「ん…。」
「あ、おはよ…。」
「…戻ってきてたのか。」
「…うん。さっきまでちょっと寝てた。」
「なんだ、その顔。辛気臭い。」
「え、なんか変な顔してるかな。」
「…ヘドロみたいな夢でも見た顔だ。」
「あ…、うん、悪い…夢を見たんだ。君は?」
「私?」
「う、うん。なんか夢見たのかな、って。」
「………最悪な、悪夢だったよ。」
魔法薬不正使用取締局とは、本来魔法薬並びにその素材に関する規制を取り締まる部門だ。故に希少な素材の保管も行っており、それ目当てに入局する者もいるとか。そんな事せずとも手に入れようと思えば、手に入れられるだろうに。貧乏人は大変だな。
ぼんやりと本を捲る。暇だ。この禁書と言われるこの本の中身は“私にとって”古くて見てられない。これくらい覚えておけと部署に置かれたそれらは欠伸が出るほど退屈だ。役に立たないそれらは落ち葉の代わりに燃やしてキャンプファイヤーでもした方が缶詰めで仕事する奴らにとってはよっぽど役に立つだろうに。
本当は次の局長は私の予定だった“らしい”。私を抜いた奴らの勝手な妄想だ。私はなりたいとも、なるとも、言ってないのに適当に捏造された私のありもしない熱意をだれかが買っていたようだ。何を感じ取ったんだか。もし私から感じるものがあるとしたらそれは殺意という熱だろう。
「ミス・マルフォイ!ミス・マルフォイ!!至急局長室に!」
また、無駄な説得か。これ以上言うようならその喉にコインを詰め込んでやる。遠慮するな、餞別だ。
杖を振って本棚に古書を戻す。ついでにと終わった書類を各デスクに配っていった。元気爆発薬もどうぞ。この時代のエナジードリンクのようなそれより元気が爆発するぞ。具体的に言うと耳から煙が出るくらい。
ドア一つ先の音が聞こえることはない。そういう魔法がかかってるからだ。盗聴防止魔法は魔法省の大抵の部屋に備わってる。良くも悪くも聞こえない方がいいことが多いのだ。
ノックをしようとして、がちゃり、ドアが開いた。内開きで良かったな。じゃなければ、お前らの言う天才の脳の細胞を減らす所だったぞ。
「どうぞ。」
先程の汽笛のような声は何処へやら気取ったようなそれに苛立つ。お前は何様だ。時代遅れめ。
するりと部屋に身を滑り込ませた。そこにいたのは真面目ぶった顔をする私より二十も上のくせしてパッとしたところもない年齢だけを笠に着る馬鹿だ。その癖に年下の私には謙る。お前にはプライドがないのか?
「君に頼みたいことが、あってね。」
「局長の件ならお断りだ。」
「…。その件ではない。」
ぞんざいな私の言葉遣いに動いた目尻。わかりやすくて、扱いやすい。まあ、お前なんぞ使う気もないから、どうぞ存分に嫌ってくれ。
「アメリカに、向かってくれないか。」
「は?」
何言ってるんだ、コイツ。
「アメリカのMACUSAからの要請だ。君から見たあちらの薬学はどうか意見が欲しいらしい。」
「知るか。お前らが来いと言っておけ。」
「そういう訳にもいかん。あちらの魔法法執行部長官直々の要請だ。無碍にはできん。」
「はっ。それはご苦労な事だ。だが、私には関係ないな。」
「…。ならば、これを読め。」
そう言って差し出されたのは粗い目の便箋。そこに見覚えのある封蝋を認めて、それを真っ二つに割開いた。ゆっくりと目を通す。見たくもないほど不味い魔法薬を飲み下すように理解していく。
ーぐしゃり
「明日には旅立つ。任期は。」
満足そうに頷く老害に吐き気がする。
「半年だ。」
クソッタレ。
握りこんだ手の内で慣れ親しんだ家紋が歪んだ。
「やあ!マルフォイ。ご機嫌はどうだい。」
「最悪に決まってるだろ。言わせるな愚図。」
「…今日も絶好調なようで結構。」
