法華経転読   作:wash I/O

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第4話 殉教あるいは被害妄想……第十二章“よく耐え忍ぶ”

 “殉教”という言葉には、良きにつけ悪しきにつけ甘美な薫りが漂う。

 

 読者諸兄は、殉教というと具体的に何を思い浮かべるだろう。時節柄*1、ISIL配下のテロリストによる自爆テロを想起し、以って、ゆえに宗教なんてケシからん!とお考えになるだろうか。あるいは我が国の近世史の汚点ともいうべき隠れ切支丹(キリシタン)に対する弾圧だろうか。こちらになると、不思議とISILに対するそれとは異なり、一定数の人が共感を示すのが興味深いところではある。

 

 2015年暮れのフランスはパリでの自爆テロに際し、ボクは妻と共にネット経由でフランスのテレビ報道を見ていたのだが、その中で繰り返し現地記者が“kamikaze”の語を使っていることに、日本人の端くれとして何やら小っ恥ずかしい思いを抱いていたのだが、国内に目を転じると、この語法を「イスラム原理主義テロリストと神風特攻隊を一緒くたにするとはケシからん!」と吹き上がっていた人もいたようである。いささか愛国心に欠けるボクとしては、むしろ、何が違うのかがわからない。

 

 閑話休題。

 

 古来、法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”(妙法蓮華経勧持品(かんじぼん)第十三)が、法華信仰における殉教の章として知られてきた。連載第4話では本章を取り上げる。たちまちの関心事としては、前話で取り上げた第二章“巧妙なる方便”の五千起去(ごせんききょ)の下りから読み取ったように、法華経を書いた人々には(彼ら主観からみて)彼らを批判する論敵がいたことはほぼ間違いない。本章には、間接的ながら彼らが受けた批判が反映されているように思われるので、これを邪推してみよう、という趣向である。

 

 例によって例の如く、法華経本文に耽溺するのは次稿以降のお楽しみとし、ここでは本章にまつわる日蓮の興味深いエピソードを引いてみることにする。

 

 法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界(じゆせんがい)迹化他方(しゃっけたほう)・二聖・二天・十羅刹女(じゅうらせつにょ)鬼子母神(きしぼじん)・他国の賢王の身に入り代りて、国主を罰し国をほろぼさんとするを知らず、真の天のせめにてだにもあるならば、たとひ鉄囲山(てついざん)を日本国に引回し、須弥山(しゅみせん)を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散して散散に踏たりし大禍は、現当二世にのがれがたこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神・正八幡等もいかでか・かかる国をばたすけ給うべき。いそぎいそぎ治罰を加えて自科を脱がれんとこそはげみ給うらめ。

(下線は引用者による、適時用字句読点を改めた)

 

 以上は、真蹟断簡の残る『下山御消息』(1277年)という日蓮遺文からの引用である。

 

 さて、引用部をザッと抄訳しておく。

 

 法華経を守護する諸仏が賢王(元皇帝フビライのこと)に入って日本の国主(北条一門)を罰しようとしていることを知らぬ者は、たとえ鉄壁を講じても蒙古から日本を守ることはできまい。なぜなら、教主釈尊よりも大事な法華経の行者である日蓮の頭を法華経の第五巻でもって殴り、十巻を踏み散らした罪は逃れ難く、天照や八幡にも救い難いのだ。急いでその責を問い、自身の罪科から逃れるべく尽力せよ……ほどの意となる。

 

 本題と関わってくるのは日蓮の頭を法華経の第五巻でもって殴りの部分である。妙法蓮華経が八巻の巻物になっていた……その直後で“十巻”とあるのは、更に開結として『無量義経(むりょうぎきょう)』『仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつふげんぼさつぎょうほうきょう)』を加えて数えているから……ことは繰り返し述べている通りであるが、ここで言われている“第五巻”に勧持品第十三、すなわち今回取り上げるところの法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”が含まれている。

 

 日蓮はこの出来事をよほど根に持っていると見えて……いや失敬、日蓮にとって非常に印象的であった、と言い改めよう……真贋定かでないものも含めて多数の日蓮遺文に本件に対する言及を見出すことが出来るのであるが、どこまでが事実でどこからが伝説の類であるかはともかく、いわゆる竜口(たつのくち)の法難に際し、日蓮を捕縛した平頼綱(たいらのよりつな)の配下の一人が法華経第五巻で日蓮の頭を殴る、という一幕があったらしい。

 

 余計なこと、と思いつつ補足するが、仮にこれが実際にあった出来事だとして、日蓮の(およびその門下の)筆は被害者側の主張のみを強調して伝えているので、経巻を以って僧を殴るなどという捕縛者の悪辣さばかりが目につくのであるが、当時の迷信深い人々にとって、たとえ罪人捕縛の体裁が整っているにせよ曲りなりにも僧形を取っている人に暴力を振るうことには相当の心理抵抗があったと考えるのが妥当かと思う。何が言いたいかと言うと、そのとき日蓮は、例によって例の如く、その心理抵抗を安々と超えさせるほどの何かひどいコトを相手に……しかもまったく悪気なく……言い放ったんだろうな、というお話。

