ヒロとウサギのアポカリプス世界冒険譚   作:やみくらげ

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29話 朱妃9

 

 

 

 

「セ、セイオウボさん………、記憶が初期化って………、今、俺が話している貴方は………」

 

「消えてしまうわね。でも、大丈夫よ。能力に変化は無いし、性格設定も変わらない。今まで赤の女帝陛下に誓っていた忠誠を、坊やに捧げるようになるだけよ」

 

「『だけ』って………、その………、記憶が無くなるって、今の自分が消えてなくなるってことじゃないですか? それって実質死んでしまうのと同じ……」

 

「消える? 死ぬ? ………この機体は稼働したままよ」

 

「機体じゃありません! 今! ここで! 俺と話している貴方のことを言っているんです!!」

 

 

 聞いてしまった蒼石によるブルーオーダーの効果。

 機械種セイオウボが人間ではなく機械なのだな、と改めて認識。

 けれども、俺のとっては人間だろうが、機械種だろうが関係ない。

 

 今、ここで、ダンジョンの最奥にて、

 テーブルを囲んでお茶を飲み、言葉を交わし、

 戦い合って、互いを知り、互いの一端に触れた。

 

 それが目の前の彼女なのだ。

 それが消えてなくなると知って、無心でなんかいられない。

 

 

 しかし、機械種セイオウボは、俺の剣幕にも、

 いつもと変わらぬ穏やかな口調で諭してくる。

 

 

「落ち着きなさい、坊や。何を気にしているのか分からないけど……、レッドオーダーはブルーオーダーされると、記憶が初期化され、赤の帝国の先兵から、人間の従僕へと変わるの。それは何百年も続いてきたことよ。機械種使いなら当たり前に知っていることでしょ」

 

 

 

 薄く微笑を浮かべたまま、そう語る彼女。

 当たり前のことを当たり前に話している雰囲気。

 

 

 俺が言いたいことを理解してくれず、

 逆に俺を窘めてくる始末。

 

 しかし、俺の感情はそんなことでは納得できない。

 

 出会ってから1時間にも満たない関係。

 けれど、すでに彼女は俺の中では非常に大きな存在。

 

 彼女を失うだなんて許容できるわけがない。

 

 

 

「俺は貴方が欲しいんです。記憶を失って真っ新になった貴方じゃなく! 今の貴方が………」

 

「ソレは無理よ。今の妾はどこまで行ってもレッドオーダーで赤爵。どれだけ坊やが妾を好いてくれていたとしても、妾が坊やを気に入ったとしても、陛下に捧げる忠誠には及ばない。陛下が命じれば、すぐさま敵対する以外の選択肢は無いの。そうなると、今度は試練ではなく殺し合いよ………、全力の妾とのね………」

 

 

 『赤爵』?

 言葉のつながりから『色付き』のことであろうか?

 

 つまり、セイオウボさんがどれだけ俺に好意を持ってくれていても、

 赤の帝国に従う存在で、決してトップには逆らえないということであろう。

 

 だとすると、彼女を『赤爵』のまま外に連れ出すことはできない。

 でも、蒼石でブルーオーダーしてしまったら、初期化されてしまう。

 

 もう八方塞がり。

 一体どうすれば、袋小路の状況を解決できるのか……

 

 

 

「何とかならないんですか? 記憶はそのままでブルーオーダーになる方法とか……」

 

 

 藁をも掴む気持ちで問いかける。

 すると、彼女は困ったような表情を浮かべながら回答。

 

 

「感応士の『蒼浄』なら、レッドオーダーの時の記憶を保ったまま、ブルーオーダーになれるらしいけど……」

 

「じゃあ!」

 

「それも無理なの。妾は最高位の朱妃。たとえ高位感応士でも妾を『蒼浄』するのは不可能よ。あの『鐘守』だって、妾を『蒼浄』するのに、どれだけの人数と日数を費やすことか………」

 

「でも、それしか手段が無いのなら………」

 

 

 その『鐘守』というモノが何なのかは知らないが、

 彼女を救うためなら、どんな手段でも取る覚悟。

 

 金が必要なら、いくらでも稼いでくれてやる。

 力が必要なら、どんな敵でも打倒してやる。

 

 それが不可能でない限り、

 俺の『闘神』『仙術』スキルを以って、

 どんな苦難でも乗り越え、達成してみせる………

 

 

 だが、俺の覚悟も、現実の前には容易く崩れ去るしかなかった。

 

 

