友人から「ウマ娘のその後」的なイラストを紹介されたのがきっかけで、推しキャラのその後を文字にしたためてみました。
白い"しみ"一つない、どこまでも広がる青い絨毯。そこに浮かぶは、一際存在感を放つ眩い星。程よい熱を帯びた光が、辺り一面に降り注いでいる。
ぽかぽかとした陽気は、睡眠に飢えた者をまどろみに誘うのにこれ以上ないシチュエーションだった。
「ふふ…何だか眠くなってしまいそうですね」
独り言のようにそうつぶやいたのは、美しい水色の髪を持つ若い女性。同じ色をした尻尾も、気持ち良さそうにふわふわと揺らめいている。
椅子に腰掛ける彼女の目の前には、描きかけのキャンパス。その中央には立派な建造物…春の昼下がりに映えるお屋敷が描かれていた。
「お嬢様、そろそろ休憩されてはいかがでしょうか? 先日も夜遅くまで絵を描かれておいででした。あまりご無理をなさるとお体に障ります」
その傍らから発せられたしわがれ声。彼女が幼い頃から仕える使用人、"ばあや"の言葉だった。
「お気遣いありがとうございます。休みたいのはやまやまですが、この絵は"今"しか描けません。先日の絵も同じです。昨夜は満月に照らされた菜の花畑を描ける、またとないチャンスでしたから」
ばあやを一瞥することもなく、彼女はパレットの上で好みの色を調合していく。
「もうすぐ描き終わります。そうしたらお屋敷に戻って休憩いたしましょう」
言い終えるや、彼女はキャンパスという名の自分の世界に没入した。筆が流麗に舞い、何もなかったはずの空間が瞬く間に彩られていく。ばあやの「かしこまりました」という返事すら、耳に届いてはいなかった。
実家であるお屋敷のすぐ側にある小高い丘。そこは遊歩道が整備された自然公園で、保養所としても機能している場所であった。ただ、彼女にとってそこは専ら"職場"だった。
かつて競技者としてトゥインクル・シリーズを駆けていた彼女。引退後は美術大学に進学し、今では絵描きとして日々を過ごしていた。その実力は折り紙付きで、年に数回個展を開くほどであった。
絵を描き始めたきっかけはばあやだった。競技者時代、脚の怪我による入院で暇を持て余していた彼女に、絵を描くことを勧めたのである。
当初は趣味程度だったが、競技者を引退してから本格的に才能が開花。結果的に彼女の人生における重要なファクターとなっていた。
空の青味が薄くなってきた頃合い。彼女はようやくその絵を完成させた。
春の日差しに照らされた荘厳なお屋敷、彼方まで澄み渡った大空、新緑にあふれる広大な敷地。そこから見える光景そのままに、彼女なりの繊細且つ大胆なタッチで構成されたそれは、まさに彼女にしか描けない魅力あふれる作品であった。
「大変お美しい絵でございます」
「ありがとう、ばあや。今この瞬間だけ見える陰影を上手く描き切れました…満足のいく出来です。題名は…『彼の地、春満ち満ちて』にしようと思います。ばあやが気に入ってくれれば…ですが」
絵を描き終えた達成感からか、どこかいたずらっぽく言葉を投げかけていた。
「お嬢様、題名の選定に私めの意見は不要かと。ただ、個人的な感想を申しますならば、この絵に相応しい名前かと存じます」
「ふふ、それでは決まりですね」
淑やかに微笑むと、彼女は指を絡ませた両手を高く掲げ、大きく背伸びをした。
(今日はとても調子が良いですね。もう一枚くらい描けそうな気がします…)
心地良い気候と充足感に、ふとそんなことを考えていた。
その時だった。
「あっ! アルダン叔母さん! こんにちはー!」
どこからともなく飛んできた幼い声。彼女の水色の耳は反射的に音源へと向けられた。そこからワンテンポ遅れて、全身も同じようにそちらへと向いた。
そこにいたのは、ダークブラウンの尻尾を大きく振って駆け寄る小さな女の子。この春、小学生になったばかりの姪っ子であった。
「あら、リベーラ。もう学校から帰ってきてたのね。今日はお散歩に来たの?」
リベーラと呼ばれた少女は「そうだよ!」と、体全部を使って答えた。その天真爛漫な姿に、彼女は思わず目を細めた。
「リベーラ様、世話係の者がお近くにいないようですが…」
不意に、ばあやの心配げな声が響いた。幼い令嬢には常に使用人が付き添っているはずなのに、近くに誰も見当たらなかったのだ。
「あはは、走って置いてきちゃった! だって遅すぎるんだもん」
無垢な笑顔を浮かべながら得意気に言い放つ少女。ばあやは面食らったように肩をすくめた。
一年生とはいえ、そこは元気いっぱいのウマ娘。使用人を"まく"くらいのことはお手の物だったのだ。
「あっ! その絵、アルダン叔母さんが描いたの?」
移り気の少女は、絵を見つけるやその瞳に好奇心を宿していた。
「ええ、そうよ。さっき完成したばかりなの」
「すごーい! とっても上手だね!」