 

 一方で、日蓮はこの事件を誇りにも思っているのである。

 

 法華経の第五の巻をもつて日蓮が面を数箇度打ちたりしは、日蓮は何とも思はずうれしくぞ侍りし。不軽品(ふきょうぼん)の如く身を責め、勧持品の如く身に当つて貴し貴し。但し法華経の行者を悪人に打たせじと、仏前にして起請(きしょう)をかきたりし梵王(ぼんのう)帝釈(たいしゃく)・日月・四天等、いかに口惜かるらん。現身にも天罰をあたらざる事は小事ならざれば、始中終をくくりて其の身を亡すのみならず、議せらるるか。あへて日蓮が失にあらず。謗法(ほうぼう)の法師等をたすけんが為に、彼等が大禍を自身に招きよせさせ給うか。

(同上)

 

 以上は真蹟のない録外(ろくげ)*2扱いの『妙密上人御消息』(伝1276年)より。

 

 法華経の第五巻で殴られたのは嬉しかった。不軽品(妙法蓮華経常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)第二十、次話にて詳述)と勧持品に書かれた通りで貴い限りだ。が、法華経の行者(=日蓮)を守ると誓った神仏は悔しかったことであろう。(日蓮を殴った人に)天罰を与えなかったことはたいへんな罪になるので、過去・現在・未来に渡って自身を滅ぼすことになり、(その旨を釈迦の前で)議せられているだろう。これは日蓮の罪ではない。謗法の人を助けたがために、神仏が自ら招いたものである……といった感じ。

 

 この文章は後世に偽作された可能性も否定できないが、法華経の行者守護を起請した神仏が日蓮を守らないのは罪である、との言及は真蹟の残る『諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』にも共通するものであるし、仮に本抄が偽作であったとしても、後世の弟子も含めて「法華経第五巻で殴られることには神秘的な意味がある」との観念が共有されていたことが確認できれば、本稿主旨としては十分である。

 

 要するに、法華経の行者は迫害を受けてこそ、殉教してこそ法華経の行者である、とする観念を日蓮とその信奉者は抱いていたのであり、鍋かぶり日親*3を殉教へ誘ったのも、不受不施派が江戸幕府相手に折れなかったのもコレに依っていて、時代が下って現代に至っては、その末流同士が「どちらがより世の中から疎んじられているか」を以っていずれが正統であるかを争う*4という、もはや笑うべきか嘆くべきか悩ましい事態すら出来せしめているのであるが、それらすべてが本章“よく耐え忍ぶ”に由来することになっている。

 

 さて、果たして本当だろうか?

 

 以上のことを念頭に置いて、法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”の転読(うたたよみ)に取り掛かることにしよう。

 

 

                    *

 

 

 最初に、法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”の正しい楽しみ方について言及しておきたい。

 

 実は本章の前章が、件の高さ7、500Kmの宝塔が出現して中空に浮かぶ例のアレである。そして、素直に読む限り前章と本章は時間的に連続しているので、以下読んでいく本章の出来事は、宙に浮かぶ高さ7、500Kmの宝塔を前におこなわれている会話……少なくとも書いた本人にとってはそういう物語になっている。これを念頭に読むと本章はとても面白い。ついつい忘れそうになるのでその都度リマインドするつもりでいるが、とりあえず前以て言っておくことにする。

 

 さて、本章で最初に登場する人物は、第十章に続いて薬王菩薩、さらに大楽説(だいぎょうせつ)菩薩と、加えてその配下の二万の菩薩衆となっている。既にお気づきのこととは思うが、法華経全般を通じて、登場キャラクタが現実の誰を表象しているか……前回扱った第二章では舎利弗=法華経教団と対立した声聞衆を表す……を除き、その名前や数に特に深い意味はない。ここでの菩薩も、声聞・独覚ではない人たち、程度に理解しておけば十分である。

 

 彼らが釈迦……繰り返すが、歴史上の釈迦ではない……に対し誓いを述べるところから本章は始まるのであるが、コレが「え!菩薩ともあろうお方が、そんなことをおっしゃる?」という内容で興味深い。

 

 世尊よ、この教えのことにつきましてはご案じくださいませんように。世尊よ、私たちは如来がご入滅になられたのちの世において、この経典を衆生たちのために説き示し、解説するでありましょう。そして世尊よ、またその時代には衆生たちは信義を守らず、善根が少なく、高慢の心が強く、名利を貪り、不善の行ないを積み重ね、教化することむずかしく、教えを信受することがなく、強い信仰心もないでしょう。しかしながら、世尊よ、私たちは耐え忍ぶ力を起こし、その時代にも、この経典を受持し、読誦し、説き、書写し、恭敬し、尊敬し、敬い使え、供養するでありましょう。また、世尊よ、私たちは身命をなげうって、この経典を説き示すでありましょう。どうぞ世尊は、お心を安んじられますよう、お願い申し上げます。

