対峙する二匹の鬼。その闘争は唐突に開始した。
先手を取ったのは、かつて無惨を鬼に変えた張本人たる医者。伸びた指先からナニカが放たれ、五間の距離を突き進む。
それを躱した無惨は顔を顰めると同時、道から外れ山林の中へ飛び込んでいく。
間髪を入れず、医者も無惨の影を追いかける。
道から逸れ、森の中を駆けていく両者。
疾走という言葉すら置き去りにする速度で、泥濘を走り抜ける。
飛び散る泥に服が汚れ舌打ちする無惨へ、医者は片手を翳す。真っ直ぐに向けられた指先から、血の雫が発射された。
高い圧力を掛けられた血液は螺旋状の管から飛び出す直前、一瞬にして椎の実状に形成・硬化し弾丸――即ち血弾と化す。素早く身を翻した無惨の背後で、樹々に無数の穴が空いていく。
鬼の知覚は射線を見切り、発射した頃には既にそこから消えている。
狙いをつけても無意味と悟り攻め方を変える。両手を縦横無尽に振り回し、血弾を四方に乱れ撃つ。物量に任せた面制圧である。
弾が当たると思われた、その瞬間、無惨の姿が掻き消える。
医者が視線を巡らせると、背中や腿から生やした触手のような管を周囲の木に巻き付け、高速移動している男を捕捉した。
逃げる無惨と追い縋る医者。
無惨の管が大樹を切り刻み破片を投げつけてくるが、医者はその尽くをかわす。
反撃のために鈍った逃げ足。その隙を逃さず一瞬で間合いを詰めた医者は、変形した腕を振りかぶる。長細くなった腕は鞭のようにしなり、手刀はまさに業物の刀のような鋭さで襲いかかる。
無惨の顔面を狙ったこの一撃は紙一重で避けられ、背後の木に深々と食い込んでしまった。しかし医者の本命はここから。
医者が晒した隙に、今度はこちらの番だと示すように足に力を込める無惨。そのすぐ傍、伸ばされた医者の腕がずくりと脈動し、小さな突起が無数に生える。先端には小さな穴が開き、その全てが無惨の方を向いている。
何が起こるか察知した無惨はすぐさま飛びのくが、突起孔から発射された血弾が、決して逃れようのない速度と密度で襲いかかる。
驚くべきは無惨の肉体性能。体から生やした管が恐るべき速さで、精確に弾丸を叩き落として行く。それでも量が量。少なくない数の弾丸が無惨の体を食い破る。
絹で出来た上質の衣が端切れとなって宙を舞う。肉は吹き飛び血は撒き散らされる。だがしかし、無惨の体に傷一つなし。元より異常な回復力を持つ無惨。傷ついた先から間髪入れずに治っていった。
体内に残留した血弾も、顔を歪めた無惨の口からすべて吐き出された。
一転、静止する両者。
僅かな時間の戦闘でありながら、森の一部は災害にあったかのように破壊されていた。
「貴様も鬼となってから、随分と力を付けたようだな」
「ええ。私もただ寝て過ごしていたわけではありません。無惨様もそうなのでしょう?」
顰め面を浮かべながら、衣服の残骸で口を拭う無惨。常と変わらぬ微笑みを浮かべる医者。
先の激闘がまるでなんでもないかのように、二人は言葉を交わす。
「しかし、これで私の力が分かったかと思います。どうでしょう?大人しく私の下へ来て頂けないでしょうか?悪いようにはいたしません」
「ほう?二言目には攻撃してきた者の言葉とは思えんな」
無惨の煽るような言葉に、医者は笑みを深める。
「恐れながら、貴方様の性格は知悉しています。私がどれだけ言葉を重ねたところで、唯々諾々と従う御方ではありますまい。明確に超越者――貴方様が言う所の鬼としての力の差を見せつけ、命の危機を覚えていただけなければ、恐らく無駄でしょう」
「まるで貴様の方が強い、と言わんばかりの言い草だな」
「まるで、ではございません。まさに、その通りでございます。その証拠に、貴方様は私から逃げ回っていたではございませんか。貴方様の性格であれば、私が仕掛けてきた際、すぐさま反撃を試みてきたはず。だというのに、貴方が選んだのは即座の逃走。これはつまり、貴方様が私に敵わないと思ったということ。そうではございませんか?」
「……」
表情をなくした無惨は答えない。その反応に気をよくしたのか、医者は滔々と言葉を連ねる。
「貴方様を探すために、これでも四方手を尽くしたのですよ。配下となる被検体を増やしたり、鬼殺隊などと名乗る武装集団に手を貸したり、色々とね」
