第19話 空振る説得……第四章“信解”
本連載も残すところ3分の1となり、遂に深淵篇に突入する。
今回扱うのは第四章“信解”(妙法蓮華経
第四章“信解”を挟んで第三〜五章は、立て続けに、譬喩を以って法華経教団第一期の人々が第二章において表明したセントラルドグマ、すなわち一乗真実三乗方便を敷衍する章になっている。うち、本章の長者窮子と第三章の
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本章の登場人物は、
冒頭、彼等は前章となる第三章において、同じ十大弟子の筆頭、
世尊よ、私どもは実に、齢を重ね、老い衰えたものでありまして、この比丘の僧団においては上座と思われておりますが、老い衰えてしまって、私たちは
彼等が揃って受記を得る第六章を
そのような私たちが、世尊よ、いま世尊から親しく、声聞たちも阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるという予言を聴聞して、私たちは驚き、稀有なることと思って、大きな利益を得ました。……(中略)……探しもせず、求めもせず、考えもせず、願いもしなかったのに、このような素晴らしい宝を得ました。このことについて世尊よ、私たちには思い浮かぶことがあります。善逝よ、私たちには心に浮かぶことがあります。ここに一つの譬喩を申し上げます。
と前置きされて、長者窮子の譬喩物語が始まる。つまり、法華七喩の第二は、釈迦から示されるものではなく、この四人の弟子の連名で以って語られるものとなる。以下、第三章の三車火宅の譬喩同様に、やたらと冗長なので、要点を掻い摘んで見ていくこととしたい。
まず、幼い頃に父親と生き別れ、二十年、三十年、四十年、五十年と流離った貧しい男の子……もう子じゃなくてオッサンだよな?……がいる、とされる。父親は商売か何かに成功して大金持ち=長者なのだそうだ。長者の父と生き別れて窮乏する子、これが長者窮子という語の直接の意味である。長者には財産を譲るべき子が他になく、ずっと生き別れた子のことを思い続けていた、とされる。
あるとき、衣食を求めてさまよう窮子が、偶然にも長者の暮らす屋敷のそばへ、そうとは知らずにやって来る。金銀財宝が散りばめられた屋敷の様子に、窮子は震え上がる。
思いもかけぬことに、私はいきなり、王か王に等しい人に出くわしてしまった。このようなところには、われわれのような者のする仕事があろうはずはない。立ち去ろう。貧しい人たちのいるところなら、それほど苦労せずに私たちの衣食が得られるだろう。ぐずぐずしてはいられない。私はここでつかまえられて強制的にこき使われたり、あるいは他の災いを受けるようなことがあってはたいへんだ。
物語の都合だ、と言えばそれまでなのかも知れないが、当時のインドには、金持ちであれば、貧しい浮浪生活者をひっ捕まえて奴隷化してもよい、という掟でもあったのであろうか。ともかく窮子は、まさかその屋敷の長者が自分の父親とは思いもしないので、足早にそこを立ち去ろうとする。
一方の父親は、これまたご都合主義的な話ではあるが、こちらは遠目に見て彼が我が子であることに気付き、喜び勇んで使用人に申し付ける。
おまえたち、追いかけて、早くあの男を連れてきなさい。
かくして窮子は父親の使用人たちに捕まり、恐れおののいて声高に叫びわめく。
私は、あなたがたに何も悪いことをしていないのに。
が、主人に従順な使用人たちは、窮子を無理矢理引きずっていく。窮子自身は、自分は殺されるに違いないのだ、と思い込み、ついには気絶してしまう。それを見た長者は、
おまえたち、その男を無理強いに連れてきてはいけない。
アンタが連れて来いって言うたんちゃうんかい!とか思うのだが、とにかく彼等は、気絶した窮子に冷水を浴びせて……ひどいなぁ……蘇生させる。が、長者は黙して何も語らない。なぜか。四大弟子の言い分はこうだ。
それはなぜかといいますと、長者は、その窮子の心根が賤しくなっていること、そして一方、自分自身は豪勢な威力をそなえていることを知っており、また、貧しい男が自分の息子であることを知っているからです。その場合、世尊よ、その長者は方便に巧みであって、「これが私の息子である」とはだれにも語らないでしょう。
さて、ここで法華経第一期を貫くキーワード“方便”が登場すると同時に、何だか雲行きが怪しくなってきた。生き別れた息子に父親の名乗りを敢えてしないことが、何故に方便に巧みであるとされるのか。たちまちには理解に苦しむが、ともかく長者は一旦窮子を解き放つ。窮子は命からがら貧民街へ逃げ込み、その日暮らしを始める。
一方、長者は巧みな方便とやらで次の手を打つのであるが、顔色も悪く、無気力な二人の男に次のように指示する。
おまえたち二人は、ここにきていたさきほどの男のところに行き、おまえたち自身の言葉で雇い入れ、二倍の日当を与えることにして、この私の屋敷で仕事をさせなさい。もし彼が「何の仕事をするのですか」と尋ねてきたら、おまえたち二人は彼に「われわれ二人といっしょに糞尿の掃除をするのだ」と、こう言いなさい。
かくして窮子は、富める長者の家の近くにある草ぶきの小屋で寝起きしつつ、屋敷の糞尿や汚物の掃除をする仕事を始める。
何なんだコレは?
