ハルツィナ樹海の緑を支えるのは無数に流れる川。
それらは全て陸珊瑚が源流であり、樹海を通じてライセンの荒野と湿地帯にたどり着く。
川の中には地表ではなく、地中に出来た僅かな隙間を通るものもあった。
ダヴァロス、セレッカが見つけたのは自然に生み出された丘のトンネル。
小動物が使っていた洞穴を拡張し、魔人族一行は幸利が戻るのを待っている。
「……追ってきて、ないよな……?」
―――クェッ
背を低くして霧に紛れ、幸利は背後を振り返ってクルルヤックに聞いた。
モンスターだからヒトの言葉は喋れないが、自分を支配する彼の発する声のニュアンスをなんとなく理解したのかクルルヤックは「うん」と相槌を打つように小声で一鳴きする。
「はぁぁ~マジで怖かった。……あんなヤバい奴がいるとか聞いてないぜ」
―――ケェェ
「もう少し集めた方がよかったんだが、流石に戻りたくはねえよなぁ」
―――グエェェ…
そうボヤきながら手元の袋を覗き込んだ幸利は前に向き直る。
視界を濃い霧と草木に覆われているが、彼の耳には流れる水の音が聞こえていた。
もう屈んでいる必要はないと立ち上がった彼を見て、クルルヤックもそれに倣う。
*
「お帰りなさいませ幸利様。ご無事で何よりです」
「…お、おう。ただいまフラウ」
(お帰りなさいませとか言われたの人生で初めてかも…メイドさんかな?)
ダヴァロスの治癒が終わり、洞穴の周囲を監視していた幸利の副官フラウ。
クルルヤックと共に戻ってきた彼の下へ一目散に駆け寄って敬礼する。
まだ自分が軍属であるという実感がなかった幸利は挙動不審に返事をしながら、頭の中でフラウがメイド服を着ている光景を思い浮かべていた。
この場合は自分がご主人様になるのかと少し興奮したのは彼の心の中だけの話。
「これ、頼まれてた薬草……で合ってるか?」
「確認します。……はい、大体は合っています」
「大体はって、もしかして違うの混じってた?」
「…右手前のは”ツタの葉”で、袋の奥にくっついているのは”ネンチャク草”ですね」
そう言ってフラウが取り出したツタの葉は、葉の色が薬草と似ているが葉の形が違う。
逆にネンチャク草は葉の形が似ているものの、葉の色が白っぽい。
手にした時、薬草と同じだと彼の目が錯覚してしまったのだ。
「マジか。すまん、見分けつかなくてさ…」
「いえ、本来であれば
頭を下げそうになった彼を止め、フラウは申し訳なさそうに目を伏せる。
数秒の沈黙、支配者から指示を貰えないクルルヤックは暇そうに首を傾げた。
「いや、いやいやそんな事はねえって!俺から見ればフラウはすげぇよ。何種類も魔法使えて体力だって俺よりあるし、まだ俺と同じ十代…てか年下だろ?むしろそこまで頼りきりってのは上司として俺が情けないっつーか」
「そのような事はありません。上の者は下の者に仕事を与え、極力動かず部下の働きを見守るものです。士官学校ではそう教わりました。ご自身を情けない等と卑下されることは…」
まだ上司と部下の関係になって数日しか経っていないが、お互いに思うところはあった。
幸利から見てフラウ・フォン・ニーベルは優秀で真面目な女の子。もしクラスメイトだったら嫉妬の対象として視界にも入れたくないタイプだが、それが自分の部下になって、どう接したらいいか分からず困っていた。
逆にフラウから見た幸利は卑屈で面倒臭がりな青年。恵まれた環境で育ってきた彼女にとって最も無縁なタイプの人間で、それが自分の上司になって、彼を理解するためにずっと観察していた。
そして今、幸利は自分でも知らず知らずのうちに人間的成長を迎えようとしていた。
他でもない大人のように振る舞いながら、まだ少女らしさが拭いきれない彼女のお蔭で。
「…そうかぁ?―――それじゃ、フラウも自分を不甲斐ないとか言うなよ?」
「……えっ」
「フラウは与えられた仕事をしっかりこなして、出来なかった仕事に関しては俺が何とかした。それが出来なかったってのも、そこまで手が回らないから…まぁ、そりゃ当然だよな?頭は一つ、手足は二つしか付いてねぇんだから、一人で出来ることなんて限られてんだ。だから、不甲斐ないって自分を戒めるより、俺の仕事ぶりをきっちり評価してくれ」
「…私が、幸利様の評価を?」
驚いた顔のフラウの問いに、幸利は照れ笑いで誤魔化しながら答えた。
「よく出来ていたら良しと、出来てなかったら極厚オブラートに包んでダメだと言ってくれ。俺は褒められれば
「…そこは多分なんですか」
「…覚えの悪さに関しては自覚してっからさ…ウン…悲しいことにね」
段々と言葉が尻すぼみになってしまう彼を、フラウはなんとも言えない目で見つめる。
