法華経転読   作:wash I/O

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第17話 菩薩による前座漫才……序章“発起”

 ここまで本稿では、敢えて原典の順序を無視して、前に飛び、後ろに飛びしながら法華経を転読(うたたよみ)してきた。そうした方が、頭から順に読んだだけでは見えてこない気付きが多々あろう、という思いがあってのことなのだが、第17話に至ってようやく取り上げる序章“発起”(妙法蓮華経序品(じょほん)第一)もまた、ここから読み始める場合と、法華経全体の視座を得た上で読む場合の印象が、大きく異なる章であるように思う。

 

 ここまで繰り返し述べてきたように、法華経成立史の観点から考えた場合、本章はおそらく第三期、すなわち第十八章以降の拡充と並行して整備されたものと考えるのが妥当と思われる。今話では、本章の記述からそれを裏付けていくことを第一のポイントとしてみたい。加えて本章には、法華経の本筋からすると一見無関係に思われる奇妙な対話が収められているのだが、これがまた微妙に面白おかしいので、それを楽しむことを第二のポイントとする。

 

 

                    *

 

 

 それはそれとして、法華経の書き出しについて見てみたいと思う。

 

 法華経の入門書的な本を読むと「法華経を含む仏典は“如是我聞”の書き出しで始まる」と書いてあるものが存外多い。この場合、その論者の言わんとすることは、仏典は歴史上の釈迦自身が書き遺したものではなく、その弟子たちが如是我聞(にょぜがもん)、すなわち「我、(かく)(ごと)()けり」と、釈迦の説いたことを思い出しながら書いたものなんですよ、といったところなのだと思うのであるが、この言説は二重に間違っている。厳密に言うと、単純化し過ぎている。

 

 まず、必ずしもすべての仏典が如是我聞の句から始まっているワケではない、ということがある。これには複数の意味合いがある。

 

 第一に、如是我聞という漢訳句は妙法蓮華経を訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)から始まる、という説があるが、逆に言えば、羅什以前の別の表現があった、ということであり、事実、竺法護(じくほうご)訳の正法華経(しょうほけきょう)光瑞品(こうずいほん)第一の書き出しは“聞如是(もんにょぜ)”となっている。つまり、漢語訳のブレ、という点において、すべての仏典が如是我聞の句から始まる、という言説は否定される。

 

 第二に、サンスクリット原典まで遡っても、如是我聞に相当する“エーヴァム・マヤー・シュタルム”の句が、すべてのテキスト冒頭に配されているワケではないし、今日伝わるテキストに仮にそれがあるとしても、暗唱口伝によってテキストが継承された時代があるため、最初期の原典にまでそれが遡れる保証はまったくない。また、早い段階で如是我聞が定型句化してしまったため、内容の如何に関わらず後から挿句されたケースが存外多い。

 

 総じて言えば、この言明においては主述が転倒しているのであり、実際にすべての仏典が如是我聞で始まるからそのように言われている、のではなく、すべての仏典は如是我聞で始まる、という思い込みが先行した結果、そうでない仏典に対しても思い込みに合わせて後から如是我聞が挿句されていった、という背景があることを押さえておくべきだろう。つまり、今日的には、如是我聞の句には、実質的な意味がないということであり、こういう物言いは本来いけないのかも知れないが、クルアーン各章が「慈悲深く慈愛遍くアッラーフの御名によりて」の定型句で始まるのと大差ない、と思ってよかろう。

 

 そしてもうひとつ。目下読むところの法華経について言えば、漢訳正法華経、妙法蓮華経は前述したようにそれぞれ聞如是、如是我聞の句で始まるが、サンスクリット原典テキストの冒頭は、エーヴァム・マヤー・シュタルム、ではない。より正しく言えば、エーヴァム・マヤー・シュタルムは確かにあるが、それより前にも章句がある、ということになる。

 

 オーム、あらゆる仏陀と菩薩に帰命したてまつる。あらゆる如来・独覚・聖なる声聞たち、そして過去・未来・現在の菩薩たちに帰命したてまつる。

 大乗経典の王であり、第一義の道理に入ってゆくための説法であり、大いなる道である“妙なる教えの白蓮華”を衆生のために私は説こう。

 このように私はお聞きしている。あるとき、世尊は王舎城の耆闍崛山においでになられ、一万二千人の比丘衆とともにおられた。これらの比丘は……

(下線は引用者による)

 

 以上が中村師訳による法華経の冒頭部となる。下線を付した部分が妙法蓮華経の如是我聞、正法華経の聞如是に当たる部分で、漢訳経典の場合、これより前には表題(妙法蓮華経であれば序品第一、正法華経であれば光瑞品第一)しかない*1

 

