【完結】キアラの望みを叶えるために、全能の神が君臨するお話【挿絵有り】 作:ロウシ
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1.
ゴウ、という下層階級、労働階級の人間が礼拝堂に入り浸っている。
その上、セラピストの先生と意味深な仲になっている。
そういう噂が、水面下ではあるものの──セラフィックスに広がっていた。
ひとつの基地としては大きな建造物であるセラフィックスだが、人の住まう集合生活地帯としては、ましてや噂が通り抜ける住まいとしては、あまりにも狭すぎた。
礼拝堂のセラピスト──殺生院キアラという女性は、格別の美人である。
その存在感は圧倒的である。
そのため、ただでさえ有る事無い事、うわさを立てられやすい人間であった。
キアラが、カウンセリングを行っていたマーブル・マッキントッシュからその話を聞いて、顔を真っ赤にして持っていたペンを思わずへし折っていたちょうど同時刻。
下層階級、普通労働者たちが主に利用する食堂の中で、件の男はいた。
騒がしい食堂であった。
各々のグループが固まってテーブルを囲んでおり、愚痴や、自慢や、なんでもない世間話や、ちょっとアブナイ話などに盛り上がりを見せている。
その、食堂のテーブルの一角であった。
他のテーブルから引っ張ってきた椅子でその舞台を囲み、複数名の男たちが場を牛耳っている。
みな、身体が大きかった。
作業服に身を包み、風呂に入っても落ちない油の臭いをただよわせている。
サークルには熱気があった。
男の臭いがあった。
酒と、ヤニの臭いも混じっていた。
総じて濃い臭いである。
誰も、それを遠慮しない。
格別な男の世界であった。
壁に備え付けられた扇風機がぶぅんぶぅうんと低い音を立てて、室内の風と臭いを混ぜている。
生暖かい風であった。
男たちの身体から発する熱が、かき混ぜられていた。
そのおかげで、ある種独特な空間が形成されていた。
診断を行っている時の、精神を病んだ人間が詰めかけている時の、キアラの仕事場──礼拝堂の陰気な雰囲気とは、まるで無縁の空気を纏ったワイルドな男たちの世界であった。
セラフィックスというひとつの世界ではあるが、まるで違う世界である。
彼らはテーブルに対座する二人の男を取り囲み、彼らの勝負の行方を見下ろしている。
立ち見しているものもいた。
なかなか大きなグループである。
視線に熱が入っていた。
何に対してか、見るものたちは、期待と不安で胸が高鳴っていた。
彼らの環視の中、勝負しているのだ。
賭けているものは、金と飯と、酒である。
片方は礼拝堂の、件の男であった。
すなわち、ゴウであった。
カードの勝負であった。
伏せた山札の上から、お互いに一枚だけカードを取る。
それを同時に見せ合って、数が多いカードを持っている方が勝ち。
例外として、一、つまりエースのトランプだけは、十三、すなわちキングのカードより強い。
ジョーカーのトランプはジャック、クイーン、キング以外の数には勝てるが、その三枚には負ける。
イカサマ防止のために、山札のシャッフルは第三者が何人かで順番に行った。
実にシンプルなゲームであった。
──よござんすね?
