「平凡な一日が始まる」
その青年は月光が照らす中、窓側に置いてある椅子に座り、ただひたすらに窓の外を眺めている。そんな彼の手には、握りつぶされている新聞紙の切り抜きが力強く握られていた。皺が寄ってしまい、記事が読めなくなっている。
夜空には大きな満月が昇り、月明りが教室内に差し込み木製の床を転々と照らす。
窓側に座っている青年の黒髪も、差し込んでいる月明りによってキラキラと輝いていた。月光により、青年の姿がはっきりとしてくる。
露出が少ない色白の肌の上には、鎖骨が見えるほど襟が広いTシャツを身にまとい。さらに、黒いジャージのチャックを胸辺りまで着ている。肩には羽織るように白衣を靡かせていた。
ずっと閉ざされた口元が楽しそうに不気味に歪み、白い八重歯が赤く染まっている唇から覗く。
顔を上へと傾け、夜空を見上げている青年だが。そんな彼の目元には、あるはずの眼球が無く、窪んでいた。黒い闇が広がっており、見ていると吸い込まれてしまいそうな感覚が襲う。
「夜空に昇る月、今は昔ほどくすんではいないだろうか。今の俺には、確認する術は無いが。今日もまた、変わらない日常が始まる」
青年が低く、かすれたような声で呟いた時。教室のドアがゆっくりと開かれ、藍色の髪を揺らしながら彼へと近づく一人の女性が姿を現した。茶色の両目は、窓の外を見あげている青年に注がれる。
「いつもの日常かは分かりませんよ。
「俺の手が必要ならな」
夜空から顔を逸らし、青年は立ち上がる。そのまま女性の隣を通り抜け、廊下の方へ。青年に対し手招きをしているように見える光の届かない闇、そんな闇の中へと吸い込まれるように、姿を消した。
その際、もう必要ないというように強く握られていた切り抜きはひらりと落ちる。
床に落ちた新聞紙の切り抜きはしわくちゃで読めない部分が多い。だが、大見出しだけはギリギリ読めた。
ぼろぼろで、所々破れてしまっている新聞紙。そんな中、唯一読める大見出しには”大量殺人”という文字が、ゴシック体で書かれていた。
その新聞紙を拾いあげた女性は、月光を背中に何も思っていない。感情を察することができない瞳で見下ろしている。
「私との約束……覚えていますよね? 魁輝月海《かいきるか》さん」
女性はそのような言葉をこぼし、手に持っていた新聞紙をポケットに入れる。
瞳を揺らしながら、立ち止まっていた足をゆっくりと動かした。そのまま、彼の姿を追うように、教室を後にした。
☆
気温は高く、少し熱いくらいだ。額から汗を流している人もいる。それでも、楽し気に話している人や、友人とかけっこをしている姿も見えた。
そんな中、一人の女子生徒が片手に本を持ちながら歩いていた。
藍色の顎まで長い髪が風に揺れ、邪魔なのか右耳に横髪をかけ赤いヘヤピンを付けている。
茶色の両目は、右手に持っている本に向けられていた。だが、その瞳には生気を感じない。
本を見ているが、本当に読んでいるのか分からない。違う景色を見ているようにも感じてしまう。黒く濁り、光を感じる事ができない。
そんな彼女は周りの行動など一切気にせず、一直線に自身の教室へと向かっていた。
教室の中に入り、自身の席についてからも本を離さず読み続ける。そんな彼女の名前は、
一人でいる事が多く、色んな本を図書室から借りて読んで日々を過ごしていた。そんな彼女とは周りの人も関わりにくく感じているらしく、少し距離を置いている。
暁音が教室で本を読み始めてから五分ほどした時、教室に明るい茶髪を揺らしながら一人の女子生徒が入ってきた。
その人に気づき、先程まで会話を楽しんでいたクラスメートが笑顔で挨拶をし手招きしている。
「あ、おはよう
「おはよう!」
亜里沙と呼ばれた女子生徒は、制服のスカートを膝上くらいまで短くし、茶髪を後ろで高く一つに結びゆらゆらと揺らしている。
元気に挨拶を返した彼女は、声をかけてくれた女子生徒の輪に入っていった。
そんな彼女を、暁音は何か気になるのか。本を読む手を止め、横目で見ている。
「…………私では、分からないわね」
誰にも聞こえないような小さな声で呟き、右手で顔にかかっている髪を耳にかけ直し、再度本へと目線を戻した。その時、なぜか首を傾げ、前のページと開いていたページを見比べ始める。
「…………あ。どこまで読んだっけ……」
☆
放課後。暁音は誰とも話さず、鞄に教科書を入れていた。その時、筆箱のチャックが開いていたらしく、油断していた彼女は中身を床へとばらまいてしまった。
まだ教室内に残っていた人達は一瞬、音が聞こえた方に目を向ける。だが、すぐに目を逸らし、帰ってしまった。関わりたくないという気持ちが駄々洩れだ。
暁音はそんな周りには一切目もくれず、めんどくさいと思いながらもその場にしゃがみ、床に落ちたペンや消しゴムなどを拾い上げる。
「あ」
「手伝うよ」
暁音がペンに手を伸ばした時、視界の端から自分のではない女性の手が伸びてきた。その事に驚きつつ、暁音は無表情のまま顔を上げ誰が手伝ってくれているのかを確認した。
「貴方……」
「えへへ、手伝うよ。筆箱のチャック閉めるの忘れちゃうよねぇ」
少し高い声で話しかけてきたのは、佐々木亜里沙。朝、みんなと挨拶をして友達の輪に入っていった女子生徒だ。
活発そうで、元気な笑顔を暁音に向ける。
「ありがとう」
「いえいえ。ねぇ、鈴寧さん。本好きなの? いつも読んでいるよね」
ペンを拾いながら亜里沙は、笑みを浮かべながらナチュラルに問いかけた。だが、その笑みは心からのものではなく、まるで張り付けているようにも見える。
無理に笑みを浮かべ、頑張って会話を繋げているように感じるが、そんな彼女に気づかず、暁音は自分のペースで返していた。
「そうね」
「好きじゃないと読めないよねぇ。あ、これで最後かな?」
「うん、無さそう。ありがとう佐々木さん」
「全然大丈夫だよ。こうやって話せるきっかけにもなったし」
そう言いながら、亜里沙は床に落ちていたピンク色のカッターナイフを手に取り渡そうとした。だが、何故かいきなり浮かべていた笑みを消し、彼女は急に真顔へとなり手に持っているカッターナイフを見下ろす。
落ちた時に刃を押し出す部分が何かにぶつかってしまったのか、少しだけ刃先が出てしまっていた。あまり使われていないのか、刃こぼれどころか汚れすらついていない。綺麗な状態が保たれている。
それを戻そうとはせず、亜里沙は見つめるのみだった。
「…………このカッター」
「? どうしたの?」
固まった亜里沙に暁音が問いかけると、はっとなり慌てた様子で笑みを繕い「なんでもないよ」と伝え、刃を戻しカッターナイフを渡した。
不思議に思いながらも暁音は受け取り「ありがとう」と口にする。そのあと、慌てた様子で亜里沙は立ち上がり、手を振り廊下へと行く。その際、袖の隙間から赤い線のような物が、見え隠れしていた。
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