とある中学で体育教師を務める主人公。そんな彼女は放課後、とある生徒からそんなことを聞かれ・・・?
「あの、今夜あいてますか?」
時刻は午後4時過ぎ。今日の授業6限もそのすべてが終わり、私は職員室へと向かっていた矢先だった。
廊下で鉢合わせした教え子の口からそんな言葉が出るとは、誰が予想しただろうか。
「よかったら、絵のモデルになってほしいなって」
「え?・・・あっ、あぁ~・・・そゆこと?」
一瞬変なことを考えてしまった私の思考を、深呼吸と共に冷却する。
・・・今私の目の前にいるこのコは私が保健体育の授業を受け持っている生徒で、去年私が担任を受け持っていた少女でもあった。性格をひとことで言えば寡黙。所属は美術部。常にスケッチブックを持ち歩いていて、何かのイラストを描いていることも多い。・・・ノートと間違えてスケッチブックを持って授業に参加しそうになっていたこともあった。
そのため一見するとこのお誘いは何の違和感もないものに見えた。・・・だがよく考えるとおかしい。
彼女が描くのは基本的にイラストなのだ。代理と称したオリキャラやアニメのキャラを描くことはあれど、実体のあるモデルをもとに絵を描くという事は非常に珍しい。
「8時以降なら空いてるけど」
「あっ、じゃぁそのあたりに学校にお迎えに行きますね♪」
彼女はそうとだけ言い残すと、スケッチブックを抱えたまま美術部の部室へてくてくと去っていった。・・・まぁいいか。難しいことは行ってから考えればいいや。
(・・・なんか、子犬っぽい・・・)
去っていくそのコの背を見て、私はふと、そう思った。
8時。厳密には20時。他の教師陣が帰る支度をはじめ職員室にちらほらと空席が出来はじめても、あのコが現れる気配はなかった。
(・・・っていうか、どこに迎えに来るとか言ってなかったような・・・。
職員室でよかったのかな?もしかしたら正門で待ってるのかも・・・)
現実的に考えてそんな気がする。・・・もし仮に彼女が職員室に向かおうとしていたが遅れたのだとしても、正門で待っていれば多分・・・いや8割方会えるだろう。彼女が裏門から学校に入ったりしていなければ。
荷物とコートを片手正門へと向かう。時計の長針はまだ1を指していた。・・・心配のし過ぎか?
外は少し冷え込んでいた。熱帯夜、とかいう言葉に無縁じゃないようで無縁という絶妙なラインな気がする。・・・もしかして裏門の方がよかったんじゃなかろうか。教師と教え子が夜に学校の前で待ち合わせをしてふたりでどこかへ出かけるなんて、怪しさといろんな意味での危なさ全開じゃないか・・・?
そう考えると裏門な気がする。ひとは少ないのであまり見られる心配もない。彼女の家がどこなのかは知らないが、周りの目を考えれば裏門でもおかしくない。
だが・・・日の落ちたこの真っ暗な時間帯に、ひと通りの少ない裏門を待ち合わせ場所にするだろうか。いやしない。危険だ。あのコが。
(・・・というかそもそも待ち合わせ自体してないんだけどね・・・)
連絡先でも交換しておけばよかっただろうか。・・・いや~でもなぁ・・・。
「あっ!!いたいた!!先生~!!」
後の祭りみたいなことを考えていた最中、子犬のように手をぶんぶんとしながら待ち人がやってくる。いつもの見慣れた制服でもジャージでもなく、私服。トレードマークともいえるスケッチブックも今回は未所持だった。・・・なんとなく別人のような印象を受ける。
「7分遅刻!!」
「えぇっ!!」
「・・・だけど、今回は大目に見てあげる」
今回はいつもの体育教師の顔を取り払ってしまおうか。・・・少し甘いか?自分は。
・・・ほのかにシャンプーの香りがした。
「ご家族の方は?」
「いや~、今日は両親がどちらも出張で居なくて・・・妹もお泊り会で家にいないんですよね」
「ふ、ふ~ん・・・」
・・・って、落ち着け自分。家の中に第三者がいないということがなんだ!!私はただ絵のモデルになるためにここに来たわけで、そこに不穏で不安で不確定で怪しげな要素など・・・そう、皆無!!皆無なのだ!!・・・テンションおかしい?
「あ・・・そういえばジャージのまま来ちゃった・・・。やっぱりドレスとかスーツとか着てきた方がよかったのかな・・・」
例のごとく後の祭りである。ちなみに誘われていた時点でそれに気が付いていてもどうしようもなかったりする。
「いえ、ありのままの先生を描きたいな~と思ってお願いしたので、全然大丈夫ですよ~」
そんな私の思考を読み取ったのか否か、スケッチブックやらスタンドやら何かの錠前だかをいい感じにセットしながら、あのコがそう答える。
・・・どうもだいぶ本格的にやるつもりらしい。彼女がこんなに真剣に絵を描こうとしているところなんか、かれこれ出会って数年一度も見た覚えがない。
彼女の誘導のもと、ベッドに腰を下ろす。近くの棚にはぬいぐるみがところ狭しと並んでいた。あと漫画の単行本がいくつか。
「よっ、と・・・」
デスクから引っ張って来た椅子にちょこんと座り、彼女がお気に入りと思しきスケッチブックをスタンドに立てかける。・・・あのスタンドはキャンバス用じゃないかだって?わからん。
「じゃぁさっそく脱いでもらっても」「なぜ!?」
「いや・・・言ったじゃないですか。『ありのままの先生を描きたい』って・・・」
「言われたよ!!そりゃ言われましたよ!!確かに色々解釈の分かれそうな言葉だけども―――こら、頭の上にはてなマークを浮かべない!!」
目に見えてしゅんと落ち込みながら、彼女がじとっとした目(かつどこか期待を込めた目)で私を見つめる。だがそれも私がその行動を起こしそうにないことを察すると、視線は私からスケッチブックへと移動していった。・・・なんとなく、棚のぬいぐるみたちから非難されているような気がする。
「・・・いや、別に嫌って訳じゃなくて、ほら、私も一応教師の端くれだし・・・
・・・そういうのは何と言うか、卒業した後にっていうか、その・・・」
「・・・!!」
ぴくんとあのコの体が一瞬動く。きっと彼女に尻尾があったなら、子犬のようにぶんぶん振っているだろう。
「・・・1年後、ですか」
「1年後ですね」
彼女がスケッチブックから顔をあげる。その表情は一瞬ふわっと微笑んだように見えた。
「・・・じゃぁ、頑張りますね」
もっと絵が上手になるように、とあのコは付け足すように言った。
「・・・そ~いえば、なんで私をモデルにしたいって思ったの?」
「え~?」
スケッチブックにペンを走らせる彼女に、私はふとそんなことを聞く。
去年こそ担任だったが、今年は彼女の担任を受け持っているわけではないし、美術部の顧問でもない。他にモデルの候補になりそうなひと達なんか、いくらでもいるはずなのに。
「・・・『先生でよかった』んじゃなくて、『先生じゃなきゃ嫌』だったんです」
彼女が一瞬ペンを止める。無機質な時計の秒針だけが部屋に鳴り響く。
「普段は仕事にストイックなように見えて、実は私の事もちゃんと見ていてくれて。体育祭終わりに、頑張ったねって、頭を撫でてもらって・・・もう、数えきれないくらいに」
―――それで、その結果が―――
「だから、先生の絵を描きたいなって。全部、ただの社交辞令に過ぎなかったのかもしれない。でも私は、先生がいいです」
あのコはそう言うと、ふわっと笑った。
「・・・1年後、待ってますから」
「・・・ん。」