しかし彼の言っている事を理解し、彼女の中で彼に対する印象もまた変わった。
故郷フェアベルゲンを助けたいというアルテナとシアの気持ちは理解できる。
けれども一個人の力で救える範囲はたかが知れていた。
ゲブルト村の協力を得なければ、彼女達の望みを叶えることは不可能だ。
相互不可侵の条約を結んでからまだそんなに日は経っておらず、亜人族の中には人間族に対する遺恨を抱き続けている者がいるのも事態の停滞を後押ししていた。
*
「賛成出来かねます。彼らは信用に値しない!」
「私もです。アルテナ様、どうかお考え直しを―――」
「そもそも何故このような下賤な者を集落に入れたのですか!?」
(……こうなる事も、分かっていた)
三人で話していても埒が明かない。
結論を出すには他の亜人族からの同意を得る必要があった。
アルテナが近隣の部族を招集し、急きょ開かれた話し合いの場にて。
彼らは人間である俺や忌み子のシアが集落内に居る事に苦言を呈し、人間族に助けて貰おうというアルテナの提案に対し猛反対した。
俺とシアは話し合いの開かれた広間の隅に控えており、俺は時折向けられる嫌悪の視線からシアだけでも遮ろうとさりげなく彼女の前に立つ。
「考え直せという意見に対して私からも質問を返させて頂きますわ。ではどのようにして、集落に攻め入るモンスターから同朋を守り、ウーア・アルトの異変調査と解決を行うのですか?」
「そっ、それは……」
反対意見を口にしていた一人が狼狽えて、周りに返答を促すが無視される。
(当然だな。こいつらの意思はあくまで俺やシアを樹海の外に追い出したいというだけ。アルテナが提示しているフェアベルゲンの問題解決には何も考えを用意していないだろう)
反対派が一時的に黙ったことで、アルテナはどちらともいえない曖昧な表情をしている中立派の亜人族に向かって話し始める。
「此度の問題、もはや我々だけで解決出来ないことは聡明な方々ならお判りでしょう。彼ら帝国の狩人に協力を得ることが出来れば、モンスターの撃退は容易。足りなくなっている医療品、食料も提供して頂くことで集落の守りをより堅固にすることも可能な筈!」
「――――――アルテナお嬢様。一つお聞きしても、よろしいかな?」
「……なんでしょうか。鳥人族の相談役」
これまで黙っていた中立派の中から手を上げて発言したのは、以前見た亜人族の中でもあまり目立った動きを見せていなかった鳥人族の老人だった。
人の立ち姿に臀部の尾羽や人間で云う肩甲骨に該当するところから生えた翼をしきりに動かしながら、彼はアルテナの目を見つめながらゆっくりと口を開く。
「貴女様のご意思は理解できました。仰る通り、もはや亜人の力だけでフェアベルゲンを守り切ることなど不可能だということも。ただ、儂は疑問に思うのです。彼ら――――――人間族が亜人族を助けることに如何ほどの利点があるのか」
「…!それ、は…」
(さて、どうするアルテナ……この状況も予想はしていただろう)
言葉に詰まるアルテナを前にして、俺とシアは口を挟まない。
反対派の亜人族から余計な反感を買わないようにと事前に決めていたことだ。
「…おっしゃる通り。既に相互不可侵の条約を結んだ人間族が、私達を助けることで得られる利点は現状無いと言っていいでしょう。…事が全て終わった後に要求されるというのであれば、それに応じるまでとは考えておりますわ」
「成程。――――――では其処にいる狩人殿に伺いしましょうか」
アルテナの回答に頷いた鳥人族の老人は、次に俺を見て同じ質問をする。
ある程度こうなる事も予想して、回答は決まっていた。
探るような老人の目に対し、頭防具を脱いで真正面から見つめ返す。
「…なんだ面妖な見た目で隠していただけで、中は只の小僧ではないか」
「あのような者に問うたところでまともな答えなど返ってくるものかよ」
「相談役殿も耄碌されたか。…鳥人族だけに頭の出来は相変わらずだな」
まだこの場では若い部類の俺を見た反対派の亜人から嘲るような小声が聞こえた。
後ろでシアが、視界の端に映るアルテナがそれぞれムッとした雰囲気になる。
更に老人を馬鹿にされた護衛らしき鳥人族が反対派に向けて殺気を放つ。
(二人は兎も角…お前らが内ゲバしてる場合かよ…)
そんな突っ込みを心の中に留めて、俺は口を開いた。
「アルテナの回答と同じだ。俺たちが亜人を助けても得られるものは少なく、むしろ救援のために資源を消費する損の方が大きいことは否めないな」
「では
「…今はない利益が、いずれ此処で恩を売っておけば生まれる可能性も考慮して…だ。あとこれは完全に損得抜きの感情論として、ここにいるシア・ハウリアが助けることに賛同しているからだ」
