ヤクシャルカのことをよく知る者は、彼女のことを往々にしてこう評する。
「役立たず」
「穀潰し」
「タダ飯食らい」
「うるさい」
「信じられないほど何もできない」
「ズボラ」
「アンポンタン」
「とっても頭が悪い」
「引きニート」
「カス」
そして彼女はこう答える。
「まあ、そう」
診堂クリニックで生まれた彼女は、良くも悪くも不便なく育った。暇さえあれば漫画アニメゲームに没頭し、中学校は特別な理由なく行くのをやめた。労働と名のつくものは2日と続かず、サブカルチャー以外のものから知識を得ない。父親を早くに亡くし、母親が仕事で朝から晩まで家にいないのをいいことに、この碌でなしは太々しくも健やかに育った。
彼女の転換期は16歳の時。母親から生活スキル向上のためにアパートの一室に放り込まれるも、騒音や汚破損、甚大な被害を伴う無許可造作を理由に入居ひと月も経たずに強制退去。暫く河原を拠点にゴミを漁るも警察に追い出され消息を絶った。それから母親に捜索届を出された2ヶ月後、森の中で飢え死にしかけているところを保護された。彼女は酷く衰弱していたが、無事後遺症もなく一命を取り留めた。
その際警察が訝しんだのは、一体如何にして“何の知識も知恵もないヤクシャルカが森の奥で2ヶ月も生き延びることができたのか?”ということだった。そして、その答えは彼女の異能にあった。
“
幼少期より他者に興味を持たなかった彼女は、偶然にもこの異能を誰にも知られることなく大人になった。そしてぬるま湯の人生には無縁であった窮地に陥り、初めて異能を使用した。
全長3mに達するボーダーグリズリーも、それを丸呑みにするオオグロコンブヘビも、致死毒を持ち猛獣を狩るノコギリタマゴアリも。彼女の前では無力。ふさふさで大きくて暖かそう。鱗がツヤツヤで綺麗。顎がギザギザでかっこいい。そんな呑気で命知らずな感想が、
人喰い熊をベッドにし、人喰いヘビを枕にし、人喰いアリと餌を分け合った。1人じゃ何もできないタダ飯ぐらいの浮浪者は、数多の猛獣に介護され生き延びていた。彼女が衰弱した理由はただ一つ。
新聞の一面を飾った珍獣ヤクシャルカは、程なくしてダクラシフ商工会の目に留まり、国刀として雇用されることとなった。
〜愛と正義の平和支援会 上空1000m ヘリコプター内部〜
「何か飛んできたよ!!」
運転席に座る、太陽蜘蛛のタルパグラコが叫ぶ。百機夜構総長ピンクリークが、今にも吐きそうにしている
「ほら仕事だ寝坊助!! 何とかしろ!!」
「ぐるじぃ〜……」
ヘリコプターの外には、1人の使奴。いち早く不穏な気配を感じ取った彼女は、街への被害も厭わずヘリコプターを撃ち落としに来た。
「ぎゃー!!! 死ぬーっ!!!」
「何とかしろヤクシャルカー!!」
「ゔぇ〜」
使奴が大きく振りかぶった瞬間、気を失うように怯み落下していった。
「ほよ……。い、生き延びた……」
「っはぁ〜!! もっと早くやれよ!!」
「うっぷ。おえ〜……」
「ぎゃー!! 吐くな!!」
使奴の数少ない弱点の一つ。彼女らは完全無欠の人造人間として設計されているために、
苦手な乗り物による猛烈な吐き気。日頃の昼夜逆転生活による激しい眠気。出発前にドカ食いした特盛カツ丼による胃もたれ。初対面の人間にパーソナルスペースを侵される不快感。嫌悪感、不安、緊張、その他諸々。ヤクシャルカが勝手に生み出した自業自得の苦しみが、
個人の苦しみには差異があるが、ヤクシャルカ自身の苦しみの許容値は極めて低く、今感じている苦しみも他者にとっては致命的ではない。だが、押し付けるのは実数値ではなく割合。ヤクシャルカにとっての120%の苦しみならば、使奴にとっての120%の苦しみに増幅される。使奴が恐らく一生味わうことのない、拷問を凌駕する苦痛。そこに達さないよう作られた彼女らは、この苦痛に抗うことができない。
