攻略組は第24層の攻略を無事に終えて、25層に到達した。
そんなビックニュースからはやくも数週間が経とうとしている。
常に最前線を走り続ける攻略組はその勢いを止めることはなく、むしろその勢いを増すばかりだった。早い者だと既に25層の迷宮区に潜っては、新しくマッピングされた情報すら公開されていた。
つまりは、アインクラットの攻略はとてつもなく順調に進んでいる。
ディアベル率いる【ドラゴンナイツ・ブリゲート】通称DKBを軸に、攻略組の常連である面々と協力してボスを倒しているらしく、ビギナーとベータテスターのわだかまりが無くなった今、その攻略スピードはベータテスター時代をも上回る驚異のペースでクリアしているらしい。
彼らの活躍もあって、第1層から今に至るまでのボス戦での死者数は未だ0という数字を守っている。
あまりにも順調すぎて、もはや自分が攻略組に復帰するころにはクリアしているのでは、と内心思うくらいに、本当に凄まじい活躍を見せてくれていた。
そんな攻略組の活躍を遠くから見守っている俺はというと、第1層のボス攻略後から前線を離脱しており、彼らの動きはアルゴが作成しているアインクラットの最新情報をまとめた新聞を読んで状況を把握していたのだ。
逐一更新されるその新聞はアインクラットを攻略する上で必要不可欠なものとなりつつある。アルゴが実際に自分の目で見て、検証して、記載されるこの新聞。信憑性も高く信頼できることから、この世界で生き残る上での教科書と言われるレベルで、これを見ておけばとりあえず必要な情報は入手できる。
そんな俺も、もちろんアルゴの新聞の愛読者であった。
情報は自分で掴む。
前線に顔を出していない身からすれば、どうしても攻略組との情報格差は広がっていく。その穴を埋めるために、自分なりに活動はしているつもりだ。
ちなみに、それとは別件でボス戦が始まる前と終わりに、必ずとある少女からメッセージが送られてくることを除けば、無駄に彼らの動向を見守る必要はなかったのだが。
彼女は律儀にもボス戦が始まる直前にメッセージを送ってくるのだ。
[今からボスを倒してくるね]
短くも簡潔なその文章を、必ず。
情けない話であるがその度に俺は独りでソワソワしてしまっていた。
自業自得であることに変わりはないのだが、俺が前線に出ていないことをいいことに新手の嫌がらせかと頭を悩ますほど、毎回、そして絶対にそれは送られてくる。
そのメッセージが来るたびに、己の心臓が大きく跳ねた。そして自分の選択を悔やみそうになっては、どうしても落ち着いて居られないので、メッセージが届いたその瞬間に黒鉄宮に駆け込んでは、ただ静かに『生命の碑』を眺めながらボス戦が終わる知らせを待つばかりだった。
その碑に刻まれた名前に、死の一線が入らないことを祈って、独りで待つ。
[今回も無事に倒したよ]
この文章が送られてきた暁には、内に溜まった不安を息と共に吐き出した。
そんなことを23回繰り返しては、誰一人死なずにクリアしたことに喜び、安堵するのだ。
そして偶然にも、俺の姿を目撃したアルゴはそのペイントされた幼い顔を悪戯っぽく歪ませては「心配ならノーつんも前線に出ればいいじゃないカ」と痛いところを突かれたこともあったが、笑って誤魔化すので精一杯だったのはここだけの話である。
「さすがだなディアベルは…俺も負けないように鍛錬に励まないとな」
よっこいしょ。と、アルゴが更新したばかりの新聞をストレージへとしまうとその場で大きく伸びた。
「ふぁ~あ、今日も人員集めか…最近全然デュエルできてねぇなあ…」
一つ、大きなあくびをついて、吐くように呟く。
25層がアクティベートされてから、ヒースクリフは本格的に【血盟騎士団】というギルドを始動させた。団長はもちろんヒースクリフで、俺は記念すべき初めての団員である。
