【本編完結】レッドキャップ:ヴィランにTS転生した話 作:WhatSoon
コンクリートと鉄板で仕切られ、窓もない部屋の中。
その中心にガラスに仕切られた小さな部屋があった。
そして、中心はベッドに縛られている男がいる。
赤みがかった髪の男だ。
男は縛られたまま、目を見開き左右へ視線を揺らす。
ベッドは斜めに掛けられていて、前にいる我々からも見えた。
その男を挟むように、二人の刑務官がいる。
……男は死刑囚だ。
両腕、両足は拘束されている。
左腕には管が繋がっていて、その先には大きな機械がある。
機械には幾つかのシリンダーが生えており、薄緑色の液体が入っている。
毒物による死刑……それが、この国での執行方法だ。
『これよりクレタス・キャサディへの執行を行う』
スピーカーから無機質な言葉が聞こえた。
それと同時に、側に居た刑務官がクレタス・キャサディへと口を開いた。
「何か言い残す事はあるか?」
キャサディが首を上げて、ガラスの外にいる傍観者達へ目を向ける。
ここにいるのは警察関係者と……奴に殺された被害者の親族達だけだ。
だが彼の目は我々へと向けているが……何も見ていない……そう思えた。
静かな狂気を感じさせる瞳に、誰かが怯えたような声を上げた。
そして、キャサディが口を開いた。
「今日は誕生日なんだ。祝ってくれても良いよ」
唐突に話した言葉に、刑務官はキャサディを睨み付けた。
「別に今日は貴様の誕生日ではないだろう」
「そうかな?クレタス・キャサディはここで死ぬけど……新しく誕生するんだ」
「……何が生まれるんだ?」
「それは私にも分からない……私は今、
その言葉を戯言だと思ったのか、刑務官がため息を吐いた。
そして、もう一人の刑務官へ目線を向けた。
頷き、壁際にあるレバーを下ろした。
キャサディに繋がれている機械が音を立てて稼働し始める。
薬物の入ったシリンダーが減って行く。
それと同時に、キャサディの顔が歪んだ。
「おゥっ、歌でも歌いたい……最高の気分だ」
二人の刑務官は無視しつつ、距離を取った。
キャサディの身体が跳ねた、腕を縛っているベルトが音を立てた。
傍観者達は息を呑んだ。
この邪悪な殺人鬼が死ぬことを……誰も彼もが望んでいる。
異常な光景だと、俺は感じた。
誰も彼もが人の死を望んでいる。
殺意の渦巻く密室。
正直……少し、不快だ。
キャサディは白目を剥いて……口から赤い泡を吹き始めた。
咽せる声が、ガラス越しにも聞こえてくる。
……俺は訝しむ。
死刑が執行される瞬間を見るのは、初めてではない。
このような症状を引き起こす薬ではない筈だ。
法律で、人の体に苦痛を与えるような薬物での死刑は行わない、と書かれている筈だ。
何か──
そう、キャサディの言うように。
開いてはならない
ブツリ!
と鈍い音がして、キャサディを縛る拘束具が弾け飛んだ。
まずは腕だ。
次は足。
やがてベッドからずり落ちて、地面に四つん這いになる。
それを見て、左右の刑務官は腰から拳銃を抜いた。
伏せているキャサディの頭部へ向けて銃を構えている。
俺は彼に繋がれている管の先を見た。
シリンダーは空っぽだ。
間違いなく刑は執行された。
なのに、人の致死量を上回る毒物を打ち込まれた罪人が……死人である筈の男が呻いている。
キャサディが……顔を上げた。
目は真っ赤に充血している。
鼻と口から、血がとめどなく溢れ出すように溢れている。
正気も、生気も、何も感じない。
ただ狂気のみがある。
そして……我々のいる場所へ向かって這いずり、窓ガラスへ手を突いて……。
発砲音がした。
一瞬、遅れて悲鳴が聞こえた。
それは刑務官の一人が、その異常な様子に対する恐怖へ耐えきれなくなり……発砲した音だ。
キャサディの額には穴が空き、血を流している。
だが、我々と彼らを遮るガラスは強化ガラスだ。
ひび割れもなく、損傷もなく、弾痕もない。
ずるり、と死体がガラスへと倒れながら……異変が起きた。
キャサディの肢体の皮膚が赤く変色し、血が噴き出した。
いや……違う。
なんだ?
それは血か?
