法華経転読   作:wash I/O

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第13話 続・成仏マンネリズム……第九章“阿難と羅睺羅および他の二千人の比丘に対する予言”

 前回からの惰性で、法華経第九章“阿難と羅睺羅および他の二千人の比丘に対する予言”(妙法蓮華経授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)第九)へと転読(うたたよみ)を進めてみたい。

 

 これは、読み手であるボクにとってのみならず、書き手たる法華経執筆者にとっても惰性なのであって、本章の基本構造は、前回取り上げた第六章“予言”、および直前の章となる第八章“五百人の比丘に対する予言”、そっくりそのままとなっている。ここで改めてその構造を振り返っておこう。

 

(1) 登場人物が、直前の授記を賞賛し釈迦に拝礼する。

 

(2) 釈迦が定型フォーマットに従って授記を与える。

 

(3) (2)が偈によって繰り返される。

 

(4) 受記を得た人物が偈で答礼する。

 

 その意味合い、また<仏教>史上における意義についても既に論じた通りであるが、それにしても、法華経第一期の書き手が、何故にここまでこの論述を繰り返さねばならなかったのか、正直なところボクにもよくわからないのであるが、ひねり出される名号を楽しみつつ、その辺りを妄想してみようと思う。

 

 

                    *

 

 

 本章最初の登場人物は、体裁上は、法華経が説かれた場に居合わせ、その場で見聞きしたことを後世に伝えたことになっている釈迦の弟子、多聞(たもん)第一の阿難(あなん)である。

 

 本章は、法華経第一期の授記を扱う章の中でも最末尾にあたるが、ここに至って彼が登場するのはなかなか興味深いことではある。法華経に限らず、多くの仏典はその書き出しに如是我聞(にょぜがもん)という定型句が配される。「私はこのように聞いた」の意であるが、ここでいう「私」が阿難であり、多聞、すなわち多く聞いて暗記する技能に優れた彼が、在りし日の釈迦の語ったことを口述し、これを編纂したものが今日我々の知る仏典である、ということに()()()()()()()()()なっており、法華経もまたそのスタイルを踏襲している。これについては本連載第17話にて、法華経序章を転読(うたたよみ)する際に改めて詳細を論じる。

 

 とまれ、法華経が書かれた当時の人々にとって、阿難の名は仏典の聖性を保証するトレードマークのような意味合いを有していたのであるが、その彼の名が、第二〜八章までの法華経の中で表立って論じられることはなかった。

 

 以下、あくまでも個人的な想像に過ぎないのであるが。

 

 阿難の名がそのような意味合いを持っていた一方で、必ずしも個人としての彼がそれを理由に崇敬されていたか、と問うと、そういうことでもないようである。釈迦の“十大弟子”という言い方があるが、このとき、阿難は出家順が最も遅いということから、概ね末席として連ねられることが多い。逆に、筆頭になるのは、法華経においても最初に受記を得る舎利弗である。法華経における授記は、概ね、この十大弟子の順位に沿っているように見える。

 

 本章直前の第八章は、授記の章であると同時に、その末尾に衣裏繋珠(えりけいじゅ)の譬喩が配されていることを既に見た(第9話)。もし、法華経第一期の書き手に、十大弟子全員に対して概ねその権威順に授記の場面を描く意図が最初からあったのだとすると、衣裏繋珠の譬喩の挿入位置がいささか不自然である。また、その直前に受記を得るのは阿若憍陳如(あにゃきょうしんにょ)と千二百人の声聞だが、阿若憍陳如は十大弟子ではない。

 

 そこで思うのは、そもそも書き手は授記については第八章までで十分と考えていたのではないか、ということである。いや、その第八章すらも、第六章との間にまったく意図の異なる譬喩からなる第七章を挟んでいることを鑑みるに、当初は計画されていなかったかも知れない。つまりはこういうことである。

 

 まず、第三章で十大弟子筆頭の舎利弗が受記を得る。これは、授記であると同時に、第二章の内容を敷衍して、法華経第一期のセントラルドグマの一部となっているワケだが、これを譬喩を以ってさらに敷衍するのが第四〜五章であり、さらに第六章で舎利弗に次ぐ四人の十大弟子に授記がおこなわれることで、第三章における授記が舎利弗一人のみに対する特別のものなのではなく、普遍的なものであることを示そうとしたのだろう。