 対して、サンスクリット語、チベット語訳の写本の多くは、部分的な異同……中村師は邦訳に際しスーパーセットを採られたようである……を示しつつも上に引いたような前置きを含む。この前置き部分を一般に帰敬文(ききょうもん)と呼ぶ。これは、元来法華経(を含む仏典)が音読によって口頭伝承されるものであったこと、の名残と考えられる。つまり、比丘衆の暗唱によって聞き手に伝えられる経典本体は確かにエーヴァム・マヤー・シュタルムから始まるのであるが、その前に「ここまでは私のことば、ここからはお釈迦様のお言葉」との区切りをつけ、言わば“発声の聖化”をおこなうべく挿入されたのが、この帰敬文ということになる。

 

 自身が表意文字であり、音読するにしても経典テキストを読み上げるのが普通であった漢訳経典の場合、この儀式が必要とされないので省略されたか、そもそも、漢訳に際して帰敬文が経典の一部と認識されなかったものと思われる。対して、原典を含む口頭伝承が優勢な地域の写本は、とにかく発声された音はすべて書き留める、という方針で制作されたことがわかる。

 

 何が言いたいか、というと、書き出しひとつ取っても、元々インドで生まれた仏教の言説が、中国文化圏を通過するに際し、そのベースとなる文化の特色によって変遷していることがわかる、ということである。

 

 さて。

 

 この漢訳に際して落ちた部分の最初の最初にあるオームに注目いただきたい。これが中村師訳でカタカナ表記されているのは、日本語訳のしようがないからである。これは、今日の我々が知るところとしては、例えば大日如来の真言とされる“オン、アビラウンケン、ソワカ”の“オン”であり、中村師の脚註では、敬虔な挨拶として用いられる呪文的な発声と解説されている。日本語の体系には、このような用途で用いられる単語が存在しない……大阪弁なら「毎度おおきに」とでも訳したいところだ……ので、外来語として音写するほかないのである。

 

 ちなみに、お気づきの方もおいでのこととは思うが、オウム真理教の“オウム”も、このオームに由来する。無論、オームは法華経において生まれた語ではなく、それ以前から仏教徒に限らないインド人の間で交わされていた挨拶であるから、オウム真理教が法華経の影響下にある、という意味ではない、念のため。

 

 続いて現れる“帰命したてまつる”との動作句は、同じく中村師の解説を引けば、帰依して身命を捧げるの意であり、要するに「命を懸けて信じます」という宣言なのであるが、原語では“ノウモ”であり、漢訳経典ではこれを音写して“南無”とするのが一般的である。つまり、もしこの下りを鳩摩羅什が漢訳していたら「南無仏菩薩、南無如来独覚聖声聞……」となっていた、ということになる。意外にも、少なくとも帰敬文においては、法華経教団自身は「妙なる教えの白蓮華に帰命したてまつる」つまり「南無法華経」とは言っていない。

 

 逆に、仏典漢訳に際し帰敬文が省略されることがなかったら、日蓮は「南無妙法蓮華経と唱えよ」とは言わなかったかも知れない、などとボクなどは考えてしまうのであるが、まぁ、これはしてもしかたがない仮定の話ではある。

 

 続く大乗経典の王であり〜の一節は、ネパール系の写本にのみ見られる挿句なのだそうである。ここで言われる私が、釈迦なのか、如是我聞の“我”同様に阿難なのか、あるいは、これから法華経を朗唱するところの比丘を指しているのかは文面からは明らかでない。これも、文化圏による経典受容の差異を反映したものなのだろう。つまり、ネパールの人々はインドの人々同様に帰敬文を必要とする口頭伝承を重んじたが、形式的な帰命の詩句のみならず、これから何を目的に何を説くのか、を明示的に宣言する習慣があった、ということである。

 

 ここに至って、ようやく我々の良く知る……いや、そんなに皆が知っているワケでもないか……妙法蓮華経と足並みが揃う。繰り返し述べているように、ここで言われるこのように私はお聞きしているは、本経典を歴史上の釈迦、その教えを聞き覚え後世に伝えたとされる阿難に仮託するための常套句であり、事実を反映したものではあり得ない。法華経の書き手は十二分にそのことを意識しているので、逆に、法華経の説法は実際に歴史的事実としてあったのだ、ということを訴えるべく、以降、どのような状況下でその説法がおこなわれたのかが延々と説明されることになる。

 

 まず言われるのが説法の場所であり、王舎城(おうしゃじょう)耆闍崛山(ぎしゃくせん)がそれに当たる。王舎城は意訳で、原語ではラージャグリハ。釈迦がその後半生を長く過ごしたマガダ国の首都であり、実在した地名である。耆闍崛山はグリドラ・クータの音写で、これも実在したラージャグリハを取り囲む五つの山の一つであり、これを意訳すると既に示した霊鷲山(りょうじゅせん)となる。

