強めに降り始めた雨はすぐに土砂降りへと変わり、地面の土を伝って地中の鍾乳洞にまで水の雫がポタポタと垂れ始めていた。
ダヴァロス・レヴァナントはその音でぼんやりを目を開ける。
周りの景色が見づらいことから、愛用の眼鏡を掛けていないのだとすぐに気づく。
「…セレッカ、そこにいますか?」
「お、隊長目が覚めた?おっはよー!ほい、眼鏡」
相変わらず五月蠅い声だと若干苛立ち交じりに目を細めながら、部下のセレッカ・エルンストから渡された眼鏡の縁を掴んで耳へと掛けてから身体を起こそうとして―――
「う、ぐ…!?」
全身に走る激痛にダヴァロスは思わず呻き声を上げる。
慌ててセレッカが彼を横にして、額に浮かぶ汗をハンカチで拭いた。
…そのハンカチはダヴァロスの私物なのだが…
「あ~まだ起きない方がいいっすよ隊長。
「…アレの攻撃を食らって、それで済んだのは奇跡ですかね…」
「奇跡も奇跡、これぞアルヴ神の信仰が為せる業って奴ですかね~。…ところで隊長ってアルヴ信者でしたっけ?ちなみに自分は特に信仰とか興味ない派っス」
サディスト気取りの解剖狂いことセレッカが信仰心を持っている筈もない。
彼は只、自分の好奇心と探求心を満たすためだけにモンスターを支配し、研究している。
神の信仰も種族同士の争いも、彼は周りがやってるからそれに倣っているに過ぎなかった。
ダヴァロスも似たような理由で、ただ魔王アダムに命じられて行動している。
あの強大な存在を前にして、自分の保身と生活の安定のために軍へ入隊した。
知的好奇心を優先する一方で、与えられた任務を淡々と遂行していた…この間までは。
「…私も、信仰はあくまで知識の一つとして覚えているに過ぎません」
「ですよね~!隊長がお祈りしてるところなんて見た事ないですし」
「…アレの追撃を振り切って、何日が経過しましたか?」
「ん~軽く一、二週間は過ぎたんじゃないっすか?昼夜問わず隊長担いだ状態でアレに追っかけ回されて、休む間もなく此処に逃げ込んだっスから」
二人の間で交わされるアレとはモンスターの事である。
ハルツィナ樹海を離れ、一度はガーランドへ帰還する事も考えた二人の前に突如として現れたモンスターは、周囲のモンスターを食い荒らして暴れ狂い、殺し損ねたダヴァロスをずっと追いかけていた。
「…アレは、なんなのでしょうね…」
「いやぁ~!今まで色んなモンスターを見てきましたけど、アレは規格外っすね!支配できたらフリード将軍お気に入りの輝界竜にも劣らない強さなんじゃないかと思ってたけど、そもそも支配出来るか怪しいもんですよアレは!」
絶え間なく行われる捕食行為、涎を垂らして歩く姿は見る者に恐怖を感じさせる。
ひとたび暴れれば周囲の物を全て壊してしまう。暴虐で、残忍で、凶悪なモンスター。
その顔を思い出すだけで、ダヴァロスは襲われた時の痛みを思い出してしまう。
黒狼鳥イャンガルルガの歴戦個体すら可愛いと思えるほどの圧倒的存在感。
二人はアレがこの湿地帯に居ない事を心の底から願うばかりだった。
「――――――ところで、地上が何やら騒がしいようですが」
「あ、隊長も聞こえます?なーんかさっきから聞き覚えのある蟹っぽい鳴き声がするんですよねー…それに、他にもこの辺をうろついてる奴が何人かいるみたいです」
「…偵察を、お願いできますか?セレッカ」
「うへへっ!隊長ならそう言うと思ってましたよ。りょーかいしました!セレッカ・エルンスト、これより隊長の安全を確保する為に、周囲の偵察へ向かいます!」
こうして寝たきりのダヴァロスに治療中ずっと預かっていた―――というか邪魔だったから勝手にセレッカが没収していた―――彼の私物を返して、セレッカは陽気に鼻歌を歌いながら洞窟の奥へ消えていった。
「寒っ…洞窟内は冷えるな。二人ともホットドリンクは飲んでおいた方がいい」
「りっ、了解っ…ですぅ」
「ん…そうする」
洞窟の中に響く雨水の滴る音を聞きながら、双剣をしまって
唐辛子特有の辛味成分とにが虫の苦味エキスが混ざり合った、中華スープと栄養ドリンクの間みたいな味のそれを飲むだけで身体が芯から温まる。
後ろでアレーティアが凄まじいものを見る目で瓶を凝視していたが、隣でシアが普通に飲んでいるのを見て覚悟を決めたのか、ぐっと一息で飲み干してからケホケホと咽ていた。
(地図通りならそろそろ…)
鳥竜種サイズのモンスターなら通れそうな洞窟を進んでいくと、開けた場所に出た。