冒頭にも書いたように、話の筋に突飛なところはまったくない。理解に苦しむ白毫ビームも太陽よりも大きな巨人も天まで伸びる舌も出ては来ないが、それらの物語においてはあった「表現が過剰なことを割り引けば言いたいことはわかる」的な納得感が本章からは感じられず、むしろ、何だかよくわからない居心地の悪さだけが徐々に溜まっていくのはボクだけだろか。
とまれ物語の続きを見ていこう。
生き別れた息子に対し、親子の名乗りをしないまま汚物処理として召し抱えた長者は、自分が雇い主であるとわからないように、故意に身なりを汚して窮子に近づき、使用人身分の先輩を装ってやさしく振る舞う。
おまえは糞尿や汚物を掃除して、私のために多くの仕事をしてくれた。なあ、若者よ、おまえはここで仕事をしていて、これまでに人を欺いたことも、不正なことも、偽りも、高慢なことも、何か隠しだてすることもなかったし、いまもしていない。なあ、若者よ、他の男たちには、仕事をしながらそのような欠点がみられるけれど、おまえは、何ひとつ悪いことをするのを見たことがない。今日よりは、おまえは私にとってほんとうの息子のようなものだ。
言わんとすることはわからないでもないが、何とも回りくどい話である。さて、長者は、窮子が誠実であるかどうか身分を隠して観察していたのか、あるいは、単に親馬鹿で息子が誠実であると思い込みたいのか。仮に、使用人中に窮子以外に誠実な人物がいたとして、長者はその人物に対してはどのように振る舞うのだろうか、等々と疑問は尽きないのであるが。
ともかく、当初は卑屈であった窮子の態度は次第に変化していって、長者の家にためらうこともなく出入りするようになるが、それでもなお、雇い入れられたときのまま、自身は草ぶきの小屋で暮らした。これが二十年続く。言葉通り受け取ると、親子の別れが三歳のときとしても、窮子はこの時点で七十三歳ということになる。その父親たる長者の年齢について言及はないが、推して知るべしであろう。長者はいよいよ自身の死期が近いことを知って、未だ親子の名乗りを挙げないままに窮子へこう語りかける。
私は重い病気にかかっている。そこで、これはだれに与えるべきものか、あれはだれから受け取るべきものか、何を秘蔵すべきであるか、そのすべてをおまえに知っておいてもらいたいのだ。なぜかというと、私がこれらの財産の所有者であるけれども、おまえにとってもそれは同じことであるし、おまえが私のこの財産のなかから何かを失うようなことがあってはならないからなのだ。
こうして、糞尿掃除人であった窮子は、事実上の長者の執事となる。彼は長者の財産のすべてに精通するが、それらを着服することはもちろん、欲しいと思うことすらなかった、とされる。
ここに至って、長者は彼の息子が有能な財産の支配人として成熟したと判断し、親戚や王や大臣を集めて、
これが私の息子で、私は彼の父親です。私が所有するところのものは何でも、その一切は私はこの男に引き渡します。私自身が所有する財物は、何でもその一切をこのものが知っております。
と宣言する。当の窮子は、
思いもかけなかったのに、私は、この金塊、金、財宝、穀物、貯蔵室、倉庫を得た。
と驚く。物語はここで終わり、続いて四大弟子自身の言葉として以下のように結論される。
実にこのように、世尊よ、私たちは如来の息子に等しいのであり、そして如来は私たちに「おまえたちは私の息子である」と、かの長者のように言われます。
さて、読者諸兄におかれては、この物語の含意するところ、つまり、本章の書き手がこの譬喩を以って何が言いたかったのか、わかるだろうか。思いもよらぬ宝を、自分自身が気づかないままに得ていた、とする構造は、第八章に見える衣裏繋珠の譬えに共通しているが、どうにも不可解な内容である。以下、私見を交えつつ解読してみよう。
まず、物語に登場する要素が、それぞれ何を表象しているのかを確認しておく。
長者:釈迦
窮子:この譬喩を述べている四大弟子
財宝:如来の智慧
