ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~ 作:ケ・セラ・セラ
時間はしばし巻き戻る。
『ガァァァァァァァッ!』
「!?」
人混みであふれかえるストリートに突如響き渡った咆哮。ベルとヘスティアの体が硬直する。
ヘスティアとのデートを満喫?していたベルの前に突然現れたのは、本来迷宮の11層に生息する巨大な猿――シルバーバックであった。
白い巨躯。銀色のたてがみ。巨躯から放たれる、圧倒的存在感。
「べ、ベル君・・・」
「神様・・・僕から離れないでくださ・・・」
『ガァァァァッ!』
言う間もあらばこそ、シルバーバックが飛びかかってくる。
ヘスティアを抱いて横っ飛びに回避。
悲鳴が多重奏で響き渡り、群衆が蜘蛛の子を散らすように逃げまどう。
二転三転、派手に転がって立ち上がろうとするベルとヘスティアに、シルバーバックの視線がゆっくりと向けられる。
突進してくる巨猿からヘスティアを守るべく、その体を押しやってナイフを構え――その顔がこわばった。
シルバーバックはベルに目もくれずに転進し、ヘスティアを狙ったのだ。
ベルは盾となるべくその前に飛び出して、次の瞬間、右腕の一振りで吹き飛ばされた。
丸二秒ほど宙を飛び、道ばたの屋台に飛び込んで粉砕する。
残骸の中から震える体を起こしたその目に映るのは、身をすくませる女神と、それににじり寄る巨大な白猿。
(いいかベル。ピンチの時はまず冷静になれ。そして、自分の手札を確認するんだ)
「・・・!」
唐突に思い出される兄の言葉。
立ち上がり、走り出す。
走りながら、戦闘衣に縫い付けられたボタンを引きちぎり、シルバーバックとヘスティアの間を目がけて投げつける。
「!?」
「うわぁっ?!」
閃光が走った。
いざというときの逃走用に、兄から渡された道具の一つである。
そして逃走用に渡された道具がもう一つ。
『ぐるぉぉぉぉぉ?!』
光に弱いのか、完全に目がくらんだシルバーバックに小さな革製の袋を投げつける。
視覚を失った白猿はこれをかわせない。
腰のあたりに命中すると同時に革袋は大きくはじけ、シルバーバックの下半身と街路に粘液状の液体をまき散らした。
粘性の液体によって対象の動きを止め、それが叶わない場合でも移動力を大きく削いでくれる、D&Dにおいては低レベル冒険者必携の品だ。
今やシルバーバックは、完全に石畳に縫い止められて身動きもままならない。
(このまま神様を連れて逃げ・・・いや、今なら!)
瞬時に身を翻して壁を蹴り、シルバーバックの頭よりも高く飛び上がる。
全体重を乗せたナイフの切っ先が狙うのはただ一つ、胸の魔石――!
この時、イサミがこの場にいれば自分の判断を後悔したかもしれない。
冒険を始めるとき、彼が弟に与えたのはごく普通の鋼の短刀。
だが、この時彼は最後まで
アダマンティン。
この世界におけるアダマンタイトに似て、D&D世界において最も硬度が高く、堅牢な金属の一つである。
最高純度の物であれば、ほとんどいかなる物質であっても切り裂き、突き抜ける。
ベルの一撃も、分厚い皮と筋肉を抜けて、胸の魔石を貫いていただろう。
だが。
「っ!」
鋭い音を立てて、ダガーの切っ先が欠けた。
シルバーバックの毛皮と筋肉に対するには、力とスピード、そして何より武器が貧弱すぎた。
『ごああああああっ!』
「がっ!」
めくら滅法で振り抜かれた豪腕に吹き飛ばされ、ベルは再び大地に伏せる。
今度は浅かったか、すぐに立ち上がってヘスティアの手を引いてベルが走り出す。
「べ、ベル君!」
「逃げますよ! 手を離さないでください!」
二人は南に向かって走り出す。
その背後で、地面にべったりと張り付いた足を引きはがし、白猿が吠えた。
迷路のようなダイダロス通り。
ヘスティアという足手まといがいたとはいえ、二人の逃走はそれなりに余裕のある物だった。
移動力と共に跳躍力も半減し、シルバーバックの機動力は大きく減退している。
しかし、完全に引き離すこともできなかった。
いくら引き離しても相手は匂いをたどって追ってくる。
そしてスタミナは相手の方が圧倒的に上。
じり貧だった。
ヘスティアを抱えて走りながらベルは悔やむ。
「くそっ、あの一撃が通っていれば・・・!」
「・・・ベル君。僕に考えがある」
「神様?」
視線が合った。
真剣な、ヘスティアの目。
「とりあえずあいつを少しでも引き離すんだ。その間にステイタスを更新する!」
「で、でも、ステイタスが上昇しても、このナイフじゃ・・・」
「武器ならある!」
「!」
力強い肯定。それ以上に力強いまなざし。
すとん、と何かがベルの下腹に落ちた。ヘスティアを抱き上げ、これまでに勝るスピードで走り始める。
「わかりました、神様! 落ちないようにつかまっててください!」
「・・・ああ、ベル君、かっこいいよ! こんな時でなんだが、ボクはこの上ない幸せを感じてしまってる!」
