【完結】キアラの望みを叶えるために、全能の神が君臨するお話【挿絵有り】 作:ロウシ
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1.
暑い日のことだった。
日差しが強い日であった。
項垂れるような暑さが施設の内外に充満していた。
日本で言うなら、時期は夏の初め頃。
波打つ海に運ばれる風が、生暖かく基地の内外の空気をかき混ぜている。
礼拝堂。
殺生院キアラの部屋である。
通常、患者たちには立ち入らせない個室。
彼女はハンカチを額に当てて、流れ出る汗を拭き取った。
手にはお盆があった。
お盆の上に、大きな氷を二個入ったお茶があった。
二つである。
そして、扉を開けて、部屋に入った。
視線の先に、黒いタンクトップを着て、軍手を嵌め、ドライバーやレンチを片手に空調装置の修理にかかり切るゴウの姿があった。
床に、大きささまざまなネジ、空調の口、よくわからない薄い鉄の板、エンジンのようなゴツい機械の塊が、おそらくパーツごとに区分けされて、所狭しと並べてある。
ごめんなさい、とキアラは言った。
ゴウは作業に夢中なのか、返事をしなかった。
「あの、ゴウさん。ひと息入れませんか?」
修理に熱中する大きな背中に、しどろもどろながら話しかける。
キアラの動きに連動するように、コップの中で、からんと氷が揺れた。
ゴウは、ん? と顔を振り向かせた。
ドライバーを口に加えて、汗と、薄黒い油の張り付いた、気難しい顔であった。
「センセぇ、やっぱこれ、ダメんごたぁよ」
吐き出されるのは失望……とは言い過ぎだが、落胆したような声であった。
キアラはそうですか、と申し訳なさそうに言った。
空調設備が壊れたのは、昨日の夜のことであった。
深夜である。
空調機が突如としてゴリゴリと擦れるような音を立てて、吸い込んだ空気を吐き出さなくなり、部屋の空気が籠ってしまっていた。
冷房も止まってしまい、空気がめぐらずあまりにも暑くなってしまった。
それで、キアラは夜中に起きてしまった。
パジャマが寝汗でぐっちょりしてしまい、それでありながら説明書を片手にできる限りの修理に勤しんだのだが、結局壊れたまま朝を迎えてしまっていた。
ゆえに、少し寝不足であった。
いつもの調子でゴウがやってきて、修理しちゃると言い出したので、お任せしていたのだった。
「端末のコイツがイカれたんやのうて、今、セラフィックス全体の空調系がイカれとるんよ。電力がオチとんのかもしれんとよねー」
困ったばいねー。
ゴウはそう言いながら、こんこんと裏拳で空調機を叩く。
セラフィックス全体のうだるような暑さは、セラフィックスの機械類全体の不調が原因であった。
お陰で、備品機械類の設備班だけでなく、こうして機械いじりに多少の覚えがあるものまで総動員して、各所の修理に当たっていた。
中央官制室と油を掘り出すポンプ、作業場などは別途に電源があるか、予備電源があるためか、例外的にその働きは失われず、特に管制室はまだ涼しさを保っているのだという。
「困りましたね……私の仕事は出来るだけ整った環境で行うものなんですが……」
「しょーんなかよ、センセぇ。こいつももう寿命たい」
孤立孤島ゆえのトラブルってやつやね。
とゴウは手拭いで額の汗を拭いながら言った。
空調機系のトラブルは、今に始まった事ではなかった。
今回はその限りではなさそうだが、元々油田基地であるセラフィックスは、煙突から巻き上げる炎が漂わせるその空気に、油のねばっこさをおり混ぜている。
そのためか、基地全体の大気に含まれる分子に不純物が多く、通常の空気より物理的に重いのである。
それは、ほんのミクロンの差異ではある。
だが、積り積もればなんとやら。
ベタつく空気は物質にへばりつき、塊となったそれが隙間に詰まってダマになり、機械類に不調をもたらすことが、よくあるのだ。
どんなに完璧に密閉して見せても、粒子的サイズのそれは隙間から内部に入り込み、累積するのである。
機械は人間と違って素直であるから、調子が悪くなるとそのまま素直に壊れるのであった。
孤島の上。海の上。
空調、冷暖房の不調はシャレにならないアクシデントなのである。
ゴウはキアラからお茶を受け取って、ぐいっと顔を反らせてひと息に飲み干した。
氷まで綺麗に口にして、がりごりと噛み砕き、その冷たさに目を細めた。
きくのぉ〜と吐く言葉と共に、白い湯気が沸き立った。
それを、薄く微笑みを貼り付けた顔で、キアラが眺めていた。
「どげんしたや、センセぇ?」
俺ん顔に、なんかついとるや?