「これも実行自体が不可能よ。妾はレッドオーダー状態では、活性化でも起こらない限り、このダンジョンから出ることができないの。そして、鐘守をここに連れてくるのも不可能よ。そもそも、鐘守は約定でこの辺境に来ることはできないのよ。稀に銘を剥奪されて追放された者や、自ら銘を返上した上で訪れる変わり者の鐘守がいるらしいけどね。でも、どの道、1人や2人ではどうにもならないわ」

 

「く…………」

 

「それに時間も無い。妾が先ほど新しい紅姫を誕生させたから。ダンジョンマスターを引き継いだ彼女が目覚めたら、下手をするとこの最下層に閉じ込められるわよ。それに………、新しい紅姫が生まれたことで、他の赤爵が様子を見に来るかもしれないわ。このダンジョンの最下層となると……、訪れるのは朱妃である妾に匹敵する力を持つ緋王ね。もちろん、妾のように手加減してくれるなんてあり得ないから」

 

 

 聞けば聞くほど、どうにもならないことがよく分かる。

 

 しかも、すでに時間すらない状態。

 早く決断しなければ、全てが無意味になる可能性だって……

 

 

「白兎! どうにかならないのか? お前をブルーオーダーした時、記憶を失ってなかったよな? 何か方法があるんじゃないか?」

 

 

 この世界に転移してすぐに出会った白兎はレッドオーダー状態であった。

 蒼石を渡され、言われるままブルーオーダーを行ったが、前後の言動から特に記憶を失ったようには思えない。

 

 

 ジッと俺達の様子を見守っている白兎へと問いかける。

 最後の頼みの綱とばかりに縋り付くが………

 

 

 フルフル

『ごめん。僕にもどうにもならない』

 

「なんで! お前だって……」

 

 パタパタ

『僕は機械種だけど……、宝貝、霊獣でもあるの。僕の機体の中に晶石は無く、蒼石をぶつけられてもただ痛いだけ。あのブルーオーダーは僕がもう一度マスターの従属機械種になるための儀式の意味合いが強いんだ。だから、僕が特別であって、セイオウボさんはそうじゃないから………』

 

「そ、そんな……………」

 

 

 

 最後の頼みの綱が切れて失意のどん底。

 

 もう蒼石によるブルーオーダーを行うしかない状況に至ってしまった。

 

 

 蒼石を握る手が震える。

 

 これをぶつければ、彼女は俺の仲間になる。

 だが、その瞬間、今ここにいる彼女は二度と戻らない。

 

 そんなものを、仲間にしたと言えるのか?

 そんなことで、俺は満足することができるのか?

 

 

 俺は、どうやっても、彼女を手に入れることができない………

 

 

 

 ガクッ……

 

 

 崩れるように膝をつき、

 床に手をついて、その場に蹲る俺。

 

 

 手に入れたと思ったら、指の間をすり抜けて落ちていった。

 

 

 そんなことは元の世界ではよくあること。

 

 だけど、この異世界なら…………、

 そんなことにはならないと勝手に思い込んでいた。

 

 そんなわけないのに…………

 

 

 

 視界が涙でぼやける。

 鼻水が流れてきて垂れてくる。

 

 

 自分の無力さが情けなくて。

 ここまでお世話になった人を救えなくて。

 

 一瞬、彼女をレッドオーダーのまま、

 ダンジョン最下層に置いておこうかと考える。

 

 だが、それは彼女への裏切りに他ならない。

 俺が求め、彼女がそれに応じてくれたのに、

 自ら放棄するなんて、裏切り以外の何物でもない。

 

 

 どうすれば、良いのか?

 何をすれば、彼女を助けられるのか?

 

 しかし、どれだけ悩んでも答えが出ない。

 ただ涙を流して蹲るだけ。

 

 

 

「坊や、悲しまないで……」

 

 

 

 そんな俺に機械種セイオウボが優しく声をかけてくる。

 

 

 

「坊やは、妾を……『機械種セイオウボ』を求めてくれたのでしょう」

 

 

 

 鈴を鳴らしたような澄んだ声。

 耳に染み入るような美しい調べ。

 

 未だ顔を上げられない俺だが、

 彼女の声を聞くだけで心が安らぐように感じる。

 

 

 

「妾は消えないわ。『機械種セイオウボ』は消えずに残る。坊や達が最下層を訪れてからのことは忘れても………、それは妾よ。坊やと白兎ちゃんと出会った時のことを忘れていたら、坊やは、妾を妾と……『機械種セイオウボ』と認めてくれないの?」

 

「それは…………」

 

 