無惨の眉がぴくりと動く。
「鬼である貴様が鬼殺隊に、とな?冗談にしては笑えぬな」
「全くです。私たちのような超越者をあろうことか鬼と呼ぶなどと、見識の狭い者には困りますね。ああ、無惨様も鬼と呼ぶのは止めた方がよろしいかと。ご自身の名前に傷をつけるようなものです」
「私の名などはどうでもいい。……しかしそうか。鬼殺隊の奴らが何やら面妖な薬を使っていたが、それを作っていたのは貴様だな?」
その質問に、医者は更に気を良くした。
「その通りでございます。我が研究の産物があの強化薬。彼らは鬼成丸などと呼んでいますが。被検体は超越者と同様の膂力と再生力を得ることができます。超越者にあるまじき欠点が克服できてない現状、あれは万能の回復薬と言って過言ではありません。まあ一度服用すれば遅かれ早かれ超越者へと変質してしまうのですがね」
立て板に水。医者はさも素晴らしいことを成し遂げたかのように自慢げに語る。
「何の因果か、彼ら鬼殺隊も無惨様を追っていました。これは利用できると思いまして、彼らに取り入ったのですよ。他の超越者は日の下を出歩けないので、日中の眼と耳として」
「……貴様が作った鬼が私の姿を模していたのは、鬼狩り共に私の姿を教え込むため、というわけか」
返答はない。しかし浮かべたままの笑みが、雄弁に答えを告げていた。
「私の配下たちと鬼殺隊。この二つを使って貴方様を探していましたが、二百年余りの間、欠片も情報がなかったことから、もしや日の光に焼かれ死んでしまったのかと思いもしました。しかしあの日貴方様が配下の前に姿を現したことで、それも杞憂に終わりました。そして今、貴方様が眼前に居る。これで我が悲願も達成することが出来る」
「悲願?」
「ええ。人を超えた人を作ること。これはあくまで手段。我が悲願とは、この世全ての人を救うことに他ならない」
意志の強さを示すように、医者は拳を固く握りしめる。
「貴方様もご存知のはず。寿命という軛から外れ、病に罹ることすらなく、例え肉体が欠けても――それこそ首だけになろうとも即座に再生する、人間を超えた生命力を。死から最も離れた至高の肉体を。寿命に、病に、天災に、死に怯えることがない生物。人間という種を超越させることで、私はこの世全ての人を救いたいのです」
暗い森の中であろうと、鬼の目は真っ直ぐに無惨を貫く。
「しかし、この肉体には欠点がございます。人を喰わねば生きていけぬという、余りに大きな欠点が。人を生かすための薬が、他者の死によって成り立つなどあってはならぬこと。そのために私は今まで研究を重ねていましたが、進展はまるでありません。その欠点を克服するためにも、無惨様。人喰いの欲求を唯一克服した貴方様の助力が必要不可欠なのです。私と共についてきてください……共に、この世の衆生を救いましょう。どうか、この通り」
言葉を尽くし、医者は願いを告げる。
この世全ての人を救いたいという崇高なる思い。
信念を込めた医者の言葉を聞き遂げた無惨は――
「なるほど――実に滑稽だ」
――それを文字通り、一蹴する。
「何を願っているかと思えば、人を救いたいなどとは笑わせる。人を喰わねば生きていけぬ貴様が今ここにいること。それこそまさに矛盾というものだろう」
物覚えの悪い人間に教え込むように滔々と語る。
「貴様は人喰いを克服するために私の身柄を欲しているのだろう?つまり今ここまで生き延びてきた貴様は、それだけ人を喰ってきたことに等しい」
「……ふっ。確かにその通りですね。しかし私が食べてきたのは既に死を遂げた者たちばかり。荼毘に付さなかったのは申し訳なく思いますが、それも人を超え、人を救うために――」
「嘘を吐くな」
医者が紡いだ言の葉を、無惨はばっさりと断ち切る。
「貴様が身に着けている力は、そのような十把一絡げの死体どもを幾ら喰った所で得られるものではない。活力に満ちた生きた人間を喰わねば付かぬ力だ」
「……ええ、確かに。もはや薬の力を使っても救う見込みにない者を口にしたことはあります。されど」
「話が通じぬな。そのような死にかけのものではない。もっと生命力に溢れた者たちを、貴様は食べていたはずだ。老人ではない。もっと若い男や女。さらには子供か」