「なんでもありませんよ。それにしても、暑いですね……」
目を閉じれば蝉の鳴き声が聞こえそうであった。
ついでに風鈴が欲しいところである。
キアラはワザとらしく胸元をぱたぱたと仰いだ。
ゴウはあつかねー! とケラケラ笑うだけだった。
むぅ、とキアラは眉を顰めた。
「センセぇ。せっかくじゃし、外、出てみんかね?」
どうせ、この暑さならどこんおっても変わらんち。
とゴウは言った。
キアラはふっ、と表情を沈めた。
お茶を口付けて、コクコクと静かに飲んだ。
そこに、何の色があるのか、傍目からはわからない。
「んー……そうですね。個室はお借りするとして、今日の診療は比較的涼しめな施設内でやることにしましょう」
キアラが自分のコップから口を離して言った。
まだ、半分ほどお茶が入っている。
氷のひとつが茶の中から露出して、からん、ころん、とうち鳴った。
ゴウはくっくっくっ、と笑いを堪えて目を伏せた。
首ごと傾げていた。
キアラはむっ、と。
私、おかしいこと言いましたか? と尋ねた。
ゴウは顔を見合わせて、
「センセぇ、今日ぐらい休みゃあえんのに。ほんと、真面目なんやねぇ」
と感心したように小さく笑った。
キアラはもう一段、むむっ、とむくれた。
少しだけ頬を染めて、褒めてます、それ?
と聞いた。
2.
その男は、セラフィックスの廊下をバタバタと歩いていた。
ワザと音を立てる歩き方をしていた。
足先から、手の振り方から、苛立ちが滲み出ていた。
本人が、それを隠す気がなかった。
その仕草と表情が、すれちがう人々に、俺の怒りを知れ! とでも怒号を飛ばしているようだった。
みな、彼を避けて通っていた。
全く無意味に、男は他人の示すそれだけの行いにすら、無用の苛立ちを覚えていた。
──暑い!
額から汗をダラダラと垂れ流していた。
だが、長袖を着ていた。
セラフィックスの正規スタッフだけが着用する上着であった。
その中でも、彼の着るそれは上級スタッフを示すものだった。
権威を示した衣である。
この暑さの中で、彼は誰に何を言われても、頑なに上着を脱ごうとはしなかった。
アーノルド・ベックマンという男であった。
暑い暑い暑いんだよ!!
全く労働階級の無能どもめ!
冷房ぐらい、さっさと直せないのか!?
設備班とかいう、タダ飯ぐらいの給料泥棒どもめ!
いつもは点検がどうのとダラダラ手抜きのような仕事しかしないくせに。
いざという時にクソの役にも立たないじゃないか!!
アルミロに訴えて全員解雇にさせてやろうか!?
ああ、暑い暑い暑い!!
彼は個室に入るなり、目についたゴミ箱を蹴り飛ばした。
ゴミ箱は慣性に従って水平に飛び、壁にぶつかると中身をぶちまけてごろごろと転がった。
湧き上がる暴力衝動は少し収まったが、根本的な苛立ちはまだ鎮まらない。
癇癪を起こしていた。
思い通りにならない出来事に差し当たると、彼はいつもこうだった。
俺がなぜ、こんな理不尽に遭っているんだ!?
