「私は、1つの真実をここに記さなければならない」
2032年、9月。
アメリカ中西部。森林が生い茂り、遠くに超高層ビル群の明かりが夜空を照らすシカゴ郊外の邸宅。
ひとりの壮年の男が、暖炉の傍で安楽椅子に揺れていた。
既に時刻は日付の変わる時間帯で、道路を行き交う車両のヘッドライトがチカチカとカーテンの向こうで明滅した。
「公になる話でもない。しかし、この話は書き記さなければならない」
対面のロッキングチェアーに座るスーツ姿の男が、テープの回ったボイスレコーダーと共にノートブックに言葉をタイプする。
「ある夫婦から預かった、とある少女にまつわる話しだ」
男は揺れる椅子の上で、静かに目を閉じた。
「私は、西安のホテルで彼女と初めて出会った」
壮年の男の脳裏に浮かぶのは、2030年の新年の騒ぎだ。
地球規模で巻き起こった遺跡に起因する人災。上海沖、北蘭島の封鎖された巨大遺跡に地元の中学生たちが軍の哨戒網をすり抜けて侵入し、低濃度のコーラップスに被爆した人間や動物の成れの果てであるELIDに襲われた。
そして、命からがら逃げ延びたひとりの中学生が電話で警察に通報、重武装した特殊部隊が救出の為に突入した。
そして、事故は起こった。
押し寄せるELIDに対して特殊部隊は重火器を使用し、かつての民間の研究区画に貯蔵されていたコーラップス容器を知らずに巻き込んでしまった。
容器の破損による急激なエネルギーの放出と物質の構造変換による熱は遺跡と廃墟の北蘭市街を吹き飛ばし、上海を消滅させ、中国沿岸部を焼き尽くした。
直後の死者数は推定で4億人、その後の死者数は概算で10億人とも言われている。
その後、爆発が何をもたらしたかは歴史の教科書の通りの結末だ。
そんな惨劇の直前、国連遺跡署の事務官として香港に滞在していた彼は友人夫妻の頼みで西安へと向かう途中だった。
「アルベルトさん、人民軍のツテに頼って娘を西安に避難させる。私たちが戻るまでその子をお願いしたい」
事態の詳報を聞き、男は夫妻にも避難を勧めた。
「ご心配なく、私たちは大丈夫です。軍と共に行動していますから、事が穏便に進めば」
彼らは電話口でそう言った。しかし、彼らは帰らなかった。
香港から西安市まで飛行機に搭乗し、男が機上の人となった時に事故は起こった。
『北蘭島で大規模な爆発が・・・━━』
『上海市との連絡途絶』
『台北から上海方面に巨大なキノコ雲が見えたと・・・』
ニュースサイトを賑わせるトピック。
SNSには関連動画と呟きが溢れ、遺跡署の同僚からも連絡が殺到した。
しかし、男は状況を把握しきれていなかった。
未だ中国政府からの発表はなく、各国政府も状況の把握に動いている段階であったからだ。
結局、夫婦の言っていた遺跡に関する何かしらの非常事態が起きたのだということ以外、何も把握出来なかった。
空港に降りられるのかすら怪しかった。だが、特に何も無く辿り着いた西安市で、飛行機を降りた時に感じた人々の表情は今でも覚えている。
皆が、心中に不安と怒りを隠して事態に流されていた。
パニックはまだ始まっていなかったが、店からは徐々に品々が消え始めていて、警官は普段より厳しい顔をして巡回している。
少女に付いていたという軍の士官に空港で迎えられてから、事態の真相が分かった。
人民解放軍のその士官が手配した公用車の中で男が手渡された何枚かの書類。英語翻訳がされたそれは報道向けの
その2つの文書を読んだ時、男は初めて事態の真相を知ったのだ。
北蘭島で警察の特殊部隊が軍の介入を待たずして突入し、惨事が起きたこと。
北京首脳部と連絡が取れず、恐らく壊滅したこと。
台湾、韓国、
概算で死者は3億5000万、しかし後にこれは修正されて5000万人が死者のリストに付け加えられた。
そして最悪なことに、遺跡での爆発が成層圏に達し、ジェット気流に乗ってコーラップス液による汚染が広がり始めたことが示されていた。
既に北蘭島を中心に半径500kmはレッドゾーン、即ち重汚染区域であり、生存者の見込みは無かった。
運転席の士官が事態を語った。
「韓国は既に軽度の汚染を確認し、半島南部の海岸から国民の退避を開始しています。台湾も全土の放棄を前提とした避難計画を策定しているとか」
既に、周辺諸国にすら被害が及んでいる。しかし、この国の政府は消滅し、臨時政府すら発足していなかった。
中央の命令無しでは勝手に動けない。それが、被害の拡大に繋がった。
臨時政府設立に時間が掛かるだろう。そう書類を座席に放り出して、男は深く息をついた。
まずは女の子を保護しなければ、彼らから託されたのだから。
「公的な報告書に記されているのは、ホテルまでの少女以外の私についての詳細だ」
安楽椅子の壮年の男が手に持つ、国際連合から発行された報告文書。
その書類には、国連遺跡署の印が記されている。
「西安、香港で避難を指揮した、そして朝鮮半島では2回目の戦争が起こり、ニッポンは陰謀によってホッカイドウと本土が分断された」
数千万人が汚染地域に取り残され、過去類を見ない人道危機の中でその過半数が救われることも無く命を落とすか、硬い皮膚の化け物になったのだ。
揺れる椅子がふと、動きを止める。