 

 言葉通りに受け取れば、釈迦は一万二千人の比丘……これも本章で言われる聴衆の一部に過ぎない……を引き連れて霊鷲山に登ったことになるが、そもそもが虚構の物語なのであるからリアリティを云々することに意味はないのであるが、場面設定について正しく実在の、かつ、いかにもそうでありそうな地名を具体的に示す一方で、そのリアリティを台無しにする数字を出してくるあたりに、法華経の書き手のある意味徹底したスケール感の破綻を感じるワケだが……。

 

 

                    *

 

 

 ここで法華経の“出席簿”を検証してみたい。

 

 すなわち、長老の阿若憍陳如(あにゃきょうしんにょ)、長老の馬勝(めしょう)、長老の婆湿波(ばしば)、長老の摩訶男(まかおとこ)、長老の跋陀羅(ばつだら)、長老の摩訶迦葉(まかかしょう)、長老の優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)、長老の那提迦葉(なだいかしょう)、長老の伽耶迦葉(がやかしょう)、長老の舎利弗(しゃりほつ)、長老の大目犍連(だいもっけんれん)……

 

 次下から上に引いたように……切りがないので冒頭のみ引いたが……法華経説法の座に居合わせた人物の名が列挙される。既にその活躍を見た舎利弗、摩訶迦葉、大目犍連らの名が見える。これは、実際にそれらの人が居た、ということを言っているのではなく、これだけの目撃者が居るのだから法華経説法は実際にあったのだ、ということを言わんがために他の先行文献に現れる人名を引いただけ、のように思われるが、それはともかくとして、次に各章の登場人物を確認してみたい。

 

序章弥勒(みろく)菩薩、文殊師利(もんじゅしり)法王子
第二章舎利弗、阿若憍陳如
第三章舎利弗
第四章須菩提(しゅぼだい)大迦旃延(だいかせんねん)大迦葉(だいかしょう)、大目犍連
第五章大迦葉
第六章須菩提、大迦旃延、大迦葉、大目犍連
第七章(釈迦の独演)
第八章富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)、大迦葉、阿若憍陳如
第九章阿難(あなん)羅睺羅(らごら)
第十章薬王(やくおう)菩薩
第十一章前半大楽説(だいぎょうせつ)菩薩、多宝(たほう)如来
第十一章後半文殊師利法王子、智積(ちしゃく)菩薩、娑竭羅(しゃから)龍王の娘、舎利弗
第十二章薬王菩薩、大楽説菩薩、摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)耶輪陀羅(やしゅだら)
第十三章文殊師利法王子
第十四章弥勒菩薩、上行(じょうぎょう)菩薩、無辺行(むへんぎょう)菩薩、浄行(じょうぎょう)菩薩、安立行(あんりゅうぎょう)菩薩
第十五章弥勒菩薩
第十六章弥勒菩薩
第十七章弥勒菩薩
第十八章常精進(じょうしょうじん)菩薩
第十九章得大勢(とくたいせい)菩薩
第二十章文殊師利菩薩、上行菩薩、多宝如来
第二十一章薬王菩薩、勇施(ゆうぜ)菩薩、毘沙門天(びしゃもんてん)増長天(ぞうちょうてん)/持国天(じこくてん)鬼子母神(きしぼじん)
第二十二章宿王華(しゅくおうけ)菩薩
第二十三章浄華宿王智(じょうけしゅくおうち)如来、妙音(みょうおん)菩薩、多宝如来
第二十四章無尽意(むじんい)菩薩、観世音(かんぜおん)菩薩、多宝如来
第二十五章(釈迦の独演)
第二十六章普賢(ふげん)菩薩
第二十七章(釈迦の独演)

 

 地の文の解釈において、その場にいたとされる人物をピックアップした。話題に上るのみの人物は無視している。たとえば章題に薬王菩薩の名が見える第二十二章は、本人が登場しないので名前を挙げていない。当然のことながら、釈迦が登場しない章はないので、彼の名は省略している。また、後付されたことが明白な第十一章後半部は前半とは別枠とした。暇に任せて妙法蓮華経と正法華経についてもこれを調べてみたが、概ね同じ結果となった。表記は中村師に従い、妙法蓮華経のそれを用いている。

 

 さて。序章の出席簿と各章の登場人物を突き合わせると、出席簿に名前がないのに突如として現れる不届き者がいることがわかる。

 