と、芝居がかった口調で、二人の間に座る、立ち合いの男が聞いた。
袖を捲り上げた太く焼けた腕。
手首から肩までびしりと刺青の入った、大男であった。
ともすれば、人をひとりかふたりは刺し殺してそうな、凶悪な顔をしている。
尋ねられた二人の男は、臆することなく黙って頷いた。
せーのでカードをひっくり返して、テーブルに表を晒した。
ゴウがハートの七。
相手が、ダイヤの九。
ゴウの負けであった。
「かあ〜っ! やられたばい!!」
ゴウは、緊張感が切れるのと同時に、どさりとテーブルに上半身をもたれかからせた。
相手の男と、周りの男たちは、諸手を挙げて歓喜というか、騒いでいた。
テーブルに雑多に積み上げられたドル札を、刺青の大男が相手に、見物人にかき分けていく。
ゴウへの配当は、当然ゼロである。
これで、十一連敗目であった。
これで、ゴウはすかんぴんになってしまっていた。
「ゴウちゃん、明日からご飯どうすんのよ?」
騒ぐ男たちのひとりが、少々笑いながら聞いてきた。
半ば煽るような物言いであった。
ゴウは、
「しぇんしぇいに、恵んでもらうしかなかねぇ」
と言った。
すると、騒ぎがぴたりと収まった。
ゴウが、んん? どげんしたかや? と尋ねた。
「ゴウ。おめー、マジなのか?」
「なんがか?」
トボけんなよ、と言われた。
「礼拝堂の先生と、よろしくやってるってえ、ハナシだよ」
礼拝堂の先生とは、当然キアラのことである。
この男たちもまた、ゴウがキアラの元にちょくちょく顔を出しているのを知っていたのだった。
「さぁ〜? 仲悪かつもりはなかばってん。おいがしぇんしぇいと仲良かとして、どげんすっとや?」
「そんときは、なぁ……」
「ぬけがけは、ダメだよなぁ……」
男はちら、と他の男たちに目配せをした。
へっへっへっ、と笑って、男たちは拳を握っている。
指をぽきぽきと鳴らしていた。
全員、岩のような拳をしている。
指が太い。手の甲に青い血管が浮いている。
そのごつさは、下手な鉄板なら叩いて軽く凹ませられるだろうと思えた。
力仕事をずっとやってきている者の指である。
彼らは笑っているが、目が笑っていない。
肉体から滲み出す空気が暴力性を帯びてきていた。
それを、察してか、そうではないのか、
「そげんやったら、みんなで行かんか?」
ゴウの提案は、ぬけぬけとしたものであった。
2.
「それで──みなさんお揃いで私の元に来た、と……」
うん、とゴウはカンタンに頷いた。
その後ろに、妙にソワソワした立ち姿の男たちがぞろりと並んでいる。
頭に手を当てて、はぁ、とキアラはため息をついた。
さまざまな意味を孕んだため息であった。
ゴウは、そんなキアラの想いなどどこ吹く風で、けらけらと笑っていた。
「みんな、センセぇんこつ、好きなんよ。そんくせ、話しかけっこともできんち言いよるけぇ、連れてきたとよ」
バシバシとひとりの男の背を叩いている。
えへ、えへと男は不気味な笑みを浮かべていた。
礼拝堂の中は、一転してガヤガヤと騒がしくなった。
へぇー! ほんとうに美人だ!
やべぇ、やべぇ! 言葉が出ねぇ! やべぇ!!
身体ほっせ! 嘘だろ天女かよ……
うわマジでクソ美人じゃん!
俺、キアラ先生とイチャイチャしたいだけの人生だった……
などと、本人を目の前にして言いたい放題である。
褒めているつもりなのだろうが、正直言葉が汚い。
悪気はないのだろうが、荒くれに違いない彼らには、遠慮というものがなかった。
「あの、ゴウさん。私、これでもちゃんとしたセラピストなんですよ。精神の迷路に落ちた人々を救うのが仕事なんです。貴方たちは、控えめに言ってセラピーもカウンセリングも必要ないでしょう?」
キアラは物怖じせず、びしりと言うのであった。
しかし、男たちは。
その通りだなぁ!
図星を突かれたなぁ!
とゲラゲラ笑って、まるで脅しの効果はなかった。
「おもしろか連中やろ?」
ゴウに顔を向けると、帰ってきた言葉はこれである。
「心配ばせんと、みんなセンセぇんこつ好きなだけばい。一緒に飯でん食いたかだけやち。こんなかに、センセぇ乱暴するやつぁおらん。もしそげなやつがおったら、誓っておいが、そいつを海に投げ捨てちゃるたい」
いや、それはやりすぎですよ。
とキアラが言うと、ゴウは
センセぇは強かね〜!
とケラケラと笑うのであった。
キアラはふぅ、と息を吐いた。
先ほどのため息とは、また違った諦めのそれである。
「しょうがないですね、もう……わかりました。みんなでご飯を食べるのは、かまいません」
男たちはうひょぉー! とテンションを上げる。
ただし、とキアラは言葉を強めて言った。
「ここは腐っても礼拝堂です。酒盛りし始めたら全員追い出しますので、そのつもりで……」
底冷えするような笑顔であった。
背筋に恐怖を投げかける言葉であった。
目が、笑っていない。
男たちは普段、遠くから見るキアラとのギャップに、ギクシャクとした返事を返した。
何人かには、やはり、たまらない表情でもあった。
そうして、その日のお昼。
礼拝堂には似つかない、そぐわない。
ちょっと暑苦しい、
ちょっとみんなで、
おいしくご飯を食べたのだった。
3.
