ここまで、第十四章“菩薩の大地からの出現”、第十五章“如来の寿命の長さ”を通して読んで来た。
後世において、まさに天台法華教学の中核となったこれらの章であるが、ここまで述べてきたように、これらの章の書き手自身としては(1)法華経教団の布教活動を聖別すること、(2)法華経教団に対する批判を封じ込めること、が直接の創作の動機であろう、という論を展開してきた。さて、ここに彼らはどのような落とし前をつけたのか。これを法華経第十六章“福徳の分別”(妙法蓮華経
結論から言うと、どうも法華経第二期の書き手は、第十四〜五章を書き進めるうちに……厳密には口述するうちに、とすべきか……自分たちの言っていることに酔ってしまったように見える。
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この「如来の寿命の長さ」の教えが説き明かされているときに、量り知れず、数えきれない衆生たちは利益を得たのであった。
本章は上引用の書き出しに始まる。法華経が、我が国において宗派毎に温度差はあるにせよ概ね仏教随一の経典として崇敬を受けると同時に、それを信じない人たちからは「自画自賛ばかりの中身のない経典」と批判されてきたことは繰り返し述べている通りであるが、まさにこの書き出しは自画自賛の最たるものであろう。以下、
ときに、
と、例によって弥勒菩薩にその断言を追認させる記述を皮切りに、計十二の如来の寿命の長さを説く法門を聞くことによって得られる効用が列挙されるのであるが、得た、得たと繰り返されるばかりで、肝心のその得たものに関する説明は一切ない。中には百千万億那由他回も回転する陀羅尼を得たなどというものもあるが、いったいどんなダーラニーなのだろうか。見てみたいような、見たくないような。
とにかく、前章“如来の寿命の長さ”を聞くこと、それ自体が素晴らしいことなのだ、ということが強調されるのである。
さらに、この「“如来の寿命の長さ”を聞くこと、それ自体が素晴らしいこと」という釈迦の言明を聖別すべく、種々の奇瑞が起こる。曼荼羅華の雨が降り注ぎ、栴檀や沈水香(いずれも高価な香木)の粉が降り注ぎ、ひとりでに美しい太鼓の音が鳴り響き、天の衣や宝石が降ってきた、とされるのであるが、ここまでされると返って白々しい気分になってしまうのはボクだけだろうか。
続けて、弥勒菩薩が偈で以って、ここまでの内容を彼視点で賞賛しつつ詠う。これで本章のほぼ半分を浪費している。さらに、ここまでにも多くの法華経の章において見られた、非常に大袈裟で尊い行為のように思われることが引き合いにだされ、それは福徳に優れたことではあるけれども、“如来の寿命の長さ”を聞くことと比べれば百分の一にも及ばない。千分の一にも、百千分の一にも、百千億分の一にも、百千億那由他分の一にも及ばないとする、どこかで見たような修辞(第22話)が現れる。
法華経に対する「自画自賛ばかりの中身のない経典」との非難は、決して故なきことではないのだ。
本章が面白くなってくるのは、件の“如来の寿命の長さ”を聞くことと他の尊い行為を比較する下りを釈迦が偈で以って繰り返したその後、からとなる。
阿逸多よ、
上引用の下線部は、前章の自我偈の中の
後世の天台法華教学ではこれを“
さて、ではこれを書いた本人たちはどう考えていたのだろう、と疑問に思うのであるが、既に述べたように、法華経教団第二期の書き手の意図としては、第一義的には
これが本稿冒頭において「自分たちの言っていることに酔ってしまったように見える」と述べた所以なのであるが、次下にもそれを匂わせる論述が見られる。
阿逸多よ、その善男子あるいは善女人は、私のために塔を作ったり、僧坊を建てたりする必要はなく、衆僧に病気を癒やす医薬や日用の器具を施与する必要もない。
なかなか思い切った発言である。阿逸多との弥勒菩薩に対する呼びかけからわかるように、これは釈迦の発言としてなされているものだが、釈迦の言葉で以って「法華経教団のために建物も日用品も提供しなくてよい」と言っているのであるから、流石に食料品について同趣旨の言及がないのはご愛嬌としても、自ら汗して働くことのない出家者集団としては、この論述は有り体に言って自殺行為である。
