法華経転読   作:wash I/O

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第11話 法華の巨人……第ニ十三章“妙音菩薩”

 第8話、第10話と、法華経の座が異世界からの客人を迎える章を取り上げてきた。今回取り上げる法華経第二十三章“妙音(みょうおん)菩薩”(妙法蓮華経妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)第二十四)もそうしたものの一つとなる。

 

 本連載においては、こうした異世界、漢訳経典の言う“三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)”を、我々の住むこの宇宙とはまったく異なる並行世界と解釈して話を進めて来た。ひょっとすると読者の中には「いや、流石に古代インド人もそこまでは考えていなくて、せいぜい他の大陸のことを言ってたんじゃないの」との疑念を抱いている人もいるかも知れない。が、敢えて言おう。

 

 甘い。

 

 確かに、書き手のイマジネーションの限界から、ここまでに見てきた異世界の描写は、必ずしも並行宇宙とまで解釈せずとも理解できる範囲に収まっていた、別の意味での宇宙大の暴発はあったけれども。が、法華経の書き手の中には、どうやらこの問題に気づいて、これまたトンデモないことをさりげなく書き遺した愉快な人が紛れ込んでいたのであって、その彼の作品が本章ということになる。

 

 あまり期待を煽るのもアレなのだが、正直に言うと、ボクは法華経を読むとき、この章に至るとどうしても声を挙げて笑わずにはいられないのである。読者諸兄の笑いのツボが同様であるかは知る由もないが、ともかくこの面白さを独占するのは申し訳ない……というのも、本章は法華経全章の中でも最も影の薄い薄幸の章でもあるのだ……ので、これを紹介するのが今回の転読(うたたよみ)の目的となる。

 

 加えて……は特にない。ただ、それだけの章なのである、本当にコレは。

 

 本文に入っていく前に、何故、本章が法華経中最も影が薄い章となっているか、を説明しておくことにしたい。連載第2話の時点で既にそれに言及していたのだが「対になる内容で長さもほど近い第二十三章には偈がない」と書いたのがソレである。

 

 その時点では控え目に「対となる」としたが、より正確を期すならば、本章の言っていることは、後続する観音経とほとんど同じなのである。以下、ザッと要約すると、

 

・妙音菩薩は、あるときは梵王の身で、あるときは嵐の神の身によって、あるときは……(中略)……あるときは長者の婦人の身で、あるときは童児の身で法華経を説いたのだ。

 

・地獄、畜生、閻魔の世界や、不遇の場所に生まれた衆生たちに至るまで、法華経を説いて救ったのだ。

 

・后妃の住む宮殿の中に至るまで、女身に変じて救ったのだ。

 

・衆生の欲するところの応じて声聞にも辟支仏にも菩薩にも変じたのだ。

 

といったところであり、第二十四章“あまねく導き入れる門戸”が、観世音菩薩のおこないに仮託して、法華経教団に所属する比丘衆に期待される日々の実践を例示したのと、ほぼ同じ意図で書かれたものと判断できる。

 

 一方で、観世音菩薩こと観音様が、まったく信仰に縁のない人々の間にまで知名度が及んでいるのに対し、妙音菩薩の名前を知っている人は、おそらく読者諸兄の中にも皆無ではないか、と思う。まぁ、少し考えればわかることと思うが、法華経中に、内容がとても良く似ていてしかも隣接する章があり、その一方の主役キャラクタが圧倒的な人気を博せば、もう一方の影が薄くなるのは当然の話ではあるのだ。要するに、妙音菩薩は観世音菩薩に()()()()のである。

 

 法華経が必ずしも現在知られる章順に書かれたとは言えないことは、これまでも繰り返し論じてきた通りであるが、おそらく、本章と第二十五章は、本章が先に書かれて、それを踏まえて第二十五章が書かれたと考えて間違いなかろう、と思う。結論を先取りすれば、教団所属の比丘たちに日々の実践の模範を示すべく本章が書かれたのだが、思いの他ウケなかったため、同じ目的でリライトされたのが第二十五章であろう、というのがボクの読みである。

 

 逆に言えば、本章は、読む者・聞く者の心を捉え損ねた問題点を抱えていた、ということであり、実はこの問題点こそが本章の笑いのツボになっているのだが、一方で、同時にそれが、本章の書き手が二千年前の古代インドに生きた人とは思えないほどSF的なセンスを有していたことを証明してもいるのである。

 

 蛇足ながら、妙音菩薩について補足しておこう。前述したように、観世音菩薩の影に隠れて印象の薄い同菩薩であるが、これは必ずしも観音様のせいだけではない。これはどちらかというと法華経由来のそれではなく、真言密教において妙音天、あるいは美音(びおん)天とよばれる天部(てんぶ)の話になるが、一般的に我が国ではこれが、いわゆる弁財天と習合して語られる。