初めての団員とはいいつつも、この口約束は第1層からのものだったので、自分を除くと団員は実質居ないも同然である。第10層からギルドを設立できるようになるクエストが発生して以来、ぽつぽつと小さなギルドが誕生してはいるのだが、残念ながらうちのギルドは未だ団員数は0である。
団員の数は動かなかったものの、25層へ到達した際に念願である本拠地が建てられた。
我らが団長様であるヒースクリフは、ギルドを設立した時から血盟騎士団のギルドハウスを欲しがっていたため、これを機に25層の主街区である《ギルトシュタイン》に血盟騎士団の本部を置くこととなった。
前線を離れてすぐ、俺は縋るようにヒースクリフと二人で細々と活動してきたが、ギルドハウスを確立するまでの期間は、お世辞にもギルドというよりもパーティ活動とほとんど違いはなかった。
しかし、ギルドハウスを建てて、改めて血盟騎士団としてのギルドが誕生した時、普段は表情をあまり変えないあのヒースクリフが珍しく笑顔を咲かせた。
あんな表情のヒースクリフを見てさすがの俺も、自然と口元が緩んだ。
やっと本部を置いて、本格的にギルドらしくなったことに俺自身もわくわくするが、結局のところ、人員は俺とヒースクリフを含めたったの2人しかいない小規模ギルドに変わりはない。そのため、俺とヒースクリフは攻略組だったり、下層にいる原石を探しては、よさそうな人材に一通り宣伝を含めた声掛けを行っていた。
しかし、団員集めは見事に停滞している。
最強のギルドに拘っているうちの団長は妥協を許さない。
意外と頑固で、本人が納得しない限りはその首を縦に振ることがないのだ。しかも、この血盟騎士団はヒースクリフが全ての決定権を握っているため、彼からの承認が降りて初めて入団できる。そんな手間暇をかけて選抜した人間で構成する予定だと彼は言っていた。
そのため必然的に少数精鋭でのギルドとなるが、俺はむしろその方向性で賛成である。
理由は単純明白、その方が管理しやすいから。
人数が少ないうちはいいかもしれないが、今後、もっと拡大して更に大きくなるようなギルドは統治するのが難しく、ギルドマスターが全てを把握し運営していくにはかなりの統率能力がないと厳しい。
それこそ、ディアベルのようなリーダー気質の人間でも、今の何倍もの人数に膨れ上がったギルドメンバー全員の動きを完璧に把握することは不可能だろう。
カリスマの塊であるヒースクリフですら、必要最小限のメンバーでギルドを確立し、さらにそこから役職を分けて、ある程度人員管理するためのシステムを考えると言っているほどである。
数人の面倒を見るのですら大変なのに、三桁を超える人数の、しかも個々の状況を随時確認し、団長であるヒースクリフに報告する。というフローを考えただけで、既に疲れてしまう。
そのため、大人数ギルドだと団員をみる人数が多すぎることから、個人的には厳選された人間で必要最低限のルールと統率者がいればそれで十分だと考えていた。
具体的な方針も決定し、あとは団員を募るのみ、という明確な目途が立ったため、ここ最近は一日一回のデュエルもお預けで団員を増やすことに注力しているわけである。
「にしてもヒースクリフ来ねぇーな」
また一つ、のんきに大きくあくびをついて本部で待っていると、聞きなれた声が鼓膜を震わせた。
「遅くなった」
「ホントだぜ待ちくたびれたじゃ…」
ヒースクリフの声を聞いて振り向くと、その隣には綺麗な亜麻色の髪の毛をなびかせ、腰にレイピアを装備している、これまたよく見知った少女が佇んでいた。
「なッ、あ…え、嘘だろ…」
いまいち状況が理解できず、何度も彼女とヒースクリフを交互に見る。