イライラしたまま省内を歩いていれば、気に食わないアイツ。キザな仕草で片手を上げたテセウス・スキャマンダーを無視して通り過ぎる。腹立たしい気持ちのまま早まる歩みに苦もなく隣を歩いてくるのが更にムカつきを加速させる。
「どうやら、アメリカに出張らしいね。」
「知ってるならお前に割く時間はないことを察しろ。」
「はは、引っ越す訳でもないんだ。そこまで急ぐことないだろ?」
「お前と無駄な時間を過ごすくらいなら、引っ越した方がマシだ。」
「ニュートのことだ。」
止めそうになった足を動かす。どこか鈍くなった気がする動作を無理矢理繰り返した。
「何かあったのかい。」
「…お前には関係ない。」
「そうか、あったんだな。」
「…。」
血の味がした。口元に持っていった指に着いた赤が苛立ち任せに唇を噛み切ったことを教える。
「ニュートが研究旅行に出かけて半年か…。」
「知るか、あんなヤツ。」
「君のところに何か連絡は?僕のところには長期で旅行に行ってくるとそれっきり。何の旅行かも言わなかった。まあ、僕は知ってるんだが。」
「…ストーカーめ。」
「はは、違うよ。ニュートの上司が“善意”で教えてくれたんだ。有難いね。」
この男は初邂逅から何度も私の前に現れては勝手に喋っていく。話の内容はあの変人が8割、仕事の愚痴1.5割、私を探るのに0.5割といったところか。面倒くさい。そのくせ、コイツの弟がいるときは話しかけにこないのだから。本当になんなんだ、この兄弟は。
「ニュートが今どこにいるのか知ってるかい?」
「知らない。」
「どれくらいで戻ってくるんだか。」
「知らない。」
「なんであんな急いで旅立ったんだろうね。研究旅行から戻ったばかりだったろうに。」
「知らないって言ってるのが聞こえないのか?」
「…どうやら本当にご存知ではないらしい。」
肩を竦めたその動作が癇に障る。でも何も言わない。私は、何も知らないからだ。
あの日、7ヶ月前、アイツはどこかへ行った。いつもだったら私が聞いてもないのに、余命を宣告されたような顔でどこにどのくらい何しに行くのかこと細かく話していくくせに。ただ一言、「旅に出ようと思うんだ。」それだけ。勝手に送り付けてきていた手紙は未だ一通もない。
「まあ、一つハッキリしたな。」
「アイツが心底勝手なヤツだってことか?」
「はは、それは今に始まったことじゃないだろう?そうではなくて、」
すっとその指が私の心臓に定められる。
「君と何かあったんだね、ニュートは。そうじゃなければ、弟が君に何も言わないなんて有り得ない。」
「私は何もしてない。」
「そういうことにしておこうか。でも、そろそろ君から動いてもいいんじゃないかい。」
お前も私と同じくせに。
家に行って荷物をまとめる。と言っても魔法でかき集めてトランクに流していくだけなのだが。服やら魔法薬やら本やら、次々に飲み込んでいくそれはまるでブラックホールのようだ。
もしくは、あの、死喰い人が姿を消した後に遺る黒い霧か。
本当は、あの日、アイツの様子が可笑しかったのを覚えてる。あの、最悪な悪夢を見た日だ。夢は忘れるものであるにも関わらず、私はしっかり悪夢を覚えていた。それもそのはず。あれはれっきとした私自身の記憶なのだから。
あの晩、馬鹿なアイツを引き連れて家に戻った。自身よりもトランクの中身を心配するよえなヤツだ。安宿ではある意味一睡だって出来ないだろうことは予想できる。ならば、まあ一晩程度泊めてやってもいいと思ったのだ。
紅茶を淹れさせ、適当に摘んで。アイツがトランクの中に姿を消したあと、本を開いていたはずだった。そして、いつの間にか旅立った夢の中は私を“前”に引き戻した。
あの時のまま、苛立ちと妙な高揚、そして微かな胸のざわつき。憎いヤツをマールと呼んで、私をマートと呼ばせた、いつかの私の血迷った既往だ。
