本稿では、法華経の第十章〜十七章を法華経第二期と称し、第一期末に出自教団から破門されたと考えられる法華経教団が自身に対する論難への対応を迫られて、これらの章を一気呵成に成立させたと論じてきた。
第十章〜十七章は、後付けされた第十一章後半部を別格として、概ね一連の伏線を有する物語として読めることは繰り返し述べてきた通りであるが、この中にあって、今話取り上げるところの第十三章“安楽な行”(妙法蓮華経
本章の特徴は、全般的に地に足の着かない抽象的な問答を交わす法華経の中にあって、やたらと具体的な話題が取り扱われるところにあり、その性格の差から鑑みるに、おそらく本章の書き手は第二期の気宇壮大な物語を編んだキレッ切れの彼とは別人であろう、と想定される。
結論から言えば、本章には法華経全篇を通じて醸されるところの法華経教団が良かれ悪かれ背負い込んでいたと見える使命感や被害妄想とは別に、純粋に出家者としての彼らが求めた理想が反映されている感がある。これを読み解き、また、本章と法華経全篇との温度差が後世に与えた影響についても論じてみたい。
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世尊よ、かの菩薩摩訶薩たちが世尊を尊敬して不屈不撓であることはむずかしいことです、きわめてむずかしいことです。世尊よ、これらの菩薩摩訶薩はどのようにして、のちの世、末代の時に、この法門を広く説き、どのようにして妙法を護持すべきなのでしょうか。
本章は、
前章が後世に“殉教の書”として読まれた第十二章(第4話)であり、続章が件の地涌の菩薩が初出する第十四章であることを思うと、この文殊菩薩の弱気さは好対照をなしている。天台法華教学においては、本章を「末法の悪世の布教を不安に感じる釈迦在世の弟子に対して示されたもの」と本筋とは別枠扱いして合理化することが多いのであるが、言うまでもなくこれは、法華経は釈迦の直説である、という事実に反した前提から導かれるものだ。
第十二・十四章を書いたのも、本章を書いたのも、異なる人ではあろうけれども同じ紀元1世紀末頃に生きた法華経教団のメンバーであり、両者を隔てるコントラストには何らかの意味があるはずだ。
文殊師利よ、菩薩摩訶薩は四法に基づいて、のちの世、末代の時に、この経を広く説くべきである。
文殊菩薩の問いに対する釈迦の総論が上引用となる。
本章は、行き当たりばったりな展開著しい法華経中にあっても、既に見た第十八章(第15話)に次いで、論述の構造化が見られる章になっている。ここで言われる四法とは、前掲書註によれば身・口・意・請願の四種の心得であり、以下、この四つそれぞれについて、長行と偈が繰り返される構成を採る。また、それぞれの論述は、抽象的な定義から始まって後に具体例が示される体であり、言葉は悪いが“空理空論”が飛び交う前後の章とは、これまた好対照である。
かくして最初に語られるのが“身の心得”ということになるが、これは自らを律する行為と対人関係の規範であるとされるのだが、前者については突き詰めればすべて存在するものは空であると観るという、仏教的には至極当然のことが言われるのみで、書き手の力点は後者、すなわち、菩薩摩訶薩=法華経教団のメンバーがどのような人間関係を築くべきか、にあるようだ。以下、その具体的な論述を抜き書きしてみよう。
驕り高ぶる縁となる国王に親しみ近づかず、王子たち、大臣たち、王臣たちにも親しみ近づかず、頼らず、敬い仕えることなく……
これはどうやら政治権力とは距離をおけ、ということらしい。
異教徒たちにも近づかず、世俗の文筆や論書に専心する人々に奉仕せず、敬い仕えることなく、法門せず……
こちらは、仏教徒は異なる論理を採用する人々と交わるな、ということらしい、異教徒に近づかなかったらどうやって布教するんだ?という気がしないでもないが、一旦は捨て置こう。
この辺りから主張が怪しくなってくる。ちなみに旃陀羅とはインドのいわゆるカースト制において最下層民とされた人々の呼称であり、続いて列挙される職業は概ねその最下層民が従事するものとされたそれ、になる。現代的な感覚からすれば、法華経の布教がたちまちに人々の救済となるか否かはともかくとして、そうした人々こそ真っ先に救済の対象とすべきのようにも思われるのであるが。
彼らが近づいてくるならば、随時に法を説き、しかも、何ものにもこだわることなく法を説くことを除いては、親しく近づくことをしない。