 

 おそらく、書き手の意図としては、授記の論述は、当初はこれで必要十分だったのであり、ゆえに、改めて第二〜六章を敷衍する譬喩となる第七章が配されたのだが、その後から「受記は、釈迦の直弟子筆頭のみに許された特別なことなのではないか」という不安感が、どこからとなく表明されたのではないか、と思う。これを受けて、第八章において、十大弟子以外……憍陳如はそれに次ぐ五比丘の筆頭である……への授記が描かれ、一旦はこれで十分だと思われたので、その末尾が衣裏繋珠の譬喩でしめくくられたのであろう。

 

 ところが、さらに後になって「法華経を(教団シンパの主観として)今日の我々に伝えてくれた阿難に対する授記はなかったのだろうか」という疑問が呈されるに至り、以って本章がさらに加えられたのではないか、というのがボクの推理である。そもそも法華経は、それを読んだ人に対し他者へその内容を伝播することを強く勧める体を採っているのであり、設定上法華経を法華経教団に伝播したことになっている阿難が受記を得られないのであれば、どうして後世の法華経伝道者が成道できようか、という話になってしまうからだ。

 

 おそらく、書き手自身としては「阿難の成道は明示的に書かずとも当然じゃないか」と思っていた(がゆえに、第九章に至るまで授記が描かれなかった)ことだろう。が、読み手・聞き手は上述したような不安を抱いたに違いない。思えば、法華経第二期の話になるが、第十二章(第4話)において、釈迦の養母と元妻に対する授記に際し「あなたがたは、既に声聞・独覚衆への授記に含まれていたことに気づいていないのか」と釈迦が苦言を呈する場面があったが、考えようによってはこの演出は、法華経第一期の後半、第六〜九章が成立していく過程を反映したものだったのかも知れない。

 

 つまり、この過程においても第十二章で言われるのと同様に「先行した授記にそれは含まれている」と書き手は思っていたにも関わらず、読み手・聞き手が納得してくれないので、芋蔓式に授記の章が増えて行かざるを得なかったのではないか、ということだ。とすると、ひょっとすると衣裏繋珠の譬喩は、そもそもは、対立声聞衆に対してではなく「あの人への授記はないのか?この人へは?」と際限なく要求してくる法華経教団身内への嫌味で書かれた可能性すら考えられよう。

 

 まぁ、あくまでも以上はボクの妄想である。

 

 閑話休題。最早どうでもいいことのように思わないでもないが、授記に現れる名号には、一昔前の暴走族が好んだ名乗りにも見られる不思議な魅力もあるので、例によって定型フォーマットで一瞥しておくことにしよう。以下が阿難に対する授記となる。

 

 名号:山海慧自在通王(さんかいえじざいつうおう)如来

 国土:降ろされることがない勝利の幡(常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)

 劫名:心楽しい音をあまねく響かせる(妙音遍満(みょうおんへんまん)

 仏寿:無量劫

 

 なんだか山海の珍味みたいな名号になってしまっているのだが。また、これもその意図は不明だが、仏寿が、他の十大弟子の場合(十二〜二十四中劫)に比較して……まぁ、どちらが長いとも短いとも判じ難いのではあるが……エラいことになっている。これは、各種仏典が彼を通して後世に伝えられた(とされる)ことに対するボーナスなのだろうか?

 

 阿難に対する授記の後、その趣意を繰り返す釈迦……クドいが歴史上の釈迦、ではなく、法華経教団が自説を仮託したキャラクタである……の偈と、阿難からの答礼の偈が交わされる。

 

 このやり取りにおいても、以前第八章転読に際して指摘したのと同様の、釈迦と阿難の前世における因縁話が挿入されている。曰く、二人は過去世において、空王(くうおう)如来なる仏陀の下で同一の機会、同一の時に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に向かって発心したのであり、その因縁により、阿難はその成仏が今ここに確約されたのだ、というのであるが、スタート時点が同一の機会、同一の時であるにもかかわらず、一方(釈迦)は授記を与える側、もう一方(阿難)は受記を得る側、と運命が分かれたことになる。