目を覚ました時に感じた空虚さは気のせいだった。目の前で瞬いた光が翠緑に見えたのもきっと。何度か瞬きを繰り返せば、それは色を変え、否、正しい色を脳に伝え、しっかりと碧を認識する。その瞳に宿す光が酷く似ていた。目を閉じても隙間から無理矢理差し込んでくるそれが網膜を焼く。嫌いだ。
けれども見てしまうその色が揺れているのには気付いていた。幼子が泣いてしまうような、今にも癇癪を起こしてしまいそうな、そんな気配すら感じた。原因は知らない。知りたくもない。見なかったフリをしたのは、私こそが癇癪を起こしてしまいたかったからだ。
心ここに在らずで進める作業の中、間違えて宙に踊らせたバスケットを引き寄せる。中を覗き込めば予想通り。息を潜めて丸まっていた白を見つけた。
「お前は連れていかないぞ。」
ヴァシーは金色の目を瞬かせて小首を傾げる。なんで?と言わんばかりの動作だ。
「色々面倒だからな。」
海外に動物を連れていくために踏まなくてはいけない手続きが多すぎる。別にあちらに定住する訳でもなし、コイツを置いて行った方が楽だ。
だからといって誰かに預けるつもりは無い。そんなことしなくてもコイツも馬鹿じゃないから、適当に野に放っておけば帰ってきた頃に戻ってくるだろう。この蛇はカメレオンのように時と場合によって姿を変える。今は白いが、私以外がいる前だと黒いよくいる蛇柄になるのだ。擬態できるのであれば図太いコイツは一年など簡単に食い繋げる。事実、コイツは私に会うまでは野生で生きてきたのだから。
「おい、離せ。」
するり、私の腕に巻き付いてきたヴァシーは強く尾を締め付けた。杖腕を絞ってくる辺りが狡猾だ。血が止まりそうな力に眉を寄せる。誰に似たんだ?
「なんなんだ、お前は。乳離れ出来ない赤子か?そんなタマじゃないだろ。そのお綺麗な面でも使って遊んでこい。人間を揶揄うのは好きだろ。」
以前はニュートで遊ぶのがお気に入りだったコイツの額を擽る。私は知ってるぞ。時折魔法省の能無しで遊んでることを。
いつもならやりすぎるなと渋い顔をする私の許しを得たというのにコイツの締めは緩まない。そろそろ指先の感覚が無くなってきた。コイツ、本気だ。
「あー…あーお前探し物してなかったか?それ探してきたらどうだ。一向に見つかってないだろ。その細っこい体で隅から隅まで心行くまで探してこい。」
コイツは時折数ヶ月単位で姿を消す時がある。初めは訝しく思ったものだが、今は慣れたもの。何らかの金目のものをご機嫌取りのように持って帰ってくるのだから気にするだけ無駄だ。ついでに言えばコイツが差し出したそれらは毎度の如く「要らない。」の一言で拒絶している。どこぞの誰とも知らんヤツの手垢が付いたものなど使う気にもならん。
杖を辛うじて持つ手は真っ白だ。ただでさえ青白い手が蝋のように色をなくしている。これではそこいらの人形の方が人間らしい色をしてるのではないか。腕に螺旋の青アザが出来ていることを覚悟する。
「………はあ。」
今にも零れ落ちそうな杖を揺らし、クラブバッグを取り出した。最近アメリカで流行りらしいそれは贈り物だが、随分とタイムリーなことだ。因みに押し付けてきたソイツの顔は覚えていない。
バッグのチャックを開けそこにも荷物を詰めていく。服一式とマフラー、時計、あとは適当に。それをヴァシーの目の前の机にどすんと勢いよく落とした。ほら、
「これでいいだろ。」
満足そうにチャックの隙間に身を滑らせた細身に溜息を零す。嗅ぎなれた匂いに包まれたコイツは随分と嬉しそうだ。ああ、それは何より。
今日一日を通して溜まりに溜まった嚇怒が沈んでいく。怒りより勝った呆れは自然と目元を緩ませた。
次回からアメリカ編(映画第一弾)始めます。
ということでここまでは一章という形にしようかと…!