 

 この部分だけをいきなり読むと、耐え忍ぶ力を起こして、身命をなげうってとあるから、なるほど殉教精神であるなぁ、と思わないでもない。思わないでもないのではあるが、直前に第二章“巧妙なる方便”、特に五千起去の下りを読んでいると、いささか印象が変わってきはしないだろうか。

 

 如来がご入滅になられたのちの世というのは、法華経教団にとっての現在に他ならない。ということは、以下、くどくどと信義を守らず~強い信仰心もないと非難されるその時代の衆生というのは、狭くは第二章で法座中に席を立った五千人の比丘たち=法華経教団と対立した声聞衆のことであり、広くは、対立しないまでも法華経教団に賛同しない当時の人々すべて、を指していることになる。

 

 一切衆生の救済を誓願する菩薩ともあろうが、布教の誓いを立てるにあたり、のっけからその救済すべき衆生の難点ばかりをくどくどと並べ立てて、これではまるで「法華経を広めてはみますが、うまくいかなくても、それはアイツらがアホだからです」と前以て言い訳を準備しているようではないか。

 

 いやいや、この程度のちぐはぐさにイチイチ突っ込んでいては本章は読み通せないのである。とりあえずここは、釈迦の入滅(にゅうめつ)……仏の死去を憚ってこう言う……の後の世に布教することは極めて難事なのであり、その難事に敢えて菩薩たちは挑戦することを表明したのだ、法華経を書いた人々もそのように考えていたのだ、とだけ理解して先へ進もう。

 

 次に、学・無学の五百人の比丘たちが同様に誓願を述べる。

 

 ここで少し脱線するが、無学(むがく)というと現代的には「学がない人」という意味になるが、仏典においては「既に学ぶことが無い人」のことをいっていて、(がく)、すなわち「まだ学ぶべきことがある人」よりも格上である。というワケで、明日以降は、このことを知らない人に対して「ワタシ、無学なもので」と謙遜する体で、内心は(オレは既に学ぶことがないのだ)と相手を見下すことをボクが許す。これでキミも明日から立派な増上慢(ぞうじょうまん)だ。

 

……いかん、いかん。茶化す気満々ぢゃないか。まぁ、ちょっとでも面白おかしく演出しないとこんなモン読み通せないと思うのでやっていることで、他意はないのである。そう、アレだ、これも“巧妙な方便”なのだ、と諒されよ。あぁ、何たる増上慢。

 

 閑話休題。

 

 世尊よ、私たちも、苦難の多い娑婆世界(しゃばせかい)ではなく、他の国土においてではありますが、この経典を説き示すことに努め励みましょう。

 

 その五百人の誓願が上引用となる。これは何を言っているのかというと、どのくらい本気であったかはともかくとして、法華経執筆者たちが有していた三千大千世界観および輪廻転生観においては、人間は生まれ変わるに際し、我々のこの世界=苦難の多い娑婆世界ではない、他の世界=他の国土に生まれ変わることもあるし、修行次第では自ら望んで生まれ変わる先の世界を選ぶことが出来る、と観念されていた。その上での、他の国土においてではありますが発言となっている。つまり、この娑婆世界ではなく他の世界に生まれて布教したい、との表明だ。

 

 その理由は、次下の有学・無学八千人の比丘たちの誓願に示される。

 

 私たちも他の世界においてではありますが、この経典を説き明かしましょう。それはなぜかと申しますと、世尊よ、この娑婆世界にいる衆生は高慢で善根が少なく、つねに悪心をもっており、虚偽に満ち、生来、無頼の心の者たちであるからです。

 

 何ぞ、この言い分はwww

 

 ついつい忘れそうになるが、法華経執筆者の主観においては、ここで言われる高慢で~無頼の心の者たちには、他ならぬ今日の我々自身も含まれていることになる。普通、ここまで言われて、敢えてそういうことを言い放つ人の説く教えを、いくらそれが優れたものであるとしても耳を傾ける気になれるだろうか。一方で、なるほど最澄も日蓮も、やはり真に法華経の行者だったのだな、と妙なところに得心がいったりもするのであるが、それはさておき。

 

 例によって私見であるが、と断った上で、ここで誓願する比丘たちが、しきりに他の国土においてと言っているのには凡そ以下の二つの意味が込められている。

 

 第一には、これが第十四章で登場する“地涌(じゆ)の菩薩”への伏線になっている。詳しくは同章を取り上げる際に論じたいと思うが、地涌の菩薩は法華経教団、ひいては後の法華経信奉者を表象しており、彼らこそが釈迦の嫡流であって、法華経教団と対立した声聞衆には娑婆世界で仏教を布教する資格がないのだ、ということを言っている。良く言えば使命感の表明であり、悪く言えばお釈迦様印の独占宣言といったトコロか。

 

