【完結】キアラの望みを叶えるために、全能の神が君臨するお話【挿絵有り】 作:ロウシ
ちょ、投稿時間!? これも快楽天の力か……
第一話:抗鬱剤をもっとくれ、不安でしょうがない
1.
星の天幕の下であった。
部屋の中であるにもかかわらず、見上げる天井には黒い世界(宇宙)に星々が瞬いていた。
それは、
絵画でも、
模様でも、
ホログラムでもない。
傍目で見ても、それは立体的で、奥行きがあった。
しかも、奥行きに限界が感じられない。
さながら、本当の宇宙がすぐ近くに存在しているようだった。
呆然とそれを眺めていると、距離感がおかしくなっていく。
近く──しかし、遠くにある輝きからは、アルミロには星の息遣いが確かに感じられた。
礼拝堂の前でゴウに呼び止められた、セラフィックスの副所長。
アルミロは今、『図書館』にいた。
ただし、いわゆる普通の図書館ではなかった。
奇妙奇天烈。
それは、先述した天井に広がる宇宙だけではない。
左右上下に、所狭しと並べられた本棚がある。
本がたくさんあるのは、図書館としては普通だが、配置がおかしい。
……そう、本棚が上下にあるのだ。
ぎっしり本が詰まった木造りのそれが、宙に浮いていた。
いくつもある。
『図書館』の基本構造は、一本線の通路の趣きがあった。
背表紙を通路側に向けて、本棚が左右にぎっしり詰めて並んでいる。
それが左右に並び立ち、一本の道を作っていた。
床は……タイル状の、しかしガラス板のような、透明な板を敷き詰めて作られていた。
その向こうに、『黒い渦』がある。
ひとつひとつの板の中に、ひとつひとつ黒い渦があった。
よく見ると、それらは全て蠢いている。
それを、じっと見つめている気にはなれない。
渦は引力を持っていた。
ずっと見ていると、目が離せなくなりそうだった。
それどころか、自分の身体がその渦に向かって、引っ張られていく感触があった。
アルミロは、慌てて顔を上げた。
青ざめていた。
喉を鳴らす。
ずらりと並んだ左右上下の本棚に目をやる。
そもそも、本棚の高さがおかしい。
見上げど見上げど、てっぺんが見えないのだ。
どれほど首をそらせても、本棚の頂点は、天井の宇宙に吸い込まれるように伸びている。
果てがない。
そして、梯子も階段もない。
道へ、正面へ目を向ける。
長机が等間隔で置かれていた。
薄く茶色の塗装がされた、木造りのがっしりとしたものだった。
何度も塗り直したのだろう、不自然な厚みがあった。
年季が入っているのだろう。
木と本の、古びたそれに囲まれたときの、あのなんとも言えない匂いがする。
椅子も、同様の作りであった。
座り心地はさしてよくない。
これらは、特に不思議なものではなさそうだった。
本棚の合間にある白い壁には、ポスターがいくつか見える。
だが、そこに書かれている文字は読めない。
なんなら、そこに描かれているであろう、キャラクターなりの姿もぼやけていて見えなかった。
そもそも、これだけ広い図書館だと言うのに、利用者の姿がない。
自分と、ゴウだけしかいなかった。
それだけに、空間がより広く、長く感じていた。
アルミロは、自分を見失いそうになる光景に頭がくらくらした。
ゴウ先導され、礼拝堂の扉をくぐった先が、この『図書館』であった。
訳もわからず騒いだアルミロに、
ゴウは、
「アルミロさん。図書館ではお静かに」
ゴウはちら、と周りに視線を投げた。
特に何もない。
ゴウはふぅ、と息を吐いた。
そのあと、この椅子に座らさられたのだった。
「何か、飲むかい?」
ゴウが言う。
軽い物言いであった。
「セルフで飲み物があるんだよ」
かちゃかちゃとコップを二つ、いつのまにか立てかけられていたケージの中から取り出した。
透明で、八角形で、プラスチック製のごく普通のコップだった。
「とってくるよ。どれがいい? コーヒーと、麦茶と、オレンジジュースと……あと、なんかよくわからんのがあるが……」
「……よく、わからんもの?」
うん、とゴウは頷く。
「どっかの世界で流行ったらしくてよ。スムージーみたいな飲み物に、カエルとかのたまごを入れて、カフェオレを混ぜて飲むらしいんだが……」
「た……タピオカかい? もしかして……」
ゴウは、
あーなんか、そんな感じ。
俺はあれ、よくわかんねぇんだよね、何がいいのか。
「コーヒーで、頼むよ……」
「砂糖はいるかい? ここの砂糖は甘ったるくて、頭が回るよ」
お願いする。
とアルミロは言った。
消え入りそうに霞んでいて、ほとんど声になっていなかった。
2.