 これには二種類あって、まず上掲表中にて斜体で示したものがそうだが、多宝如来がその代表となるが、異世界からこの娑婆世界へ説法中に乱入してくるがゆえに、序章の段階では霊鷲山に居なくて当然の人たちである。これはこれで、実話として読めるかは別として、設定上の整合性としては納得がいく。このカテゴリに入る登場人物たちは、例外なく劇的な登場シーンが描かれる……多宝如来の腰巾着と思われる智積菩薩を除く……という特徴がある。

 

 これに対し、娑婆世界の人であるはずなのに序章の段階でその名がなくいつの間に法華経の説法に合流したんだよ?という人がいて、これは太字で示した。「遅れて参加したんじゃないの?」という理屈は成り立たない。なぜなら、法華経は第十一章半ばから異次元空間たる虚空会(こくうえ)で説法されたことになっていて、第二十六章における驚天動地の普賢菩薩の登場シーンを思えば、ここへこっそり後から参加したのだ、などという主張は俄かに認めがたい。このけしからん“紛れ込み組”に該当するのは、鬼子母神と宿王華菩薩の二名だ。

 

 逆に、序章の登場人物一覧にのみ名前が見て、本編となる法華経各章中において一切言及されない人々も多数いるが、これは前述したように法華経の説法にはこれだけの目撃者がいたのだとする主張も兼ねているのであり、単なる粉飾と読み流して問題なかろう。

 

 何が言いたいのか、というと、序章は法華経成立史の中でいつ頃書かれたのだろうか、という、まぁある意味どうでもいい話である。

 

 既に述べたように、序章の登場人物一覧は、各章が今日の形に成立した後に、整合性を合わせて後付されたと考えるのが自然である。この観点で見ると、第二十四章を例外として、第二十一章以降が序章との整合性を大なり小なり失っていることがわかる。特に第二十三章、及び第二十五〜六章は、意図的に異世界の如来・菩薩を中心に扱うことで、序章との矛盾を避けていると見て間違いないだろう。

 

 以下、あくまでも私見ではあるが、序章が成立したのは、第二十一〜ニ章が書かれた頃に前後して、と考えるのが妥当であろうと思う。第二十一章は、曲がりなりにも鬼子母神以外は序章と整合しているし、鬼子母神は序章の登場人物一覧と比較すると一段格下の地祇の類であるから、第二十一章成立自体は序章に先行しており、序章側で鬼子母神が無視された可能性も考慮すべきかとは思うが、第二十二章の不整合は説明のしようがない。

 

 例外となる第二十四章については、実は第二十章に前後して成立していた、という見方もできようが、第二十四章が第二十三章をリライトしたものである可能性も無視できないので、これまた私見ではあるが、第二十四章を書いた人物は、その時点で成立していた序章との整合を手間を惜しまずに考慮できる人だった、と理解してみたい。むしろ、その存外手間なことを他の書き手たちが知った結果、前後の章がより安易な異世界譚や釈迦の独演に流れた、と考えることも出来よう。

 

 また、以上のことは、法華経第三期の半ばから、おそらくは教団内における信仰の形骸化が自覚されるようになり、第一〜ニ期に成立したセントラルドグマとは必ずしも連続性を見出だせない、組織防衛的な言説が中心となっていく過程ともシンクロしているように思われる。

 

 とまれ、以上の考察を通して言いたいのは、必ずしも考古学的に厳密な考証(写本間の精密比較等)をおこなわなくともこの程度の背景は、決して立証にこそ至らないものの十二分に読み解ける、ということであり、これは今日の法華経信仰者はもちろんのこと、天台大師や最澄や日蓮も、その気があれば出来たはずだ……だがやった形跡がない……ということが言いたかった。

 

 

                    *

 

 

 彼らはみな、一心に世尊を仰ぎ見て、めったにない不思議な思いをいだき、いまだかつてない気持ちにさそわれ、歓喜の心につつまれた。さて、そのときに、世尊は眉間の白毫相(びゃくごうそう)より一条の光を放たれた。

 

 登場人物一覧が終わるや否や、突如として白毫ビームが放たれる。法華経全章を通して、白毫ビームが放たれるのは本章、第十一章、第二十三章、ということになる。前稿で述べた成立順から考えると、まず第十一章で示される白毫相の奇瑞があって、他はこれを受けて真似て取り入れたものと思われるが、個人的には、クライマックス中のクライマックスの大技を序章に流用するなよ、と思わないでもない。おそらく、法華経第三期を生きた本章(および第二十三章)の書き手は、第十一章作者の度を超えた熱さを理解していなかったのだろう。理解していれば、これを安易に同一経典中で流用できるはずがない。

 

 それはともかく、なぜ本章の書き手がここでいきなりの白毫ビームを持ち出したのかというと、次下の弥勒菩薩の発言につなげるためである。そう、本連載ではやっとの初登場となる、かの弥勒菩薩である。