続く上引用の論述からすると、明示的には言われていないが、強いて最下層民の救済を旗印に掲げて悪目立ちするな、と書き手はいいたいようである。逆に言えば、二千年前にも、今日の一部の欺瞞的な左翼勢力の常套手段が存在していた、ということになるだろうか。
ところが、次下ではさらに不可解なことが言われる。
男性の信者・女性の信者にも近づかず、頼らず、敬い仕えることなく、彼らが近づいてくるならば、随時に法を説き、しかも何ものにもこだわることなく法を説くことを除いては、歩行の場所においても、僧房においても共に一つ所に会う場所にいない。
信者とも付き合うな、とはこれ如何に?なのであるが、前段の旃陀羅の下りと彼らが近づいてくるならば、随時に法を説き、しかも何ものにもこだわることなく法を説くことを除いて、が共通しているところを見ると、言わんとするところは、出家者たるものは世俗の人々が自ら求めた場合にのみ法を説くのであって、自分から押し売りにいったり取り入ろうとするものではないのだ、といったところが書き手の主張らしい。
さらには、上記の一節に内包されるように思われる以下の論述が別途おこなわれているのが興味深い。
女人に対してさまざまに親愛の様相をあらわにして法を説くこともなく、常に女人を見ようと願うこともなく、善き家を訪れて、その家の少女や娘、若い嫁と話し合おうなどとは決して考えず、丁寧に挨拶することもしない。
ここまでくると、穿った見方にはなるが、おそらく上引用のようなことを釈迦の言葉を騙って主張したくなるほどに、そういう連中が実際にいたのだろう、と考えざるを得ない。つまり、法華経教団の「一切衆生に法華経の一句一偈なりともを述べ伝えるのだ」とする使命感を口実にして、在家の婦女に親しみ近づき、出家者にあるまじき行為に及ぶ者が少なからずいて、教団の指導者たちを悩ませていたのだ。これまた、我が国の仏教史に限っても普遍的な現象であり、拙稿から例を引けば、かの法然が島流しの憂き目にあったのは、専修念仏の伝播を口実に後鳥羽上皇の愛妾に近づいた彼の弟子が上皇の逆鱗に触れたからであった(日蓮『立正安国論広本』を読む、第4話参照)。
同じ視線で次下を読むと、さらに困惑させられることになる。
また、
不男というのは、前掲書註の言葉をそのまま借りれば男根不具の者であり、要するにインポということになるのだが、これまたわざわざこういうことを言わねばならない背景の方に、むしろ心惹かれてしまうのはボクの心根が卑しいからであろうか。
念のために申し添えておけば、前述したようにこの後に偈で以って同趣旨の内容が繰り返されるのであるが、そこに以下の章句が見える。
いずれのときにも、彼は、劣ったもの、優れたもの、中位のものに、また、有為のものにも、無為のものにも、さらに真実なるものにも、不真実なるものにも、あらゆる点において執らわれない。
智者は「あの人は女である」と執らわれず、「あの人は男である」とも分別しない。一切のものは不生そのものであるから、一切のものを求めながらも執らわれた見方をしない。
ここから鑑みるに、本節の真に主張したいところは、あるカテゴリにあてはまる人に近づくな、ではなく、特定カテゴリの人を選んで近づくことは、たとえその人が一見して真っ先に救済されるべき人であるように思われる場合であっても忌避せよ、それは菩薩が避けるべき執着である、との見解にあるようだ。
それはそれで決して間違った主張ではないし、むしろ、仏教の伝統に則った立論であるようにも思われる。一方で、仮に本章書き手の言わんとするところがそこにあるとしたら、それは、彼らが対立したであろう声聞衆と何が違うのだ、というところは問題視すべきであるように思われる。
そもそも法華経教団は、出自となった出家者集団が在家その他に対して、既得の権威や権益にふんぞりかえっていたことが不満だったのではなかったか。法華経第一期の論述は概ねこの権威を覆すことを目指していたように見え、必ずしも一般庶民に対する訴求は感じられなかった。対して第二期の論調は明らかに在家衆への布教を念頭に置いているのであるが、本説の内容から察すると、法華経教団自身も一枚岩では決してなく、出自教団の出家者のスタンスに対する憧憬のようなものを捨て切れてはいなかったことが垣間見れるのである。
続く“口の心得”の冒頭は、いきなり日蓮筋には耳の痛い話から始まる。