 

 七福神の一員である弁天様については、改めて説明するまでもないだろう。そして、このビッグネームに習合してしまえば、妙音の名号が忘れ去られるのもむべなるかな。日蓮宗系の寺院であっても、弁財天の名を目にすることはあっても妙音菩薩の名を目にすることは稀*1であるから、読者諸兄がその名を知らずとも恥じる必要はない。いずれにせよ、相並ぶ有名人(?)に食われる宿業を背負った妙音菩薩には気の毒な話である。

 

 なお、これも冒頭に示した通り、法華経本章に登場する妙音菩薩は、この娑婆世界の菩薩ではなく、浄光荘厳(じょうこうそうごん)世界の浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来の下で修行する菩薩、とされる。これと、元を辿ればヒンドゥー教の土着神にいきつく弁財天を同一視してよいものか、ボクには判断し兼ねる。

 

 

                    *

 

 

 法華経第二十三章“妙音菩薩”は、いきなり釈迦の必殺技から始まる。

 

 さて、ここで世尊(せそん)釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)にして、尊敬されるべき正しい覚りを得たお方は、そのとき、大人の相である眉間の白毫相(びゃくごうそう)から光を放たれた。その光によって、東方におけるガンジス河の砂の数にも等しい百千億那由他の仏国土が輝き照らされた。

 

 いきなりの白毫ビームである。これにツッコみだすとキリがないのでサラッと流す。物語は、同じく唐突に照らされた側、すなわち、浄華宿王智如来なる仏陀のおわす浄光荘厳世界へ移る。

 

 ちょっと脱線。

 

 もちろん、法華経を書いたのは紀元1〜2世紀頃にインドで活動していた()()法華経教団の人々であるのだが、体裁上は、法華経の説法に出席した釈迦の直弟子の一人、多聞(たもん)……要するに耳学問の能力……第一とされる阿難(あなん)を介して伝えられたもの、とされている。まぁ、これは法華経のみならず多くの仏典に共通することなのであるが、そういう体裁である以上、その物語は、阿難の認識可能範囲内に収まっていないと、本来はおかしい。

 

 が、法華経ではしばしばそこからの逸脱が見られる。

 

 かの光はその妙音菩薩摩訶薩の身体を照らし出した。そのとき、妙音菩薩摩訶薩は座から立ち上がり、ひたすらに右の肩の衣をぬいで右肩を顕わし、右の膝を地に着けて、世尊の方に向かって合掌し、かの世尊の浄華宿王智如来・応供・正等覚者にこのように申し上げた。「世尊よ、私は、世尊の釈迦牟尼如来・応供・正等覚者に親しくまみえ、礼拝し、供養するために、また、かの文殊師利(もんじゅしり)法王子に会うために、かの薬王(やくおう)菩薩に(中略)かの娑婆世界(しゃばせかい)にまいりましょう」。

 

 これまたツッコみどころ満載なのだが……貴兄はいくつツッコめるだろうか、試してみよう!……ここで問いたいのは、上引用の情景を観察し報告したのは誰なのか、という話である。実に野暮なツッコみではあるが、天台大師や日蓮はこれを疑問視しなかったのだろうか、というところも、これまた疑問である。

 

<答え合わせ>

 

(1) 浄光荘厳世界でも偏袒右肩(へんたんうけん)が通用するらしい。

 

(2) ということは、同世界の住人の身体形状は人類のそれに近いか同じらしい。

 

(3) 光に照らされただけで、何故、宇宙の彼方からオマエを照らした相手の名前を知っているのだ。

 

(4) 文殊以下、娑婆世界の諸菩薩の名をいつ知った。

 

(5) そもそも白毫ビームに撃ち抜かれた瞬間、オマエは蒸発しているはずだ。

 

 まぁ、そういう冗談はさておき。

 

 前置きも束の間、いきなり本章クライマックスが迫って来てしまった。ストレートにこの感動を味わって欲しいので、説明抜きに、一気に当該部分を全引用するとしよう。

 

 そのとき、世尊の浄華宿王智如来・応供・正等覚者は、かの妙音菩薩摩訶薩にこのように仰せられた。「善男子(ぜんなんし)よ、そなたは、かの娑婆世界に行って、劣ったものとあなどる意識を起こしてはならない。善男子よ、かの娑婆世界には高下があって平らかでなく、土で作られ、黒山がはなはだ多く、穢れや濁りで充満している。しかも、かの世尊の釈迦牟尼如来・応供・正等覚者は身長が低く、また、かの菩薩たちも身長が低い。それなのに善男子よ、そなたは四百二十万由旬の身の丈をそなえている……

 

……お楽しみいただけただろうか。ボクは、わかっているつもりでも、何度読んでもこの下りで吹き出してしまう……今この瞬間もニヤニヤしながら横にいる妻に気味悪がられつつコレを書いている……のであるが。

