【完結】キアラの望みを叶えるために、全能の神が君臨するお話【挿絵有り】   作:ロウシ

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第二章最終話です


第三話:本当の声で僕ら歌ってんのかな。ああ、聞こえないふりなんかすんなよ

0.

 

 

「外はどうかね? 楽しいかね?」

 

 ふと、『それ』は話しかけられた。

 喋りかけながら、サングラスの老人は、タイピングの手をとめることもしない。

 視線を『それ』に投げることもしない。

 ただ、恐れのない声を、気さくに投げられた。

 馴染みの仲の、十年来の友に声をかけるような、気軽さであった。

 

 『それ』は、椅子に座っていた。

 人のカタチをしていた。

 大きな身体であった。

 立ち上がれば、身長は二メートルに近い。

 胸板が分厚く、そこから腰回りに降って肉体がシュッとしまっている。

 無駄な脂肪がなかった。

 胴体から尻にかけてのシルエットが、瓢箪のくびれのような、削り取ったばかりの彫刻のような、荒荒しく無機的な美しさを誇っていた。

 胸より上を見る。

 首が太い。

 肩周りが大きく、丸い。

 腕が太かった。

 手が分厚く、指が長い。

 手の甲の皮膚がザラついていて、滑らかで、赤ん坊のそれのようであった。

 脚も太い。

 やはり太くて、長い。

 手首と足首の大きさが尋常ではない。

 つまり──それがこの男にあるとすれば──見るからに骨が太くて頑丈なのであった。

 全体的に、マッシブな男性の姿をしていた。

 超一流のボディビルダーや、ヘビィ級のボクサーのようだ。

 にも関わらず、その顔はどちらかといえば、美形のそれであった。

 端正な顔立ちである。

 顎先まで引き絞られたような骨格であった。

 目鼻立ちが高く、西洋人的なハンサムフェイスに、心を伏したような落ち着きと、達観した微笑みを薄く貼り付けることをデフォルトとする顔であった。

 頬を撫でる指がしなやかにうねっている。

 ひとつひとつの関節部位までの幅が長かった。

 

 身体の節々から、その微かな仕草からすら、妙な色気が見てとれる。

 ありえないはずの太く大きな肉体から、ありえないはずの細く、美しい四肢の先端を持っているからだろうか。

 太く大きいが、動きはことごとく細くしなやかであるからだろうか。

 矛盾する肉体美は、ひとえに『それ』──彼が、この世の存在でないことを端的に現していた。

 

 髪が靡いている。

 室内に風は吹いていないのに。

 癖っ毛なのか、特に手入れなどしていなさそうだが、毛先が束ねられて、くるくると巻かれて、四方八方に伸びていた。 

 

 彼は、椅子の背にもたれかかり、体重を預けていた。

 椅子が軋んでいる。

 どうやら、その身体には見た目相応の質量はありそうだった。

 男の仕草のひとつひとつが、科学者たる老人たちには注視する事柄であった。

 彼は、顔を上向きにして、首をのばしていた。

 あるがままに心を任せている。

 身体から力を抜いている。

 リラックスした状態であった。

 彼にも、重力はきちんと働いているのか。

 これは、彼もまた、この宇宙では重力という法則には従って生きねばならないということか。

 それとも、あえて重力という、この世の絶対法則のひとつに従っているだけなのかはわからない。

 その様子。

 確信できることは、ひとつ。

 三人の科学者に対して、彼は、なんの警戒心も抱いていなかった。

 

「楽しいよ」

 

 彼は、そう答えた。

 視線を合わせない。

 感情が乗っていない言葉であった。

 杓子定規な返しである。

 とりあえずはね──そう前置きしているようであった。

 事実、その後に、そこそこね、と付け足した。

 

 そこはセラフィックスの、裏の部屋。

 研究室とは名ばかりの、隠し部屋と呼んで良い場所であった。

 

 セラフィックスの所長、ヒデヤス・アジマが直々に選抜した中でも、飛び抜けた能力を持つ三人の科学者たちは、セラフィックスの中では費用も時間も気にせず、自由に研究することを許されていた。

 だが、セラフィックスの中を、自由に行き来できるわけではなかった。

 行ける部屋が決まっていた。

 基本的に、セラフィックスの中にいくつか存在する、隠し部屋である研究室。

 それと、セラフィックスの中枢である天体室。

 自由に行き来できるのは、このわずか数部屋だけであった。

 その僅かな移動ですら、監視の目が外れることはない。

 広間の食堂を使うことも許されてはいなかった。

 表に出ることなど言語道断であった。

 一般職員との接触自体、完全に禁止されていた。

 