如来が入滅したのちの世、末代の時、のちの五百年において、正法が抑圧されているとき、菩薩摩訶薩がこの経を説き示そうと願うなら、安楽な状態にあることである。彼が安楽な状態にあって、身につけたか書写した経典によって法を説き、他人に対して語るときも、ことさらに相手の過失をとがめだてすることもなく、他の法を説く比丘たちをそしることもなく、悪口を言うこともなく、非難の言葉を放つこともない。
上引用下線部は、中村師は上のように訳しておられるが、鳩摩羅什は端的に末法としており、これは妙法蓮華経中に二箇所のみに現れる“末法”の語の用例となる。ちなみにもう一箇所は
本章の書き手にとって、如来が入滅したのちの世、末代の時、のちの五百年において、正法が抑圧されているときというのが、具体的にいつのことを言っているのか、俄には判じ難いものがある。同じ表現が第二十二章、第二十六章に見えるが、これらは法華経第三期に含まれ、それぞれ勢いを失いつつあった教団の行く末を案じた内容であることから、彼らの言うのちの五百年が第三期のメンバーが死に絶えた後のことであろうと推測することができる。対して本章は、書き手自身が同時代の教団の有り様に感じている不満が背景にあるように読めるので、彼らにとっての近未来に仮託する動機がないように思われる。
いずれにせよ、妙法蓮華経の句は前述したように末法であり、日蓮にとっては彼自身の現在を指している。従って、言葉通りに読めば、法華経は日蓮を含む末法の法華経の行者に対し、ことさらに相手の過失をとがめだてすることもなく、他の法を説く比丘たちをそしることもなく、悪口を言うこともなく、非難の言葉を放つこともないといった態度を求めていることになる。
が、実際には日蓮がこの章句とは正反対の言動を採っていたことは今更力説するまでもあるまい。真蹟のない遺文であるが、13世紀末の写本が現存することから日蓮自身の書き物であろうとされている『
然るに、
本章(安楽行品)に書かれた修行を末法においておこなうのは宵に鳴く鶏のようなもので物の怪の類だ、と言っているのだが、これは法華経原理主義者の彼としては極めて珍しい、法華経章句を真っ向から否定した一節となっている。冒頭に「日蓮筋には耳の痛い話」と書いたのはこのことであり、全面的に法華経の聖性に依拠する日蓮としては、本来は法華経の一句一偈なりともに反論するというのは本末転倒、自家撞着の極みなのである。
以下私見ではあるが、日蓮はそもそもそのキャリアの端緒に専修念仏批判を足掛かりに最初の地歩を得よう試みた(拙稿、日蓮『立正安国論広本』を読む、参照)のであり、また生涯彼を突き動かしたモチベーションの源泉に先行して成功している仏教者に対する嫉妬のような感情があったことも見て取れる。そして、この彼の有り様は、偶然か必然かはともかくとして、法華経第一期〜二期の人々が対立声聞衆を批判することで教団独立を目指したそれとシンクロしている。
であればこそ日蓮は、直接的には自身のスタンスとの不整合を解決するためであったにせよ、結果的に、本章書き手の法華経教団内での傍流性を喝破したのではないだろうか。無論これは日蓮の肩を持って言っているワケではない。法華経原理主義者を自認する彼もやはり一人の人間であり、自分の好みと合わない教説を無視している、という事実を指摘しているのみである。同時にそれは、本章も同様に法華経教団内部で必ずしも揃っていなかった足並みを露呈させてもいるのだ。
まぁ、個人的には弟子に対する態度に難点があったと見られる彼に、本節の偈に見える以下引用の章句を噛みしめて欲しかった、と思わないでもないのではあるが。
彼らから質問を受けても、彼らに適した意味をさらに説き明かすべきである。彼らがそれを聞いて覚りを得るものとなるように、その意味に包含されているすべてのことを説き教えるがよい。
智者は怠惰な心を棄て、疲労や倦怠の思いを起こすことなく、あらゆる不快の念を離れ、集まった人々のために慈悲の力を奮い起こすべきである。
かの智者は昼夜に無量の譬喩を用いて無上の法を説くべくである。集会の人々に歓喜を与えて満足させ、それよりほかに何物をも決して望んではならない。
もっとも、本章書き手が上引用の一節に込めた意図は、いささか異なるところにあるようにも思われる。次下にさらに以下のように続くからだ。
硬い食物、軟らかい食物、その他の飲食物、衣服、臥具、法衣、あるいは医薬品を得たいなどと考えてはならない。集会の人々に何物も決して求めてはならない。
先に触れた少女や娘、若い嫁の下り同様、これも、そのようなことをあからさまに求める教団員が少なからずいて、本章書き手がそれを快く思っていなかったことを示しているのだろう。