「何かを残せたとは思っている。なるべく多くを救い、ビーコン計画を軌道に乗せることが出来た。しかし」
人々が、失ったものは大きかった。
後に続くソルトレイク汚染とパナマ汚染で失われるアメリカ西海岸とパナマ運河、そしてオーロラ事件では北欧三国が汚染地帯となった。
「これから先、それらが活かされるのかは分からない」
ロシアは既に今年の初めに起こったいわゆる”1月クーデター”から内戦に突入し、赤軍と白軍に別れて熾烈な戦闘を繰り広げている。
アメリカやその他の西側諸国も治安が荒んで暴動や反政府テロが頻発し、経済は低迷しきっている。
噂に聞けば、資源が残る無汚染の途上国への政治介入を企んでいるという。
そんな時代に、彼女が生きているのかさえ分からない。
「ロシア軍将校の友人に聞けば、彼女の足取りは中央アジアで途絶えてしまったという」
軍の混乱や情勢もあった。しかし、あの程度の軍人崩れの襲撃によって、託された少女は手を離れて何処かへと連れ去られてしまった。
男は捜索を軍に依頼したが見つからず、結局は1年半後の中央アジア某国への侵攻が始まった事で捜索自体が有耶無耶となってしまった。
無論、男も自らの友人や政府筋の伝手を頼って探したが見つかることは無かった。
北蘭島事件から既に3年が経つが、未だに混乱が収まる見通しは見えない。
そのような有様なのだから、どこの国の政府も部門も、私人的な理由で生死不明の未成年者ひとりを探している余裕など無いのだ。
合理的だが、その判断が、断りの言葉が非情に思えた。
「私も、多数の為に少数を見捨てた事はある。ソウル、プサン、オオサカ、ナゴヤとね。だがしかし、あの茶髪の少女を誰も救えない世界に、怒りと無力さを感じた」
どこの国も、どこの誰かも、そして自らすらがひとりの少女を探して、助けてやる事さえ出来ない。
それも、生死すら判明しないのだ。
「今生きていれば7歳だ」
妙に年齢不相応に賢く、知識に富んでいた。
初対面での精神年齢の高さには驚かされた。これがあの夫婦の秘蔵っ子なのか、と。
普通に生きれば、彼女は私のような凡人とは一線を画す存在となっただろう。
男は椅子に揺られ、コーヒーカップを手にしてそう心の中で呟いた。
「私はもう探すことは出来ない」
心身共に無理をしたツケは、2年と待たずに男に訪れた。
戦闘に巻き込まれての負傷、そして遠隔地で罹患した感染症の後遺症が男を襲ったのだ。
世界情勢の悪化から国連、それも遺跡署事務局長として改善策を訴えた男は、心労も祟って病床に伏した。
内蔵は既に幾つかが人工の物に置き換わり、病状悪化による発作は日常茶飯事だった。
それでも、男が病院のベッドではなく、自らの自宅たる邸宅の暖炉の前で安楽椅子に揺られることが出来るのは、一時的な回復による帰宅が認められたからに過ぎない。
もう長くは無い。医師からも、年を越すのが精々だろうとの宣告を頂いているのだ。
長くは生きれなかった、奇跡も衰弱した私には起こらない。
出来れば、何十年か生きて精々、半世紀程度は生きてみたかったとは思った。ビーコン計画、そしてこの世界の行方を見たかった。
だが、もうすぐ訪れる死を前として思うことは無い。
人々が男の忠告に耳を傾けるも、嘲笑うのもそれは人々の自由だ。
ビーコン計画も計画の道筋は作ったのだから、後をどう活かすかは同僚達次第だ。
しかし、ひとつだけ男には心残りがあるのだ。唯一、手を差し伸べて、その小さな手のひらを握ったというのに消えてしまった少女。
「生きていれば、壮絶な人生を歩むだろう」
紛争地帯に取り残された身寄りのいない7歳の女の子、その少女が辿る末路を男は数多く見てきた。
「死んでいた方が存外、幸せなのかもしれない」
麻薬と洗脳によって兵士に仕立て上げられるか、体のいい使い捨てに終わるのか。
アフリカで見た、山のように積まれた少年兵の死体。
彼ら、彼女らの末路を見てきたからこそ、男は残酷にも考えてしまうのだ。
強姦され、カラシニコフを握らされ、大人になること無く死んでいく少女少年と同じ末路を辿る少女の姿を。
「生きているのなら、力強く生きて欲しいものだな」
西欧人の少女の人身売買での価値というのは他とは一線を画すという。死んでいる可能性も高いだろう。
しかし、そのような可能性が男の脳裏を過ぎっても尚、男は少なからざる思ってしまうのだ。
あのブラウンの真っ直ぐな瞳から感じた芯の強さと覚悟。
少女ならば戦場を生き延び、どの様な経緯でも自らの幸福を手にすることができるのでは無いか?と。
だから、男は文書として残すのだ。
恐らく、この文書が人目に触れるのは何十年と先の事だろう。しかし、少女が生きていれば、この文書は男から少女への置き手紙となるのだ。
「まだ、ホテルまでしか語ってなかったな。まだ1週間あるのだから、付き合ってもらうぞ」
ノートブックにタイプするスーツ姿の人物が思わず苦笑いをする。それを見て、安楽椅子のその御仁は白髪混じりの顎髭に手を当て、表情を和らげたのだった。
ドルフロくん、作中じゃところどころで賑やかだったりのほほんとしてたりするけど結局は終わりかけの世界の崖っぷちで指揮官その他と魑魅魍魎がつま先立ちで突き飛ばし合いしてる話っていう。