アイスコーヒーを目の前に置かれた。
ごろりとした氷が三つ入っている。
カップのとなりに、ガムシロップが二個、ミルクがひとつ、転がしてある。
対座するゴウのカップには、オレンジジュースが入っている。
ストローを挿していた。
細かい氷がザラザラと揺れていた。
さて、とゴウが切り出した。
「聞きたいことが、山ほどあるだろう」
俺も、言いたいことが山ほどある。
何から話しゃいいのか、迷う程度には。
おっと、『ここ』については知らない方がいい。
ここは図書館。
それだけわかってれば、それでいいからね。
なんの本があるのかとかは、知らない方がいい。
まだ死にたくないならね。
床の『黒い渦』に関しても、知らない方がいい。
まだ
ゴウは楽しそうであった。
その言葉のひとつひとつが、彼にとっては特級のネタばらしなのだからさもありなん。
だが、いきなり非日常的な空間に連れてこられたアルミロには全てが不気味であった。
それを含めて楽しいのだと言うように、ゴウはけたけたと笑っていた。
「わた──」
「その前にさ、コーヒー、飲んじゃってよ」
やっと吐き出せた言葉に、言葉を被せてくる。
おちょくっているような間の外し方であった。
アルミロは小さく口をあけて、止まってしまった。
ゴウはその様子に満足しているのか、楽しそうな声で続けた。
「
じゃないと、
「あんたの存在が、この世界から消えちまうよ」
──ッッ!
がっ、とコーヒーを口に運んだ。
そして、思わず嗚咽した。
苦い! あまりにも苦すぎる!
アルミロは思わず口を離して咳き込んだ。
それをみて、ゴウは手を叩いて小声できゃっきゃと笑っていた。
「慌てて飲めとは言ってねぇよ。大丈夫か? ここのコーヒー、ブラックだと恐ろしく苦いんだよね。シロップを二個持ってきてあげたのは、そういうことなんだよ」
…………!
ガムシロップをふたつ、ミルクをひとつ。
アルミロは手際よくコーヒーに入れた。
じろりとゴウを睨んでいた。
「マドラーがストロー、いいですか?」
「はいよ」
ゴウはストローを渡した。
カラコロとかき混ぜる。
黒に近かったコーヒーが白と溶け合って、クリーミーな茶色になった。
それを飲む。
今度はとてつもなく甘かった。
コクがある。
心地よい風味が口内に広がっていった。
「不思議だよねぇ。普通、黒と白を混ぜたら灰色だろうに、コーヒーとミルクだと茶色になっちまう」
ゴウの言葉はさりげなく。
しかし、口調に柔らかさがあった。
アルミロの緊張をほぐさんとする意思があった。
アルミロはふぅ、とひと息つく。
コーヒーは、まだ半分残っている。
身中に心地よい甘さと冷たさが広がって、頭の中も精神も少し冷静になる。
落ち着いた心で、改めてきっ、とゴウを睨んだ。
「何者です……?」
「神だよ」
あっけらかんと答えた。
オレンジジュースを飲みながら。
「神……」
「そうさ。全知全能の神……ってぇのは言い過ぎだが、限りなくそれに近いよ、俺は」
ゴウはカップを置いた。
飲み干していた。
細かな氷まで余すことなく。
「ある女の願いを受けて、降りてきたのさ」
神の世界から。
とゴウは言った。
人の身であるアルミロからすれば、それはまるっきり気狂いの冗談、戯言の類である。
信じられなかった。
言葉だけでは。
混乱していた。
アルミロはてっきり、ゴウはどこかのロードの使いだとか、工作員だとか。
そういう……現実的な範囲での答えを予想していた。
せいぜい、暗殺者。
最悪想定で、凄腕の魔術師かテロリスト。
いや、このやりとりが、工作員特有の駆け引きである可能性はある。
現地職員を味方につけるための方便。
戯けた態度で接近し、現地協力者に引き込むための演劇である可能性。
アルミロは
ふっ、ふ、と息を太く短く吐いた。
「疑ってるねぇ。ま、当然か」
そうじゃないといけねぇ。
そのくらいの猜疑心は持ってくれねぇと、こっちも、わざわざキミを選んだ甲斐がないってもんだ。
言い終わると、ゴウはずこっ、とオレンジジュースを飲み干した。
その視線が半目で、艶やかに、アルミロに注がれた。
「私を選んだ……?」
おうさ、とゴウは言う。
俺のことを、おかしいって気づいただろう?