 第二には、これまた忘れそうになるが、法華経は、あくまでも字面上は歴史上の釈迦がその最晩年におこなった説法、という体裁になっている。ゆえに、法華経の中で釈迦の死後の布教を誓う人があまりにたくさんいると都合が悪いのである。釈迦の死から法華経の誕生まで短く見積もって400年、その間、死後の布教を誓った連中はいったい何処で何をしていたんだ、という話になってしまうからだ。

 

 加えて、前述したように、ここでいう比丘はすなわち声聞・独覚とその末流であるが、同時に、釈迦以来分析哲学的な経典を蓄積してきた小乗仏教(上座部仏教)をも表象している。法華経の布教を誓った比丘が他の世界へ行ってしまったのだから、娑婆世界の小乗仏教(の経典理解)には、法華経教団が信奉する如来の密意は継承されていないのだ、との意味合いも込められている、と考えてよかろう。

 

 以上、これで本章冒頭部をザッと読んだことになるが、ここからは以下のことが言えるかと思う。

 

 まず、本章成立時点の法華経教団が、自分たちの身内以外の人々、つまり対立する声聞衆のみならず在家の信者候補を、存外見下していたという点である。見下していた、という言い方が悪ければ、自分たちの信念を真に理解してもらえることをあまり期待してはいなかった、と言い換えようか。ともかく、第二章末尾で見た「教育者∞であろう」とする当初の彼らの信条と比較して、いささか後退している感がある。

 

 これは、前話冒頭で論じた、法華経第二~九章が書かれた時期と、第十~十七章が書かれたそれの間に時間的断絶がある、とする拙論の根拠でもある。おそらくこの間に法華経教団内部で世代交代が起きて、彼らの関心の中心が、第二章に見られた彼らの信念そのものよりも、むしろ、その信念を保ちつついかにして教団を維持運営していくか、といった方向へズレた結果ではないか、とボクは見る。

 

 もう一つは、この“法華経第二期”とでも呼ぶべき本章を含む第十~十七章を書いた人(または人々)は、第一期、すなわち第二~九章を書いた人たちよりも、物語の構成力が巧みであるという点だ。追々述べたいと思うが、前述した地涌の菩薩への伏線を含め、法華経第二期はかなり綿密に考え抜かれた構成になっていて、文量や言及内容の配分バランスが不安定な第一期に対して、読み物としての読み易さが格段に改善されている。

 

 これも、法華経第一期が自分たちの信念をとにかく書き留めることに注力していたのに対し、法華経第二期が、第一期において成文化された信念をどのように布教し、以って、いかに教団を維持運営していくかを目的に、緻密に計算して書かれたものであること、ひいては、この時期の法華経教団の中心メンバーは、そこに気が回る人でなければならなかったことを示しているように思われる。

 

 と言っておいて何だが、本章次下では「藪から棒に何だ?」的な方向へと話が転じるのである。それから、念のために言っておくが、この瞬間も高さ7,500Kmの宝塔は彼らの頭上に浮かんでいる。お忘れなきように。

 

 

                    *

 

 

 そのとき、世尊のご生母の妹にあたる摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)は学・無学の六千の比丘尼たちとともに、座から立ち上がり世尊のおられる方に向かって合唱して礼拝し、世尊を一心に仰ぎ見ながらたたずんでいた。ときに世尊は摩訶波闍波提比丘尼に仰せられた。

(引用に際し一部冗長な表現を省略している)

 

 ここで言うそのときは、先に示したところの八千の比丘が私たちも他の世界においてではありますが、この経典を説き明かしましょうと、いささか問題アリながも誓った、本当にその直後である。

 

 摩訶波闍波提は釈迦の叔母であると同時に、釈迦を生むと同時に亡くなったと伝えられる生母摩耶夫人(まやふじん)に代わって彼を育てた養母でもある人だ。ちなみに、後付されたと思われる序章を除き法華経の文中に女性の個人名が登場するのは……性別不詳の菩薩衆を除けば……これが最初になる。

 

 普通、この流れからすると「あぁ、彼女もまた娑婆世界なり他国土での布教を誓うのだな」と考えると思うのだが、続く釈迦……くどいが法華経教団を代弁するキャラクタであって歴史上の釈迦ではない……の発言は意外な方向へ展開を見せる。

 

 憍曇弥(きょうどんみ)よ、あなたは「私は如来から名を呼ばれ、無上の覚りについて予言を授けられていない」と憂いに心ふたがれて立ちつくし、如来を見つめているのはどうしてなのですか。しかしながら、憍曇弥よ、私がすべての会衆に記を授けたことによって、あなたも記を受けているのですよ。

 

 えーっ、何この話の流れを丸っと無視した時間差攻撃www?