おそらく背景には、当時の社会において、法華経教団に限らず出家者集団の擁する仏舎利塔や僧院の維持費用、日用品の提供が、在家社会にとって結構な負担になっていた、というのもあるだろうと思うのであるが、“如来の寿命の長さ”を信受する者はそれをしなくてよい、と言い切るのであるから、これはちょっと単なるリップサービスには留まらない物言いなのである。そして、同趣旨の論述が章末までの間に偈も含めて計三回繰り返される。
本章末尾においては、
そこには、導師である仏陀・世尊のために、美しく輝く人中の最尊の塔を造り、また、そこで種々の供養を行なうべきである。
との、一見矛盾することが言われるのであるが、続く結句は、
かの仏陀の息子が住まう大地、私はそれを受用し、私は自らそこで経行し、そこに私は坐すであろう。
となっていて、これは自我偈の
阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房
に見られるような、
つまり、本章の書き手は、自分が生み出した“如来の寿命の長さ”の出来栄えに酔いしれる余り、それを読み手・聞き手が信受してくれるのであれば、自分たちがシンボルとなる塔や住む場所や日用品の提供を受けられなくなっても構わない、と考えるに至ったのである、少なくとも本章を書いている時点においては。
が、醒めない酔いはないのであって。
流石にこれはマズい、ということになったのだと思うが、同じく第十四〜十六章の中で本来は言及されるべきであったのに、やはり酔いによってであろうか、失念された地涌の菩薩に対する付嘱をキャッチアップした第二十章において、「いや、やっぱり建てろ」と言っている(第16話)のには失笑するしかないのではあるが。
また、これはボクの不勉強によるのかも知れないが、本章に依拠して「塔や寺院なんぞ建てんでもよい」と主張した仏教僧を聞いたことがないのも、何だかなー、な気分ではある。
本章後半の論旨は、武田信玄ではないが「人は石垣、人は城」の信仰版なのであり、実にいいことを言っているし、実際、日蓮宗や浄土宗・浄土真宗がその最初期に教線を拡大し得たのも、当初の彼らが権門体制の外側にいたが故に、既存権門から課せられる負担にうんざりしていた民衆の支持を集めたというのが背景にあったように思うのである。思うのであるが、結局その彼らも、江戸時代には中世以来の権門と同じようなものになってしまうのであるから、浄土系はともかくとして、日蓮宗については、そこまで法華経に従わんでもいいんじゃね、な気がしないでもない。
*
以上ここまで、一連の伏線を有する物語として読むことできる、法華経第十四章“菩薩の大地からの出現”、第十五章“如来の寿命の長さ”、第十六章“福徳の分別”を通読してきた。後世、天台法華教学のセントラルドグマとなったこの部分を読み終えた今、改めて法華経全体におけるその意味合いを考えてみたいと思う。
今日、天台法華教学から発して大乗非仏説へソフトランディングしようとする試み……まぁ、不躾ながらかく言うボクもその流れの中にいるのだろう……として「法華経は紀元初頭における仏教の民衆的な改革運動であった」とする言説をしばしば耳にする。粗雑な表現になるが、大乗非仏説ベースの市販の法華経入門書は概ね口を揃えてそう言っている、といってよかろう。
ここまで読んで来たように、第二章を中心とする法華経第一期の主張は、概ね当時の仏教権威を独占していた声聞衆に対する若手出家者の造反劇と読むことができるし、今回見てきた第二期の主張は、地涌の菩薩に表象される使命を自覚した草莽の士こそが仏教を継承するのであり、それを永遠の釈迦が保証するのである、とする立論になっているから、確かにそのような一面がないとは言えない、とは思うのである。
が。