 

 ああ、如来はこの奇跡の大瑞相をここに現わし出された。世尊がこのような神変の大瑞相を現わされたのは、いかなる因、いかなる縁によるものであろうか。

 

 結論を先取りすれば、ここで問われているいかなる因、いかなる縁とは(法華経教団主観において)釈迦一代の説法中最高の教えとなる法華経を解き明かすがゆえ、なのであり、それを引き出す問いを弥勒菩薩に言わせるために白毫ビームが放たれたことになるのだが、こんなところでも法華経の書き手のスケール感はちぐはぐである。

 

 それはともかくとして、ここで注目すべきは、この問いを発しているのが他ならぬ弥勒菩薩である、という点だろう。

 

 再びの先取りをおこなうが、本章末尾を占める文殊師利法王子の偈の中に以下の一節がある。

 

 彼はまた、後のこのところに生まれ、やがて最勝の菩提を得るであろう。弥勒の姓を名乗る世尊となり、何千億もの衆生を教化することであろう。

 

 詩句中の“彼”は弥勒菩薩を指しているのだが、知っている人からすれば当たり前の話に思われるかも知れないが、ここで言われているのは、いわゆる弥勒下生信仰、すなわち、釈迦在世から我々の生きる今日に至るまで兜率天(とそつてん)において修行する弥勒菩薩が、五十六億七千万年後に娑婆世界(しゃばせかい)の新しい仏陀として降臨し一切衆生を救済する、というアレのことになる。

 

 それがどうした、当たり前じゃないか、とつまらないことを言わないように。

 

 ここにこのような言及がある、ということは、少なくとも法華経の本章を書いた人は、弥勒下生信仰を知っていたことを意味している。かつ、その弥勒菩薩をして法華経開幕の露払いを努めさせようとしているのであるから、それが事実であったかどうか断言までは出来ないものの、この書き手は、想定される読み手・聞き手にとって、弥勒菩薩の名が一定の権威を以って受容されることを前提として期待していることがわかる。事実、弥勒信仰の成立は、諸説あるものの、概ね紀元前1〜2世紀頃だろうとされていて、釈迦在世までは遡れないものの、法華経に対し1〜300年は先行していることになる。

 

 まずこのことを理解しておいていただきたい。その上で、この下りを読むと、書き手の真意が見えてきて面白いのである。

 

 私はこの意味をだれかに尋ねたい。いったい、だれに問うべきなのであろうか。だれがよくこの意味を答えてくれるであろうか。

 

 白毫ビームの因縁を問う弥勒菩薩の独白は、上引用で一旦切られる。もちろん、この台詞を言葉通りに受け取るべきではない。弥勒菩薩なる人物が実在し、彼が問うているのではないのだ。法華経教団の書き手は、弥勒菩薩の名が法華経の読み手・聞き手から一定の権威を以って受容されていることを承知の上で、その弥勒菩薩ですらかの白毫相の因縁がわからない、と言いたいのである。

 

 ここで引き合いに出されるのが、文殊師利菩薩である。

 

 私は文殊師利法王子にこの意味を問うことにしよう。

 

 弥勒菩薩は、その他の聴衆も同様の疑問を抱いているはずだ、として、代表して文殊師利法王子に質問するのだ、と宣言する。

 

 文殊師利はサンスクリット語のマンジュシュリーの音写であり、これを意訳した経典では妙吉祥(みょうきっしょう)などとされる。彼もまた実在の人物とは考えられていないが、仏教史のかなり早い段階からその名が見え、特に、多聞第一の阿難に仮託された釈迦の教説の結集(けつじゅう)……歴史上数度に渡っておこなわれた、記憶や伝承に頼っての釈迦の発言の経典化作業……に際し、釈迦が遺した智慧を表象するキャラクタとして扱われてきたものである。

 

 妙法蓮華経では、文殊師利菩薩に対して一貫して“法王子”なる敬称を特別に与えている。これは先行漢訳である正法華経には見られないので、鳩摩羅什の創意も感じられる一方、法華経全篇を通じて、他者からの問いに断言的に回答を与える登場人物は、釈迦その人を除けばこの文殊師利菩薩以外にはいない。従って、後世の我々が想像する以上に……ご承知の通り、法華経登場の菩薩では、観世音、普賢の方が圧倒的に文殊師利よりも知名度が高い=信仰対象化されている……法華経教団自身がその名に思い入れを抱いていたことがわかる。羅什訳も、これを受けて特別な敬称を与えたものだろうし、第十一章後半を加筆した何者かが、プロットの破綻を招いてまでも文殊師利法王子を龍王の宮殿から召喚するのも、おそらくは同じ意識によるものと考えられよう。