彼女はボス戦でも頻繁に顔を出している攻略組の一人で、その可憐な身体から繰り出される攻撃は速く、そして鋭い。決まって前線に立つ人間は固定されてきているが、彼女はその中核にいるような人物であり、攻略組で知らぬ人間はいないと言っても過言ではない。
そしてなにより、SAOでも屈指の美女と謳われる人でもあるのだ。
そんな憧れの的である彼女は、俺の顔を見るなり、その端正な顔に笑顔を咲かせる。
「久しぶり、ノーツくん」
「あ、あはは…久しぶり、だな――アスナ」
アスナから発せられる静かな声が、あまりにも表情と噛み合っていない。
俺の名前を呼ぶその声が、とても冷たくて、無意識に体が強張る。
思考が止まり、唖然としている俺なんてお構いなしに、ヒースクリフは淡々と話す。
「今日から彼女も血盟騎士団に入団することとなった、よろしく頼む」
「……は?」
あまりにも唐突すぎる団長の発言を脳が拒絶し、聞き入れなかった。
それよりもなぜ、このタイミングで彼女がこのギルドに入団することになったのか。
否、この際そんなことはどうでもいい。なぜ俺に一言声をかけなかったのか。
そもそもどんな繋がりでヒースクリフとアスナが接触したのか。
言いたいことが多すぎて声にならない何かが口から漏れそうだ。
なんなら衝撃すぎてもはや考えることを放棄しはじめている。
「二人は知り合いだと聞いた。積もる話もあるだろうし、後のことは任せた」
「…あ、あぁ!? ちょ、ちょっと待て!!」
我らがわがままな団長様は、やっと言葉にできた俺の声を無視してスタスタと歩き始めた。
さすがにこれはあまりにも無慈悲すぎる。
遠くなっていく団長の背中から、恐る恐るアスナへ視線を向けると、未だにその笑顔が顔面に凍り付いていた。
あーぁ、俺はアスナと二人でうまくやれる自信がない。
そんな心配が俺の頭の中で再びぐるぐる回り始めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
新しく設置された血盟騎士団本部のメインルームにて、俺とアスナは二人取り残されていた。
アスナを連れてきた張本人は、再び団員を探しているのか、それともクエストをやっているのかわからないが、何度メッセージを送っても一向に返事はなく、戻ってくる気配すら感じないまま、気まずい空気と時間だけが流れていく。
「あー、えーっと、俺はノーツ。知ってると思うけど…」
「えぇ、よく知ってるわ」
「はは、そうだよな、気まず…」
お互いに向かい合う形でメインルームに置いてあるソファに座っているが、沈黙が何分も続き、耐えきれなかった俺は話を切り出すも、見事に自爆してしまい再び二人の間に静寂が走った。
気まずさで行き場を失った手で頬をポリポリと掻いては、次の話題を探そうとした矢先、俺の反応を見かねたアスナが少々伏し目がちに話題を振ってくれた。
「なんで…何も言わずに行ったの…」
彼女から出てくる言葉は案の定、第一層のボスを攻略した後のことである。
100層走り切るぞって言っておきながら、俺が第一層で姿を消したこと。
相棒と言っておきながら、彼女から送られるメッセージに、何も返さなかったこと。
アスナを生きて返す。という約束をしたにも関わらず、彼女を独りにしてしまったこと。
その理由をアスナはきっと、今日という日まで、ずっとずっと聞きたかったのだろう。
その証拠に、彼女の瞳がもう逃すまいと、ただひたすらに俺をまっすぐ捉えた。色んな修羅場を潜り抜けてきたであろうその顔つきは、初めて会ったころから見違えるほど力強く、生きる希望に満ちたその眼差しが彼女の成長を示唆した。
もっともっと、いろんなことを聞きたいはずなのに、アスナはぐっと堪えて、そのピンクの唇をきゅっと一文字に結んでは俺の返答を静かに待ってくれていた。