よかやろ、センセぇ?
頃合いを見計らったのか、お弁当を食べ終えて、お茶を飲んで、一息ついたタイミングで、ゴウはキアラに話しかけた。
食事の際に、キアラの周りに、男たちは寄り付かなかった。
実は、男たちの多くは初めて近くで見たキアラの神々しさ……とでも言うものに、恐々としていたのだった。
それと、どうやら彼らはお互いに、キアラに必要以上に近づかぬように警戒、牽制しあっているようだった。
蝶のように、花のように。
ゴウの言葉とはニュアンスがちょっと違うが、そう言った愛で方を、彼らなりに実践しようとしているのだと感じた。
それが、キアラにはちょっと面白かった。
こういう荒っぽい男たち特有の、傍目から見るとわかりやすすぎる下心は感じている。
それが自分に真っ直ぐに向けられていることもわかっている。
だが、キアラの前で、彼らは勤めて理性的に振る舞っていた。
実は、彼らは酒も一升瓶でいくつか、缶ビールでいくつか持ち込んでいたのだが、キアラの言いつけを守って誰ひとり口にしていない。
つまり、キアラがお弁当を食べ終わるまでのほとんどの時間が、ご飯を食べてわいわい談笑する男たちを、キアラがただ眺めているカタチであった。
稀に話を振ってこられたが、なんてことはないものばかり。
誰も、自分に手を出せないのである。
心の奥底では欲望のままに、自分をめちゃくちゃにしているだろう男たちが、手も出せずにチラチラと目線だけを投げかけている……
ぶるりと、震えた。
その事実に。
キアラの心の奥底の、そのまた奥底で、何か得体の知れぬものが、ぶるりと震えた。
その言いようのない奇妙な感覚に、思考を巡らせた時であった。
よかやろ、センセぇ?
とゴウに声をかけられたのは。
4.
楽しかったやろ、センセぇ。
やや断定系の言葉であった。
キアラはすこし眉を顰めて、だけど、ええ、と言葉では肯定した。
引っかかりのある返事に、ゴウはそうかそうか、と笑った。
ゴウは、キアラの隣にどかっと座った。
遠慮のない仕草であった。
「よかやろ、センセぇ。息抜き、なったかい?」
「どうでしょうね……いつもと勝手が違いますし」
困ったように言葉が出た。
こんな環境で食事をしたことが、ないわけではない。
こんな男たちに囲まれて、食事をしたことがないわけではない。
こんな目線に晒されて、お昼を過ごしたことがないわけではない。
ただし、それらの時と、今。
明確な違いがある。
それらの時と、今。
何が違うかを述べるなら、まさにこのゴウという大きな男の存在であった。
相変わらず、この場においても、自分に向けられるゴウの笑顔は無邪気で、毒がない。
私に対する下心はもちろん、私に対する──というより、私を他の男と会わせることで起きかねないことに対する──嫉妬のような感情すら、全くない。
それは、なんだか少し、がっかりすることであった。
本当に、この人は、私の女性としての部分に興味がないのだ。
ゴウと話をするうちに、てっきり、私自身からそういう色気が抜け落ちてしまっていたのかと、勘違いをしていた。
だが、男たちの目線は否応なく、変わらない。
そこにも、少しがっかりしていた。
そして、だからこそ。
だからこそ、ゴウという人間の、殺生院キアラという人間に対する興味と関心が、どこにあるのかわからなかった。
きっと、それを尋ねてみても、具体的な言葉としては返ってこないだろう。
ある種の天才。異能者なのか。
単に性的不能者というより、性的観念が他の欲求に昇華されてしまうタイプなのだろうか。
「でもセンセぇ、こいでわかったやろ? いろんな人に、センセぇは愛されとるち」
「……そう、ですね……」
ああ、もう!
