朝早くのモスクワ市内。
雪がパラつき、路面は白く覆われる市街地には朝早くから車が道路上で列を成し、人々が群衆となって往来する。
ある人は群れの流れに乗って地下鉄へ、ある人はモスクワ市内各地に張り巡らされた路面電車に乗り込み目的地を目指す。
商業区のホテルを出て、行き交う人の中で杖をつく彼女もそのひとりだ。
シャーロット・ブラウン。グリフィン&クルーガーという名の民間軍事会社に属する彼女は、いつも通りのスーツにコートを羽織る着こなしで人混みを歩いていた。
レンガで舗装された道。グレーの中世を思わせながらもモダンな街並みは雪化粧されていた。
路肩には除雪剤を含んだ黒混じりの雪が溜まり、人々は傘をさしている。
その身なりは皆、冬に相応しい厚着であった。
彼女は冬模様の街を歩き商業街の路上に並んぶ露店でテイクアウトのサンドイッチとコーヒーを買うとタクシーを止めて乗り込んだ。
黄色いタクシーのドライバー。ハゲ散らかした中年の男が透明な仕切り越しに行き先を聞いた。
「どこまで?」
「バラシハのグリフィン施設まで」
彼女がそう言うと、無愛想なドライバーは返事を返さず車両無線に「━━号車乗車中」と伝えて車を発進させた。
暖かな車内。車両暖房が効いた車内はホテルの中のような優雅さは無くとも暖かで、肌に刺す外の寒さを考えれば極楽であった。
過ぎ去る風景。街路樹の並ぶよく整備された市街を抜け、モスクワを東に走るM7連邦道路ヴォルガに合流した。
そして、総距離1351kmの道路を25km程走った所でタクシーは連邦道路を降りて下道に入った。
そこはモスクワ中心部から25km、モスクワ市の境界からは4kmほど離れたバラシハと呼ばれる街。
かつてはモスクワと東の諸国とを結んだ街道が通っていたこの街は、宿場町との意味合いの言葉から取られたらしい街の名を持っている。
閑静な住宅街が多く、古くは貴族が住んでいたそうだが今では北北東方向に住宅街が広がり、街を貫く連邦道路を境に旧ソビエト成立時から栄え始めた工業地帯がある。
グリフィンの本社は街の北北東、住宅街に隣接する森林のその向こうに広がる丘陵に置かれていた。
住宅街を抜け、枝木ばかりの林が両脇に広がる道を通ると、『グリフィン&クルーガー』とキリル文字と英語で記された看板が立ち、その向こうには駐車場とモダン建築の社屋があった。
タクシーはそのまま、グリフィン本社社屋の入口に乗りつけた。
「・・・・・・460ルーブル」
無口なタクシードライバーは着くなり料金を吐き捨てた。
彼女はドライバーの示した値段を支払い、十数ルーブルほどのチップを払ってタクシーを降りた。
片手には杖、もう片方には少し中身の減ったコーヒーとサンドイッチの入った袋だ。カバンは肩に背負われている。
去りゆくタクシーに目もくれず、寒さから逃れるようにロビーの自動ドアをくぐると、そこには赤い制服に身を纏った人々の往来があった。
皆、胸にはバッジを付け何人かは頭に律儀にベレー帽を被っている。新人だろう。
特に輪に入れずにベンチにへたり込む、新任指揮官だろうサクラピンクの髪の女はよく目立っていた。
「そういえば、指揮官の新採用時期だっけ」
ロビーの往来を見渡し、呟いた彼女は歩く足そのままに受付の係に声をかけた。
「シャーロット・ブラウン、SO21アルハンゲリスク管区の指揮官だ。ヘリアントス上級代行に呼ばれて来た」
係にそう言いつつもポケットから、所々メッキが剥がれた古い銅バッジを見せつけた。
「分かりました。ヘリアントス上級代行は現在会議中です。終わり次第お呼びしますので━━━」
「いやいい。それと言伝だ、執務室で待ってるって言っておいてくれ」
承知致しました。と係の男が彼女に返すと、彼女はいつも通り杖をついてエレベーターに向かい、ヘリアンの執務室に向かった。
ヘリアンの執務室は3階建ての社屋ビルの2階、オフィスフロアにある。訪れた指揮官や従業員、下働きの人形達が行き交う2階の森林に面した通路を通ると、上級代行官室と書かれたプレートが掲げられたドアがあった。
どうやら係の言う通り、ヘリアンは会議中で不在らしい。本来は待つべきだが、彼女はキーカードをスキャナーにスライドしてドアを開け、施錠されていた執務室に入った。
執務室の中は、殆どの人が考えるであろう役員の部屋その物であった。
書類が入ったファイルが並ぶファイルラックに観葉植物、中央には応対用の対面ソファーとガラステーブルが置かれ、その先の小さな中庭を一望出来るがブラインドが閉められた窓の前にはヘリアントスの机と椅子が置かれていた。