「本当に何を言ってるんですか! 台無しですよ!」
適当な壁を飛び越え、その後ろに隠れると、二人は素早く行動を開始した。
しゃがみ込んで半壊した鎧を外し、その背にステイタスを刻む。
ヘスティアが可能な限りの早さで指を動かしている間、ベルは渡された漆黒のナイフに目を奪われていた。
とことんまで飾り気のない実用的な刀身。でありながらある種の美と威厳すら感じる。
グリップは自分専用にあつらえられたかのようで、手のひらに吸い付いてくる錯覚すら覚える。
何よりも、一目見た瞬間心臓が跳ねた。あの時ほどの衝撃ではないけれども、それはまるで【剣姫】の姿を見た時のようで。
ベルの心の高ぶりに応えるかのように、刻まれた神聖文字から紫紺の微光が漏れた。
「っ! 神様!」
石壁が破砕される。
土煙の中からシルバーバックが現れた。
べたり、べたり、と、一歩ごとに地面にべとつく足を引きはがしながら迫ってくる。
ほぼ同時に、ステイタスの更新が完了する。
「・・・ステイタス上昇合計800オーバー!? ええい、行けっ! ベル君!」
瞬間、ベルが飛び出した。
クラウチングスタートの態勢から、放たれた矢のように飛ぶ。
その速さにシルバーバックが。ヘスティアが。そして何よりベル自身が驚愕する。
何もかもがスローモーションで動いているように見えた。
驚くシルバーバックの表情と、腕を振り上げようとして間に合わず、かえってがら空きになった胴体がはっきりと見える。
一秒の半分にも満たない時間の後、先ほどのそれが嘘のように、漆黒のナイフが白い毛皮にさくりと刺さり、勢い余ったベルの体がその胸元に激しくぶつかった。
信じられない、と言った表情のまま、シルバーバックが両手を突き上げて後ろに倒れ、ベルはシルバーバックの体を蹴り、空中でとんぼを切って1mほど離れた場所に着地する。
素早く身を翻してナイフを構えたベルの目に映ったのは、魔石を砕かれてチリに還って行く白猿だった。
歓声が上がる。
息を詰めて潜んでいたダイダロス通りの住人たちが次々と窓を開け、快哉を叫ぶ。
満面の笑みを浮かべながら、ヘスティアがぺたり、とへたり込んだ。
「か、神様?!」
「大丈夫、大丈夫だよベル君・・・ちょっと頑固女神の前で30時間耐久土下座をやって、その後徹夜で鍛刀に付き合っただけだから・・・」
「無茶ですよそれ!? だいたい土下座って何ですか? 拷問ですか?!」
ホッとしながらも呆れるベルと、疲労困憊でなぜか誇らしげなヘスティア。
だがそんな彼らを見る異質な目が、歓声の中に紛れていた。
「面白いものを使う子ね。それに、ステイタス更新をしたとたん、別人のように早くなった・・・
ああいうことはよくあるのかしら?」
「どうだかなあ。一年くらい更新してなきゃそう言う事もあるだろうが、それにしたって上がり幅が尋常じゃねえ。
最初の一撃と今のあれじゃあ、まるで別人だぜ」
男の言葉を聞いて無言になるフードの女。
「おい、何を考えてる? こんな人目のあるところで・・・」
「どうせあちこちで騒ぎは起きてるわ。何をどうしたのか"
一つ騒ぎが増えたところでどうという事は無いでしょう?」
「・・・知らねえぞ、俺は」
投げやりな男の言葉に、女は赤い唇をあでやかに微笑ませて答えた。
ふと、羽音が聞こえた気がしてヘスティアは空を仰いだ。
「・・・コウモリ?」
薄暗いダイダロス通りとは言え、昼日中にコウモリが飛ぶなどあり得ない。
だが、それは明らかに黒いコウモリのシルエットだった。
ばさっ。ばさばさっ。ばさばさばさっ。
一匹だったそれは瞬く間に二匹、三匹と増え、空を完全に覆う無数の大群となった。
窓から顔を出し、あるいは通りに出てきていたダイダロス通りの住人たちも、にわかに闇に閉ざされた通りに、不安げに顔を見交わす。
そんな中、ベルは不吉なものを覚えてナイフを構え直した。
次の瞬間、それに呼応したかのようにコウモリの群れの動きが変わる。
建物の上を飛んでいた無数のコウモリが渦を巻くように通りに降り立ち、路上にわだかまる。
いや、それは既にコウモリか?
「これは・・・!」
路上にわだかまるコウモリの群れは、もはやコウモリではなかった。
群れがひとかたまりになり、何物かの姿を形作る。
渦巻く群れが「それ」に合流するごとに形が作られてゆく。
ぷん、と腐臭が鼻をついた。
全長は7m、直径も3m近くはあろうか。ダイダロス通りの狭い道をふさぐほどの巨体。
緑色の硬い殻に覆われたずんぐりとした体。鋭いカギ爪の生えた無数のいぼ足。
頭部から飛び出した一対の眼柄の先に黒い目玉。カチカチ音を立てる、鋭い牙のずらりと並んだ大アゴ。
そして、その大アゴの下に1m半ほどの、うごめく八本の触手。
ベルに知識があったなら、絶望と共にうめいていたかもしれない。
「キャリオンクロウラー」と。
D&D序盤のアイドルと言えば、やっぱりキャリオンクロウラーですよね!(きらきらした目で)