名前を呼ばれてシアは驚いた様子で顔を上げるが、それは反対派や中立派も同じようだった。…そうだろうな…普通なら自分達が迫害してきた相手に助けられるなんて考えないだろう。
唖然としている反対派に代わって鳥人族の老人がゆっくりと尋ねる。
「…そこの娘は忌み子として一族諸共に迫害を受けた身。…我々に対して少なからず遺恨があると思うのだがね…」
「――――――シア。自分で話せるか?」
「はいっ」
今まで言葉を発さなかったシアが、決心した表情で一歩前に進み出る。
当然、さっきまで俺によって遮られていた嫌悪の視線が向けられた。
それでも彼女は真正面からそれを受け止め、本心を口にした。
「確かに私は迫害された身です。あなた達を恨む気持ちがないと言ったら嘘になります。でも……それでもフェアベルゲンは私の生まれ故郷なんですっ。私の親と
「……シア様」
「………」
(故郷を守りたい。その一点に於いては俺を除くこの場にいる全員がそうだ)
アルテナは嬉しく思う一方で過去の事を思い返して罪悪感を募らせ、同様に質問した鳥人族の老人も言葉が出ず俯いて沈黙を貫いていた。
一歩前に進み出て、再びシアの前に立った俺は全体を見回しながら話に割り込む。
「シア、もう十分だ。――――――このまま此処で俺らとアンタ等が話し合っても進展しない。この話を村に持ち帰って、準備を整える必要がある」
「…そうであろうな」
「ッ…ダメだ!我々を奴隷として虐げてきた貴様らを今更信じられるか!」
「恩を売った後で俺たちに無理難題を言って従属を強要するつもりだろう!?」
「こいつらを外に帰したりなんかしたら、それこそフェアベルゲンはお終いだ!」
(此処まで腹割って話しても、これか……だが、こればっかりは―――)
反対派の声に俺が反論することは出来ない。
俺は彼らの言う帝国がしてきた奴隷制度の実態を目の当たりにしていないから。散々酷いことをしておきながら、急に手のひらを返して助けると言われても信用できなくて当然だ。
その点ではアルテナとシアは自分達や親しい者達が奴隷にされなかったから、意識的に切り替えられることが出来るのであって、身内が奴隷被害に遭った亜人の恨みが消えることはないだろう。
俺が黙っていると、痺れを切らしたアルテナが声を荒げる。
「~~~っ!!では、どうしろと!?モンスター共に蹂躙される事をお望みですか!」
「お気を静められよアルテナ殿。怒りに身を任せても事態は進展しない」
「しかしっ――――――」
場の空気が再び重苦しく、ギスギスしかけた時だった。
恐る恐る手を挙げたシアに全員の視線が再び集まる。
「あの…もし、よかったら…私の提案を聞いては貰えないでしょうか?―――その、反対派の方は私とハジメさん二人が村に戻って、此処での約束を反故にすることを危惧されてるんですよね」
「そうだ!忌み子なら我々に復讐するつもりで、期待させておいて何食わぬ顔で樹海を見捨ててもおかしくはない!」
「人間どもの村で、我々の醜態を酒の肴にでもするつもりだろう!」
「卑しい裏切者の兎人族め!」
「………」
―――少しだけ、強く握りしめた手を覆うグローブの金属が軋みを上げた。
反対派がビクッと震えて俺を睨みながら後退りする。
シアは片目で振り返り「大丈夫ですよ」と言ってくるが……
(それでも腹が立つものは腹が立つ。……とはいえ、当の本人にこれ以上気を遣わせるのも先輩として情けないし、何より彼女に申し訳ない。……苦手だが、此処は怒りを抑えないとな)
「―――私がここに残って。集落の近くで暴れるモンスターを一体でも多く撃退します。その代わりとして、ハジメさんを村まで帰して欲しいんです」
「なっ!?シア様、それはあまりに無謀が過ぎますわ!!」
「同意見だ。シア、それなら俺が此処に残って――――――」
「それだと意味がありません。ハジメさん、彼らから信頼を得るための第一歩として、彼らが
シアの考え方は理解できるが、賛同は出来ない。
自分を事実上の人質にして、事を進めろと言っているのだから。
…だけど彼女の提案が一番確実性が高いのは事実だ。
そして彼女の言葉に対し、これまで文句を言ってきた反対派の亜人が何も言わない。
鳥人族の老人がアルテナを促し、彼女も閉ざしていた口を開く。
「……沈黙は肯定とみなしますわ」
「決まりですね。……ハジメさん」
「…………分かった」
ゴールデンウィークでまともに書く時間が確保できた…
前書きが夜中テンションで書いたのに内容的に良さげになった…何で…
感想、質問、ご指摘などお待ちしております。