セラフィックスに、いるべき人間じゃないって。
それってさ、すげぇことだったりするんだぜ?
ってぇことは、アルミロさんは、デジタル的な資料だけじゃなくて、アナログの資料にまで目を通したはずだ。
何度も、何度も。
足を使って、手間ひまかけて、俺がおかしいって確信したんだろう?
それで、ひとりでハラぁ括って、ひとりで俺のとこにきたんだろ?
大したタマだよ、あんた。
俺から言わせてみれば、だが。
この世界の魔術師とやらは、どーも
データが画面だけ改竄されてても、データ上は問題ないから大丈夫だろう、みたいな。
ズボラだよな。
自分の想定する以上の問題を、一切考慮できねぇ。
俺が言うのもなんだが、ちょっと自信過剰だよな。
お役所仕事的っていうか……まぁそんな感じだな。
これは、自分は褒められているのだろうか……?
空恐ろしいことをつらつらと述べるゴウの口。
その表情からは、称賛、苛立ち、呆れ──さまざまな感情が吐き出されていた。
「よーするに、俺はあんたを気に入ってる」
だから、ほんの少し、ズルをすることにしたんだ。
こう見えて、俺はニンゲンが好きだからね。
ゴウは口角を吊り上げて、含みのある笑みを浮かべた。
単刀直入に言おうか、と。
「二〇一七年、セラフィックスの全職員が死ぬことになる」
そこから吐き出された言葉は、地獄の様相を示していた。
驚愕に目を見開くアルミロを見て、満足そうに笑みを深める。
どれ、捲し立てようか。
とゴウは続けた。
まず、何を持っても落ち着いて聞いてくれよ。
とも、言った。
「二〇一七年一月、セラフィックスでとんでもない事故が起きて、ここは外の世界から孤立する──というか、見た方が早いか」
──!?
なん……だと……!?
ゴウが指を鳴らした。
ぱちん、と音がする。
次の瞬間。
アルミロは、宙に立っていた。
そこから、眼下に広がる地獄を見た。
場所はセラフィックスだ。
間違いない。
それは、間違いない。
何度も見た場所だ。
中央官制室、それと、礼拝堂の前の広場。
二つの画面が同時に見えている。
どちらも、何度も何度も仕事をして、立ち寄った場所だ。
その景色を間違えるはずがない。
だが、間違いであって欲しかった。
そこで、行われていることは。
──これは人間への天罰への天罰だ
──我々が傲慢に利用してきたインターネットの怒りだぁ!