 

 ピンと来ない人のために補足説明する。

 

 まず、憍曇弥というのは、釈迦一族の女性に与えられる姓……男性は憍曇摩(きょうどんま)と称される……であって、つまり摩訶波闍波提に対し、釈迦が他人行儀に呼びかけている様を示している。まぁ、これはこの部分の本質とは関係がない。

 

 本稿ではまだ直接に扱っていないが、第十章転読に当たって概説したように、法華経の前半部、特に第三章から第九章にかけて、釈迦が登場人物に対し「あなたは未来において仏になるだろう」と予言を与える話が延々と続く箇所がある。この予言を記別(きべつ)といい、釈迦が記別を与えることを授記(じゅき)……中村師訳は、ここでは記を授けとなっている……という。

 

 つまり、ここで摩訶波闍波提……厳密にはその視線に気付いた釈迦……は、三章も前に終わった話題を、話の流れを仏陀斬って……もとい、ブッた斬って蒸し返していることになる。これを、時間差攻撃、と評したワケだが、注意すべきは、釈迦は、この時点で授記したのではなく、摩訶波闍波提に対して「あなたは既にそれを得ている(これは第八~九章の話になる)のに気付いていないだけだ」と諭している点だろうか。その意味するところは後述する。

 

 さらに面白いことに、この脱線はこれで終わらないのである。

 

 そのとき、羅睺羅(らごら)の母である耶輪陀羅比丘尼(やしゅだらびくに)はこのように考えた。「世尊は私の名を呼んで成仏の記を授けてくださらない」と

 

 羅睺羅は釈迦が出家以前にもうけた実子、その母である耶輪陀羅は、要するに釈迦の嫁さん(だった人)ということになる。伝承上は、彼女も息子も、夫および父の後を追って仏門に入ったことになっているワケだが、その耶輪陀羅は、直前の釈迦の発言、すなわち、すべての会衆に記を授けたことによって、あなたも記を受けているの意を知ってか知らずか、自分の名を直接呼ばれていないことにご不満の様子。

 

 だから何なの、この流れwww

 

 ついつい忘れそうになるのでリマインドするが、この瞬間にも、高さ7,500Kmの宝塔は彼らの目前の虚空に浮かんでいる、そういうことになっている。超シュールwww

 

 かくして釈迦は彼女の意を汲んで……耶輪陀羅自身は何も発言していないので、これは一方的に釈迦がかつての嫁に気を揉んだだけの話であり、おいおい煩悩断ててねーじゃん仏陀、な感がないでもない……記別を与える。対して彼女は短い偈で以って……もちろん彼女も歌うのである……謝意を述べ、

 

 世尊よ、私たちもまたのちの世、末代の時に、他の世界においてでもこの経典を広く説くことに努め励みます。

 

 と誓願を立てて、ようやく話が本筋に戻って来る。呆れたことに、以降、この謎の幕間劇についての言及は一切ない。当時のインドの人々には、これで納得がいったのかも知れないが、現代の我々としてはどうにも首を傾げざるを得ない展開である。で、例によって私見ではあるが、この一連の流れの含意するところを論じてみたい。

 

 結論から言ってしまえば、これは法華経教団が在家女性信徒を獲得するためにおこなったリップサービスである。

 

 前述のとおり、法華経第一期(第二章~九章)には女性に関する言及がほとんどない。例外的に存在するのが第八章における長老富楼那(ふるな)に対する授記なのだが、その中で、未来において、法明如来(ほうみょうにょらい)という名の仏となった彼が住む善浄(ぜんじょう)世界には女人がいない、とされる。これはその後に続く偈においても繰り返し言われるので、法華経教団第一期の信念の一部であったことがわかる。

 

 要するに、少なくとも第九章までの法華経を書いた人々にとっては、女性には成仏可能性がなく、むしろ仏道の妨げとなるものである、と観念されていたのだ。

 

 ここに、法華経第二期以降から変化が生じる。既に見たように第十章からは、それまで善男子とされてきた聴衆に対する呼びかけが、善男子、あるいは善女人との表記へと、いつの間にか入れ替わっている。この変化について、法華経は何も説明していない。これは、法華経教団第二期の関心事が、現実社会における布教へとスライドし、かつ、彼らが全<仏教>集団の中でも比較的早くに、女性在家信徒の取り込みの重要性に気付いた手合いであることを反映した結果のようである。

 

 以下、あくまでも想像に過ぎないが、法華経第十章~十七章は短い期間に一気呵成に成立したと思われるので、その最中、第十章~十一章が完成し本章に着手した時点で誰からとなく「第十章での善女人表記の追加のみではインパクトに欠けるので、やはり、全女性を代表する誰かへの授記が必要だ」ということが言われだしたのではないか、と思う。そして、法華経教団第二期の編纂者には、第一期成立部分への修正加筆が認められていなかったか、既に聖典化したそれに対する遡及修正に心理的な抵抗があって、以って本章の「摩訶波闍波提は第八~九章ですでに授記を受けていたが、本人がそれに気付いていなかった」とする、いささか付け焼刃な説明がなされたものであろう。

 