暗く、電気の消されていた部屋の明かりをつけた彼女は、袋をテーブルの上に置き、杖を隣に立ててソファーに腰かけた。
そしてコーヒーを啜り、彼女は露天で購入したハムサンドを齧りながらヘリアンが会議を終えるまでの間、携帯端末でニュースを見るのだった。
十数分が経過した。
部屋で待つ彼女、シャーロットのミルクコーヒーが容器の半分まで減っていた頃、不意にドアが開かれた。
「やぁ、ブラウン指揮官」
ぴっちりとシワが消された赤い制服に身を包み、透明なカップに入れられたコーヒーを片手に脇にファイルを挟むアッシュグレーの髪にモノクルを掛けた女。
この執務室の主、ヘリアントス上級代行官だ。
「どうもご無沙汰です。ヘリアントスさん」
「よしてくれ、昨晩会ったばかりないか」
そう言って、ヘリアンはコーヒーとファイルを机の上に置き、彼女の座るソファーの向かい側に腰を下ろした。
「それ、たまごか?」
「生憎、ハムです」
「・・・・・・パン屑を落とすなよ」
「落としてたら、そこの丸いのが反応してますよ」
ハムサンドを片手に深く座り込んだ彼女は、部屋の隅に置かれたロボット掃除機を揶揄した。
「だろうな」
掃除機が反応していないということは、ホコリなりゴミ屑、それこそパン屑のようなものが床にないことを指している。
「食べます?」
ビニール袋に入れられたハムサンド。2枚のハムがレタスに包まれ、それを黒パンと呼ばれるライ麦からつくられたパンに挟まれている。
それを見てヘリアンは思い出したのだ、朝早くの会議に間に合わせるために、普段なら絶対に抜かない朝食を抜いた事を。そして、道中で寄ろうとしたテイクアウトのチェーン店が休業していた事を。
ミルクにシロップが少しの、苦めのコーヒーを湯水の様に飲んで忘れていた感覚が、ふと甦った。
「貰おうか、それ」
ヘリアンの言葉にフッと笑った彼女は袋に入っていたサンドイッチのうちのひとつを彼女に差し出した。
「すまないな」
ヘリアンの謝辞に彼女は、コーヒーにひと口つけると本題を切り出した。
「で呼び出しの理由は?」
ヘリアンは、紙袋に包まれたサンドイッチをひと口齧ると、コーヒーを飲んで話し出した。
「これはさっきの予算会議の主題でもあったのだが、新しく人形の追加投入を決定した」
「ほう、それで」
「3ヶ月前の蝶事件。それ以来、反乱を起こした鉄血の部隊に対抗する形だ」
彼女、シャーロットの脳裏に浮かぶのは3ヶ月前のある事件の事だった。
東欧はウクライナ。かつてNATOと新ソビエトの代理戦争の舞台となったその国には、戦後の軍事用人形のシェアの大半を占める大手軍需企業があった。
元々は装甲車両のアップグレードパックを開発していた企業で、創業は2031年の兵器工廠の老舗とも呼べる存在だ。
第三次世界大戦前夜の東欧の代理戦争の少し前に機械人形業界に参入した。
そして当時、軍用品の割に大して性能が高い訳でもなく高価なIOP製を軍用向けの均一で低価格な製品で圧倒し、大戦が終わる頃には軍部のシェアの大半を占めるリッパーやイェーガーシリーズなどのヒット商品を製造、戦後にはグリフィンの人形部隊の製造元であるIOP製造企業と官民の人形シェアを二分した。
しかし、それは3ヶ月前のある日突如として終わった。
鉄血の本社工場が正体不明の武装勢力(世間では西側の特殊部隊やIOPの妨害工作とも噂される)が襲撃し、兼ねてより備えられていた防御システムが作動した。
ここまでは設計者の考えた通りで死者は出ていなかった。だが、防御システムは誤作動し武装勢力や従業員の全てを殺害、そして隣接する市街に住む人々すらも敵と認識して攻撃を加えようとした。
鉄血が製造した全ての人形や兵器が、人類に牙を剥いたのだ。
この事態に初動対応したのが、その市街の治安維持を行っていたグリフィン&クルーガーであった。
製品を回収し、鉄血製人形を破壊する。
しかし、軍用火器を使用し被弾を恐れない軍用人形に、当時はまだ人間の戦力が多数含まれていたグリフィンは多数の損害を出して苦戦し、軍部の来援を待たずに住民の避難を完了して市街を放棄した。
3ヶ月後の現在、ELIDを対処中の軍に代わって、鉄血工造への防衛及び鎮圧は民間軍事会社に委託された。
だが鉄血はカルパチア山脈や東欧各地、ウクライナ南部などの各所に点在していて、廃棄された鉱山を再稼働させて資源を得て人形を増産中だ。
無論、人間が主戦力のPMC他社では対応しきれない。
「IOPから中古の人形を卸してもらい、武装させて主戦力とする」