「……その言葉をそっくりそのままお返しいたします。私は誓って、そのような人間を口にしておりません」
ケチをつけるような無惨の言い分に、医者は呆れたように表情を受かべる。
「
その表情は、先の言葉で凍り付く。
無惨はその変化を見逃すことはなかった。
「なるほど。言い得て妙だな。常であれば救う見込みのない人間であろうと、鬼にすれば関係ない。即座に復活を遂げて、周囲の
かつて無惨が定めた十二鬼月。その入れ替えの血戦では、勝者は無惨の許可の下に敗者を吸収し血肉に変えていた。それと同じことをやっているのだろうと無惨は当たりを付ける。
医者の反応を見る限り、正解かどうかは聞くまでもない。
「だが貴様が生きた他者を喰っていることには変わりはしない。いや、むしろ貴様の悲願とやらからすれば、死に瀕した者たちこそを救うべきであろう。鬼に変えて救ってやった後わざわざ喰らうのだから、より悪質と言える。貴様に喰われた者たちが憐れでならぬ。滑稽なほどにな」
「――お前が悪いのだろうがっっ!!!」
常に柔和な笑みを保っていた医者の相貌。それが怒りによって崩れ、下に隠されていた醜悪な鬼の顔が露わになっていた。
「お前があの時目の前から消えずに、我が研究の協力を続けてくれていたならば、彼らの命を救え、私は畜生道に堕ちずに済んだというのにっ!!」
聞いた無惨は真顔のままに嘆息一つ。
「貴様は何を言っている?そもそも、私は貴様に協力などしていない。貴様は治療に託けて、勝手に得体のしれぬ薬を打ち込んだのだ。謂わば許可なき人体実験であろう。それを協力などと宣うとは片腹痛い。被害者ぶった物言いをしているが、真なる被害者と言える者が居るのであればそれは貴様ではない。この私だ」
無惨に『命を救ってもらった』という意識は皆無。無惨からすれば、医者であったなら患者の命を救うのは当然のこと。感謝する謂われはない。
故に抱くのは、医療に託けて己が体で実験をしたことに対する、憤慨であった。
「死にかけた人間の命を救えなかったのは貴様の無能によるもの。私の肉体の欠点から目を逸らし、研究が完成したなどと都合の良い妄想をした、貴様のな」
無惨の表情に変わりなく、語り口に淀みはない。
「そして貴様が畜生道に堕ちたのは、鬼になって人を喰らった瞬間。その後私が手を貸そうが、最早手遅れだ。意味はない」
「その全ては貴様の自業自得だ。私のせいにするなど、厚顔無恥も甚だしいと知れ」
行動の責任は全ては貴様にあるのだと言い切った。
太い管が切れるような、もしくは硬いものが噛み砕かれるような、そんな音が響いた。
「それでもっ!以降の悲劇は食い止められたはずだ!」
「そうかもしれぬな。しかしそのようなことに興味はない」
「なんだとっ!?」
無惨の物言いに、医者は牙をむいて怒りを放つ。
「私は私以外の人間がどうなろうと知ったことではない。人間以外の物を喰えるようになった以上、最悪滅んでしまっても構わない。そう言ったのだ」
余りの言い草に、医者は言葉を失う。
「いや、むしろ私以外の鬼を作り出そうとしているなど、到底許せることではない。鬼はこの世に私一人。それで十分。利がないどころか害でしかない」
無惨は結びの言葉を口にする。
「つまりはだ。日光克服という最大の弱点について目溢しし、人を喰わぬ程度で完成などと言い切ってしまい、更には私に害をなす無能者の、人間を救いたいなどという下らぬ願いに、協力する気など微塵もない」
無惨はそう、傲慢に言い放つ。他者の事など知ったことではない。全ては己のためという無惨の性質から紡がれた言葉であった。
己が悲願を下らないと切って捨てられ、パクパクと開閉する口から言葉が出なかった。
ことここに至り、医者は無惨の協力など端から得られないことに気付く。その認識はそのまま、医者が重ねた悪行の言い訳に変換される。
仕方なかったのだという言い訳に。
自分に喰われた人たちの運命は決まっていたのだという言い訳に。
無惨を無理矢理に喰らう強さを得るために、数多の人々を喰う必要があったのだ、という言い訳に。
「……そうか。であればもはや協力は頼まん。今ここでお前を喰らってやろうぞ、無惨!」
「出来ぬことは口にせぬ方がいい」
「ほざけぇっ!!」
医者の肉体、その皮の下に隠された筋肉が引き絞られていく。