 

 そのことと直接の連関が言われているワケでは必ずしもないが、文中では二人の差異について、阿難は常に法を多く聞くことにつとめ、私は精進に努めたと言われている。これは単純に、多聞第一と謳われた阿難の人物評を承けての修辞である可能性もあるが、素直に読めば、法を多く聞くよりも精進に努める方が、より迅速に成仏できる、の意に取れなくもない。

 

 いずれにせよ、前稿でも論じたように、本章の書き手にとってのそもそもの執筆意図は、授記の例を増やすことにあったのであって、私見では、授記そのもの以外の記述は変化をつけるための粉飾語句以外の何物でもなかったのではないか、と思うのであるが、上に述べたように、その粉飾部と思われる部分にも、後世の読み手をミスリードしかねない含意が散りばめられている。この辺りにも、法華経の書き手は、自ら衣裏繋珠の譬喩を語りながら、自分たち自身が法華経という名の衣の襟の中に、玉石混交の何かをせっせこ隠しまくっていたことに、存外無自覚であったことを伺い知ることができる。

 

 ここで阿難の出番が終わり、釈迦は唐突に羅睺羅(らごら)、すなわち彼の息子を指名する。羅睺羅もまた、いわゆる十大弟子の一人に数えられ、密行(みつぎょう)第一の人ということになっている。とりあえず、お約束の彼に対する授記のユニークパラメータを確認しておくことにしよう。

 

 

 名号:蹈七宝華(とうしっぽうけ)如来

 国土:(言及なし)

 劫名:(言及なし)

 仏寿:(言及なし)

 

 国土や劫の名前に言及がないのは、いよいよのネタ尽き感を覚えるのであるが、これにはいちおう理由があって、そなたは、かの山海慧自在通王如来・応供・正等覚者の長子となるであろうとあるので、つまり、阿難が常立勝幡世界の妙音遍満劫における仏陀として君臨するに際し、羅睺羅が娑婆世界における釈迦の長子であるように、山海慧自在通王如来の長子として生まれるだろう、ということになっている。

 

 なお、厳密にいえばここでの言及からは、羅睺羅が蹈七宝華如来になるのがまさに山海慧自在通王如来の長子として、その世界、その劫においてであるのか、そこからさらに未来世のことであるのかは判然としない、おそらく後者。思うに、これも授記の記述に変化を付けるべくおこなわれた粉飾であろう、と思うのであるが、羅睺羅が常にそれらの諸仏・世尊の長子となるであろうとの語句もあり、これまた素直に読めば、羅睺羅(および彼が輪廻転生していく何者か)は仏教世界のプリンスである、ということになるが、これも結果的には、法華経教団第一期のセントラルドグマのみならず、<仏教>的に筋のよろしくない主張になってしまっている。

 

 羅睺羅のこの修行は人々に知られていないが、私は彼の誓願をよく知っている。彼は世の親を称賛し、「私は如来の息子である」と語る。今生における私の嫡子である羅睺羅の功徳は無量億千万であって、それらの量は決して量り知ることができない。

 

 書き手に悪気はないのだろうが、結果的に、釈迦がトンデモない親馬鹿に見えてきて、何だかなーな気がしないでもない。出家、っつーのは、そういう血縁者への執着も断ち切るものと違うんですか、と。

 

 まぁ、自身の居住する寺院を世襲の財物と考え、実子に家業として宗教法人を継がせることに慣れた今日の我が国の坊さんたち、それを有難がる自称敬虔な檀家たち、は、上に指摘したことには特に問題を感じないかも知れない。正直頭が痛いが、むしろここでは、この頭痛は今日の日本に限った話ではなく、二千年前にもあまり問題視はされていなかったようなので気にしなくていーんじゃない、と解釈するのもアリだろう。

 

 ボク個人としては、そのような観念に無自覚に束縛された人々に対し生暖かくも冷ややかな視線を送り続けることになるのであるが。

 