叫び声であった。
怒号であった。
意味のわからない、狂人のそれであった。
叫ぶ彼らは、セラフィックスのスタッフたちである。
薬物でも決めているのか、爬虫類のように目をぎょろつかせ、血走らせ
口角が外れるほどに顎を開き、涎を垂らして喚き散らす。
ひとりではない。
何人もが、そうなっていた。
ある男は、頭にパソコンのコードを巻き付けている。
ある男は、記録用のディスクを口に詰め込んで。
ある男は、パソコンから抜き取ったCPUを天高くに掲げていた。
狂人の狂騒。
彼がもはや普通ではないことがありありと伝わってくる。
そして、彼らが取り巻く中心。
それが、なにより信じられない、信じたくない光景だった。
壊れたモニターを並べて、コードをスパゲティのように床に突き立てた鉄骨に巻き付けて、そこに、生きたままの職員を巻き付けて、火炙りにしていた。
「なっ、なっ──!?」
声が出なかった。
理解ができない。
何をしている?
何が起こっている?
恐怖と混乱に髪を掻くアルミロに、ゴウの声が届く。
「二〇一七年二月のセラフィックスだ。孤立した集団がカルト化し、
これが、未来の、セラフィックスの光景だと!?
「法の届かない孤立した領域に、多数の人間が生活することで起こりうる現象だよ。権威主義的パーソナリティの発現だ。この世界の実例で言うところの、極左赤軍の総括やスタンフォード監獄実験などに代表される、秩序を護る側に回った
ウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』に出てくる、狩猟チームの状態と言えばわかりやすいか?
「彼らは……自らの悪魔に……本能に従ったと……?」
そういうことだわな。
極限状況下において、人の凶暴性の発露は珍しくない。
暴力を止めるための暴力のない世界じゃ大抵こうなる。
「なぜ……こ、こんなことが……」
アルミロは吐き気を抑えていた。
背中を、恐怖が這い上がっている。
脳幹をハンマーで殴られたような衝撃が襲っていた。
生きたまま焼け死ぬ人間の臭いが漂ってきていた。
リアルな、それであった。
ぱちばちと、油が弾ける音が聞こえてくる。
それを、意に介さず狂乱する者たちが、信じられなかった。
ゴウは、言った。
「二〇一七年一月、セラフィックスは未曾有の事故に見舞われる」
彼が言うと、眼前に映る世界が入れ替わった。
二人はセラフィックスの全景が見える位置にいる。
基地の各所が爆発していた。
「な──なんだ、これはっ……!?」
油田の爆発?
組み上げた油に引火でもしたのか?
いや、違う。
だとすれば、基地自体が燃え上がり爆発して木っ端微塵になっているはずだ。
局所的に小さな爆発が連続する。
そんなことはあり得ない。
だとすれば、これは人災なのか?
アルミロの疑問に、ゴウは答えはなかった。
場面が移る。
二人は『図書館』に戻っていた。
呆然とするアルミロの前で、ゴウは二杯目のオレンジジュースに口をつけている。
「げん──」
金魚のように口をぱくぱくさせて、ようやく絞りだせた言葉であった。
「現実……なのか?」
間違いなく。
しなやかに、ゴウは答えた。
「さっきの映像はこの時間線の二〇一七年一月と二月に起きる、本当の出来事だ」
全て同時に存在する時間の面に、次元を隔てて少しお邪魔した。
つまり、全て現実の出来事だ。
「──そんな、まさか……待ってくれ、いや……」
アルミロは呆然と呟き、肘を立てて頭を抱えた。
脂汗が止まらない。
歯がカタカタと鳴っている。
「わた、私に、な、何をしろと……?」
膨大で、とても処理しきれない情報と衝撃を。
アルミロは、それでもなんとか噛み砕こうとしていた。
ゴウはくうぅっ、と顔を俯かせて、唸った。
仕草のひとつ、息のひとつから、たまらない感情が溢れていた。
破滅を予言されながら、生き足掻こうとする生命の貌。
こういうところが、ゴウはたまらなかった。
ヒトの、そういうところがたまらなく好きなのであった。
「なぁに、別に、何も求めてねぇよ」
俺はね。
と、神は言った。
それは、ある種の絶望の神託であった。
「な、なんだと……!?」
アルミロさんよ。
俺がセラフィックスに降臨したのは、ある願いを聞き取って、それを叶えるためだ。
その願いは、あの事故を止めることじゃない。
ましてや、セラフィックスの職員を救うことじゃない。
はっきり言っておくが、俺はあの油田基地の連中の生死に興味はない。
「──ッ!」
だが、まぁ。
ほんの少し、愛着が湧いてるのも事実だ。
「身体の主……?」
ああ、とゴウは頷く。
「俺ほどの力の神となると、そうそう人の世に降りることが出来ねぇのよ。それだけでひとつの大災害なもんでね。だから、セラフィックスで『掃除屋』に始末された男の身体を借りてるワケだ」
体格や、名前の読みが似てたんだよ。
確か……元の名前はツヨシだったかな?