つまり、四大弟子は釈迦の如来の智慧の相続者であって当然であったが、そのことに自分自身は長く気づいていなかった、というのが物語の基本構造であり、親友=釈迦が、ある男=弟子の衣の襟に忍ばせた宝珠=無上の覚りに気づいていなかった、とする衣裏繋珠の譬喩に通じるのもこれである。
一方、衣裏繋珠の譬喩においては「得ていながら気づいていなかった」こと自体に話の力点があるのに対し、この長者窮子の譬喩では「窮子が長者の財産の管理人になっていた」ことの方に力点があるようだ。これは、以下に示す、物語に後続する四大弟子の論述から見て取れる。
長い年月の間、長者に仕えた窮子が長者の財産を残りなく知り、出し入れが自由であったように、世尊よ、私どもは菩薩摩訶薩たちに如来の智慧をはじめとして、すぐれた法の宣説を行ない、如来の智慧を開示し、教え、解説したりしますが、世尊よ、私たちはそれについて関心がありませんでした。
繰り返し述べているように、法華経第一期に実名で登場する釈迦在世の弟子たちは、概ね法華経教団と対立した声聞衆を表象していると考えて間違いない。とすると、ここで言われている残りなく知り、出し入れが自由であったところの長者の財産とは、声聞衆が継承してきた仏典を意味している。実際、声聞衆はその仏典を一般庶民に宣説し、その対価として施与を得て日々の糧としていたのであり、これが窮子が長者の財産の管理人に抜擢されたこと、に対応している。
つまり、この構造を通して、法華経教団は対立声聞衆を「長者の財産=如来の智慧を相続したことに自覚のない窮子」として非難しているのであり、裏を返せば、彼等は自身をして「如来の智慧の相続人である」とする自負を抱いていたことになる。否、穿った見方をすれば、これはそもそも話が逆であるのかも知れない。
第二章の五千起去の下りから、法華経教団がその創設のかなり早い段階において対立声聞衆からの批判、あるいは無視を受けていたことを読み取った。また、第十二章の二十行の偈が図らずもその批判の内容を間接的に伝えていることも見て来た。特に後者からは、対立声聞衆が法華経教団を自分たちが勝手につくった俗悪な教法を教えるであるとか、自ら経典を作り、大衆の中において説法するといった観点で問題視していたことがわかるが、これも裏を返せば、対立声聞衆は「勝手に経典を作るべきではない」と考えていたからである。
とすると、本章に見える長者窮子の譬喩は、そもそもは法華経教団の創意によるものではなく、対立声聞衆が「滅後の我々は如来の智慧の管理人に過ぎないのに、法華経教団はそれを我が物のように好き勝手している」と批判した言説を、そのまま逆転させたものである可能性が考えられる。むしろ、そのように考えた方が、どうしてこの物語がここまで回りくどい構造を持たねばならなかったか、がすっきり説明できるのではなかろうか。
同時にこれは、法華経教団自身が、対立声聞衆の伝統的・規範的・保守的な仏典解釈から離れ、独自の道を歩み始めるに際し、彼等自身の内部にもある種の後ろめたさやためらいがあったことの反映であるようにも思われる。法華経第一期のかなり早い段階で書かれたであろう本章は、自身が長者の実子であることに気づかぬまま二十年の歳月を使用人として過ごした窮子の姿を通して、彼等が母体となったであろう比丘集団から独立旗揚げするまでの葛藤を表現している、とも読めよう。
もちろん、以上の解釈は傍証を欠くものであるから、あくまでも「そのように理解することも可能」なものの一つでしかないことは申し添えておかねばならない。
この後本章は、主意を同じくし、かつ、ここまでの長行部分よりも長い偈、が体裁の上では大迦葉が詠ったもの、として繰り返されて終わる。ここに垣間見える法華経教団の立ち位置に検討を加えてみよう。