 もし破れば、対価を払わねばならない。 

 それは、自身の命である。

 誰にも知られずに、セラフィックスに紛れ込んでいる『掃除屋』に暗殺され、その日の内に遺体は海に沈められ、サメの餌となる。

 だから、三人の研究者たちは、陽の光を浴びるということから、もう何年も無縁の生活を送っていた。

 まるで隠形(いんぎょう)に生きるものたちである。

 普通の人間ならば、気が狂ってしまいそうな環境であった。

 たが、彼らは尋常のものではなかった。

 その力が、ではなく、その心が。

 あるいは、その思考が。

 

 だが、狂気に身をやつして神に弓引く愚を嬉々として遂行ながらも、彼らは良心と理性を兼ね備えてもいる。

 それに苦しむような童心は持ち合わせていなくとも、矛盾した性質に足を止める程度の倫理は持っていた。

 

 だから、その質問は。

 感傷からつい、こぼれたものなのかもしれない。

 その証拠に、僅か〇.一秒も満たない微表情の中で、言った本人が一瞬、はっとした顔を見せていた。

 

 わすれてくれ。

 そう言い直した老人に、

 イヤだね、と彼は返した。

 

「吐いたツバは、飲み込めねぇよ」

 

 粗雑に吐き捨てるそれは、人の世の真理であった。

 ぐるんと、老人に顔を向けた。

 蒼い瞳が、ぎらりと光っている。

 

 老人はひゃっひゃっと笑った。

 彼を──まるで恐れていない。

 彼は、神であった。

 おそらくは、全知全能に等しいレベルの。

 剥き出しの神性で空間を満たす、極めて無遠慮な神であった。

 しかし、それを前にしてなお、三人の科学者たちは、変わらぬ自分であり続けていた。

 

 死ぬ覚悟ができているのである。

 いつ、死んでも良い。

 どう取り繕おうと、命を踏み躙る仕事をしているのだから。

 奇跡を大義名分に、人の尊厳を奪う科学を起こしているのだから。

 いつ、自分の番が来ても良い。

 三人は、度合いの違いはあれど、死に対して潔さを持っていた。

 今日死ぬ覚悟が、いつだってあるのだ。

 だから、神の力を前にしても、自分を見失わないのである。

 

 そして、神たる男にとっては、三人の科学者の、まさにそういうところが好きなのであった。

 この神は気まぐれであった。

 彼女の願い受け入れて君臨こそしたが、その時が来るまでは奔放に振る舞う気である。

 心の奥底では、人の世で、神の身勝手(全能)を押し通すことを屁とも思っていない輩であった。

 本来、人間というものは下等生物だという、自らの力から滲み出る自負故の驕りがあった。

 故に──自身の類型を愛でるのである。

 無遠慮で、無配慮で、こちらの土俵に土足で踏み上がるような輩を好んでいた。

 反骨精神と暴力性にあふれ、しかし、冷静な人間が好きであった。

 ある種の哀しみを理解しつつ、好奇心に負けて道を踏み外す愚か者。

 どの世界においても、文明社会を紐解くと必ず現れる歴史的大馬鹿野郎が大好物であった。

 それが、人間の本質。

 多くのヒトを見てきた男の、ひとつの結論であった。

 そういう大馬鹿こそ、人々の文明社会に一層強い輝きと彩りを与えるものだと、その神は知っていた。

 

「──ただ」

 

 神は言った。

 

「思ったより、けんかが少ねぇのがつまらねえな。もっと、自由気のままであるがままに、血を見るもんかと思ってたんだがよ」

 

 セラフィックスに勤める労働階級の男たち。

 それは、多くが脛に傷を持っていた。

 みながみなではないが、血の気の多く喧嘩っ早い性格であった。

 賭け事が好きで、

 力が有り余っていて、  

 酒とタバコが好きで、

 人に、躊躇なく暴力を振るえるような人間が多かった。

 そういう人間が孤立した空間に集まると、自然と諍いが絶えず、派手な喧嘩が起きる。

 いわれなき暴力から身を守るため、あるいは自らの力を他者に見せびらかすために、派閥が生まれる。

 それは、次第に独自のコミュニティで結束し、対立を深め、さながらマフィアもどきのようになり、それぞれがあくどいことを平気でしだすのが人間の常なのだが、ここにはそれがなかった。

 

「例のセラピストかね?」

 

 サングラスの老人が聞いた。

 そうだ、と神は答えた。

 

「アレは、ちょっとフツウじゃねぇな」

 

 ぎしり、と椅子が軋んだ。

 背を丸め、指を組み合わせて、神は前屈みになった。

 その顔に、微笑みが浮かんでいる。

 どういう種類のそれかは、判断がつきにくかった。

 しいていうならば、憂いであろうか?

