とても、それはもうとても驚いて1人でフォイフォイしてました。
私は知っています。魔法薬の可能性を、未来を、私は知っているのです。この本はただ、私が知っていることを、どんな低俗で偏屈な頭の固い人間でもわかるように噛み砕いただけなのです。もしも、これで魔法薬にこの先はないと言うならば、結構。どうか、その古臭く黴臭い泥水を飲み続けてくれたまえ。
ティア・マルフォイ著『癒し手』後書きより
「ミス・マルフォイ。我が校から新たな著名人が生まれたこと嬉しく思うよ。」
「私の初めての書がこの学び舎の導きとなること、とても光栄に思います。」
変わらない母校を訪れたのは、私の本が教科書として選ばれたからだ。まあ、我ながらそれはそれはねちっこく懇切丁寧に書いてやったのだから当たり前のこと。これで少しはポップコーンのようにポンポン爆発することも減るだろう。
「ああ、本当に、素晴らしい本だ!私も読んだが、古典的で革新的な、今までの薬学の必要なものを足して、不要なものを削ったあれらはこれからの常識になる!そう確信したよ!」
にこり。だろうな、そんなつまらない感想しか言えんのか、古木め。そのシワシワの年輪に何を刻んできたんだ。私が直接包丁で刻んでやろうか。
そんな内心をおくびにも出さず、差し出された本にサインする。もちろん手書きではなく、杖で操った羽根ペンで。その器用な杖使いに感嘆の声をあげてるが、気付け。お前の手垢が付いた本を触りたくなどないんだと。
「ところで、」
嬉しそうに今しがた乾いたばかりのサインを撫でる。ああ、更に垢まみれになっていく。可哀想に。
「近々、魔法薬学の教授が薬草探しに出たいらしくてね。新たな先生を探してるんだが…。」
チラリ、こちらを見てくる現校長に笑う。それに満足気に頷く年寄りに言ってやった。
「あと数年ほど先ならば、真っ先に立候補したでしょうに。」
もう少しいい歳こいて新発見を夢見てるようなバカに働かせておけ。
最近の私は基本自宅から動かない。魔法省に出勤しても名が売れたせいか雑用など任せられぬと仕事は与えられない。そもそも出歩いただけで甘い蜜を吸おうと狙うバカ達が騒ぐのだ。与えられたラボもそういう訳で人がひっきりなしに訪ねてくる。そんな所じゃおちおち書類も書いてられない。指圧によって逝った羽根ペンが何本あったことか…。
「ところで先生次回作はいかが致しますか?」
コイツは編集社の犬。取材の件やら、著書の売れ行きなど、事細かに訪ねてくる。そしてその度に問うのだ。「次は?」と。
「お前は今まで誰を見てきたんだ?次から次へとぽんぽん本を出せるのは頭のネジが外れた小説家か。今まで片田舎にでも住んでた知識だけはお持ちの頭でっかちな老害だけだ。その節穴には私が小説家か老害にでも見えるのか?それとも、日がな一日机に向き合ってられるような暇人にでも?ああ、すまない、お前の目は節穴だから見えないんだったな。」
「…申し訳ありません。」
まあ、書こうと思えば書けるんだが。そんな余計なことは言わず、宜しいと頷く。こういうのはタイミングを観なければどんどん付け上がる。
「でしたら、御知り合いに何か研究されてる方はいらっしゃいませんか。最近、先生の影響でそういった研究書が注目されていまして。名門ホグワーツご卒業の先生ならば、そんな御知り合い1人や2人。」
「知るか、切羽詰まってるなら自分で書け。お前の周りの人間を本にでもまとめれば化石人間のマニュアル本程度は出来るだろうさ。」