同様に続く“意の心得”の節は、後世の日蓮に対する批判と読めるのみならず、法華経教団の非主流派であった書き手が、第十四章〜十六章に見えるような強引とも言える法華経聖化の主張に違和感を覚えていたであろうことを伝えている。
正法が滅尽する最後の時に、この経典を受持している菩薩摩訶薩は、嫉妬心がなく、偽らず、人をたぶらかすこともない菩薩摩訶薩である。また、他の菩薩の道を求める人々に罵りの言葉を投げかけず、誹謗せず、呵責することはない。
(中略)
法によって議論することを好まず、法に関して論争せず、一切の衆生に対して慈悲の心を捨てることなく、すべての如来に父に対するような思いをいだき、一切の菩薩に師に対するような思いを起こす。
興味深いことには、以下に示す本節の偈の章句は、第十九章“常に軽侮しない”の論旨を先取りしているようにも読める。
だれに対しても軽蔑の語を放ってはならない。また、決して私見に固執して論争してはならない。しかも、「あなたは無上の智慧を得ることはないであろう」などと言って、他人に、疑惑や悔悟をいだかせる原因を作るようなことは決してしてはならない。
言っていることは“二十四字の法華経”の完全な裏返しである。また、考えようによってはこれは法華経教団第一期のプレゼンテーション手法、すなわち第二章冒頭の二乗不作仏の主張に代表されるあり方に対する批判とも読めよう。
さて、ここで一つの疑問が浮かぶ。
以上見て来たように、本章の主張は、やや迂遠に書かれているものの法華経教団のあり方自体に対する批判であるように読める。ではなぜ本章は、法華経の一部として残るに至ったのか、しかも、よりによってこの位置に。
結論を先に示せば、その答えは、彼ら自身そうだとは認めたくはないが、それでも捨て切れない理想が、本章に体現されているから、に尽きると思われる。
続く“誓願の心得”に目を向けてみよう。
如来が入滅したのち、正法が滅尽する終末の時に、菩薩摩訶薩でこの法門を受持しようと願うその比丘は、在家・出家の人々から遠く離れて安住し、慈しみの心を起こして安住すべきである。衆生のうちいまだ菩提に向かって出発していないすべてのものたちに対して慈悲の心を起こし、このように考えるべきである。
ほかの人々と距離をおけ、とする主張は前段までと変わらない。興味深いことには、下線部については、中村師訳は上引用の通りであるが、写本間を比較すると、この部分を「菩提に向かって出発したすべてのものたちに対して」とするものと、師訳のように「出発していないものたちに対して」とするもの、この正反対の意味内容を有する二通りの写本が、ほぼその数を拮抗させて伝わっているそうである。
これは、後世の写字生の立場から見て、次下に言われるこのように考えるべきことが、どちらに対しても容易に当てはまってしまうことに起因して生じた現象ではないか、と思う。では、次下には何が言われるのだろう。
ああ、これらの衆生たちははなはだ智慧の劣るものたちである。彼らは如来のすぐれた教化方法であるところの人々の性質によって密意をもって説かれた言葉を聞かず、知らず、了解せず、問わず、信ぜず、信受しない。加えて、これらの衆生たちはこの法門に赴き入ろうとせず、信ぜず、理解もしない。しかしながら、私は、この無上の正しい覚りを得たときに、衆生がいかなる場所にいようとも、その場において、神通力によって彼をこの法門に引き入れ、信受させ、了解させ、完成させるであろう。
前半部に見える見下し視線は、第三章の三車火宅の譬喩に見えたパターナリズムそのものである。対して後半部は、これが“誓願”に当たる部分になると思うが、一見して第十九章の常不軽菩薩のエピソードに見えた、たとえ法華経に対して敵対する人々であっても最終的には救済するのだ、の意に取れなくもない。
が、冒頭に引いた、ほかの人々と距離をおけ、との言明も合わせて考えれば、これは実のところ、遠い未来に首尾よく如来となることが叶った暁には人々を救うぞ、と誓いはするけれども、今生きているこの現実の世界においては、どうせ周囲の人々は無理解に決まっているのだから積極的に働きかけることはしない、と言っているのと同じである。
次下の一節にも、本章書き手が理想とした立ち位置が如実に現れている。