 ところで、古来我が国で法華経の人気が高かった理由の一つに「法華経は女人成仏を示す経典だから」というものが上げられ、実際、平安期の女性貴族が遺した書き物の多くからそれを読み取ることが出来るのであるが、このとき言われるのは、実は本章ではなく、前章となる妙法蓮華経提婆達多品第十二なのである。これが何を意味しているかというと、第二期完成後に本章の“原”女人成仏に対してその記述の不足が指摘され、これを更なる加筆によって補ったから、と考えられるのであるが、この辺りの詳細は、原典法華経ベースで第十一章となる“塔の出現”を取り上げる際に改めて論じたいと思う。

 

 とまれ、ここまで読んでわかったことを以下にまとめたい。

 

 まず、後世において殉教の章として読まれることの多い本章であるが、女性信徒の取り込みを企図したと考えられる以上の展開からもわかるように、少なくとも書き手の関心は、殉教者=法を説く側ではなく、施与者=法を聴く側、の心を如何にして捉えるか、にあったことが読み取れる。前回みた部外者に対する見下しも、既に法華経教団に賛同している施与者に対する「あなたたちは、生来無頼の者の多い娑婆世界にあって、稀有な人たちです」との(おもね)りの裏返しと解される。

 

 また、法華経第一期が無関心であったか、あるいは忌避すらしていた女性に対し、法華経教団第二期の人々は、明らかに異なる価値観を持っていたことが読み取れる。狭くは彼ら、広くは当時のインド人全体において、この時代に女性観の変化が生じていたことが推察されるのだが、本連載はフェミニズムの探求を目的とするものではないのでこれについては捨て置く。

 

 ただし、これを以って、法華経教団が先進的な男女平等観を有していた、とまで解してしまうのは早計である。本稿からもわかるように、釈迦の叔母は、既に得ていた授記に気付かなかった人、釈迦の元妻は、それを横で聴いていながら自分に当てはめて考えることが出来なかった人、さらには両者共に、自分からはその意見を表明することが出来ず釈迦に慮ってもらって初めて救済される人、として描かれている。これは、おそらくは男性集団であったはずの法華経第二期の執筆陣もまた、意識的であれ無意識にであれ、男性に対して女性を一段格下の存在として見ていたことの現れであろう。

 

 個人的には、殉教などというものは、命懸けで生を授けてくれた母……事実、釈迦の生母はそれで死んだのであり、このことが釈迦の思索の出発点にあったと一般的には理解されている……に対する最大の背信行為である、と思うのだが、法華経以前にはほとんど省みられることのなかった女性の救済可能性に対し、おそらく<仏教>史上初めてスポットライトを当てたであろう本章が、後世において殉教の章として読まれるようになった、というのは皮肉な話だな、と思ったりもするのである。

 

 ただし、本章の言う殉教は実はそれほど大したものでもなかったりするのだが。そして、ひつこく繰り返すがこの瞬間も高さ7,500Kmの宝塔は彼らの頭上に浮かんでいる。

 

 

                    *

 

 

「善男子らよ、世尊はこの法門を未来世に説き広めることを願っておられますが、私たちはどのようにしたらよいのであろうか」

 そのとき、彼ら善男子たちは世尊に対する敬信と、自らの過去における行と誓願によって、世尊のみ前において獅子の叫び声のような音声を響かせた。

 

 ここで、後世に“勧持品二十行の偈”と呼ばれることになる偈が挿入される。この偈は漢訳妙法蓮華経において八十句四百字から成っており、これが伝統的に四句一行で巻物に書写されたことからこの呼び名がある。上引用からもわかる通り、この偈を詠んだのは釈迦ではなく、ここに至るまでの諸菩薩、声聞、釈迦の養母と元妻の誓願を聴いて感極まった善男子……彼らも菩薩、ということになっている……であるが、『立正安国論』における日蓮の引用などを見ればわかるように、天台法華教学においては伝統的に、いわゆる“未来記(みらいき)”として読まれてきた。

 

 本章転読の初回において述べたように、ここに法華経教団が他声聞衆から被ったと思われる非難が反映されていると考えられ、これを読み解いてみたい。

 

 まず偈の冒頭で「世尊よご安心あれ、我らが法華経を広めていきます」と誓われる。このとき、法華経を広める対象世界は、妙法蓮華経では恐怖悪世(くふあくせ)と表現されており、法華経執筆者が我々の暮らす娑婆世界に対し、あまり良い印象を抱いていなかったことが伺い知れる。

 

 続いて現れる句は、本章々題の直接の由来となる。

 

 無智の人たちに悪口され、罵られ、刀や棒を振りおろされても、導師よ、私たちは耐え忍びましょう。

 

 なるほど、確かにここだけ読めば殉教である。本章を含む巻物で頭を殴られた日蓮も、この章句を想起したのであろう。さて、この次下に、その日蓮が安国論に引いた章句が登場する。少し長くなるが、以下に中村師訳を引いてみよう。

 