 それはさておき。次下は妙法蓮華経における本章の章題、すなわち授学無学人記品の由来となるエピソードになる。二千人の学・無学に対し授記がおこなわれるのであるが。

 

 名号:宝相(ほうそう)如来

 国土:(十方のおのおおのの世界)

 劫名:(言及なし)

 仏寿:満一劫

 

 二千人いて如来の名号が一つなのは、第八章における五百人の比丘に対する授記同様に、皆、名号が同じだとされているからであって、お釈迦様といえども(実際には法華経の書き手なのであるが)流石に二千人分のいちいち異なる如来の名号を考えるのは面倒なのである。

 

 興味深いのは、ここで言われる名号、すなわち宝相如来は漢意訳なのであるが、原意は(もとどり)に宝珠をもつ王であり、もう少し噛み砕くと、長髪を束ねて頭頂に髻……仏像のお団子ヘアである……を結った王様がいて、ソイツがそのお団子の中に宝珠を隠し持っている、の意になる。何だコレ?と思うのであるが、実は本連載では未読の第十三章後半にまったく同じ設定の王様の話が出てきて、これが法華七喩の一つ“髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)”になっている。本章における学・無学への授記と髻中明珠の譬喩の間に何らかの連関があるのか、と問うと、パッと見は無関係のように思うのであるが、これについては第十三章を転読する際に改めて論じてみたい。

 

 このあと、やはり例によって例の如く、学・無学二千人からの釈迦に対する答礼が偈で以って述べられた後、本章は唐突に終わる。法華経第一期の最末尾に、何らかの必要性にかられて増補されたと思われる本章であるが、結果的には、後世の信仰者をミスリードしかねない(それでいて非本質的な)誤解の種を振りまいているのみのようにボクには読める。

 

 特に致命的に思われるのは、繰り返し述べているように、法華経を書いた人々にとってこれらの授記の物語は、本来的には仏教について見解の異なる人々に対し「我々の信じる理念に帰伏し、以って共に阿耨多羅三藐三菩提を得よう」との呼びかけであったはずであるが、これが、おそらくは法華経教団内部の事情によって水ぶくれ化、マンネリ化したことにより、読み手・聞き手にとって、目指すべきが阿耨多羅三藐三菩提であるのか、それとも授記であるのか、その両者の関係はどうであるのか、結果的にわかりにくくなってしまった点である。

 

 私見を交えて言えば、法華経教団が自覚的に気づいていたかどうかはともかくとして、教育者∞の譬喩を通して示したように、本源的には「“阿耨多羅三藐三菩提を目指し続けていること”それ自体が阿耨多羅三藐三菩提である」という入れ子構造的な主張を彼等はしていることになるのだが、これは普通の人にとってはわかりにくいし、そもそも彼等自身がそのことを明示的に説明し尽くせていない。一方で、ここまで見てきた授記の物語は、その妥当性はともかくとして圧倒的にわかりやすい。否、彼等にとってみれば、そのわかりやすさゆえにこれを法華経に採用し、以って衆生を導かんと企図したものであろう。

 

 が、要するにこれは“免許皆伝”の物語なのであって、絶対的権威=釈迦から免許皆伝=受記を得ること、それ自体が、そのわかりやすさゆえに目的化してしまうと思わぬ弊害を生むことになる。実際に、法華経第三期の人々はここに埋設された地雷を踏んでしまったようなのであり、これについては次話でその例を示したいと思う。

 

 とまれ、ボクの知る限りにおいては、天台法華に連なる人師による本章に対する註釈は、これまた種々の粉飾語句に塗れているものの、つきつめれば「授記を下さるお釈迦様、ありがたやー」以上のことは言っていないので、良く言えば、彼等は純粋に善意でのみ本章を読んだのであり、悪く言えば、彼等にとっての本章は冗長で退屈だったから適当に流したのだろう。

 

 いずれにせよ、いささかそこには、註釈家を気取りつつ後世の読者に対して誠意を欠くものを感じざるを得ないので、畏れ多いことながら、酔狂なボクが勝手に代わって釈させていただいた。以上を以って、法華経第九章“阿難と羅睺羅および他の二千人の比丘に対する予言”の転読(うたたよみ)を終える。

 

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