 何に対するものかは、三人にはわからない。

 ひとつわかることは、この表情の先にいるものが、そのセラピストではないということだ。

 ならば、このセラフィックスの、予想外のつまらなさに対して向ける感情なのか。

 それとも──神の視座からのみ、視えるもの。

 つまり、()()訪れぬ未来に対する失望なのかもしれない。

 

「あれは、極端なヤツだよ」

 

 人間社会ってやつがある程度熟すと、ヒトの願いを聞き入れたかのようにああいうのが出てくるんだ。

 救世主(メサイヤ)か、悪魔(サタン)か。

 いずれどっちかに振り切れる。

 人界に留まらない怪物ってヤツだ。

 

「ほほぅ。そのセラピストが、キリストの生まれ変わりだと言うのかね?」

 

 限りなく近いものだと思うぜ。

 と、神は言った。

 

「あれで、あとは信仰を力に変換する術を覚えたら、今すぐにでも神の仲間入りができるだろうな」

 

 それほどかね? 

 と老人が聞くと、

 神は、

 ここだからな、と答えた。

 

「セラフィックスっていう、孤立した狭い世界だから、余計にな。こういう閉じた環境ってのは、信仰が一極化しやすく外部に漏れねぇからな」

 

 この世は我が世。

 永久(とこしえ)に。

 

 それが、神の世界の基本だよ。

 それを満たす要素が、ここには多すぎらあ。

 

 

1.

 

 

 ことの顛末は聞いていた。

 セラフィックスの副所長、アルミロの行動と決断は早かった。

 先日の、アーノルドが起こした喧騒。

 彼が、多目的室で診察を行っていたセラピストの元に詰めかけて、一悶着あったこと。

 多くのスタッフが目撃していたために、証言を集めるのは簡単であった。

 どちらに非があるのかは明白だ。

 しかし、アーノルドはちゃんと報告をしに来たし、セラピストと患者が結果的に、多目的室とその近辺を占領する形になってしまったという意見も、頷けないわけではない。

 

 裁決は両成敗、という形が一番いいだろう。

 アルミロはキアラにそれを伝えるために、礼拝堂へと歩いていた。

 早足であった。

 焦りと、それを抑えんとする落ち着きが交互に出ている。

 

 既に、管制室に立ち寄って、アーノルドには話を付けていた。

 彼はしぶしぶながらも裁決を受け入れた。

 ぶつぶつと文句を呟きながらも、ではあるが。

 今のアルミロにとっては、そんなことは些事であった。

 

 礼拝堂まで、言伝ではなく自らの足で赴くのに、二つの理由があった。

 ひとつは、キアラの様子が気になっていた。

 これは、単純にそのままの理由だった。

 アルミロは、キアラのことを好いていたのだ。

 女性的にも、人間的にも。

 彼女の元にいる。

 話をする。

 話を聞いてもらう。

 すると、心が安らぐのだ。

 だから、話をするときは、なるべく顔を合わせた状態で行いたかったのだった。

 

 そして、もうひとつ。

 気になっているのは、むしろこっちの方だ。

 未知はこっちだ。

 ここしばらくずっと、キアラと親しくしているセラフィックスのスタッフ。

 労働階級の、大きな男。

 キアラがアーノルドを口撃の末に退けたのも、この男がきっかけだと多くの職員から言質を取れた。

 その男の特徴と名前を聞き、個人的に礼を述べるべきだと判断して、スタッフリストを探った。

 

 そして──ゴウという男が、リストにいないことに気づいたのだ。

 

 何度も目を通した。

 デジタルのリストを隅々まで検索してから、資料室に赴いてアナログの資料まで引っ張り出した。

 だが、何度見ても、どれを見ても、どこにも『ゴウ』などという人間はいなかったのだ。

 廃棄した者たちの資料も掘り出したが、結果は同じ。

 名前の一部分ですら、ゴウという文字が引っかかることはなかった。

 

 先日、アルミロは密かに『掃除屋』とコンタクトを取った。

 リスクを承知の上で。

 全て飲み込み、覚悟し、金とタバコを握らせて、聞いた。

 

 かつて、お前が始末したセラフィックスのスタッフに、目に三本傷のある大男はいるか?