「そう言わずに!どんなマニアックな内容でも構いません!最悪、発行まで時間がかかったっていい!私も“見つけてこい”って言われてるんですよ。」
神でも崇めるように私に指を絡ませる、そいつを指で払って芋虫をすり潰す。ある程度形を残すのがコツだ。
「じゃあ、じゃあ、先生の写真集はいかがですか!?先生はお綺麗なので、実生活をパシャパシャっと撮らせていただければこちらで纏めますので!」
「どうやら次の本は写真付きになりそうだ。実験の様子を撮った拷問薬のね。」
「ああ!嘘、嘘です!」
「ああ、私も冗談だ。」
「は、はは、そうですよね…。……そうですよね?」
疑うような目でこちらを見てくるそいつに溜息を吐き出して、ちょうどいい塩梅の材料を鍋に入れる。そこからノンストップだ。手を止めたら失敗する。
「1人、心当たりがある。」
「え!」
とろみが出てくるまで只管に混ぜる。
「ニュートン・スキャマンダー。魔法省魔法生物部の男だ。」
「へえ!そんな辺鄙な所に御知り合いが…って男!?」
ドロっとしてきたらマンドレイクの葉を少し。ああ、ヴァシーありがとう。頭で押された瓶の中からひとつまみ。慣れたもので2グラムなど図らずともわかる。
「せ、先生!もしや先生のこいび」
「お前の頭は花畑なのか?除草剤でも胃に直接流してやろうか。」
「結構です!」
右に3.5回転、左に6.5、右に12…規定の回数、右に左にと混ぜていく。
「ところでその方はなんの研究を…?」
「魔法生物。部署で察しろ能無し。」
「ま、魔法生物ですか…また何ともまあマイナーな。」
縦に1、2、3、4、5、6往復。
「お前が何でもいいと言ったんだろ。」
「ええ、そうですね!でもそんな忌避されるジャンルに行くとは予想してなかったです!」
「お前の想像力の無さを露呈するな。」
あとは混ぜながら、呪文を注ぎ入れて…
「わ、ヴァシー、彼がニュートン・スキャマンダー氏かい?何とも先生に似合わない人だ!なんというか、先生に負けそう。」
「アクシオ!」
木枠を器用に尾で引きずってきたヴァシーを呼び寄せる。宙でその細身を結び、薬草が入っていた籠に放った。青々しい臭いに悶えてろ。
木枠の中では我関せず2人のホグワーツ生が箒に跨っている。時折見切れる小さな金色からクディッチだとわかる。真剣な表情ながらどこか楽しそうな男女はカメラを気にすることなく、競うように空へと飛んで行った。
「先生クディッチなんてされるんですね。しかも写真を残しておくなんて!」
「…傍迷惑なタヌキの要らぬお節介だ。盗撮で訴えないだけ感謝して欲しいくらいだな。」
勝手に送られてきたそれは確かに覚えがあって。選手に選ばれたくせに不安だ何だと言うアイツに付き合って箒を引っ張り出して来たことを思い出す。あれほどスニッチを追いかけ回したあとに実はポジションがチェイサーだったというオチがつく。やっと捕まえた金色をあの顔面に叩きつけてやった。
「ご友人だったんですか?」
「別に。時折、場所を貸してやっただけだ。」
「先生、」
無価値なそれの上に書類を置く。どうせ、見ることは無い。
「ヤバい匂いがします。」
「…杖先を逸らしたからな。」
魔法薬は失敗だ。
久々の魔法省。エレベーターから降りて、目に入ったベンチに座る男に眉を寄せた。“この階”にいるには違和感を感じるソイツは本来別の階であくせくとしているはずだ。けれど実際は掌を合わせて、そこに吹き込むようにブツブツと何かを呟いている。手の間に呪いでも貯めてるのか?