 のちの世には、比丘たちのなかには邪悪な考えをもち、無頼で、虚偽に満ち、愚かで、まだ得ていないものを得たと思い込む者がおり、無智の者たちはいたずらに山林に住みつき、ぼろ布をつづった衣をまとい、「我らは戒を堅持する行を守っている」と、このように言うでありましょう。

 美味の食べ物に愛着するものが在家の人たちに法を説き、あたかも六神通をしなえた阿羅漢であるかのように恭敬されるでしょう。

 悪心をいだき、忿怒の心をいだき、放縦で、家族や財物のことに心を奪われていながらも、形だけは悪をいとう隠れ場所としての山林に身を置いて、私たちを悪しざまに言いふらす。

 そしてまた、私たちに対して「名誉と利得を貪るものであり、これらの比丘たちは外道であって、自分たちが勝手につくった俗悪な教法を教える」とののしるでありましょう。

 さらにまた「利養と名聞のために、自ら経典を作り、大衆の中において説法する」と私たちをそしるものもありましょう。

 国王、王子たちに、また、大臣たち、婆羅門たち、長者たち、他の比丘たちにも、私たちのことを「外道の言説をなすもの」とののしって言うでしょう。けれども私たちは、大仙者たちを敬い尊ぶことによって、これらの非難にことごとく耐え忍びましょう。

 また、その時代には、悪意に満ちたものが私たちをあざけり、「このものたちは仏陀であるそうな」と言うこともありましょうが、私たちはどんなことにも耐え忍びましょう。

 

 さて、以上を読んで、どのような印象をお持ちになるだろうか。

 

 天台教学では、ここに現れる法華経教団に対する攻撃者を三種の増上慢に分類し、末法の世に法華経の行者と対立する“三類(さんるい)強敵(ごうてき)”なのだ、ともったいぶって呼んでみせるのであるが、個人的にはそれは、漢訳経典の漢字々義にまで踏み込んでおこなわれた言葉遊びに過ぎないと考えている。

 

 まず間違いなく言えることは、どちらに非があるにせよ、おそらくこれはすべて実話である。でないと、このやたらと具体性のある描写は説明がつかない。特にこのものたちは仏陀であるそうな()()を言われる下りは……むしろ、古代インドにもこういう悪口の言い方があったんだ、と驚くが……空想では書けない、とボクは思う。

 

 で、これが実話である前提で読むと、いろいろと興味深いことがわかる。

 

 第一に、法華経教団と対立した声聞衆は、街の喧騒を離れた山林でボロ布をまとって暮らしていたらしい。上引用ではその事実の前にこれでもか、と悪口……を言ってんのはどっちなんだ、という気がしないでもない……が連ねられるので、山林もボロ布もネガティブなものと読み違えそうになるが、山林とはすなわち出世間(しゅっせけん)……釈迦は弟子に俗世から離れることを勧めた……であり、ボロ布とは糞掃衣(ふんぞうえ)のことであろうから、少なくとも外形的には、この声聞衆は極めて仏教出家者の伝統に則した集団であったことが、図らずも読み取れる。

 

 第二に、どうもこの声聞衆が法華経教団に対しておこなったことは、言論による批判であったらしい。しかも、自分たちが勝手につくった俗悪な教法であるとか、自ら経典を作り、大衆の中において説法するであるとか、仏陀であるそうなは、それに対する善悪良否の価値判断はともかくとして、第二章“巧妙なる方便”の読解を通じて読み解いた法華経教団の信念およびその実態、そのまま、であり、嘘偽りを以って非難されていたわけでないこともわかる。

 

 第三に、どうやら法華経教団は、声聞衆のこうした批判を邪悪な考えをもち、無頼で、虚偽に満ち、愚かで、まだ得ていないものを得たと思い込むがゆえである、としか受け取ることができなかったらしい。うーむ、やはりどっちが増上慢なんだ、っつー話に戻って来るな、こりゃ。

 

 私たちは、仏を信じたてまつることによって、難事を忍び、忍辱(にんにく)の鎧を着て、この経典を説き明かしましょう。

 

 ふたたび、上引用のような威勢のいいことが言われる。どうでもいいが、ここで忍辱の鎧と言われているものは、第十章では“如来の衣”であったはずだが、穿った見方ではあるが、どうも自分たちの受けた嫌がらせを偈としてまとめているうちに、感情が高ぶってきて鎧にパワーアップしてしまったらしい。おい、柔和な心はどこへやった?

 

 しかも、この後に再び彼らが直接体験したと思われることに触れられるのであるが、

 

 眉をしかめられたり、しばしば大事について知らされなかったり、僧院から追い出されたり、さまざまな束縛や殴打、ののしりをうけても、すべて耐え忍びましょう。

 

眉をしかめる?