 

 妙音クン……怖くなってきたので、少しでもそれを和らげるためにこう呼ぶことにしよう……が第十一章に登場する宝塔よりも背が高い……というか、桁違いに背が高いことはわかった。ただ、隣接宇宙の菩薩の名前にまで精通する妙音クンほどの知性に欠ける凡俗なボクとしては、単位変換しないと実感し難いので、1由旬15Kmで換算してみよう。

 

 63,000、000Km

 

……残念なことに、我らが太陽系に彼の身の丈の尺度となる構造物は存在しない*2。太陽の直径ですら妙音クンの45分の1に過ぎないのであるから、太陽は彼の玉乗りの玉にすらならない。奇しくも、水星の軌道半径が妙音クンの身長にほぼ等しい。強いて恒星で彼の身の丈に等しい径を誇るものを探すと、おうし座のアルデバランが丁度いい感じであるが、返って実感が湧かなくなる。とまれ、今日の娑婆世界では知名度の低い妙音クンではあるが、みんな、おうし座の赤い瞳を見るたびに彼を思い出してやってくれ。

 

 そのような次第であるから、当然彼が娑婆世界にやってくると、その時点から太陽系の中心は太陽ではなく妙音クンになる……というか、実際にはスーパーコンピュータか何かでシミュレートしてみないと断言は出来ないが、妙音クンの密度次第ではあるものの、これだけ大きさが違うとそれも無視してよかろうから、事実上、太陽系の全物質が一気に妙音クンに向かって落下していくことになる。

 

 妙音クンからすれば、その中で最大のものとなる太陽ですら身長の45分の1でしかないのだから、少々の火傷はするかも知れないが、大したことではないだろう。無論、娑婆世界の住人で生き残るものはいない。釈迦が白毫ビームで迎撃したとしても、妙音クンを消滅させるほどの出力が白毫ビームにあれば、住民どころか釈迦自身を含む地球が瞬時に蒸発する。

 

 思うに。

 

 本章の作者は、法華経の他の書き手が他国土について描写するに際し、想像力が乏しいことに不満があったのではないか、と思う。まぁ、その彼にしても、妙音クンの礼法が娑婆世界のそれに倣っているのだが、よくよく考えてみれば、これは妙音クンの身体形状が人類に近似することを匂わせる叙述トリックになっているのであって、この作者はなかなかどうしてやり手なのだ。

 

 が、妙音クンが観世音菩薩の影に隠れて忘れ去られてしまったのも、元をただせば彼の責任である。ディズニーランドの着ぐるみミッキーマウスですら、その微妙な大きさに小さな子どもが泣き出すことがあるくらいなのであるから、妙音クンは末法の衆生が親しみを感じるにはあまりに大き過ぎた。

 

 しかし、後世の我が国において、彼のライバル(?)であるところの観音様の長身立像の建設ブームが起こったことを妙音クンが知ったら……浄光荘厳世界から娑婆世界の諸菩薩の名前に精通していた彼のことだから、当然このこともお見通しであろう……どんな顔をするだろう。そもそも、太陽系の全物質をかき集めて観音像を作ったとしても、決して妙音クンに並ぶことはないのである。浄華宿王智如来の戒めもあるから、決して侮ったりはしないであろうが、心中複雑であろうことは疑いない。

 

 それにしても、である。

 

 今日に至るまで、誰も本章作者のこのイタズラを補正しなかった、というのはどういうことだろうか。と言うのも、上に引用した下りの次下にはこんなことが書いてあるのだ。

 

(続く浄華宿王智如来の台詞)

 

 善男子よ、私もまた、六百八十万由旬の身を得ている。

 

 ぅひょひょぉ〜〜ぃ!

 

 以上を以って、法華経第ニ十三章“妙音菩薩”の転読(うたたよみ)を終える、他に語るべきこともないので。

 

*1
 むしろ今日の日蓮宗系寺院においては庶民に聞こえのよい弁財天の名を自寺院に()()として取り込む口実に本章が利用されている、と言うべきかも知れないが、思うに、そんなことないとは思いたいが、多くの日蓮宗僧侶もまた自寺院に弁財天が祀られるのをさも当然と考えていて、その背景に本章の言う妙音菩薩があることをすっかり忘れてしまっているような気がしなくもない。

*2
 妙法蓮華経では妙音菩薩は而汝身四万二千由旬となっていて三桁ほど小さい。それでも太陽系のどの惑星よりも大きいのだが、本稿では中村師が原典から訳したものに従った。ちなみに妙法蓮華経でも相方の浄華宿王智如来は我身六百八十万由旬と言っていて、この師弟のあまりの大きさの違い……師弟比160倍……を誰も問題視していないのも謎である。っつーか、誰も馬々鹿々し過ぎて真面目に読んでねーんだよな、きっと。

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