それは現代から振り返って見るからそう思えるのであって、当事者たちにとっても自覚的にそうであったか、と問えば、それは違うんじゃないか、とも思うのであって、これはプロテスタントを生んだ西欧のキリスト教宗教改革が、そこにキリスト教思想が果たした明暗両面の役割は認めつつも、実質としては西欧社会の権威権力の再編成劇であった、という話に通じているのであって、無自覚の護教精神で以ってその歴史を美化してしまうと、その修正主義は必ず意図しない好ましからざる副作用を招くのである。
特に今日の我が国においては、それがそのものズバリであるかはともかくとして、天台法華教学の徒は実体として政治権力をも左右し得る勢力であることは、その善悪良否の評価はさておき認めざるを得ない事実なのであるから、まぁ、冗談の合間に人生をやっているボクのような人間が言うと説得力を欠くことは百も承知の上で、結構これは深刻な問題だと思うのだ、いや、マジで。
もう少し具体的に言えば、法華経成立史を「仏教の民衆的な改革運動」などという美辞麗句で飾ることは百害あって一利もないのであって、今日の我々はこれを、それが少なからぬ人々の信仰の対象である、ということを一旦棚上げして、同時に、「何を馬鹿なことを」とミもフタもない切断操作をしてしまう衝動もグッと堪えて、たとえば、愚かさも賢さも兼ね備えた人間の集団として法華経教団を捉えた上で、なぜ彼らはこのように主張せざるを得なかったのか、他のやり方はあり得なかったのか、もう少しうまくやれなかったのか、という視線を送り、そこから今日的な教訓を引き出すべきであろう、とボクなどは思う次第なのである。
そこで、第一に考えてみたいのは、地涌の菩薩論の功罪である。
法華経第一期の譬喩を総覧するに、そもそも内在した反知性主義のツケとして、彼らの論理論述能力が相対的にあまり高くなかったのは明らかであり、一方で、出自教団から破門され、かつ、種々の論難を受けていた彼らが、それでも自分たちの運動を自立継続させていくために、「我こそは釈迦より付嘱を受けし地涌の菩薩なり」という自意識を持つのが有効な手立てであったことは認めたい。
また、後に日蓮が我日本の柱とならむ……(開目抄)と誓い、その良し悪しはともかくとして、この世のすべてを自ら背負い込む境地へと至り、宮沢賢治や石原莞爾や北一輝に三人三様にその後を追わせたのも、元を糾せば法華経が説いた地涌の菩薩に銘々が自身を重ね合わせた結果と言えるだろう。
今日的なドライな価値観からすると、この人たちの恩着せがましい暑苦しさは「ウザい」の一言で斬って捨てられるものであるかも知れない。が、事実、彼らは歴史に残る仕事をしたのであり、そのエネルギーを引き出したのが法華経であるとすれば……と言うか、確実にそうなのだが……法華経というテキストには、書き手が思っていた以上の力があった、ということになろう。
が、既に上に例示したメンバーの中にも、地涌の菩薩の論理が孕む弊害を現じている人たちがいるのであって、一言で言ってしまえばそれはある種の“選民思想”ということになろうかと思うが、そもそもの地涌の菩薩の言説が、法華経教団が自分たちを対立声聞衆に対して聖別するために為されたものであったが故に、その思考様式もまた、受け手の個性によって発現の様態は様々ではあるものの、大なり小なり伝播しているのである。
念のために補足しておくが、選民思想自体は、ボクは絶対悪だとは思わないのである。ある個人が、自身は聖別を受けた特別な存在であると信じ、使命感を以って何かに挑み、また、同じ使命感を余人と分かち合おうとする限りにおいては。が、石原や北の例を思えば、それは、自分以外の他者を手段化し、聖別された自分だけが特別な権威・権力を得る資格を持っているのだ、という思考の陥穽と表裏一体なのである。選民思想からエネルギーを取り出すに際しては、何らかの安全装置がなければならない。
そこで第二に考えねばならないのが、この地涌の菩薩と対になっている久遠実成説である。