粘性を伴った赤い『何か』が窓ガラスへ飛散った。
中の様子が見えなくなる。
その直後、刑務官の悲鳴が聞こえた。
幾度かの発砲音、光。
人がガラスを叩く音。
何かが切断された音。
……人が無作為に倒れる音。
そこで、我に返った。
俺は懐から拳銃を抜き取り、大きな声を出す。
「皆さん、退避してください!今すぐに!」
他の警察官、刑務官が被害者の遺族達を誘導し、部屋から避難させる。
部屋から減っていく人数に安堵しつつ、真っ赤に染まったガラスへ近づこうとし……。
『ハッピーバースデイ、トゥ、ユゥ……』
掠れたような、悲鳴のような、奇声のような、まるで人間の声とは思えない声で……言葉が聞こえる。
『ハッピーバースデイ、トゥ、ユゥ……』
いや、違う。
言葉じゃない。
これは歌だ。
バースデイ・ソングだ。
真っ赤な『何か』で染まったガラスがひび割れる。
俺は一歩、恐怖で後ろに下がった。
周りにいる人間も下がっている。
この悪夢のような世界で、歌が紡がれる。
『ハッピーバースデイ、ディア──
そして、ガラスが割れる。
地獄の蓋が開かれた。
聳え立つ、2メートル弱の赤い、『何か』。
それが姿を現した。
『
それは、あまりにも邪悪で、狂気的な姿だった。
内臓をひっくり返したようなドス黒い赤色をしたタール状の皮膚を持ち……その両目は大きく、白く、吊り上がっていた。
体には黒い血管のようなものが浮き上がっている。
化け物だ。
怪物だ。
「うわあああぁぁぁっ!?」
若い警察官が悲鳴を上げて、発砲した。
併せて、俺も、周りにいる人間も、全員が化け物へ発砲する。
恐怖で拳銃を持つ手が震えるのか、何発か照明や、死刑執行用の機械に当たる。
よろけるように、怪物が後ろに下がっていく。
機械の管に穴が空いて、白い煙が流れ出す。
照明が壊れて、ガラス張りの執行部屋の奥が暗くなり、見えなくなる。
怪物が煙と、暗闇の中に隠れる。
……やったのか?
恐怖で麻痺する思考の中……この悪夢から解放される事を願いながら……一人の若い警官が、執行部屋へと近付いて……。
突如、煙と暗闇の中から、触手が伸びて来た。
それは、警官の足を掴み、引き摺り倒した。
「い、いやだぁっ!」
悲鳴を上げながら、引き摺られ、暗闇の中へ消えた。
顔を引き攣らせて、耐えようとしても無駄だった。
「バーク!」
俺は連れ去られた警官の名前を叫びながら、拳銃を暗がりへ向けた。
……無理だ!
彼が連れ去られた以上、発砲した場合……誤射してしまう危険性がある。
撃つべきか、撃たないべきか……ほんの一瞬、迷い──
突如、執行部屋の非常灯が点いた。
そして、そこでは。
首のなくなった、死体と。
何かを咀嚼している赤い怪物の姿が、あった。
限界、だった。
人が耐えられる恐怖には限度がある。
今、それを遥かに上回る光景を見た。
あの怪物は、我々を食べようとしている。
考えてみれば分かる話だ。
捕食者と被捕食者。
いや、立ち向かわない。
ただ、逃げるだけだ。
それが最も賢い選択だから。
「わあぁぁっ!?」
一人、一人と逃げ出す。
涙を流し、嗚咽を漏らし、恐怖で顔歪めて。
嫌だ、怖い、何故?と叫びながら、逃げる。
だけど、誰が責められる?
こんな、化け物と対峙して……誰が立ち向かえると言うのか。
「く、くそっ」
俺は震える足で無理矢理張って、怪物へと銃を向ける。
気付けば、周りには誰も居なくなっていた。
赤い怪物が、俺に気付き、一歩、一歩近づいて来る。
発砲。
体に命中する。
だが、気にせず寄ってくる。
発砲。
頭に命中する。
それでも、気にせず寄ってくる。
カチャリ、カチャリと。
弾が空になったと気付いた時には……もう遅かった。
「……あ、う……わ」
言葉にならない声が漏れる。
身体が強い力で圧迫された。
赤い怪物が伸ばした触手が……俺の体に巻きついている。
そのまま、宙へと持ち上げられた。
『ハロー、ジョージ・ステイシー……』
化け物が俺の名を呼んだ。
「はっ、はっ……!?」
息を漏らしながらも、触手から逃れようと踠く。
すると、触手の締め付けがさらに強くなった。
骨が軋む程の強力な力で、締め付けられる。
「う、うぐっ」
『私は君に感謝、しているんだ。これでも』
「……う、あ?」
『君が私を捕まえなければ、私はこう、なれなかった。最高の気分だよ、ジョージ・ステイシー』
その言葉、口調に俺は気付いた。
「お、前……キャサディ、か?」
『いいや、違う』
ニタリ、と凶暴さを少しも隠そうとしない残虐な笑みを浮かべた。
『私は……いや、俺は『
「カーネイジ……?」