無惨が言った通り、鬼と鬼殺隊という強者たちの肉を喰らい続けて得た力である。
己が生み出し、育て、そして喰らう。さながら牧場のように効率的に質の良い肉を作り、消費していた。
かつての無惨のように無作為ではなく、量と質。そのどちらも兼ね備えるように食事を続けた医者の力は、最初の室町を生きた無惨の力を凌駕していた。
医者は自負していた。己が力に並ぶ者は居ないと。
その力を以って望みをかなえんと、怒りも顕わに医者は一歩足を踏み出し――直後、彼の四肢が弾け飛んだ。
「……え?」
呆然とした声が口から洩れる。強靭な鬼の体力は失った手足を即座に回復させていくが、それより早く、今度は胴体に激しい衝撃が走り、その勢いのまま大樹に叩きつけられる。
「な、何が」
「協力しない理由がもう一つあったな――力の差すら理解できない、その蒙昧さが」
無表情だった無惨の顔が歪んでいく。
色のなかった表情が、憤怒一色に染まっていった。
「最初に言ったはずだ。今の私は、機嫌が悪いとっ!!」
何も感じていなかったわけではない。ただ顔色が余りの怒りに置き去りにされていただけ。
「だというのにっ!貴様の益にもならん不愉快な話を聞かされた私の心境を考えたかっ!!答えよっ!!!」
悲願を否定されたという意味では、今の無惨もまた同じ。
自らの手で日光克服に通ずる道を閉ざしてしまったと思っている無惨。憤懣やるかたない状況での医者の話は、火薬庫に油を撒いて火をつけるようなもの。爆発して轟轟と燃え盛った怒りは当然、下手人へと牙を剥いた。
「――な、なにが」
「口答えをするなっ!!!」
感覚器官のほぼ全てが集まっている頭部。それを潰されても、医者は何をされたのか欠片程も知覚することはできなかった。
「訳の分からんことをぐだぐだと言いおってからにっ!貴様には罪があるのだ!私の期待を裏切ったというなっ!!百回死んでも贖えんその罪、ここで雪ぐがいい!!!」
そこから始まるのは鬼の始祖による蹂躙劇。
全身から生えた幾本もの管が、医者の目にも留まらぬ速度で振るわれる。
医者の肉体は再生した端から叩き潰されていく。医者も抵抗を試みるが、牛の角を蜂が刺すようなものであった。
無論、無惨から独立した鬼である医者は、この攻撃で死ぬことはない。潰され刻まれてもいずれは回復していく。
残るはただ、痛みと恐怖、そして疑問。
「な……ぜ?」
医者の口から漏れるは疑問の声。
何故これほどまでに隔絶した力の差があるのか、その理由が分からないのだ。
実際に医者の力は、かつて同じ時を生きていた頃の無惨の力を凌駕している。
先に述べた方法により、医者の力は効率的に強くなっていた。
過去に戻って強さを引き継いでいた無惨であっても、今まで同様一山幾らの人間たちを喰らうようなことを続けていた場合、互角で終わっていた目算が高い。
しかし現実として、無惨は医者を凌駕している。圧倒的と言っていい程の差で。
これほどまでに無惨が強くなった理由とはなんなのだろうか。
ところで、無惨は人喰いが出来ぬようになってから向こう、人間と同じものを食べている。
その量、たったの一人前。
かつての無惨は人間を捕食していた。
何十貫と重さのある人間を、強くなるために何人もだ。
それと比べれば、無惨の食事量は余りにも少ない。
強さにこだわる無惨が、
喰えば喰うほど鬼として強くなることを知る無惨が、なぜその程度の量しか喰おうとしなかったのか。
喰えなくなったのか。いや違う。喰おうと思えば喰える。それこそ熊一頭まるごとだろうが。
たったの一人前。
それだけで、
無惨は完成形であるという医者の言葉は、ある意味で正鵠を射ていた。
人間という巨大な質量を喰わねば生きていけぬ非効率な肉体ではない。
同族以外の何かを少量摂取するだけで生き永らえ強くなる、超越者と呼ぶに相応しき肉体。
まさに、医者が理想とした存在そのものであった。
無惨が本気を出した、いや僅かにでもやる気を見せた結果がこれだ。
さながら、天に座す者が地を這う者へと賜わす神罰の如く。
医者は無惨が逃げ回っていたことを理由に彼我の戦力を測っていたが、その目測は余りに見当はずれ。
無惨が逃げ回っていたのは医者が強かったからではない、