結果的にはこの久遠実成が、天台法華教学における法の歴史的普遍性の裏付けと見做されたのであるが、繰り返し述べてきたように、これを書いた本人にとっては、対立声聞衆からたちまちに論難し難い観念上の防壁となればそれで十分だったのであって、必ずしも後世に評価されたようなところまでを法華経教団が考えていたとは思えない。実際、第十八章以降の法華経第三期からは、そこから派生して然りなビジョンは何も抽出できなかった。
が、法華経教団がまったくそれを考えていなかったか、ということそこはまた少し違って、彼らは“妙なる白蓮華の法門”という名を、自分たちが創作した聖典の名としてのみならず、三千大千世界に過去・未来を通じて普遍的に内在する究極の真理の名としても用いていた。少なくとも今日伝わるテキストの文字上の解釈としてはそのように考えることが出来る。
これは要するに、この世界、また見ることも知ることも出来ないが存在を想定することは出来る並行世界すべてを貫く共通の法則が存在して然りである、という信念であり、今日の我々は数学・物理学・天文学の成果を通してそれを当然と考えがちであるが、これは決して自明なことではなく、むしろ今日においても本質的には証明不可能な命題……今日突然、未知の万物理論に変更が加わって世界が消滅する、などということはないと、誰に断言できようか……である。法華経が書かれた当時としては、かなり先進的な着想であった、と評価して良いかも知れない。
しかし、彼らは遂に、それが意味するところを自分たちの言葉では説明せぬままに終わった。無論これは時代的に、彼らにはそれ以上このアイデアを深く探求する手段がなかった、ということもあろうかとは思うが、むしろ敢えて指摘したいのは、彼らにその自覚があったか否かは定かでないが、結果的に彼らは、その先進的なアイデアの放つ聖性にもたれかかった、という事実である。
つまり、彼らはそのアイデアが含意する“
歴史にifはない、と巷に言われるが、この連載をここまでやってきて、いくつか、考えても詮無いことながら、頭の片隅から離れない着想がある。
たとえば、もし地涌の菩薩が、釈迦からの付嘱の権威に依存する存在としてではなく、釈迦からは冷遇されるのだけれども、それでも我々は“妙なる白蓮華の法門”を自分たちの選択と意思でもって広めるのです、と誓う存在として描かれていたら……あるいは、常不軽菩薩が自身を非難する人々に対し、単に未来の成道を上から目線で予告する存在としてではなく、真正面から議論を戦わせて自身がより一歩前進できたことに対する感謝を論敵に捧げ、共に成道を果たす存在として描かれていたら……天台法華教学は今日我々が知るそれとは随分違っていただろうし、日蓮とその末流も異なる道を歩んでいたかも知れない。
否、もし法華経がそうであったなら、などという仮定自体が、既に法華経の権威に対する寄りかかりを内包しているのであって、以上のような……あくまでも雑に素描したに過ぎないのではあるが……着想を与えてくれたことを法華経とその書き手たちに感謝しつつ、それを乗り越えた何かを見出していくのでなければ、法華経を読んだことにはならないのではないか、などと、つらつら思ってみたりもするワケである。
まぁ、これは必ずしも法華経である必要はなくて、別に聖書でも古事記でも、ニーチェでもマルクスでもイーガンでも似たようなことは出来るだろうし、している人はたくさんいると思っていて、ボクはたまたま法華経に縁があったし好きなので素材にしているだけなのであるが、何が言いたいのかというと、これも他人に勧めるようなことでないのは百も承知ではあるのだが、読者諸兄にも、何に対してでもいいので、そういう視点を少しでも持って欲しいな、とは思ったりしているのである。少なくともボクは楽しいし、それなりに人生の役に立っているように勝手に思っているので。
これは言い方を間違えると、本章……第十六章“福徳の分別”の轍を踏んで、中身のない自画自賛に陥るから難しいな、とも思うのではあるが、これもまた、反面教師としてではあるが、法華経から得られる教訓であるかも知れない。
以上を以って、法華経第十六章“福徳の分別”の