただ善意だけ。
あるいは、時と場合によっては恨めしくも思うそれだが、この場に於いては好ましかった。
「よかよ、よかよ!」
とゴウは言った。
本当に、人好きな犬のような反応をする男だった。
「ただし、みんなにはナイショですよ」
キアラは、イタズラっぽく人差し指を唇の前に立てて言った。
人によっては欲求を刺激するたまらない仕草であったが、ゴウはあくまで無邪気な笑顔を見せていた。
もちろん、もちろん。
と、ゴウは顔を何度も頷かせた。
−0.
不思議な人でした。
私の元に、特に悩みもなく転がり込む男。
別にそれ自体は珍しいことじゃありません。
私にお近づきになりたいだけの男。
そういう男は、これまで何人も見てきました。
ある男は、ばっちり高級そうなスーツを着込んで、花束を用意して、高級車に乗っている。
私が診療所から出るのを見計らって声をかけてきて、紳士の皮を被ってデートの誘いをしてくる。
だけれども、下心が隠しきれず、目線は私を舐め回すように上から下へと這いずり回っている。
ある男は、力づくで私をものにしようとする。
武力をちらつかせて脅し、股を開けと下衆な笑みを浮かべている。
幸い、私は多少、暴力に屈しない知識と、それを実行するだけの度胸は持ち合わせているので、それを完遂されたことはないのですが。
仮にも、世界を巡って──巡らざるを得ない状況に追い込まれて、武力がものを言う土地や国をも転々としているわけではありませんもの。
だけど、その男には、最初から下心が感じられませんでした。
それどころか、よくよく見ていると、彼は、私自体にはさして興味がなさそうにも感じるのです。
私の成してきたこと、成せなかったこと。
私という人間が、どのようにしてここにきたのか。
なにが不満なのか、なにが楽しいのか。
興味があるのはそういうことで、私の──はっきり言ってしまえば、女性的特徴にはまるで興味がなさそうなのです。
たまに、思い出したように下品なジョークを口にします。
おっぱいがどうの、お尻がとうのと。
でも、全然詩的に被せたりもしないし、かと言ってそこに愛欲を重ねているようにも聞こえないのです。
子供が、そういう時期に、そういうもので笑ってしまえるような。
面白いから口に出しているだけのような。
例えで言うなら、そう。
彼は子供のようなのです。
──貴方は、辛くないのですか?
ふと、そう聞いたことがあります。
それは、セラフィックスでの生活のこと、仕事のこと。
相変わらず賭けでカモにされて、負けて。
屈強な男たちから逃げ回ることも多いみたいで。
だから、私はいろんな意味を含めて聞きました。
けれど、彼はその質問の意味自体、よくわかってなさそうに顔をかしげました。
だって、と。
だって、仕事なんだから、キツいに決まってる。
そういって、うへぇうへぇとワザとキツそうな顔をしました。
すると、彼は。
ゴウは、一転してセラフィックスの素晴らしさを語りだすのです。
例えば、食堂がいい。と言います。
セラフィックスの食堂は、言ってしまえば社員食堂です。
知識階級の人たちと労働階級の人たちでは、食べるところが違ったりもしますが、実のところ、別にどちらで食事を摂ってもよかったりします。
私もたまに利用します。
いつもいつも利用すると、熱っぽい目線がしつこくて、正直嫌になっちゃうんですが。
そして、お値段はお手頃です。
社員食堂的なものの常で、一度に大量にご飯を作るので、単価が安い。
種類も、なるべく飽きがこないように豊富に揃っています。
ゴウは、こんなにいっぱいのご飯を、安く自由に食べれるのだから、それは素晴らしいと言うんです。
そこはその通りだと、私も思いました。
彼は、最近調味料を、違ったものに入れるのが好きだと……そんなことも話します。
例えば、お味噌汁にソースを入れてみたり、卵焼きに、飴を乗せてみたり。
美味しそうなものもあれば、聞いているだけでゲテモノ感溢れるものまであって、それを食べた時の反応も、いちいち再現してくれるのです。
あれは、失敗やった。
あれは、思っとったより美味かった。
あれは、どげん組み合わせやったか、ええと、思い出せんばい。
コロコロと表情が変わって、でも、基本はゴウは笑っています。