「また来たまた来た!!」
「おら寝坊助!! また来たってよ!!」
「あぁ〜ん。もう帰る〜」
ヤクシャルカのぐずりに合わせて、使奴がひとり、またひとりと撃ち落とされるように落下していく。
「おいヤクシャルカ! 何人やった!?」
「うう……6人……」
「よし! ここはもう終わりだ! グラタンコロッケ! 次行くぞ!」
「タルパグラコですぅ」
覗き見の異能でモニター室を監視しているピンクリークが、タルパグラコに指示を出して次の使奴を無力化しに向かう。
「奴らが連携とってなくて助かったな……。ん? 後ろだ!!」
「なになになにっ!?」
ヘリコプターの後ろから、突如現れた使奴が猛スピードで突進してくる。
「あぶなーいっ!!! あらよっ」
使奴が手刀を振りかぶると、ヘリコプターは“その場で宙返り”をして躱した。物理法則に反した挙動に、使奴は驚いて一瞬動きを止める。
「食らえっ! 尻尾パンチ!」
宙返りの勢いのまま、ヘリコプターは少し後退して尾部で使奴を叩き落とした。
「ぐえ〜目が回るぁ〜おろろろろろ」
「ぎゃーっ!! 今吐くなボケぁーっ!!」
ヘリコプター内でゴムボールのように弾むヤクシャルカが嘔吐と同時に異能を発動。襲ってきた使奴は叩き落とされた勢いのまま気を失った。
「あーびっくりした。皆無事?」
「……拭くもんあるか?」
「ひっく……ぐす……あぁーん! もうやだー!」
「大丈夫そうだね! よかった!」
「殺すぞ」
タルパグラコ。念動の異能者。物体対象の操作系。物体を意のままに操る。ただそれだけの異能なのだが、この時操作される物体はタルパグラコが意図した方向にしか移動せず、意図しない方向には動かない。つまりは、外部からの圧力を受け付けない実質的な不壊と化す。大河の氾濫所属のバシルカンが持つ匹敵の異能や、バリアの
「初めてやったけど、上手くいくもんだね! ヘリコプター楽しー!」
運転席で
「おい待てグラタンコロッケ。今何つった?」
「タルパグラコね……」
「お前、免許は?」
「何の? 資格なら簿記3級があるよ!」
ピンクリークは暫く沈黙した。今思えば、離陸した時から今までエンジン音らしい音を聞いていない。ヘリコプターってそういうものかと思っていたが、心なしか羽の回転する音も静かな気がする。どうやらこのヘリコプターは最新式の静音機体などではなく、単にエンジンがかかっていないだけなのかもしれない。運転席にいるタルパグラコに操縦技術はなく、もし彼が異能を解く、または異能を無効化できる使奴が現れたら――――。
「まあ、そん時は墜落前に死ぬか」
「何か怖いこと言った?」
ピンクリークは考えるのをやめた。元より
「もう近くに使奴はいねぇ。次行くぞ。”回収“忘れんなよ」
「はいはい〜」
「あぁーん! 下ろしてーっ!」
エンジンが停止したまま飛行するヘリコプターが、気絶した使奴と共に空の彼方へと消えていった。
〜愛と正義の平和支援会 南河地方 バガラスタ王宮 モニター室 (ハザクラ、バリア、ハピネス、ラプーサイド)〜
「本当に、たった1人で使奴を無力化しているのか……」
ハピネスから作戦の概要を聞いたハザクラが、冷や汗を拭いつつモニターを見上げる。ある一点に使奴の反応が複数固まり、同速度で移動しているのが見て取れる。
「
「でも人間相手には弱いよ。対使奴特化」
ハピネスが隣に並び、同じくモニターを見上げる。
「少なくとも、君やジャハル、ゾウラ君なら子供の相手に等しいだろうね。ラデック君は……その時のやる気次第かな。シスターでも余裕だろう」
「だからダクラシフ商工会はトマとピスカリテを同時に呼んだのか……」
「滞在、絶望、
モニターに浮かぶ使奴の反応が、再び一ヶ所に集まって移動を始める。