 ハッと顔を上げれば、そこには両膝をついて、

 俺にソッと寄り添う彼女の姿。

 

 いつものように穏やかな微笑み。

 本来なら警戒心を呼び起こす朱色の目の光も、

 なぜか俺を優しく包み込むような気持ちにさせる。

 

 

「そんなことは………ありません」

 

 

 そう言うしかない。

 そうとしか答えられない。

 

 

「だったら、妾を坊やのモノにして。それが『機械種セイオウボ』である妾が望むこと………」

 

 

 そう言うと、彼女は手を伸ばし、

 ゆっくりと俺の頬に触れてくる。

 

 

「妾をここから連れ出して。貴方達、人間の世界を妾に見せて頂戴」

 

 

 唇を寄せ、耳元で囁く。

 

 

「今、この時のことを妾が忘れてしまっていても……、この先、坊や達と紡ぐ時間を、その何万倍、何億倍も積み上げて」

 

 

 澄んだ声が俺の耳へ優しく届く。

 

 

「妾は400年もの長きに渡って、ずっとこのダンジョンの奥底で待っていたわ」

 

 

 ほんのり漂う桃の香りが俺の鼻腔をくすぐる。

 

 

「空は青いと知っている。でも、青い空を見たことが無い。外には人間がたくさんいることを知っている。でも、人間を見たのは貴方が初めて」

 

 

 衣擦れの音が聞こえる。

 体の向きを変えたことが分かった。

 

 

「街があって、従属機械種がいて、お店があって、車があって………、知っているけど、知っているだけ。この目で見たことが無く、触ったこともない。だから妾は、この目で、この手で、外のモノを見たり、触れたり、したかったの………」

 

 

 俺の頬に触れている指が動く。

 頬の柔らかさを確認するように。

 

 

「妾をここから連れ出してくれる誰かを………、妾を正面から打倒し、ここから解放してくれる誰かを………」

 

 

 手が頬から離れ、俺の髪へ。

 上から下へと梳くように撫でる。

 

 

「やっと見つけた。やっと出会えた………、もう離れない。もう離さない……」

 

 

 ここで初めて声が滲む。

 ずっと凝縮されていたモノが溢れ出るような、

 ずっと渇望していたモノがようやく満たされるような、

 

 

「だから、お願い。妾を解き放って。そして、貴方と、白兎ちゃんと、新しい妾と、一緒に世界を巡りましょう」

 

 

 

 そう願う彼女に、

 

 俺はただ、頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「では、行きます…………」

 

 

 すでに覚悟は決まった。

 

 彼女を失うことはとても悲しい。

 

 けれど、俺は約束したのだ。

 

 俺と白兎と新しい機械種セイオウボで、世界を巡ると。

 

 彼女に人間の世界を見せてあげると………

 

 

 俺の手には、彼女を赤の呪縛から解放する蒼石が握られている。

 

 後はコレを彼女の額にぶつけるだけ。

 

 

 機械種セイオウボは優しい笑顔を浮かべたまま立ち尽くす。

 

 全てを受け入れ、その瞬間を待ち望んでいる。

 

 

 そして、そんな彼女に俺がしてあげられることは、ただ一つ。

 

 

 蒼石によるブルーオーダーにて、

 彼女を赤の呪縛から解放することだけ。

 

 

「セイオウボさん、俺は貴方に会えてよかったです」

 

 

 多分、コレが今の彼女との最後の会話。

 万感の思いを乗せて、感謝を伝える。

 すると、彼女はニッコリと微笑み、

 

 

「妾もよ、坊や………、あっ……、フフフ、いつまでも『坊や』は可哀想よね。これからは妾の主になるのだし………ここは、『旦那様』と呼んであげましょう」

 

「え? 旦那様? う~ん………」

 

 

 なんか急に俺がおっさんに戻ったみたい。

 旦那様って、響き、悪くはないけど、少しばかりおっさん臭いような……

 

 

「あら? ご不満?」

 

「いえ………、そ、それで構いません! ……わー、うれしいなー」

 

「フフフフ、気に入ってくれたようね。新しい妾にも、そう呼んでもらうといいわ」

 

「ハハハハハ……、そうします」

 

 

 まあ、呼び方くらい良いか。

 でも、見た目年上の美女に『旦那様』って呼ばれる年下の少年って、

 周りからどんな風に見られるのだろうね?