子供らしい飾り気のないストレートな感想。難しい言葉を並べ立てて賞賛されるよりも、ずっと嬉しかった。
「ありがとう。リベーラに褒めてもらえて嬉しいわ。そうだ…良いことを思いついたわ。せっかく来てくれたのだから、リベーラの絵を描いてもいいかしら?」
「えっ、それほんと?」
「ええ、その代わりじっとしててね」
「わーい! ありがとう、アルダン叔母さん!」
にこにこした顔に、ぴょこぴょこと上下する耳。そして別の生き物のようにぶおんと跳ね回る尻尾。全身で喜びを表現する少女は、見ているだけで心癒される存在だった。
(ふふ、姉様は間違いなく幸せですね…)
こんな可愛い子を娘に持つ姉が、とても羨ましくてならなかった。
「あの、アルダン叔母さん。リベーラね、好きな場所があるんだ」
出し抜けに、少女はもじもじと上目遣いをした。
「好きな場所?」
「うん…あのね、菜の花畑で描いてほしいの。とっても綺麗で、良い匂いがするから」
遊歩道をもう少し進んだ先に、一面真っ黄色の世界が広がっている。そこは昨夜も絵を描くために訪れた場所であった。
「どうせなら素敵な背景が良いものね。分かったわ、すぐに菜の花畑に行きましょう」
「やったー! それじゃあ、どっちが先に着くか試してみようよ」
「競走するの…?」
「うん! 絶対負けないよ!」
自信満々な口上の後、間髪入れず「よーいどん!」の掛け声が発せられた。
呆気に取られる彼女を尻目に、少女は猛スピードで駆け出した。彼女も反射的に追いかけたが、なまった体では影を踏む自信すらなく、早々に白旗を上げて小さくなっていく少女を見つめていた。
「本当に元気な娘ね…」
立ち尽くす彼女の下へ、いつの間にかばあやがスマホを片手に歩み寄っていた。
「お嬢様、リベーラ様のことは私から関係者各位にご報告いたしました」
「ありがとう、ばあや。それにしても、この年で世話係を置き去りにする速さと豪胆さ…なかなかの"つわもの"です。姉様のように大成する気がしてなりませんね」
「左様でございます。長年に渡りお仕えして参りましたが、ここまで活発なお方はとても珍しいと存じます」
「まぁ、ばあやのお墨付きですか」
くすくすと微笑みながら、彼女はふと、自身の子供の頃を思い浮かべた。そして、どことなく物憂げな顔でつぶやくように言った。
「思い返せば、その意味でばあやに迷惑をかけたことはありませんね。ただ…ばあやと鬼ごっこができたらなと、子供心に思っていた時もありました。もちろん、それは詮無いことと分かっていましたが…」
「お嬢様…」
ガラスの脚を持って産まれた彼女。一人の競技者として…いや、ウマ娘として、その脆弱な脚が人生に影を落としたことは、残念ながら紛れもない事実であった。
「さぁ、急ぎましょう。リベーラに素敵な絵を描いてあげなくては」
俯き加減だった顔をふっと上げ、彼女はにこりと微笑んでみせた。ガラスの脚がもたらしたのは、決して不幸だけではなかった。
たどり着いた先に待っていたのは、得意満面に勝ち誇る姪っ子。そのすぐ後ろに広がる黄色い海は、そよ風によって何重にも波打ち、菜の花特有の香りを漂わせていた。
絶好のポイントに少女を座らせて、彼女は悠然とキャンパスに相対した。
「なるべく動かないでね」
「はーい!」
元気いっぱいの返事に頬を緩ませながら、モデルが飽きないうちにと…手早く筆を滑らせていく。
とはいえ、まだまだ幼い、しかも活発的な女の子である。長時間じっとすることは無理に近く、数分後にはもうそわそわし始めてしまった。ついには「まだー?」と催促の言葉まで。
このままではもたないと判じて、彼女はとっさにある提案をした。
「ごめんね、もう少しかかりそうなの…だから絵ができるまで、お話を聞かせてあげるわね」
「お話? それってどんな?」
「ふふ…『ガラスの女の子』というお話よ」
聞いたこともない題名に姪っ子はきょとんとしていた。
筆を握る手だけは決して止めぬまま、童話の語り聞かせのようにゆっくりと話し始める。
「昔、あるところに元気な女の子がいました。優しいお父さんとお母さん、そしてお姉さんとお祖母さんと仲良く暮らしていました。女の子の体には、一つだけの他の子と違うところがありました。脚がガラスでできていたのです」
「えっ! それじゃ脚が割れちゃう」と驚く少女に、「そう、だからお家の中で大人しく過ごしていたの」と、彼女はどこか寂しげに答え、話を続けた。
「ある時、お姉さんがにこにこしながら言いました。『山のてっぺんから見た景色、とってもきれいだったよ』と。お姉さんは山登りが誰よりも得意だったのです。お姉さんの話を聞いて、女の子はその景色が見たくてたまらなくなりました。けれど、ガラスの脚で山を登るなんてもってのほかでした。お父さんもお母さんも『あなたには無理よ』と言い聞かせます。それでも、女の子は山を登り始めたのです」