「今叛逆している使奴の目的も大したものじゃない。バガラスタへの復讐か、ハザクラ君への八つ当たりか、単に気性が荒いのか。ヤクシャルカの苦痛に抗うほどの熱量はないだろう」
「使奴達を回収したらどうするんだ?」
「ピガット遺跡のピガット・ウロボトリアまで捨てにいってもらうことになってるよ。あそこには沈黙派の使奴がたくさんいるし、こういう問題抱えた使奴の処理はお手のものでしょ」
「……それで解決するのか?」
「さあ? 後は野となれ山となれってね」
そう言ってハピネスは背を向け立ち去ろうとする。
「どこに行く」
「そりゃあ用事が済んだから、帰って寝るんだよ」
王宮内部を監視するモニターには、あちこちで近衛兵達と暴徒が乱闘している姿が映し出されている。しかし近衛兵側は既に鎧を脱ぎ去っており、殴り合いを心の底から楽しんでいる。
最早、誰も王宮の最奥を目指そうとはしていない。誰も、王宮から追い出そうとしていない。暴力に溢れる平和な国が、嘗ての姿を取り戻した。
「……バガラスタはどうするんだ?」
「え? 塩胡椒でもして食べたら?」
ハピネスは欠伸をしながらモニター室を出て行った。
ハザクラは少し沈黙してから、バガラスタの方を向く。
「……これで、本当に終わりだ。バガラスタ」
「…………いいや、まだだ」
バガラスタは椅子に深く腰掛けたまま、目も向けずに呟く。
「寧ろ、これからだよ。ハザクラ」
モニターを虚な瞳で見つめ、譫言のように溢す。
「この国は、平和な国は、今より確実に過ごしづらくなるだろう。使奴による犯罪者の間引きが絶たれ、闇に葬られていた事件が顕在化する。不道徳に溢れ、頭の足りない馬鹿ばかりが無責任に子を産み、治安を悪化させていく。本来間引かれ淘汰されるはずだった愚者と弱者が生き延びる。君に、この愚か者どもは殺せないだろう?」
「……会ったこともない人間を、愚かなどとは呼びたくないな」
「はっ……。やはり、まだまだ甘い。子供だな……。弱者救済はやがて破綻する。1人の弱者は、1人の強者では守れない。真に幸福な世界を作るには、戦わなければならん。この、平和が生み出す毒を、飲み干さなければならん」
発作のように、バガラスタが笑う。
「っはははははは! そこに、使奴を加える? 使奴を人として扱う!? 馬鹿を言え!! 世界の最善を考えられる使奴が、人間なんて愚かな生き物を野放しにしておくわけないだろう! そんなもの、使奴と人間が争う世になるだけだ!! いや、使奴が人間を一晩で皆殺しにして終わりか? 道具と人間が逆転するか!? 近い将来には、我々人間が使い捨ての性奴隷と呼ばれるようになるかもな!! ははははは!!」
狂ったように笑うバガラスタに、ハザクラはこう返す。
「俺も、同じことを考えたことがある」
バガラスタが笑いを止める。
「俺は使奴を救いたい。でも、果たして優秀な使奴は、俺達人間と過ごしたいと思っているだろうか? 不合理で、不道徳で、不条理な人間を、愛してくれるか? 少なくとも、俺を認めてくれる使奴はいる。だが、皆が皆そうなのか? そしてこの問いの答えは、今日判明した。メンキとユラユラが、面識のない俺を憎んでいた。恐らく俺達は、今後も分かりあうことはできないかもしれない」
強く拳を握り、それでも前を向く。バリアには、助けを求めなかった。
「俺は、戦うよ。使奴が幸福に生きられる社会と、人間が幸福に生きられる社会の共存を目指す。使奴を、シドとして、人間として、幸福にしてみせる。平和の生み出す毒を飲み干してみせる」
「…………ふっ。言うだけならタダだな。結局どこまで行っても、個人の我儘に過ぎない」
バガラスタは王の証である杖を、無造作に足でへし折った。
「だが……私は敗れた。世界の平和を目指した者の1人として、君の活躍を心から願うよ」