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前章と本章に続けて展開される、釈迦とその弟子の関係を親子になぞらえた二つの譬喩物語は、伝統的な天台法華教学の解釈によれば、広くは一切衆生、狭くは二乗=声聞・独覚の人々を、次第に一乗真実へ導く如来の“巧みな方便”なのである、ということになるのであるが、これは歴史上の釈迦がこれを説いたと信じるからそうなるのであって、実際にはこの譬喩は法華経教団の人々がなんらかの必要に求められて創作したのに違いないのである。
ここでボクが思うのは、第二期以降は対立声聞衆に対し攻撃的な態度が目立つ法華経教団であるが、本章が創作された第一期、それもその初期においては、彼らは対立声聞衆……否、この時点では対立までには至っておらず、法華経教団は自分たちを含む大きな出家者集団の非主流派であったろう、と思うのであるが……すなわち所属教団の主流派を、これらの譬喩を以って説得することが可能であると、楽観的に信じていたのではないか、ということである。
前章と本章の譬喩が、共に釈迦と弟子の関係を親子に見立てていることは前述した通りであるが、これを比較すると、前章の三車火宅の譬えにおいては、子どもは「火宅の如き三界」に遊ぶ未だ理非を判断できない存在として描かれているのに対し、本章の窮子は、文字通り読めば老成して父親の財産の管理を任された人物になっている。思うにこれは、悪気なく創作した第三章の譬喩が、結果的に教団主流派に「我々を小児扱いするのか?」と不興を買ったことをうけて、法華経教団なりにおこなった改善だったのではないか、と思うのだ。
少なくとも、本章の書き手自身の主観においては。
善逝は、私たちを、偉大な力のある多くの菩薩たちのところに遣わされ、私たちは数千億の譬喩や因縁をもって無上の道を説き示します。
最勝者の子供たちは、私たちの言葉を聞いて、菩提のために最勝の正しい道を修習します。そして、その刹那に、「そなたたちはこの世において仏陀になるであろう」と、予言を授けられるのです。
この法の蔵を守護しながら、また、最勝者の子供たちにそれを演べ説きながら、あたかも、かの信頼された貧しい男のように、私たちは救世者のために、このような働きをするのです。
上引用は、本章後半に偈で繰り返される要約の中程に登場する一節である。文脈上はこれは大迦葉が詠んでいることになっているから、ここでいう私たちは、法華経教団にとっての説得相手となる主流派声聞衆を表象していることになる。前章において相手を小児扱いしたことを思えば、本章では同じ人々に対し、法の蔵を守護しつつ、数千億の譬喩や因縁をもって無上の道を説き示し、釈迦が衆生に予言を授ける下地を整える大役が託されているのであって、随分と持ち上げられていることがわかる。
が、これを逆の立場、すなわち自分たちこそが釈迦以来の伝統の担い手であると自認する主流派声聞衆の立場から読めば、第三章のそれと五十歩百歩のものなのであって、むしろ、彼らからすれば青二才に過ぎない法華経教団の、思い上がりがなお一層強くなってきたように見えたのではないか。
冒頭に述べたように、詳しくは次話にて改めて
いや、むしろここで関心を抱くべきは、現代の我々の感性から考えると、三車火宅の譬喩が語られだした時点で、主流派声聞衆は激怒し、以降は一切法華経教団の発言に耳すら傾けない、という態度をとってもまったくおかしくはないのに、第五章に至るまで、三度これが繰り返されたこと、それ自体であるかも知れない。意外に主流派声聞衆は心が広く「青二才が次に何を言い出すか聞いてみよう」と悠長に構えていた、とも考えられよう。何せ彼らは声聞の学びを極めた阿羅漢である、と自認していたのであるから、多少のことでは感情を動かさない……否、動かせないのである。
一方で、対する法華経教団の側は、自分たちが見出したと確信する一乗真実三乗方便に掛ける情熱が強すぎて、主流派声聞衆のこの態度の意味するところを読み違え、より“巧みな方便”を以ってさえすれば主流派声聞衆も自分たちの言っていることを理解し、賛同してくれるはずだ、と思い込んでいたのではないだろうか。こう考えると、第三〜五章が立て続けに繰り返される、手を換え品を換えの譬喩の章であることに得心がいく。