 

 これが何を意味しているのか、と問えば、あくまでも私見であるが、本章の書き手は、弥勒菩薩の名が既に得ていた権威を利用しつつ、同時に、文殊師利菩薩を相対させることで、その権威が他を圧倒してしまわないようにコントロールしているのである。なかなか巧み、というか、悪辣な演出である。これは以降の両菩薩の対話にあからさまに表れてくるので、念頭に置いておいて欲しい。

 

 さて、ここから弥勒菩薩が長文の偈で以って……もちろん弥勒も歌うのである……文殊師利法王子に、白毫相の因縁についてお伺いを立てる。この偈は、途中に高さは五千由旬などというふざけた塔の話が出てくることを除けば、要するに、いろいろな方法で菩提を求める人達がいる、ということを繰り返すのみで面白みはない。言わんとするところは、弥勒菩薩はこの世の衆生の求道のすべてを知悉しているが、かの白毫相の意義だけは理解できないので、文殊師利法王子さん教えてプリーズ、といった感じ。既に、この時点でかなり意図的に弥勒菩薩を貶そうとしているのがわかる。

 

 対する文殊師利菩薩の応答は、逆に彼の権威を意図的に持ち上げようとしているのが明白である。

 

 善男子たちよ、私が思い起こすところでは、無数の劫の過去世よりも、さらに無数の、はるかに遠い、量り知れないほどの、思議を超えた、量ることも不可能な、計測することもできない、それよりももっと以前の、さらに以前のことですが、そのとき、日月灯明(にちがつとうみょう)という名号の如来・応供・正等覚者が世に出現されました。

 

 法華経全篇を通じて釈迦の専売特許であるところの、遠い過去・異世界における仏陀の物語が、文殊師利菩薩の口から語られ始める。以下、この日月灯明如来の説いた法について長々と要約されるのであるが、四諦、十二縁起、六波羅蜜等、いわゆる上座部仏教の用語を借りてきたものが羅列されるのみで、これは粉飾部と読み流してよかろう。

 

 察しのいい人は既に想像がつくとは思うが、この日月灯明如来が遂に“妙なる教えの白蓮華・菩薩のための教誡・諸仏の守護されるところ”、つまりは法華経を説く日がやって来るのであり、その前触れとして日月灯明仏もまた白毫相を示したのだ、とされる。よって、今、白毫相を示した娑婆世界の釈迦牟尼如来もまた、法華経を説かれるのであろう、と結論される。これが、直接的には、弥勒菩薩が文殊師利菩薩に問うたことに対する回答になっている。

 

 これは第十一章に見たマッチポンプ、つまり、章中で示される何がしかの奇瑞が、遥かな過去において予定されていたものであったのだ、と同じ章中で説明されてしまうアレ、とまったく同じ構造だ。少なくとも、現代的な感覚で読む限りにおいて、この議論は何一つ立証していない。この点については、遥かに先行して成立した旧約聖書の章句と、イエスの事績が連関するように巧みに編み上げた福音書記者の方が一枚上手だ、と賞すべきか。まぁ、アチラはアチラで別の無理矢理さ加減が面白いのではあるが。

 

 それはともかくとして、ここに至って本章の執筆意図が、釈迦が法華経を説くに先立ち、白毫相を示してその真理性を証ししたのであり、かつ、それは遥かな過去における日月灯明如来の劫においてもそうであった、と主張するところにあることは理解できた。そしてこれを、法華経成立時点で一定の権威ある名として通用していた弥勒菩薩に問わせることで、読み手・聞き手に対する訴求効果の最大化を狙っていることも明らかになった。

 

 その上で、この問答の細部に見える弥勒菩薩の権威相対化の試みが微妙に面白おかしいので、これを楽しもうと思う。

 

 阿逸多(あいった)よ、その二万の如来の最初の如来より最後の如来にいたるまで、また日月灯明という名の如来であり、応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・御調丈夫・天人師・仏・世尊でありました。

 

 上引用は、文殊師利菩薩の語る日月灯明如来の物語の中で、その名号が二万人の如来に襲名されたものであったと語る……まぁ、言ってしまえば単なる粉飾部なのであるが……一節になるが、襲名自体はどうでもよくて、ここで注目したいのは、冒頭の呼びかけである。

 

 “阿逸多”の名は、実はここに……厳密にはもう一文前に……何の説明もなく初出するのであるが、これはサンスクリット語のアジタの音写であり、弥勒菩薩が“弥勒”という名号を得る以前に名乗っていた名前、とされるものになる。つまりこれは、蓮華光(れんげこう)如来と舎利弗、と同じ関係(第6話参照)になる。