大事を知らされない……要は回覧板が回って来ない、ってことだよな。

 

 続いて束縛や殴打の文言もあるので、かろうじて殉教迫害っぽさがなくもないが、直前に眉だの回覧板だのを難事の例に挙げられると、その殴打ってのは禅宗の坊さんが肩に喝を入れられるアレじゃねーよな?と勘繰りたくもなる。

 

 加えてここから伺い知れるのは、回覧板や僧院からの追い出しが問題視されるということは、法華経教団と対立声聞衆は、まったく断絶しているワケではなく、存外同一の上部組織に所属している者同士の派閥抗争である可能性すら匂わせるのであるが、これについては詰め材を欠くのでここでは捨て置く。ともかく、彼らがここで言っている難事は、殉教・迫害といったものよりは、むしろ、いじめ・いやがらせの類のように思ってしまうのはボクだけだろうか。で、忘れそうになるが、彼らが獅子の叫び声のような音声でもってこうして愚痴っているその瞬間も、高さ7,500Kmの宝塔は彼らの頭上に浮かんでいるのである。

 

 何、このスケール感のズレっぷりwww

 

 と、このように突っ込むと、いかにも一方的に法華経教団側に問題があったように読めなくもないのではあるが。しかし敢えて、ここでもう一歩踏み込んで考えてみたいと思うのであるが、虚心坦懐にこの対立構図を俯瞰すると、一方には既に一定の権威と利権を得た集団がいて、一方にそれに挑戦する新しい集団がいる、と。前者は後者を伝統に則していないと非難し、後者は前者を悪意に満ちた愚か者と見做す。これって、普遍的に見られる世代交代劇なのではないだろうか。

 

 実際、その批判が妥当であるかどうかはともかく、前回、第二章“巧妙なる方便”から読み取った法華経教団の三乗否定の論理からは、彼らが対立した声聞衆を保守的で硬直化したものと見てうんざりしていたことが嫌と言うほど伝わってくるし、法華経成立時点では新興集団に過ぎなかった彼らの信念は、約300年のときを経て彼らの新しい論理と過去からの伝統の双方を折半昇華した新しい大乗経典『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の説く“一切衆生(いっさいしゅじょう)悉有仏性(しつうぶっしょう)”においてその極限へ至るのであり、また、涅槃経も含めたエッセンスの集大成として、天台法華信仰へとつながっていくワケで、そのような意味で、直接的に法華経を書いた人々自身がそういった自分たちの活動の成果を知ることはなかったとしても、確かに彼らは<仏教>を変えたのである。それが彼ら自身が望んだ結末であったかはわからないけれども。

 

 そして、そのような変化を生じせしめる上において、反動的な批判にいちいち心迷わせることなく、殉教精神で突き進むべし、という点においては、本章の論理は、適正であるとは思わないけれども、集団の採用する戦略としては決して間違ってはいないし、むしろ、歴史上はこのような戦略を割り切って採択し、かつ、信じ込んだ側が勝ち残ったケースが、良かれ悪かれ多いように思えもするのである。そして、仏教諸宗派中、日蓮筋が最も熱く宗祖のノリを現代に至るまで継承しているのも、この辺りにその原動力があると言えるだろう。

 

 本章を改めて通読して思うのは「これを書いた人は、どのくらいまで本気で、どのくらいまでを“方便”と自覚的に割り切っていたのだろう」という、いささか意地悪な関心だ。原・女性成仏の下りからは、かなり自覚的な割り切りを感じるのに対し、本稿に見えた対立声聞衆への批判はそれが結果的に自分たちを貶し得ることに無自覚な感がないでもない。

 

 そして、少なからぬイスラム原理主義者の自爆テロや神風特攻隊のように、社会構造的に本人が本人の意思においてそもそも拒絶することが不可能な状態に追い込まれているケース……蛇足ながら、それが自分自身を死に追い詰めるそのときまで容認した、という点で、ボク個人はそういう人がまったく免責されるとは考えていない……を除けば、“殉教”を要請する物語の構造に読み手が自覚的である場合、殉教行為それ自体は必然ではなくなるはずである。

 

 そのような意味において、たとえ聖典への不敬を問われようとも、本章のようなテキストは敢えてそこに踏み込んで茶化さねばならない、という読み方を強いてやってみた。もし不愉快に感じられた方がおられたら、これはそのような意図によるものである、と、まぁ納得はできないにせよ了解していただきたい。

 

 以上で法華経第十二章“よく耐え忍ぶ”の転読(うたたよみ)を終える。そして引き続き、高さ7,500Kmの宝塔は彼らの頭上に浮かんでいる。

 

*1
 本稿初出は2016年初頭であり、当時中東および欧州でISILによるテロ活動が問題になっていた。

*2
 日蓮遺文は一般的に15世紀におこなわれた蒐集編纂時に存在が確認されていたかで録内(ろくない)と録外に分類され、当然のことながら前者の方が真贋の点で信頼性が高いとされる。

*3
 室町時代の京都の日蓮宗僧侶。宗祖に倣って他宗排撃を論じ反感を受けて焼けた鍋を頭に被せられ、終生その鍋を頭に乗せたままだったという伝説からこの名で呼ばれる。

*4
 創価学会、日蓮正宗、顕正会がまさにそんな関係。

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