前話でも論じたように、この一見噛み合わない、そして同時に、ある意味において初期の法華経教団にとっては孵卵器的な役割すら果たしたであろうこの関係が、続く第六〜七章の公表によって破綻した……有り体に言えば、主流派声聞衆の堪忍袋の緒が切れた……というのがボクの解釈である。おそらくは、法華経教団はこれに並行して在家衆の一定の支持を得ることに成功し、主流派声聞衆と袂を分かったのであろう。第十章以降の法華経から、これまで注力が見られた声聞衆へのアピールが消え、突如として在家の善男子・善女人へ訴える言辞が現れることも、これで合理的に説明出来るように思う。
視点を転じて法華経全体の論調との整合を見ると、特に彼らの理想主義的傾向が頂点を迎える第二期後半から第三期初頭にかけての主張、すなわち第十九章などに端的に現れる一切衆生悉有仏性的な信念に比して、本章に見える長者窮子の譬喩は、階級差別的な社会構造を前提として無批判に受け入れている感があり、違和感を覚える。
具体的には、釈迦の法の継承が財産の相続に譬えられ、窮子の相続の正当性は血縁関係の他には求めることが出来ず、しかも、その継承の手続きに参与する使用人たちに対する言及は、くる病や眇目や愚かなる人々、見すぼらしい衣服を来た人々、色の黒い人、身分のいやしいい人たちと過分に差別的である。さらに、話中の長者は窮子への相続の宣言を、国王、親族、市民、また、多くの商人たちに対しておこなうのであって、このとき存在が前提されている使用人を含めた被差別階級の人々は丸っと無視されている。
もし、本章が書かれた時点の法華経教団が、後に語られる常不軽菩薩の物語が含意するような絶対平等観をおぼろげながらも有していたのであれば、たとえば、長者の財産を相続した窮子が、そこに至るまでの自分を支えてくれた貧民街の人々や使用人仲間に謝意を捧げ、財産を分かち合ったというようなオチがあっても良さそうなものであるが、そのようなニュアンスは一切ない。ということは、法華経教団第一期の面々の関心はそういったところにはなかったのであって、あくまでも主流派声聞衆を説得・論破することにのみ力点があったことになろう。
これは同時に、後に法華経第二期以降の人々が示すところの衆生救済の理念が、そもそもの法華経教団のセントラルドグマから派生したものでは必ずしもなく、第一期の人々が主流派声聞衆論破のために編んだ物語が、彼らの意図を離れて結果的に比較的下層の在家市民の心を捉えたため、教団経営上の事情から、彼らの語りかける相手が声聞衆から在家衆へと横滑りする中で生じたことを示唆しているようにも感じられる。
無論、言わんとするところは「ゆえに法華経の説く平等観は食わんがために作り出された紛い物である」などといった極論ではない。そもそも、平等観が清廉潔白な神様・仏様から天下り的に示された絶対的真理であるべきだ、という前提がおかしいのだ。後に、それを権威付けるためにそのように演出されることは古今東西普遍的なことであると思うが、そもそものそういった理念の誕生は、泥臭い現実の中の必然性から生み出されるのが常なのであって、法華経は古代インドで起きたその一面を生々しく記録している、という読み方もできよう、という話である。
それにしても皮肉に思うのは、本章が“信解”つまり「信じて理解する」と表題されていることだ。これは、本章が釈迦ではなく、四大弟子の側から一方的に論述される体を採っていることからわかるように、主流派声聞衆が法華経教団の主張を「信じて理解する」という意味を込めたものであったろう、と思うのだが、結果としてそれは実現しなかったし、実現できようはずもなかったのである。その一方で、彼らは遠い未来に、青二才であった彼らの主張を、まったく元来とは別の意味合いで“信解”する一群の人々を得たのであるから、信仰者であれば、むしろそのことを宝塔の出現よりも真に驚嘆すべき奇瑞として珍重すべきではないか、とさえ思わないでもない。
以上を以って、法華経第四章“信解”の