まあ、私にはどうでもいいとそこを通り抜けようとして、
「話を、しよう。」
出来なかった。立ちはだかる長身痩躯。こんなに近寄ったのは学生以来だ。あの時よりも瞳の距離が遠い。
初めてだった。コイツが私の前に、否、“人間”の前に立ち塞がるのを見るのは。いつだって後ろか、横から声をかけてくるばかりだったから。そう、言ってしまえば驚いたのだ。コイツが自分から“行動”したことに。
そんな私の一瞬の空白を突くように矢継ぎ早にニュートン・スキャマンダーは言葉を重ねていく。
「少しでいいんだ。返事もしなくて、いい。いや、して欲しいけど、でも、うん、取り敢えず、話を聞いて。」
以前、省内ですれ違ったことがある。その時の見ててイライラするような覇気のなさが薄れていた。つまらなそうに垂れていた目には力があった。
「……紅茶が飲みたい。」
「!うん!うん!近くに美味しいところ…は知らないけどちょっと待って今調べて、」
「ラボに茶葉がある。お前が淹れろ。」
横をすり抜ける。驚いたように立ちすくむソイツに首で合図した。
「いいの…?」
「不味かったら承知しない。」
歩きだした私の後に続く足音は少し明るい気がした。
淹れられた紅茶は綺麗な色彩だった。流石私のセレクトだ。緊張した面持ちの木偶の坊の目の前で1口、嗜む。これなら砂糖もミルクも要らなそうだ。
「座れよ。」
「あ、あ、うん。」
恐る恐る腰を下ろす。それを横目に棚からチョコレートを取り出した。クッキーは多分とうに湿気てるだろうから、あとでヴァシーの胃へ旅立ってもらおう。
カバンから本を取り出した。最近ハマってる『杖の材料〜国を超える魔法〜』シリーズだ。材料になるものが膨大すぎて未だに増え続けている全27巻。まあ暇潰しには良い。
その8巻目を手繰りながら、時折紅茶を口に含む。チラリ、上げた視線の先ではアイツはヴァシーに遊ばれていた。久々に“普通に”会えたことが嬉しいのだろう。だからといって首を締めるのはやめてやれ。ラボにゴミが増える。
「君の本、読んだよ。」
どれほど時間が経ったか、ぽつり、言葉が落とされた。それに私の視界がブレることは無い。白い紙を踊る文字達を追っていく。
「君らしいなって思った。“これだけ丁寧に書いてやったんだ、理解しろ”って言われてる気分だった。……当たってる?」
私は何も言わない。けれどヴァシーが何かシューシュー舌を鳴らしながらゆっくりと頷いた。ほっとしたように緩む口なんて知らない。ホッチキスで留めてやろうか。
「後書きも、あれ、結構パンチあったよね。大丈夫だった?、なんて愚問か。君だもんね。」
あれでパンチ?なら赤子のへなちょこパンチレベルだぞ。何処ぞのグリフィンドールの魔女のパンチの方が余程効く。あのゴリラ女め。
「えっと、あと、その、……うん。」
すっとその猫背が伸びる。美しい姿勢だった。
「ありがとう。」
まるで壊れ物のように優しく置かれた言葉だった。手負いの獣に下から差し出すようなそんな柔らかさ。
「君が、僕のこと持ち出してくれたって聞いたよ。ああ、うん、わかってる。君から言ったわけじゃないんだよね。うん。でも君のおかげでこのつまんない日々が多少マシになると思うと、なんか、なんだろ、なんか、その、肩の力が抜けて…?ああ、違う、なんて言えばいいんだろ。」
「…本を出すなら、語彙力も身につけろ。」
本を捲る手は止めない。ああ、今何を読んでたんだっけ。
「うん、うん!本当にありがとう!君のおかげなんだ。本当に。君のおかげで、僕は、うつくしい魔法生物を、皆に知ってもらえるんだ。」
「お前にそこまでの文章力があるかは甚だ疑問だがな。」
「うっ…。で、でも!今までは彼らについて本にまとめるなんて夢のまた夢だったし!その機会を得ただけでも大きな進歩っていうか!そりゃあ、君みたいに凄い本になるかはわかんないけど…。」
何とも“らしい”言葉だった。“わかんない”ね。無理とは言わない辺りがコイツの自信の現れだとコイツは気付いているのだろうか。
「でも、頑張るよ。うん、すっごく頑張る。」
パタン、とっくに目を滑らせるだけだった本を閉じてチョコレートを摘む。ナッツの食感が楽しいそれは甘めの紅茶に良く合った。
「ねえ、もう一回言っていいかな。」
碧が弧を描く。それは酷く嬉しそうで、眩しそうで、泣きそうだった。いつか隣に並んでいた男は机を挟んだ向かい側で私が見慣れない服を着ている。
「ありがとう。」
私も、もう緑のネクタイは何処かにやってしまった。