 

 厳密に言えば、舎利弗が歴史上実在したと考えられているのに対し、阿逸多は観念上の弥勒菩薩に対する信仰が確立された後、その前身として想定された存在である、という点が異なるが、この文脈上では大きな差異ではないし、法華経教団を含む当時の人々がその差異を認識していたかどうかも怪しい。

 

 以降の法華経中では一貫して、地の文では“弥勒菩薩”と表記されるのに対し、文殊師利菩薩および釈迦が彼に呼びかける場合に限り、“阿逸多”と表記されることになる。法華経全篇を通じて、このような扱いを受ける登場人物は弥勒菩薩のみだ。

 

 これは何を意味しているのだろうか。

 

 もちろん、その意図は明白である。今日おいても、自身の言説に箔をつけるために、聴衆によく知られた著名人を引き合いに出し、かつ、その著名人を自身の発話中においては、他の人が憚って用いないファーストネームやニックネームで呼ぶことによって自身の権威を擬似的に高めようとする……ある意味において極めて卑屈な……修辞を弄ぶ人たちがいるが、まさにそれと同じことがここで起きている。むしろ、二千年前にも同じような言い回しがあったのだ、ということに驚くべきかも知れない。

 

 ちなみに、妙法蓮華経を漢訳した鳩摩羅什は本章書き手のこの意図に気付かなかったらしく、文殊師利菩薩が弥勒菩薩を「阿逸多」と呼ぶことを不自然に感じてか、序品第一中に“阿逸多”の語は表れず“弥勒”と表記されている。第十四〜七章に見られる釈迦から弥勒菩薩に対する呼びかけは、すべてサンスクリット原典に従い“阿逸多”とされているにもかかわらず、である。

 

 対して、正法華経を訳した竺法護は、光瑞品第一……お気づきとは思うが、章題に見える“光瑞”とは、かの白毫ビームのことである……を含む“アジタ”との呼びかけを、“阿逸(あいつ)”またはその意訳となる“莫能勝(まくのうしょう)”……他に勝る者がいない、の意……と訳していて、法護が逐語的直訳を好んだことがわかる。

 

 何が言いたいかというと、繰り返し述べていることではあるが、以上のことは正法華経と妙法蓮華経を比較検討すれば読み取れることなので、天台大師や最澄や日蓮、さらには後の法華経信仰者もその気さえあれば読み解けたはずだ、という点である。が、たとえば日蓮について具体的に論難すれば、第十章転読(うたたよみ)(第1話)に際して示したように、彼もまた自説の補強に弥勒菩薩の権威を安易に利用していた。無論これは、日蓮もまた、法華経の書き手に倣って弥勒菩薩の権威を利用したのであり、真に法華経の行者である、との解釈も可能ではあるが。

 

「弥勒菩薩に対する呼びかけのみで、そこまで結論するのはどーよ?」

 

と思われる方もおいでかも知れない。確かに我ながら、いささか踏み込み過ぎた解釈であると思わないでもないが、本章の書き手が弥勒菩薩を貶そうとしていた傍証は他にもある。と言うか、本章の弥勒菩薩と文殊師利菩薩の対話の主題は、白毫相が法華経説法の前触れであることよりは、むしろ、次下に示される不可解な因縁譚の方であり、これが見たまんま弥勒菩薩を貶している。

 

 冗長なので要約で紹介することにしたいが、件の日月灯明如来が教化した中に、妙光(みょうこう)なる菩薩がいて、同如来の白毫相、そして法華経説法に立ち会ったのだ、と文殊師利菩薩は語る。つまり、妙光菩薩が彼の主張する「白毫相は法華経説法の前触れである」ことの目撃証人だ、というワケである。例によって例の如く、門外漢から見れば何一つ証明されてはいないのであるが、今のところ、それは捨て置こう。

 

 かくして日月灯明如来は法華経を説き給い、以って自ら入滅するであろうと告げ、実際にこの世……それが我々の娑婆世界であるかどうかはともかくとして……を去った。以降は、妙光菩薩が日月灯明如来の説いた法華経を受持し、多くの人々を導いたのだと言う。その中には、釈迦牟尼如来(の過去世)に授記を与えた燃灯(ねんとう)如来もいたのだそうだ。

 

 さて、この妙光菩薩の弟子の中に、たいへん財利を貪り、執着し、人から尊敬を受けたいと望み、名聞を重んじ、名声を欲する者がいた。この人物は言葉や文字を教えられたり説明されてもすぐに忘れてしまい、心にとどまることがなかったことを以って、求名(ぐみょう)と呼ばれることとなる。この渾名のつきかたは、かの常不軽菩薩を想起させるのであるが、それはともかくとして、そんな彼ではあったものの、積み重ねた善根によって、無量百千万億の仏陀に会いたてまつることを得たのだそうだ。