ほら、ツヨシって、剛でも豪でも、ゴウって読むだろ?
「……な、なるほど」
リストに名前がないワケだ。
と納得する。
ひっでえもんでね。
こいつが賭け事狂いの借金まみれで、人生火の車の果てに、セラフィックスの施設運用の金にまで手を出そうとしやがった。
挙句、見てはいけないものを、見ちまったんだなぁ。
だから、『掃除屋』に始末されちまった。
俺からすれば都合が良かったし、そんなクズを、いちいち所長やらが覚えてるワケもねぇさ。
「…………」
見てはいけないもの。
やはり、神と名乗るこの男、セラフィックスの目的を知っている。
「なぜ……わ、私に……」
正直、現段階で開示された情報だけで、手に余るものだった。
アルミロは一般公募から、事務能力の高さを買われて選ばれたスタッフにすぎない。
アニムスフィアからの勅命で、基地の全権を担うヒデヤス・アジマや、彼の手付きの魔術師や科学者とはそもそも違う人種である。
いくらでも変えが効く。
ただ、その情報を、書面で知っているに過ぎない。
あの未来が本当に起こるならば、知らせるべきは所長であるヒデヤスではないのか。
「──だからだよ、アルミロさん」
ゴウは言った。
力強い声だった。
「あんたは、狭間にいる人間だ」
一般人と言うには知りすぎている。
魔術師と呼ぶには力がなさすぎる。
大義のためと、書面で処理される命や数字に貶められる財産に苦悩できる人間だ。
だから、俺はあんたのことを気に入っている。
どっちのスタンスもニュアンスも、とりあえず理解している、このセラフィックスで唯一の第三者だからな。
変えが効く……?
とんでもない。
このセラフィックスで、唯一変えの効かない人材は、あんただよ。
ヒデヤス・アジマはどんなに権威を持ってようが、一介の、魔術師側の人間に過ぎねぇ。
ぶっちゃけ、アニムスフィアとやらにとっちゃあ、天体室とやらの監督ができれば誰でもいいんだろーよ。
本人は選ばれたことに無駄なプライドを持ってそうなのが救えねぇがな。
まぁ、この世界の魔術師は、だいたいそんな感じらしいが。
特に嫌な性格してんな、アニムスフィアってヤツは。
そしてよ、これは俺の経験上のハナシ。
狭間にいる人間ってのは、決定権を持ってるんだよ。
いざどっちかに振り切れるって時に、何を選択するのか、どちらに行くのかを自分で選べるんだ。
これはスタンスが振り切れてたり、思想が偏ってると、ダメなんだわ。
偏った答えしか出してこねぇからな。
どっちかの道をすぐ選んじまう。
本人にとっての、楽な道を。
迷いや葛藤がねぇ。
それが、つまらねぇ。
「……私は、選んだのか?」
それは、あの未来において、という言葉を孕んでいた。
何を、どう選んだのか、という意図を含んでいた。
ゴウはニヤリと笑った。
目が、横に広く伸びている。
ヘビが舌舐めずりをするような、獰猛な笑みだった。
「それを教えちゃあ、おもしろくないだろ?」
嘲るような言葉であった。
人の命など、面白いかつまらないかが史上の価値観じゃないのかと、笑っていた。
その表情は、人のできる笑顔ではなかった。
その言葉は、人の作れる感情が乗っていなかった。
アルミロは改めて実感する。
目の前にいるものは、少なくとも人間でない、と。
とはいえ──と、ゴウは腕を組む。
あれは、確定で起こる未来。
絶対に避けられない未来。
もしあれが起こらなければ、この世界そのものが無くなっちまう特異点的事象。
剪定事象って言うんだっけ? この世界じゃあ。
編纂事象だっけ?