 

 

「ねえ、旦那様」

 

「はい? なんですか?」

 

「旦那様に一つお願いがあるのだけど?」

 

「なんでしょう?」

 

 

 突然のセイオウボさんからのお願い。

 

 少し驚きながらも、彼女の最後の頼みとあれば、

 どのような無理難題でも叶えてあげる心構え。

 

 

「よく顔を見せてくれる?」

 

「はあ、それくらいならいくらでも」

 

 

 他愛ないお願いに、拍子抜けしながら、

 彼女へと数歩近づき、顔を寄せると……

 

 

 

 チュ………

 

 

 

 唐突に、俺の唇に吸い付くような口づけ。

 一瞬冷たい感触が唇に走り、

 その後に続く甘い桃の香り。

 

 唇が合わさったのは1秒未満。

 けれど、俺に与えた影響は極めて甚大。

 

 驚きのあまり、石像のごとく硬直。

 けれども心臓の鼓動が馬鹿みたいに鳴り響き、

 頭が真っ白になって、呆けた顔を晒す。

 

 

 え、何?

 キス?

 キスされたの、俺?

 

 

 脳内は大混乱。

 眩暈がしそうなくらいに激しく動揺。

 

 対して、セイオウボさんは、『してやったり』というような、

 悪戯っぽい笑顔を浮かべ、俺に言い聞かせるように要求を述べた。

 

 

「これは新しい妾には内緒よ」

 

 

 口元に手を添えながら、

 朱色の目の光をキラリと輝かせ、

 

 

「これは今の妾と旦那様、そして、白兎ちゃんだけの秘密………、分かったわね! はい、返事!」

 

 

「はい! 分かりましたぁ!」

 

 フルフルッ!

『イエス、マム!』

 

 

 急に厳しい口調で返事を促され、

 俺は思わず背筋をピンと伸ばして大きく返事。

 

 白兎も耳をピンと立てて、

 ビシッとした軍隊様式での敬礼を返す。

 

 

 そして、数秒後……

 

 

 

「フフフフフフ………」

「アハハハハハ……」

 パタパタ

 

 

 1人と2機が顔を見合わせ、笑い声を上げた。

 

 

 

 

 

 

「そろそろ新しい紅姫が起きる頃ね。もう時間が無いわ、早くやってしまいましょう」

 

 

 ふと、思い出したかのように、セイオウボさんが時間切れを宣言。

 

 

「そうですか……」

 

 

 今の彼女との楽しい時間もこれで終わり。

 これから新しい彼女との関係が始まる。

 

 

「本当にセイオウボさんには最後まで、振り回されっぱなしでしたね」

 

「では、早く大人になって、逆に振り回せるぐらいになりなさい」

 

「はい、精進します」

 

 

 その言葉を発した後、俺は蒼石を右手に構えた。

 

 

「それでは………」

 

「新しい妾によろしくね。妾の分まで楽しませてあげて頂戴」

 

「はい………」

 

 

 少しでも気を抜けば目が涙でぼやけてきそう。

 

 だが、これ以上、醜態を晒すわけにもいかない。

 

 

「俺は、貴方のことを忘れませんから!」

 

 

 そう語りかけながら、

 

 俺は蒼石を彼女の額に叩き付けた。

 

 

 

 カシャーン!

 

 

 

 蒼石が澄んだ音を立てて砕け散る。

 無数の青い破片が宙を舞い、

 次の瞬間、眩い光へと変わった。

 

 

 視界の全てを塗り潰すほどの青い光。

 光は渦を巻きながらセイオウボさんの身体を包み込み、

 その中へと吸い込まれていく。

 

 煌びやかな衣装が輝く。

 赤や朱を中心としていた布地や装飾品が、

 青や藍、翡翠色へと次々に色を変えていく。

 髪を飾る宝玉も。

 首元の装飾も。

 長く垂れ下がる衣の裾も。

 赤の帝国に属する者であった証が消え、

 代わりに鮮やかな青が満ちていく。

 

 

 そして………

 

 開かれた瞳。

 そこにあった朱色の輝きも、透明感のある青へと変化していた。

 

 だが、その瞳には意思の光が感じられない。

 

 青い光が一定の間隔で点滅を繰り返し、

 まるで起動を待つ機械のように虚空を見つめている。

 

 

 その時、足元にいた白兎が激しく耳をパタパタ振った。

 

 

 パタパタ!

『ブルーオーダー成功! 今、マスター認証状態になったから、早く目を合わせて白の契約を!』

 

「分かった!」

 

 

 堪らず流れてきた涙を拭う余裕も無い。

 

 俺は慌ててセイオウボさんの正面へと立ち、

 その青い瞳を覗き込む。

 点滅していた瞳の青い光と、俺の視線が重なる。

 

 

「白の契約に基づき、汝に契約の履行を求める。従属せよ」

 

 

 すぐさま、白兎に続き、2回目となる白の契約の文言を唱える。

 

 

 すると、次の瞬間、

 

 

 ピカッ!