「今はまだ…言いたくねぇ…」
まっすぐすぎる彼女の視線に耐えかねず、情けない俺は顔を逸らしてしまう。
俺はまだ、弱い。
成長したアスナやキリトと肩を並べられるくらいの強さを、俺は持ち合わせていない。
それは気持ちの面でも、戦闘技術の方でも。未だに俺は自分自身を許せていないのだ。
「ただ、俺はもっと…今よりも強くなりたい…いや、強くならなくちゃいけない」
正直なところ、アスナには誰よりも会いたくなかった。
彼女に会ってしまったら、きっと弱い自分を乗り越えられない。
アスナの隣で胸を張って、相棒と呼べる自信もないし、そもそもそんな資格が俺にはない。
そんなことを、アスナにはどうしても言えなかった。
弱い自分を許せないから。
アスナの隣に立つくらいの強さを持ち合わせていないから。
これを口にしたら、きっと俺は弱いまま、現状に満足してしまう。
そんな気がして仕方がないのだ。
傲慢だ。ただのエゴだ。
そんな自分が嫌いになっていく。
弱い自分に、情けない自分に、身勝手な自分に、嫌悪感が増すばかりである。
「だから、悪い…今は…」
沈黙が、訪れる。
何も言わなくなった俺を、アスナはただただ見つめた。
彼女は今、何を思っているのだろうか。幻滅しただろうか。
そんなネガティブな思考に囚われていると、一つ、彼女は大きく息を吸った。
「わかった…言いたくないなら、今は聞かない」
ボソッと「今は」と繰り返して言うと、ギロりと睨まれた。
さすがにこの発言は自分の落ち度であるため睨まれても何も文句は言えない。加えてこれ以上喋るとアスナのレイピアが自分に向かってきそうなので、ここは黙っているのが吉である。
「君が話してくれるまで、今は何も聞かないであげる。でも…」
すると、アスナは突如ソファから立ち上がった。
ゆったりと近づくと、俺が腰かけている一人用ソファの肘置きにその両手を置き、まるで覆い被さるような体勢で俺を見つめる。アスナの亜麻に染まった長い髪の束が、彼女の細い腰を伝い、重力に伴ってするりと垂れては座っている俺の膝上にその綺麗な髪が広がった。
「あ、アスナ……さん…?」
距離の近さに心臓の鼓動が早くなる。
脈打つ音がうるさくて、アスナの突然の行動に耳が熱くなる。
そして、何気に初めてアスナの顔をしっかりと見た気がした。
綺麗な榛色の瞳に、筋の通った鼻。血色のいいピンクの色を纏った唇は固く結ばれている。
己の激しく打ち付け続ける心臓とは裏腹に、彼女の表情は真剣そのものだった。
「もう…勝手に居なくならないで」
消え入るような声だった。
普段の、凛としつつも芯を感じる彼女の声ではなく、今すぐにでも空気に溶けてしまいそうなくらいに弱々しい。そんな声だった。
てっきり怒られるものだと思っていたため、予想外の一言に驚く。
それでもしっかりと、彼女の想いを、言葉を、逃したくなかった。
「わかった…もう、アスナからは逃げないと約束する」
この言葉を、嘘にしないように、俺は右手の小指を差し出した。
意味を理解したのか、アスナは表情を柔らかくして、俺と同じように右手を出した。
彼女の細い小指を、俺の小指に絡ませる。優しく、でも、離さないように。
「指切りげんまん、嘘ついたら…」
嬉しそうに歌うアスナだが、ふと、おもむろに小指を離した。
「どうした?」
疑問に思った俺は、最初と比べて明らかに機嫌が良いアスナに問う。
「この先は…言わない」
「なんで…?」
すると、どこかいたずらっぽく、目の前の少女は口を開いた。
「ノーツくんのことを、私は信じたいから」
たったその一言で、心臓の鼓動がまた早くなる。
でも今は、今だけは、それに気づかないフリをすることにした。
「ありがとう」
自然と出た感謝の言葉を、アスナは笑顔を崩すことなく受け止めてくれるのだった。