声が低くなる。
こんな声を出したいわけじゃないのに。
彼は励ましてくれている。
私がこんなにも愛されているのだと、単に教えたいだけなのだ。
純粋に。
ただ、私の経験が、私に集まる視線のいやらしさに気づいてしまう。
だから、自然と声が低くなる。
私の原初の原初。
その嫌な記憶が掘り返されるからだ。
すると、ゴウは、
「ま、おいが睨みきかせとるけん、大丈夫よ、センセぇ」
と言った。
私が顔をあげると、ゴウは目と目を合わせて続けた。
「おいがおらんやったら、そりゃあ、ここにおる何人かの、のぼせ上がったバカタレがセンセぇに手ば出しとったやろね」
そう言うバカは、
それはしょーんなかことばい。
「…………!」
やはり、彼はただのおバカさんではない。
天然ではあるのかも知れないけれど、鈍感ではない。
空気が読めないわけでもない。
「ま! そんだけセンセぇが魅力的っちゅうこったいね。センセぇ、年頃の女ん子じゃけ。年頃の男ん子からしてみれば、
生理現象。
本能やもんね。
人間の、というより、生物の。
そう言って、からころと。
でも、黒い目が、真摯な目が、私を見据えていて。
──私は、吸い込まれるような力を、そこから感じていました。
私は、
「ゴウさんから見て」
と、思わずつぶやいていました。
それは、答えを求める質問でもありました。
「貴方から見て、魅力的じゃありませんか……?」
自分でも、何を言っているのだろうと思いました。
彼は、目をぎょっと見開いていました。
そんな質問自体、されると思っていなかったようでした。
ころころと、彼はわらいました。
子供のような笑顔でした。
そして、ひと間をあけると、じっ、と。
微笑みを携えて、私の顔を見下ろしました。
それが、急に大人びた表情で。
それは、世の中の真理を詰め込んで、飲み込んでしまったような、憂いを帯びたミステリアスでセクシーな顔で。
私の胸は、思わずどきっと高鳴りました。
ギャップがすごかったんです。
普段見せている子供らしい表情も、無邪気で裏表のない言動も、全て演技であって。
この、どこまでも大人びている顔こそ、彼の真実がむき出しになっているのではないかと、そう思いました。
「おいからすりゃあ、センセぇはまだまだ
それは、大人が子供を諭すような口調でした。
優しく、そして、深みのある声でした。
──今思えば、この時、私は彼の中に秘められた超大な世界を、ほんの少し垣間見ていたのでしょう。
全てを受けいれて、
それもまた良し。
そう言い切ってしまうような、彼に内在する『無限』の世界を。
今にして思うと、セラフィックスでの彼の振る舞いは、どこまでも大人でした。
私のことを常に気にかけてくれていて。
働く仲間たちのことも、ちゃんと気にかけてくれていて。
毎日毎日賭けに負けているのだって、きっと……いいえ、間違いなく、ワザとだったんでしょう。
彼は、この小さなコミュニティを愛していました。
だから、そのコミュニティを、必死に繋ぎ止める私を気にかけてくれていたのかも知れません。
それが、二千十四年のセラフィックス。
私はその時、確かに。
ほのかに香る幸せの中にいたのです。
二千十七-1.
それは、藤丸立香が開いた記録であった。
電脳世界と化したセラフィックスに、半ば打ち捨てられたように聳え立つ礼拝堂。
そこに隠されていた膨大な数の記録書のひとつ。
記録書、というよりは、日記である。
鍵(ロック)をかけられていて、しかもサーヴァントたちでは検閲は不可能という秘匿具合ではあるが、間違いなく、これはセラフィックスに勤めていた者の日記であった。
この序章部分すら、全てを解読できたわけではない。
ところどころ、読めない、見えない、感じられない部分があった。
人の日記を、もう故人であるだろうことはわかっていても、勝手に読んでしまう申し訳なさに自己嫌悪しながらも、藤丸は感じていた。
この記録を残した女性は、嬉しかったのだと。
楽しかったのだと。
この、名前の読めない『空白』の誰かと心通わせ、その背中にもたれかかる日々が、愛おしくて愛おしくて仕方がなかったのだと。
「何があった」
聞いたのは、エミヤ・オルタであった。
彼の表情が険しい。
いや、彼はいつも険しい表情を浮かべているのだが、今この瞬間のそれは、ひときわ恐ろしいものであった。
メルトリリスが疑問を浮かべている。
その意図を、今の藤丸立香は知る由もない。
打ち上がった疑問の数々。
それらを飲み込みながら。
藤丸立香は、次の記録書に手を伸ばした。
第一章おわり、第二章 冬のミルク に続く