だからか、私も、気づいたら笑っています。
ゴウは、毎日私に会いにくるわけではありませんでした。
三日四日、なにもない時もありました。
でも、それは当たり前です。
彼は患者でもなんでもないので、いちいち来る日来ない日を私に教える義務も義理も、ないのですから。
だけど、それに、私がほんの少しだけ寂しさを覚えることがありました。
礼拝堂というものは、静観な景色であって然るべきです。
ですが、彼がいると、賑やかになります。
元々、私は西欧的な宗教の価値に身を置く人間ではありませんので、多少さわがしくしても、私がとぼけてしまえば、神さまだって、怒ったりしないと思いたいです。
たまに、夜に会いにくる時もありました。
流石に消灯の前ですが、私は手を止めて、一緒にコーヒーを飲みます。
彼は、私の淹れるコーヒーをいたく気に入っているようでした。
別に、特にこだわりのない、普通にお店で買えるものです。
それでも、センセぇがわざわざ淹れてくれるから美味しいのだと、言って聞きません。
私は、ちょっと、嬉しくなります。
それから、彼が椅子に座って、私は机に向かって、書類を片付けている。
彼は、何もしない。
ただ、私をみてたり、みてなかったりします。
何をしているんですか、と私が聞くと。
何もしとらんのよ、と笑って返します。
どこか哲学的なやりとりで、私は好きでした。
彼は、基本的に子供のような情緒ですが、時折、実はものすごい頭が良いんじゃないかと思う時がありました。
このおバカな雰囲気は、ワザと作っているんじゃないかと。
こういう人が、たまにいます。
自ら心に鍵をかけてしまう人。
ワザと道化を演じて、余計な心労を背負わないように立ち回ろうとする人。
時には、人を喜ばせるために、自らを貶め続ける人も、見たことがあります。
私は、私の活動は、そう言う人たちも救うためにあるのです。
だから、彼と顔を合わせて話すことも、自然と必然に変わっていったのだと思います。
……最初は。
だけれど、ほんのり熱を持っていました。
それに気づいたのは、患者のひとりに指摘されたからでした。
──先生は、あの人と、何かあるんですか?
カウンセリングの応答の最中、唐突に投げかけられた質問。
言葉に、強い興味が孕んでいました。
それは、セラフィックスの環境に圧迫され、失意に沈んでいた先程までの彼女の言葉とは違い、軽妙で、私の答えに対するある種の期待が込められてもいました。
首のあたりまで伸ばした髪。
よほど癖っ毛なのか、輪郭にそうように伸びている部分と、外側に跳ねている部分がある。
大きなメガネをかけていて、どことなく鈍臭い空気を纏う、セラフィックスの知識階級、通常職員の、普通の女性スタッフでした。
私はよく覚えています。
なにせ、彼女は私がセラフィックスに降り立った時に迎えてくれたひとりであり、私が業務にあたった最初期からの患者のひとりだったからです。
あの人とは、誰のことでしょう?
私は、わかっていて、そう聞き返しました。
彼女は、何かを察して、はわわ、と口を弛ませ、すみません、と勢いよく謝りました。
すいませんすいません!
私、何言ってんでしょうね、あはは……ひ、ひとさまの、ましてや先生のそういうことに首突っ込むなんて、あ、あはは……
自嘲する彼女は、しかし、これまでの落ち込んだ振る舞いとは違う、明るさを持っていました。
他人の色恋は蜜の味……と言うことでしょうか。
他人のそれは、人ごとでありながら、
なにか、胸がドキドキするような気持ちになることがあります。
世に言うラブコメや恋愛ドラマが流行る理由も、極論それですから。
いや、私にはその気持ちは……うん、よくわかります。
いや、本当に。
しかし、やはりあれだけの頻度で会っていると、みられてしまうものなのですね。
彼女は現場に降りてくることは滅多にない事務方です。
なのに、ゴウの存在をはっきり認識している。
ということは、もしかすると、セラフィックスの結構なスタッフに、知れ渡っているのでは……?
先生?
彼女が、私に言いました。
具合が悪いんですか?
なぜ、ですか?
と聞きました。
だって、顔が真っ赤ですよ。
────ッ!?