『そう……お前が最後に見る事となる悪夢だ』
赤い怪物……いや、カーネイジが舌舐めずりをした。
恐怖。
食い殺される恐怖。
痛みに対する恐怖。
そして……娘を一人残して死ぬと言う恐怖。
俺は、心が折れた。
涙と共に、誇りも、自尊心も、正義感も、義務感も、全てが溢れて俺の体から抜け落ちて行く。
「た、頼む、キャサディ、殺さないでくれ」
『……何故だ?』
「俺には娘がいるんだ……俺の帰りを待ってくれている娘が……」
『そうか……なら──
グサリ。
何かで腹が突き刺された音だ。
強烈な痛み。
『死ね、喰う価値すら無い』
言葉を話せないほど、口に血が逆流する。
触手から解放されて、地面に転がる。
俺は身を縮めようと、腹を抑えようとする。
だが、身体が動かない。
ゆっくりと、死が近付いてくる。
視界の中に、赤い化け物が見える。
頭に過ぎるのは、娘の……グウェンの顔だ。
きっと、凄く、落ち込んでしまう。
妻に先立たれて、男手一つで育てて来た娘だ。
俺が居なくなっても……生きて、いけるだろう。
あぁでも、しかし。
娘のウエディング姿すら見られないなんて。
俺は、何て……。
何、で。
視界が暗闇に染まっていく。
二度と目覚める事が出来ない闇の中へ、沈んでいった。
◇◆◇
「え……?」
私の目の前で、グウェンが驚愕したような顔でテレビを観ている。
先程まで、私とピーターの誕生日を祝っていたのに……もう、気楽な空気は無くってしまった。
私も併せて、テレビを観る。
『今日未明、ライカーズ刑務所で連続殺人犯であり、死刑囚であるクレタス・キャサディが逃走しました。現場にいた警官と職員、38名が犠牲となりました』
……言ってしまえば、私達には関係のないニュースの筈だ。
このニューヨークではよくある事件だ。
……今回もまた、スパイダーマンやスーパーヒーローが解決してくれる。
私はグウェンの服の裾を掴んだ。
「グウェン、どうしたの?」
そう、訊いた。
「パ、パパ……今日、ライカーズ刑務所に……行って……そんな」
私は、息を呑み込んだ。
酷い、勘違いをしていたのかも知れない。
事件が後に解決したとしても……被害者は返ってこない。
何を、何を考えていたんだ?
私は。
「グ、グウェン、大丈夫だから。きっと」
「で、でも、でも!」
テレビに、被害者のリストが出る。
そこには、よく知っている名前があった。
ジョージ・ステイシー。
殉職。
「あ…………」
グウェンが放心したような顔で、テレビを眺めている。
ネッドはどうして良いか分からない様子で、狼狽えている。
ピーターは辛そうな苦しそうな顔をしながらも、テレビの光景を睨んでいる。
私は。
私は、どうしたら良い?
どうやって、慰めれば良い?
分からなくなって、グウェンの手を握ろうとして……。
「お願い、少し、一人にさせて」
私は手を、手を、どうすれば良いか分からなくて。
だけど、グウェンに拒否されたのは分かった。
「……分かった」
私は頷いて、彼女から距離を取る。
「ごめん……ミシェル……気持ちは凄く、嬉しいから」
ボロボロと涙を流し、放心した様子のグウェンを一人にさせたくなくて……それでも、これ以上、拒否されたら耐えられなくなってしまいそうで……臆病な私は彼女を一人、残して。
グウェンの家から離れた。
ネッドもピーターも、追い出されるような形でグウェンの家から離れた。
……今、このニューヨークには……グウェンの父、ジョージさんを殺した男がいる。
しかし、一人で刑務所内の警官や刑務官を殺害し……脱出するなんて。
間違いなく、特殊な力を持った
アパートへ戻り、部屋の前でピーターが私に視線を向けた。
「ミシェル、危ないから……今日は外に出ない方がいいよ」
「分かった。ピーターも、外出しないで」
「勿論だよ」
嘘だ。
嘘吐きだ。
ピーターは必ず、脱走した死刑囚を捕まえに行く筈だ。
スパイダーマンとして。
この街の、親愛なる隣人として。
そして、私も。
ピーターと別れて、私はベッドに腰掛ける。
手元にはスマホ。
真っ暗な画面に、酷い顔をした私が映る。
怯えと、恐怖。
怒りと、憐憫。
そして、葛藤。
意識を耳に集中して、隣室からスパイダーマンが出ていったのを感じた。
……私はスマホを起動し、電話番号を入力する。
そして、耳元へ移動させる。
数回のコール音の後。
相手が出る。
私は目を閉じて、意識を切り替える。
「お前に頼みがある」
私は目を薄く開いた。
そこにはもう、グウェンの学友である『ミシェル・ジェーン』は居なかった。
そこに、居るのは。
私は──