 

 と。

 知らない、と『掃除屋』の男は答えた。

 そこで、アルミロは確信を得た。

 得体の知れない恐怖に、胸がざわついた。

 ご苦労、と、掠れた声がでた。

 男の胸ポケットに折り曲げた金束をねじ込んで、顔を青ざめさせて部屋に戻った。

 

 ベッドに倒れこみ、うつ伏せて頭を抱えた。

 粘っこい汗が止まらなかった。

 所長に報告すべき案件だ。

 自分の頭で考えられる、ゴウという男の正体。

 一番ありそうなのは、他のロードからの刺客。

 セラフィックスの、本来の研究。

 その本来の目的は、他のロードたちに知られてはならないもの。

 表向きを油田基地としているのも、海上に孤立させている立地も、アニムスフィアがその秘匿性を鑑みて実行した計画である。

 だが、人の口に戸は建てられないのが道理だ。

 どこかから漏洩した情報が、他のロードに渡った。

 だから、セラフィックスの破壊工作のために、ゴウという男が派遣されたのだと。

 

 労働階級の人間は、荒くれ者たちが多い。

 『掃除屋』の男もそうだが、元は木っ端微魔術師であったり、ギャングに所属していたり、後ろ暗い経歴を持つものも多かった。

 だから、そういった雰囲気の男がひとり、スタッフにしれっと紛れ込むのは容易いことなのかも知れない。

 ああいう世界では、他人の過去の詮索を行わないのは暗黙の了解だ。

 下手に人の過去に干渉しようものなら、いつ首の上にギロチンか浮かび、いつそれが落ちてくるかわからないからだ。

 

 だが、これは見過ごせまい。

 その日、アルミロは深呼吸をした。

 深く深く息を吸って、肺の中の酸素を全て吐き出すつもりで長く息を吐いた。

 

 冷静に。

 冷静にならなければ。

 

 ここで所長に伝えるのは危険が大きい。

 なぜなら、我々にも『掃除屋』にも気づかれずにセラフィックスに侵入している凄腕だ。

 役職の動きは把握している可能性がある。

 早い話、深夜の今、自分がこの部屋から出ても、所長の個室にたどり着けない可能性が高い。

 そのまま帰らぬ人となる可能性が、高いのだ。

 

 悩んだ。

 悩んだ。

 胃薬を流し込んだ。

 唐突に迫り来る死の予感に、内臓が悲鳴を上げていた。

 

 悩み抜いた末に、アルミロはゴウという男と、話をしてみることにした。

 あの男は、労働階級としてまじめに従事していることは事実だと言質が取れていた。 

 キアラにも、毎日毎日会っているわけではなかった。

 仕事はちゃんとやって、休み時間や終業後に礼拝堂に来ているのだ。

 その生真面目さが演技である可能性は、もちろん高い。

 だが、話の通じない輩ではないと思うしかなかった。

 だから、せめてキアラの前で話しを切り出そうと考えた。

 

 工作員──ゴウにとっても、自分の存在は秘密裏でなければなるまい。

 ならば、多人数にそれと知られることを恐れるはずだ。

 キアラや患者の元でこれをチラつかせれば、暴力沙汰ではなく話し合いの席につけるのではないかと考えたのだ。

 甘っちょろい考えであった。

 だが、その生き様が優等生であるアルミロには、このぐらいが限界だった。

 精一杯考えての決断と行動であった。

 

 

2.

 

 

 礼拝堂に近づくたびに、汗が滲み出た。

 足がもつれるようだった。

 自身に降り注ぐ重力がおかしくなってしまったのか、一歩踏み出すごとに、地面がぐらついているように思えた。

 

 そして、礼拝堂の前に立ち、その扉に手をかけた。

 

 そこで──

 

 

「やぁやぁ副所長さま。センセぇは今お昼休み中ですぜ?」

 

 

 背後から届いた声に、心臓が跳ね上がった。

 額からぶわりと汗が滲んだ。

 それが頬を伝って顎に滴るまで十分な間を開けて、アルミロがゆっくり振り返った。

 

 大きな男が立っていた。

 

 口元に、不気味な笑みを浮かべていた。

 目に、爪で引っ掻いたような三本傷があった。

 

 まぁ──

 

 と、その男が言った。

 口調がまるで違う、空気を凍り付かせるような、恐ろしい声であった。

 

「アンタが会いに来たのは、俺なんだろうがね」

 

 アルミロは、心臓を握りつぶされる思いであった。

 




第二章終了
第三章運命複雑骨折に続く
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