 

 さて、ここに至って文殊師利菩薩は恭しくも宣言する。

 

 阿逸多よ、あなたは、かのとき、かの折の妙光という菩薩摩訶薩であり、説法者であったのは誰か別の人であろうと疑い、不信をいだき、惑いを起こすかも知れないが、そのように見てはならないのです。

 

 本連載の熱心な読者であれば、もう見飽きたであろうこのフレーズ。念のために申し添えれば、これは、過去譚に登場した人物が、実は今こうして対話している誰かの前世の姿であり、その因縁で以って今ここに我々はいるのである、と断言し、以って、法華経の読み手・聞き手に対し、信仰のあるべき姿を示す修辞である。

 

 が、この後の展開は、おそらく多くの読者の期待を裏切るものとなる。以下、ツッコミを入れつつ進めるが、これは一続きの章句の引用である。

 

 なぜかというと、私こそかのとき、かの折のかの妙光という菩薩摩訶薩であり、説法者であったのです。

 

 え、オマエがかよ!?

 

 いや、まぁ、これはこれで良しとしよう。妙光菩薩として日月灯明如来の白毫相、続く法華経の説法を実見した文殊師利菩薩が、今また、釈迦牟尼如来の白毫相を見て、これから始まる法華経の説法を予見しているのだ、という筋立てであり、納得がいくかどうかはともかく、理屈としてはわからないでもない。

 

 が。

 

 そしてまた、かのときに、求名という名の怠惰な菩薩がいましたが、阿逸多よ、あなたこそ、かのとき、かの折の求名という名の怠惰な菩薩であったのです。

 

 えー、そう貶すの!?

 

 なんだか次期社長に指名されている若旦那が子どもの頃の……いや、前世なのだが……寝小便を衆耳に晒されるような話になってしまっていてアレゲなのであるが。しかも、である。

 

 阿逸多よ、このような次第で、私は釈迦牟尼世尊がこのような光明を放たれたこの瑞相を見て、「今日、世尊もまた、妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念と名づける大乗経を説き明かそうと願っておられる」と思うのです。

 

 これで文殊師利菩薩の話は終わってしまう。

 弥勒菩薩の前世譚、関係ねーじゃん!

 

 しかもこの後、偈で以ってここまでの文殊師利菩薩の話、つまり「白毫相は法華経説法の前触れである」という主張が繰り返されるのであるが、ご丁寧にも、この偈の中でも再び弥勒菩薩が、何の必然性もなく貶される。この章句を以下に引くが、

 

 彼はまた、後のこのところに生まれ、やがて最勝の菩提を得るであろう。弥勒の姓を名乗る世尊となり、何千億もの衆生を教化することであろう。

 そのとき、入滅された善逝の教えのもとにありながら怠惰であった者こそ、そのようであったあなた自身であり、そのときの説法師は私であった。

 この因縁によって、私は今日このような瑞相を見て、「私は最初にかのところで見た、かの繰り広げられた智慧の瑞相と同じである」というのである。

 

 お気づきだろうか。

 

 上引用の一句目は、前稿において「本章の書き手は弥勒下生信仰を知っていた」証拠として示したそれである。あろうことかこの書き手は、“弥勒”という名に権威があるのだ、と示すその筆で、その直後に、弥勒の前世の寝小便……もとい、怠惰を引き合いに出して貶しているのである。続いて再び白毫相の因縁が断言されるが、どう考えても、この主張に弥勒菩薩は一切関係がない。

 

 以上が、ボクが、本章の書き手が弥勒菩薩の名が既に得ていた権威を利用しつつ、同時に、文殊師利菩薩を相対させることで、その権威が他を圧倒してしまわないようにコントロールしている、と解釈する由縁である。同時に、ここまで見て来た本章があろうがなかろうが、法華経の主張するところにはまったく影響しないのであるから、本章が後付けされた辻褄合わせ、粉飾であることは、日を見るよりも……白毫相を見るよりも明らかである。

 

 これは結果的に、本章冒頭に示された“如是我聞”の信憑性をも傷つけるものであり、文献考古学の手を借りずとも、法華経が釈迦の直説であるはずはない、ということは、序章を読むだけで断言できてしまうのだ、トホホ。

 

 以上を以って、法華経序章“発起”の転読(うたたよみ)を終える。

 

*1
 さらに厳密を期すれば、今日大蔵経に収められる妙法蓮華経および添本妙法蓮華経には、表題の前に、蔵経編纂時に添えられた序文があるが、これは一見すれば原典からの漢訳でないことが瞭然なのでここでは捨て置く。

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