まぁどっちでもいいか。
つまり、とはいえ、だ。
だからこそ。
「アルミロさんは辛いだろ? 避けられぬ死と滅びが、定まっているっていうのは」
「あ、あなたに、なんとかしてくれるように頼むというのは……」
ナシだね、と一刀両断。
「俺に奇蹟を望むとして、何百人もの命を救う対価を、アルミロさんは持ってねぇだろ」
ぐうの音も出なかった。
副所長として、部下の命を預かる責任はある。
だが、それはあくまで契約に基づく責任の話である。
つまり、アルミロは賃金をもらっている故の、立場と責任なのだ。
「供物ないのに神の全能を願うのは、あまつさえ人の命を救ってほしいと願うのは、烏滸がましとは思わねぇかい?」
両手を広げて煽るゴウに対して、しかしアルミロは何も言えなかった。
だが、それでも、心に沈殿する痛みがある。
それから、目を背けられない自分がいた。
「その顔、いい顔してるよ。だから、ここでも俺は選んでもらおうと思ってる」
もし、この責任に耐えられない。
迫り来る未来に何ひとつ抵抗する気がない、ってんなら。
俺は、ここで起きた、ここで知った、全ての記憶を消してあげるよ。
アルミロさんは、気づけば礼拝堂の前に立って、そこでセラフィックスのスタッフとしての俺と、セラピスト──殺生院キアラに会いにきたって記憶だけが残る。
「そ、それは……」
恥じることじゃないさ。
終末に耐えられず精神をすり減らすのは、人間だからというより、生命体の必然だものね。
だから、それを望むなら、全てが終わるその時まで、何も知らなかったことにしてあげられる。
俺は鬼じゃねぇ、神だ。
だから、これは神の慈悲でもある。
「どうする? 選ぶのはあんただ」
わ、私は。
私は──
3.
「あれ? 副所長さんじゃないですか。どうされました?」
礼拝堂に入ってきた男を見て、殺生院キアラは少し驚いた顔をした。
副所長のアルミロ。
ここに赴任したばかりの時に、一際自身に気を遣ってくれていた、優しい人だ。
傍目から見ても、ヒデヤス所長も信を置いているのがわかるほど能力のある人物である。
ヒデヤスのように、どこか超然とした、人をまとめ上げるカリスマ性はないものの、コツコツと積み上げた実績と柔和な態度で多くのスタッフに慕われていた。
その彼が、どうして礼拝堂にきたのだろうか?
見たところ、少しやつれているが、目の焦点もしっかりあっているし、精神の不調も肉体の不調も感じられないが。
「やあ、先生。相変わらず忙しそうですね。今日は診察してもらいにきたわけではないんです」
先日の、と切り出すと、ああ! とキアラは頭を下げた。
「す、すみません。この間のアーノルドさんとの件ですよね……」
「ええ。その注意……というより、それで先生が余計な責任を感じていないか様子を見に来ただけです」
申し訳なさそうに微笑むアルミロに、恐る恐る顔を上げたキアラはほっと胸を撫で下ろした。
天女のような微笑みで、その気遣いに報いた。
「ありがとうございます。私は大丈夫です」
ですけど……
と、キアラは目を伏せた。
アルミロは、その理由を知っている。
「大丈夫です、安心してください。アーノルドが彼に嫌がらせをしないように、私が目を光らせますので」
「……アルミロさんは、ゴウさんを知っているんですか?」
部下ですから。
と、ひと言。
アルミロは苦笑を浮かべた。
なんだか、複雑な感情が混ざっている顔であった。
キアラはそ、そうですよね!
とごまかすように、苦笑してみせた。
その仕草を見ながら、アルミロは考える。
本当に、
本当に、彼女が────
二〇一六年、六月。
セラフィックスの基地の上を、生暖かい風が吹いていた。