降りていくよりも上っていく方が道中多かった事から、どうやら平地より高い場所にこの洞窟は存在しているらしい。北側、丁度俺達のベースキャンプが設置された方向の空模様が見えるようになっていた。
エリア7…地図で見るよりも洞窟内は広く見える。
正直、今は幻の魚よりもそいつらを餌にしてそうなガミザミが居て欲しいものだ。
俺の心の願いが通じたのか、開けた洞窟内には見慣れた小蟹の群れ…10匹近くいた。
「アレーティア、少し下がっててくれるか?」
「ん…後ろを見てる」
「頼む。…シア、準備はいいか?」
「バッチリですぅ!」
「よし――――――狩るぞ!!」
ツインダガーを抜いて鬼人化した俺が走り出すのとアイアンハンマーを溜めた状態で走り出したシアが左右に展開して10匹のガミザミを挟み込むように襲い掛かる。
縄張りへの侵入者にガミザミ達が一斉に声を上げて鋏を打ち鳴らすがもう遅い。
「うりゃああぁぁっ!」
「ッしぇゃあああああぁぁぁぁ!!」
狩人二人分の叫びに混じり、ガミザミの血飛沫と断末魔がエリア7中に木霊した。
アレーティアは終始その光景を視界の端に捉えつつ、周囲の警戒を続けている。
彼女の耳も、そして戦っている俺達二人の耳にも、外の音は聞こえていた。
雨の降り続く湿地帯に響き渡る、鎌蟹の叫び声が。
*
俺とシアの狩りが終わったのは洞窟に入ってから約五分後の事だった。
痙攣する最後の一匹から互いに武器を引き抜いて、シアはレザーに付いてしまったガミザミの肉片を気持ち悪そうに見ながら手で払い落せる分だけ払い落し、俺はマスクに飛び散ったガミザミの青い血を指でサッと拭う。
「これで残り5…か」
「うぅぅ…泥と血でべとべとですよぅ…」
「シア、そこの水溜まりで洗うといい。雨水の溜まったものだけど、泥水よりはマシ」
「…うぅ、そうさせて貰いますぅ…」
アレーティアのアドバイスを受けて、シアは溜まった雨水を手で掬い、レザー装備とアイアンハンマーの先端にこびりついた汚れを落とす。
俺はまだこの後5匹のガミザミ狩ることを考えて、どうせ汚れるしクエストが終わってから帰りにベースキャンプで洗えばいいだろうとそのまま放置する事にした。
マスクに汚れさえつかなければ狩りの妨げにはならないしな。
ただ夢中で斬り続けている内にツインダガーの切れ味は落ちていたのは宜しくない。
二人の下へ歩いていく前に、その場にどっかり腰を下ろして武器を研ぎ始める。
もし切れ味が落ちてる状態でさっき聞こえてた奴が此処に来たら――――――
「ッ!?ハジメ、シア。何か近づいて来る!!」
「う、へぇっ!?」
(クッソ、フラグ建設は心の呟きも該当するのかよ!!)
ついさっき俺達三人が通ってきた通路を駆け下りて来る足音が三人分。
それと同じ距離で走ってくる二足歩行の独特な足音、そして…鋏を打ち鳴らす無数の脚音。
近くにいたシアの後ろで両手を前に突き出し、いつでも魔法を打てるようにアレーティアが構えると、シアも手に掬っていた水を顔に掛けて気持ちを切り替え、鋭い目つきでハンマーの柄を握る。
なんとか研ぎが間に合い、ツインダガーを抜刀して俺も身構えた。
直後、暗がりから飛び出してきたのは魔人族の男。
雨除けの外套に身を包んでいて姿形は人間と変わりないが、肌の色や気配が若干違っている。
後に続く魔人族の少女は浅く焼けた肌色に赤色のツインテール。腰に剣を提げていた。
その後に飛び込んできたのは――――――
「なっ…ハジメぇ!?」
「清水!?お前なんでこんな所に!!」
―――グエエエェェェッ!
前見た時より顔色は良くなっているが、相変わらず死んだ魚の目をした友人・清水幸利。
彼を守るようにして後ろから迫ってくる相手に悲鳴を上げる巨大な掻鳥クルルヤックだった。
クルルヤックが幸利達を襲わないことから、すぐに支配種だと気づけた。
ただ…あのクルルヤック、どこかで見たような…?
それを思い出すより先に、洞窟の狭い道を無理やり進んできた一体のモンスターが現れる。
正直、ここでの遭遇は可能性として視野に入れていたが…こんな形でとは思わなかった…!
甲殻種・鎌蟹”ショウグンギザミ”が魔人族と幸利を追いかけてエリア7に入ってきた。
魔人族の戦力をめっちゃ盛った気がするけど、フロンティアハンターが二人相手になる訳ですしこれくらいは…(極み個体だったら預けていた武器解放も止む無し)
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