そういう思いが頭だけでなく、身体を支配する。
次第に、それを人のせいだと解釈し、自己の怒りの正当化を測る。
彼は所長の秘書にあたる役職を担っていたが、それに相応しい人間であるかは甚だ疑問であった。
あるいは、そういう性格だからこそ、セラフィックスの所長であるヒデヤス・アジマは彼を秘書に選んだのかも知れない。
短絡的で、沸点が低く、直情的な人間はある意味御し易いからだ。
また、このセラフィックスが造られた本来の目的から見ると、表向きのスタッフたちにそれを悟らせないための体のいいスケープゴートであるとも言えるだろう。
ともあれ、当のアーノルドはそんなことは梅雨知らず。
個室の冷蔵庫に冷たい飲み物が入っていないことに更なる苛立ちを募らせて、それを求めて食堂近くの自販機へと向かった。
そこで、アーノルドは行列を目にする。
訳もなく苛立ち、列に並んでいた中でも、特に気の弱そうなスタッフに怒鳴りつけた。
理由を聞くと、本来礼拝堂を仕事場としているセラピストが、より涼しい──つまりより良い環境で仕事にあたるために、食堂に続く道の途中にある多目的室を借りて、仕事を行なっているのだという。
この行列は、雑多であった。
事務方から雑用方、一般階級から労働階級までさまざまな人間がいた。
アーノルドには面白くなかった。
なにが、というわけではない。
ただ、募った苛立ちが「職員を甘やかしてつけ上がらせているセラピスト」という解釈を脳内で作り出し、攻撃性を発揮しているのだった。
どきたまえ!
そう怒鳴りながら、人混みを掻き分けて部屋に押し入る。
アーノルドの目の前に、カーテンで簡易的に仕切られた診察室が現れた。
部屋は涼しかった。
アーノルドはカーテンを乱暴に開いた。
ジャッ、と金属の擦れる音がした。
殺生院キアラと、カウンセリングを受けているスタッフが、驚いた表情で彼を見た。
「何やってるんだね、キミィ!!?」
キアラを指差しながらであった。
唇を尖らせていた。
「ここはキミの持ち場ではないはずだ! 誰の許可を経てここを使っているんだ!?」
「それは、副所長のアルミロさんに……」
「口答えするのかね!? この私に!?」
「……っ!」
有無を言わせぬ暴力的な言いがかりであった。
初めから、キアラの話を聞こうとしていない。
キアラは負けじとアーノルドを睨み返した。
てっきり自身の剣幕にぽっきり折れるものと侮っていたアーノルドは、予想外の反撃にたじろいだ。
「アーノルドさん。貴方の言いたいことはわかります。確かに、私の行いは勝手な部分もあります。ですが、私は迷い苦しむ患者を放っては置けないのです!」
「だっ、だったらせめてこの行列をなんとかしたまえよ! 通行の邪魔だし、暑苦しい……」
勢いは削がれていたが、吐き出したツバは飲み込めない。
キアラの信念にあっさり打ち砕かれつつも、引っ込みがつかなくなってしまっていた。
そこに、
「ん? どげんしたんじゃ、センセぇ?」
大きな男が現れた。
3.
「な、なんだねキミは!?」
背後からぬうっと現れたゴウに、アーノルドが後退りながら言った。
ゴウは、ゴウです。と端的に答えた。
「労働階級のむ……いや、なんだねキミは!? 私の話にキミのような階級の人間が割り込むんじゃない!!」
アーノルドのガタガタになった体勢を見据えて、ゴウはすっ、と人差し指を口の前に立てた。
ただ、それだけ。
しかし、その動きに妙な神々しさがあった。
ただそれだけの動きで、喧騒激しかった多目的室の空気が、その場にいる者の面持ちが、ガラリと入れ替わってしまった。
「診察室ではお静かに」
アーノルドさん?
それは、訛りがなかった。
ひどく冷淡な声であった。
目が、じっとりとアーノルドを見据えていた。
その心臓を、直接貫く視線であった。
キアラは対峙して、それを向けられたわけではない。
だが、きっとその矢面に立つアーノルドは、背筋が凍ったに違いないと思った。
それほどまでに、場の空気を変えてしまう力が、その時のゴウにはあった。
「ぐ、ぐぐ……わ、私を脅すのかね!?」
「アーノルドさん、着飾る品性すら、自ら削ぐのはおやめなされ」
たじろぎ、言葉選びもままならないアーノルドに対し、ゴウは凛とした声であった。
「みんな、見てますよ」
流し目で、ゴウの視線がアーノルドから外れた。
視線を追いなさい。
そう叱るような動きであった。
たちまち、アーノルドはそれを追いかけた。
視線の先には、出入り口。
人が、雑多な人が、詰めかけてこちらを見ていた。
多くの目が、ゴウと、アーノルドに向けられていた。
「────ッ!!」
わ、私は元々飲み物を取りに来ただけだ!