この第四の法を満足し、成就する菩薩摩訶薩は、如来が入滅したのち、この法門を説き示しているとき、過失がなく、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・国王・王子・大臣・王臣・市民・村民・婆羅門・長者たちに恭敬され、尊重され、敬事され、供養されるのである。また、中空に住む神々は法を聴聞するためにその後に従い、天使たちも守護のために常に彼につき従うであろう。村にいるときも、精舎にいるときも、昼夜を分かたず法を問うものたちが訪れ来るであろう。そして、彼らは彼の解説によって満足し、歓び、勇躍して喜ぶであろう。
これまた国王・大臣だの中空に住む神々などと粉飾甚だしいので意を掴み損ねそうになるが、要するに言っていることは、私だけが真理を知っており世の人々から尊敬され頼られたい、真理を求めるものは私のところに勝手に訪ねて来る、訪ねて来れば真理を教えて喜ばせてやろう、訪ねて来ないものは真理からはほど遠いのだから、私から真理を説いて歩くことはしない、と言っているだけの話である。
有り体に言えば、これは偽りの全能感だ。
本章が繰り返し述べるように、周囲の人々と距離をおき、議論することを避け、誰の非も咎めることがなければ、その全能感に傷がつくリスクは限りなくゼロである。あとは適当な場所に引き篭もって、私は遠い未来に仏陀となって、私に頭を下げて教えを請いに来ない連中であっても救ってやることを誓っている慈悲深い人間だ、と夢想に浸っていればいい。
既に触れたように、法華経原理主義者であるはずの日蓮が本章に限って真っ向から否定する言辞を遺しているが、そうもなるはずである。ここに見える本章書き手の理想の境地は、神に喧嘩を売ってでもオレが現実を変えるのだ、と嘯いた日蓮のスタンスとは見事に真逆なのだ。
一方で、この限りなく引き篭もりっぽい本章書き手の理想は、法華経教団がその出発点から追い求めていたものでもある。
そもそも彼らが一乗真実三乗方便の主張を引っ提げて、自身の母体となった出家者集団と対決したのは何故なのか。法華経を、それが釈迦直説であろうがなかろうが、とにかく“ありがたいお経”であると考える人からすれば、彼らのチャレンジは、硬直化した権威集団に対して自分たちの理想をぶつけたもの、と映るかも知れない。が、ボクの見るところ、それは自身の理想を過去に投影しているに過ぎない。
法華経教団が、自分たちの無学……これは“もう学ぶことが無い”の意ではない……も顧みずに声聞衆に喧嘩を売ったのは、聖者よ
おそらく、当初の彼らはこの試みで以って、いけ好かない長老衆に一泡吹かせることさえできれば、それで満足だったはずだ。しかし、長老衆は当初まともに彼らと向き合わなかった。このことが、彼らをしてより過激化させ、その結果、思わぬ事態を生むことになる。第一には、彼らが勝手に経典を作った科で破門されてしまったこと、第二には、彼らとは異なる観点、つまり“搾取者”としての出家者集団に反感を抱いていた在家衆からの、一定の支持を得てしまったことである。
こうして、対立声聞衆を言い負かすことだけを目的としていた法華経第一期に対し、第一期が生んだ法華経テキストを根本経典に掲げた教団としての、自立自存を目的とした法華経第二期が始まったのであるが、その時点においても、古参の教団メンバーの理想とするところは、そもそもの彼らの出発点において、彼らが愛憎入り混じった眼差しを向けた出自教団の長老たちの立ち位置だったのであり、本章はそれを図らずも吐露しているのである。
時代制約から、日蓮がこうした背景にまで想像を巡らせることは不可能だったと思うが、彼はこれを直感的に喝破し、本章を論外として棄却したのだ。無論、だからと言って、日蓮は日蓮で逆方向へ振れ過ぎだろう、とも思うのではあるが。
さて、本章末尾には法華七喩の第六となる“
転輪聖王がいて、
要するに、これを書いたヤツは、自分が現実に背を向けていることに対し、ちゃんと後ろめたさを感じているのである。後ろめたさを感じているからこそ、自分たちの奉じる法華経を、転輪聖王が戦の末に与える褒美に擬すことで、それを打ち消そうとしているのだ。
何が言いたいかと言うと、ここに垣間見える書き手の心象世界は、中世西洋のキリスト教修道士が好んで戦争の比喩を用いて自分たちの立ち位置を述べたのに瓜二つだ、という話である。面白いことには、実は日蓮遺文にも同じ傾向を見て取ることができる。そして、本章に示された“安楽行”は、考えようによってはネット上で政治・経済・軍事を論じて悦に浸る内弁慶さんたちそのものでもあるし、まぁ、見る人から見ればボクだってその類だろう。
要するに、二千年前から我々は、あいも変わらず同じ穴のムジナなのである。
以上を以って、法華経第十三章“安楽な行”の