 

 

 先ほどまで以上に強い青い光が瞳から迸った。

 風も無いのに衣装が大きくなびき、長い黒髪が宙へと舞い上がる。

 

 俺と彼女の間を見えないナニカが接続。

 魂と魂が触れ合うような感覚。

 

 白兎をブルーオーダーした時と同じ。

 目の前の機械種と、自分の間に見えない繋がりが生まれていく。

 

 やがて、激しい光が収まり、

 浮き上がっていた髪と衣装が、ゆっくりと元の位置へ戻る。

 

 

 セイオウボさんの青い瞳から点滅が消え、

 代わりに、その奥へ確かな意思の光が宿る。

 

 長い睫毛が数度瞬き、

 彼女は初めて見る物のように俺の顔をじっと見つめた。

 

 そして、ゆっくりとその艶やかな唇を開き、

 落ち着いた口調で俺へと問いかけてくる。

 

 

「貴方が、マスターなの?」

 

「はい……」

 

「随分と可愛らしい坊やね……」

 

「え?」

 

 

 心当たりのある言葉に俺は一瞬目を瞬かせる。

 思わず、目の前の新しい機械種セイオウボを凝視。

 

 

 すると彼女は俺の視線に気づき、自らの発言を訂正。

 

 

「あら? ごめんなさい。流石に『坊や』は失礼ですよね。でも、これから何と呼べば良いのかしら……」

 

 

 彼女は少し考えるように視線を上へ向けた。

 そして、ふと、何かを思いついたように、楽しげな笑みを浮かべ、

 

 

「では……、旦那様と呼ばせてもらいます………、構いませんか?」

 

「あ…………」

 

 

 それは、つい先ほど、何度も聞いた俺への呼び名。

 奇しくも前の彼女と全く同じ。

 

 記憶は失われている。

 俺との出会いも。

 戦ったことも。

 最後に交わした口づけも。

 何一つ覚えてはいない。

 

 

 それでも、目の前にいる彼女の声も、表情も、

 口調も、笑みも、何も変わっていない。

 

 やはり、彼女は彼女なのだ。

 機械種セイオウボ。

 俺が出会い、仲間になってほしいと願った女性。

 

 

 ふと、消えてしまった彼女のことが頭を過り、自然と涙が零れ出る。

 しかし、従属させたばかりの彼女を前に、

 あまり格好の悪い所は見せたくない。

 

 頬を伝っていた涙を腕で拭い、

 殊更明るい笑顔を無理やり浮かべ、

 

 

「ああ。もちろん、いいですとも…………、セイオウボさ………」

 

 

 ふと、『セイオウボさん』と呼びかけて、

 

 でも、そう呼んでいたのは彼女だけだと思い出し、

 

 一旦、口を閉じて黙り込んだ後、

 

 

「君の名前は……『芙瑶(フヨウ)』だ」

 

 

 新しく仲間になった機械種セイオウボを名づけ。

 

 もちろん、花の名前である『芙蓉』をモジったモノ。

 『瑶』は、西王母の別名『瑶池金母(ようちきんぼ)』から取った。

 

 『瑶』は『美しい玉』を意味し、宝石全般を指すことが多い。

 また、『貴重で素晴らしい』という意味もあり、彼女の名前として使うに相応しい字と言える。

 

 

「芙瑶………、妾の名前………」

 

 

 急に俺から名付けられたことを戸惑いつつも、

 

 

「ありがとうございます、旦那様。素晴らしい名を授けていただいたことを、妾は生涯忘れることは無いでしょう」

 

 

 徐々に華が綻ぶように笑顔を見せ、

 個体名を授けられたことに喜びを表す。

 

 

「ああ! 今後ともよろしく、芙瑶………」

 

 

 まだ、声は僅かながら震えていた。

 未だ気を抜けば、涙を零してしまうかもしれない。

 

 でも、これから俺は新しい彼女と新しい記憶を積み上げていく。

 

 きっとこの痛みは忘れることはできないだろうけど、

 いずれ痛みに慣れ、表面に出すことはなくなるはず。

 

 

 だから、安心してください。セイオウボさん。

 俺は、白兎と芙瑶で、この世界を楽しく巡りますから!

 

 




すみません。次回の更新は7月18日(土)になります。
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