「つまり、今の戦力を人間と人形の混成から人形主力にかえると?」
グリフィンも先進的な試みで、人形部隊を大規模に採用している。だが、人形部隊は未だ主力ではなく人間との混成編成が主とされている。
「あぁ、人間が主力の部隊は数を削減して今後は後方の治安維持に充てる」
「私達も配置転換?」
「いや、心配しなくていい。あそこに人形主力の部隊を置けば、軍からなんと言われるか」
ヘリアンの言う、軍からの懸念。
それは端的に言えば、鉄血のような民間軍需企業の反乱である。
汎ヨーロッパ連合に対する圧力、抑止力の一つである北方第1、第2艦隊や原潜が駐留し、海軍の陸戦隊や特殊部隊の拠点であるアルハンゲリスクで騒乱が起こった際のリスクは計り知れない。
軍上層部にとって、人民警察の力量不足故に委託せざるを得ない民間軍事会社の治安維持。そのリスクは、軍中央と縁の深い退役軍人を多く有する彼女の部隊だからこそ許されている。
だが、その部隊を廃して軍と関わりのない人形部隊を配属となれば軍にとってそれは許容せざる事となる。
「だが、追加の人員投入が決まった」
ヘリアンの言葉に、彼女はコーヒーを飲みつつも眉をひそめた。
「これ以上、同等の練度の人材は調達出来ない」
かつての大隊のメンバーは殆ど声を掛けた。来るものはこちらに属し、自らの道を見つけた者も居れば、鬼籍に入っていた者も居た。
なればと先日の戦死者のように大隊メンバーの戦友からも少数登用しているが、限界である。
「新規の人員登用はしない」
「じゃなにを?」と彼女は背もたれに預けていた背中を起こし、膝の上で両手を組んだ。
「新規採用の人形を1小隊、そちらに預けたい」
「民生人形を?」
ピクリと眉を動かした彼女。それを見て、ヘリアンはニヤリと笑った。
「あぁ、だが16LAB開発の新技術搭載でな」
「ペルシカリアンの例のあれですか」
「ベルリンの発表会を覚えているだろう?」
「えぇ、よく覚えています」
彼女の言う、ペルシカリアン博士の
詳しい仕組みは極秘となっているこのシステムは、民間から中古で売却された接客や警備仕様の人形を武装させ、軍用までは行かなくとも第1.5世代の軍用人形に対抗できる性能を引き出すことが可能だという。
「もう配備できるので?」
「あぁ、試験では実用レベルで大いに可。後は実践運用を行うだけだ。
今後は、前線に接する基地や要所の部隊へ優先的に充てる」
一昨年の発表会で理論を発表したばかりなのに、ペルシカはよくやったなぁ。と彼女は心の中でしみじみと思った。
「でだ、社長から伝言だ。市街地での鎮圧に人質救助、テロ抑止、危機察知、そして諜報戦に長ける君の部隊に第1陣を回す」
「それが1個小隊分と」
「そうだ」
ヘリアンは言葉を区切り、手に持っていたサンドイッチを齧りながら続けた。
「警察から2人、民間から5人の計7人、君の所の定数に合わせた。
基礎以外は未修、君のところで好きな様にしてくれ」
「それは助かります」
「あぁ。だが、実戦データをラボに回してやって欲しい」
「了解です」
そう言った彼女は、コーヒーを飲み干し、ふぅと息を吐いて一息ついた。そして。
「そう言えば、新規採用の時期だったな?」
仕事の話が終わり、彼女の口調はまるで同期の人間と話すかのような口調に変化した。
最低限の礼儀として仕事中は丁寧な口調で上司や社交場で他者に接する彼女だが、仕事の話が終われば口調はガラリと変わる。
普段使いの、ヘリアンとは違う乱雑な言葉遣い。つまり、この話からは私用の、それも他わいも無い話になったということだ。
「それがどうした?」
「今年の採用組で使えそうなのは居るか?」
その問いに、ヘリカンは顔を顰めた。
「軍上がりが数人居るが、それ以外は戦技や指揮が少しマシな程度だ」
「それ、使えるのか?」
「あぁ使えるようにするさ。なんだったらそっちがやってくれてもいんだぞ」
モノクル越しに、ヘリアンが彼女を睨んだ。
「は?」
「午後は空いているだろう? 地下に
「ちょっと待て、どうして私が教導する話になるんだ?」
「普段軍人相手に教官代わりをしているだろう」
「だからって・・・。ああくそ、夕方以降に来ればよかったなぁ」
「なにをひねくれた事を。優秀な教官殿がわざわざ本社まで来てるんだ、私は仕事がまだ山積してる。後は頼んだぞ」
ヘリアンなりの皮肉への仕返しなのだろうか。だが、彼女は藪蛇だと後悔した。
「あぁ、それとひとつ。ひとり新任で気になる子が居る。
座学はあんまりだが、戦術試験で面白いレポートを出している。気にかけてやってくれ」