加えて、無惨に対する認識がまだ甘い。
彼が本気で逃げようとするのならば、なりふりなど構わず一目散に離脱している。会話など以ての外。必要ならば分裂する事も辞さない。
矜持も持ち合わせているが、何より大事なのは
絶望的な戦力差。
端から医者には勝ち目がなかった――かというと、決してそうではない。
今の無惨は
医者は無惨に血弾を撃ちこんだが、体内に残留したそれをもし固体から液体に戻していたら。無理矢理無惨に鬼の血を摂取させていたら。そのことを医者が知っていたら。
結果は間違いなく変わっていた。
しかし、その好機は既に逸した。
であれば既に逆転の目はなく、不死身の鬼は、怒りに震える神の怒りを鎮めるための、肉袋と化すのみであった。
「そろそろ終いか。未だ足りんが、まあよかろう」
永久に続くと思われた虐殺の舞台に、やっと幕が下りようとしている。
鬼の時間の終わりを告げる、夜明けの時だ。
暁を迎え、徐々に明るさを孕んでいく山林。密に繁っていた森の中で、無惨の力を受けたことで地表は捲れ、剥き出しの広場となった一角がある。
「もう二度と貴様の面を拝むことはあるまい。消え失せよ」
その広場の中央に向けて、胴体だけとなった医者を投げ飛ばす。
何刻にも及ぶ暴虐を受けて、流石の医者も即座に回復とまでは行かなかった。常からすればゆっくりと、体が再生していく。
肩が産まれ、腕が生え。
腿を成し、脚を取り戻す。
鬼としての特異性を示す、驚異的な回復力。
だが、遅い。
再生が終わる前に、ついに、広場に曙光が差す。鬼を殺す太陽の光が。
木々を、大地を……医者の体を照らしていく。
医者の体は太陽に照らされ、そして――
「ど、どうやら、今の私では、力不足だったようだ」
そこには、気力を振り絞って立ち上がる医者の姿が……
森の闇の中から全てを観察していた無惨は、己が目を疑った。
擦り、抉り取り、新たに作った目で見ても、景色は変わらず。
驚愕の余り呆然とし……次いで歓喜を爆発させた。
「ハハっ!ハハハっ!ハッハハハ!そうか!そうだったのか!貴様は、
そう、医者は無惨の永き生において二人目に出会った、太陽を克服した鬼であった。
無惨が誰よりも求めている鬼の姿が、無惨が理想とした姿が、そこにあった。
昨日からこっち、天国から地獄へ至った無惨の心は、今再び天へと舞い上がっていた。
失われていたと思っていた太陽克服への道。道の果てにあると思われていたものが、急に目の前に転がってきたのだから、さもありなん。
天まで届くような笑い声をあげる無惨。そんな彼から離れるように、医者は歩き始めた。その足取りは既にしっかりとしたものであった。
「待てっ!どこに行こうというのだ!?」
「知れたことを。今のお前には天地がひっくり返ろうが敵わない。ならば勝てるだけの力を蓄えるのみよ」
その発言に無惨は怒りを浮かべる。
「ふざけるなっ!今すぐ私の下に来い!私に喰われろ!!誰が生かしてやったと思っている!?」
「お前のおかげでないことだけは確かだ」
道行く樹々を薙ぎ倒して作った、光差す道を医者は行く。
無惨では決して行けない道を。
「待て!待ってくれ!頼む!そうだ!貴様の研究とやらに協力してやろう!私の力が必要であったのだろう!?悪い話ではあるまい!?」
「己を食べようとする者と協力する気はない。そもそも先にその話を蹴ったのはお前の方だ。厚顔無恥も甚だしいと知れ」
「~~~~~っ!!!」
その後も幾つも言葉を連ねるが、医者の歩みが止まることはなかった。
無理だと悟った無惨は地団駄を踏み、感情のまま吠える。
「いいだろうっ!たとえどこにいようが!何年掛かろうが!必ずや貴様を探し出し、バラバラに切り刻み、その肉片を喰らってやろうぞっ!!覚えておくがいい!!!」
「お前こそ覚悟しておけ。私がお前を凌駕した暁には、必ずや探し出し喰いつくしてやる!」
望んだものが目の前にあったというのに、それが今、するりと零れ落ちようとしている。そんな錯覚を抱いたのは、どちらであったのか。
二人は宣言する。互いが互いを喰らうことを。互いが定義する、理想の鬼を喰らわんことを。
医者が日光に照らされた道の果てに消えるのを、無惨は闇の中から臍を噛んで、見届けた。
次回は来週更新予定です