「でも登ったら危ないよ」と姪っ子。叔母は「女の子はどうしても登りたかったの。何もしないでじっとしているのだけは、絶対に嫌だったから」と静かに言った。
「その山は、とてもとても険しい山でした。それでも女の子は諦めず、何とか登ろうとします。その時、足元からぱりぱりという甲高い音がしました。脚にたくさんのひびが入っていたのです。女の子はそれ以上進むのが怖くなって、家に帰ってしまいました」
「割れちゃったの?」という問いかけの答えは、「そうね、ひびだらけになってしまったガラスは、割れているのと同じね」と儚げだった。
「お父さんとお母さんにもう二度と山を登ってはいけないと叱られ、女の子は泣きました。一晩中泣き続けました。叱られたことよりも、てっぺんの景色を見られなかったことが悲しかったのです。いつしか女の子は泣き疲れて眠ってしまいました。目を覚ましたのは夜です。誰もいない真っ暗な部屋でした。ひびだらけの脚を思い出して、女の子はまた泣いてしまいそうになりました」
「かわいそうだね…誰か担いであげたら女の子もてっぺんに行けたのかな?」
「多分…それだと女の子は満足しなかったと思うわ」
「どうして?」と首を傾げるその子へと、「それはね、自分の力で登ることに意味があるからなの」と語り手は告げ、お話はついに佳境を迎えた。
「女の子の部屋に、お祖母さんがランプを持って訪ねてきました。お祖母さんは女の子の脚にランプの光を当てながら『見てご覧なさい、とっても綺麗でしょう』と言いました。女の子はびっくりしました。ひび割れたガラスが、万華鏡のように美しく輝いているではありませんか。よく見ると、お祖母さんが持ってきたランプは一つだけではありませんでした。赤色、青色、黄色、緑色…七色の光に照らされて、女の子の脚はとても綺麗に輝きました。お祖母さんは言います。『あなたしか生み出せない輝きがたくさんあるの。それを大事にするのよ』と。女の子はすっかり元気になりました。そして、またいつものように家族と仲良く暮らし続けました…」
「…その後女の子はどうなったの?」
ダークブラウンの耳をいそいそと動かして、少女は続きをせっついた。
「そうね…続きはまた今度、リベーラが大きくなったらね」
「えー! 終わりなの!? 王子様が迎えに来るかと思ったのにー」
やにわに動きを止めた筆。それは絵を描き終えたからなのか、それとも別の理由なのか、彼女自身には分かりかねた。
「ふふ…それだとまるでシンデレラみたいね。でも、もしかしたら…ううん、きっとこの話の続きにも出てくると思うわ」
どこか恥ずかしげに答えた彼女の頬は、微かに赤く染まっていた。
(ガラスの女の子を迎えに来た王子様…ですか…)
その姿を思い浮かべながら、彼女はそっと筆を置いた。
「リベーラ、よく頑張ったわね。やっと完成したわ」
それを聞くやいなや、目にも留まらぬ速さで駆け寄ってきた少女。
「わぁ、すごーい!」
無邪気過ぎる声を上げて、その瞳はきらきらと宝石のように輝いていた。
キャンパスには、幻想的な黄色い海原を背にする純真無垢な女の子。奇しくも、菜の花の花言葉は『快活』。元気いっぱいに笑顔を咲かせる、まさに目の前の少女そのものだった。
(我ながら上々の仕上がりです。リベーラとお話しながら書いたからでしょうか…きっと、今この時しか描けなかった絵に違いありません)
絵のモデルも、そして描いた本人さえも、しばらくの間その絵に見惚れてしまっていた。間違いなく、彼女にとって会心の作品であった。
「リベーラも気に入っているようだし、この絵は今度の個展でセンターに飾りましょう」
「ほんと? やったー、嬉しい!」
その場でぴょんと飛び跳ねる少女。あまりにも微笑ましい仕草だった。それを見せてくれたお礼にと、彼女はこんな提案をした。
「せっかくだから、この絵の名前もリベーラにつけてもらおうかしら」
「えっ、名前もつけていいの?」
「ええ、リベーラのために描いた絵だから。好きな名前をつけてみて」
「わー、ありがとう! えっとね…どうしようかな…」
思いがけず訪れたしじま。尻尾を定め無く揺らす少女を、彼女は暖かな目でじっと見守り続けた。
「決めた! この絵の名前はね…」
穏やかな春の微風に少女の声が溶けていく。二人の髪をそっと優しく撫でながら。
「ふふっ、とっても素敵なお名前ね」
新たに生を受けた絵。それは忘れがたい春の思い出。見る者の心にその一瞬を深く刻むダイアリーだ。
彼女はこれからも絵を描き続ける。今そこにしかない"刹那"、その輝く瞬間を残し続けるために。
お読みいただき、ありがとうございました。
キャラのイメージ的に医者か画家で迷ったのですが、ゲームアプリのグッドエンディングでも絵を描くシーンがあったので、絵描きさんルートといたしました。
リベーラという名前は、メジロアルダンの姉、メジロラモーヌの産駒であるメジロリベーラから拝借しました。