とアーノルドが言った。
吐き捨てるそれであった。
しかし、ゴウはにこやかに笑ってそれを受け止めた。
「そげなんでしたら、おいが食堂に口利きしますけん。つめたーいビールでんコーヒーでん、アーノルドさんのお部屋に持っていくように言っときますたい」
それで、今日んところはカンベンしてください。
そういって、丁寧に頭を下げた。
上手いタイミングで、上手いバランスを選んだものだった。
ここでさらに攻撃的に捲し立てれば、セラフィックスでのアーノルドの立場を危ぶめかねない瞬間を、ゴウは切り取った。
キアラのカウンセリングを受けるスタッフは多い。
それどころか、過酷な環境に音を上げる者は時間と共に多くなる。
ここでキアラをいじめること。
それを、自身の品性と信用の失墜との天秤にかけるなら、彼の性格が選ぶものは決まっている。
「ふ、ふん! とにかくこのことは所長に報告しておくからな! あとお前!」
「ゴウです」
「ゴウか……名前を覚えたからな。後でちゃんと私の部屋に冷たいやつを持ってくるんだぞ!」
そう言って、人盛りの激しい出入り口から逃げるように、その波と視線にさらされながら、アーノルドは退出した。
ほっ、とキアラは息をついた。
ゴウがにひひと笑っていた。
相変わらず、えくぼの可愛らしい子供のような笑みであった。
4.
「あの、すみません。ゴウさん……」
診察を終えて、多目的室の片付けをしていた。
ゴウは一旦自分の仕事場に出て行って、その間もキアラは診察を続けていた。
そして、夜になり、仕事が終わると彼はまた、ここに来たのだった。
なんがかい?
とゴウは聞いた。
目が点になっていた。
何のことだかわからない。
全身で疑問を投げかける姿勢であった。
「守ってくださったんですよね」
まぁ、そうばい。
微笑むキアラに対して、あっけらかんとしていた。
「おいは、あーいう手合いの転がし方は、なれちょるもんじゃけん。なんてこつなかよ、センセぇ」
偉ぶってる小心者ちゃあ、どこの世界にもおるもんよ。
とけらけら笑う。
懐かしむようであった。
いっそ、それが楽しいことであったかのように。
「あん子こそ、センセぇの診察ば受けにゃいかんち思うとばってんね」
「どうでしょうね……」
そこに関してはキアラも同意である。
間欠性爆発──つまり、突発的に攻撃性が膨れ上がり、人に当たり散らす症例である。
それに、自分の脳内で正当性を持たせて、自分の中では理路整然とした怒りなのだと自己弁護に走る姿勢が含まれる。
つまり、自分は正しく怒っている。
相手は、怒られて当然のことをしていると、脳内で勝手なストーリーが展開され、自己完結がなされるのである。
その精神状態は健全とは言い難い。
なにせ、それは端的に言って妄想と現実の区別がついていない状態なのだから。
極めて不安定な情緒と断言していい。
ああいう人にこそ、カウンセリングというものは必要なのだと、二人とも思っていた。
それはそれとして、ゴウは名前を覚えられてしまった。
顔も、覚えられただろう。
それは、ちょっとまずいのではないだろうか。
この先、セラフィックスでのゴウの立場を予想して、キアラは心配になっていた。
だが、当人はそんな心配などどこ吹く風であった。
「そげん心配せんでよかよ、センセぇ。どげな人生でも『
こげなん、おいの人生を豊かにする肥やしたい。
ゴウは変わらずケラケラと笑うのであった。
「私は、貴方の人生の肥やしになれてますか?」
つい、出た言葉であった。
言い終わって、はっとして、ごめんなさい、と頭を下げた。
ゴウは、にっと口角を広げた。
笑みの種類を変えた。
それは、アーノルドに向けていた視線と、少し似た空気を纏っていた。
「センセぇは肥やしというより、じゃがいも畑に咲く薔薇たいね!」
ゴウは言い終わると、ぷっ、と吹き出した。
ゲラゲラ笑っていた。
シリアスな間は、一瞬で崩壊した。
キアラは改めて、なんだかこの人にはずっと振り回されているような気がして、ぷくっと剥れて、でもふっと息を吐き出して、それから、小さく笑った。
「よかよか! そればいセンセぇ! 笑っとる方がよかよ!!」
ええ、とキアラは言った。
でも、と付け加えた。
「もう夜も遅いですし、音量は低めにしましょうね」
ゴウの笑い声は、ボリュームを下げてお送りされた。