ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~ 作:ケ・セラ・セラ
ぎょろり、と黒い目がベルを見た。
標的は自分だと確信し、ナイフを構えたままゆっくりと下がる。
ここで戦えば、間違いなくヘスティアを巻き込む。
せめて、彼女を安全なところに逃さなければならなかった。
一歩、二歩、三歩。
ゆっくりと、刺激しないように、すり足で後退する。
四歩、五歩、六・・・
硬直していた人々がわっと動き出す。
彼らが逃げようとしたその瞬間、キャリオンクロウラーがうるさげに触手で前方を払った。
しゅるり、と触手が3mほどに伸びる。
平たく広がった先端で、前方――自分たちとの間――にいた数人を払った、というより撫でた。
そうベルには見えた。
だが全くダメージを与えなかった打撃にも関わらず、撫でられた人間は全身の力を失い、かくん、と地に崩れる。
(・・・麻痺毒?!)
よく見れば、触手の先端からわずかに液体がしたたっている。
それがダイダロス通りの住人たちの体の自由を奪ったに違いなかった。
本来ならばそれらの人々を餌として捕食するのだろう。
だが、そのかちかち鳴る大顎が犠牲者に食らいつくことはなく、眼柄はベルから離れない。
「やばいっ!」
「わきゃっ?!」
ベルが身を翻してヘスティアを抱きかかえるのと、巨大な芋虫が突進を開始するのがほぼ同時。
麻痺した人々も何人かその蹂躙に巻き込まれるが、今はその無事を祈ることくらいしかできない。
ベルは再び、ダイダロス通りを全速力で走っていた。
キャリオンクロウラーが迫る。
周囲の建物の壁を崩し、柱を倒して圧倒的な質量が追ってくる。
「べ、ベル君! さっきの! さっきの!」
「は、はいっ!」
駆けながら、再び腰の物入れから足止め袋を取り出し、後ろ手に投げつける。
だが止まらない。
いぼ足を粘液にまみれさせながらも、キャリオンクロウラーの勢いはかけらも衰えない。
「何でっ!?」
「大きすぎるんですよ! 量が足りないんです!」
「じゃあもっと・・・」
「あれで最後です!」
「ちくしょーめーっ!」
わめくヘスティアを抱えてベルは走る。
彼女を抱えている分足は鈍るが、キャリオンクロウラーの方も道脇の建物を破壊しながら追ってくるため、早さはほぼ互角。
己の主神を安全なところにと思うが、退避させられそうな脇道はなく、道沿いの窓は全て閉じられ、中の人々は降って湧いたこの災難にそろって息を殺している。
(・・・あれだ!)
そんな中、ベルが見つけ出したのは一筋の光明。
非常階段のように、屋上まで斜めに立てかけられた長いはしご。
おあつらえ向きに、ベルの進行方向と登り方向が一致している。
ベルが路面を蹴った。
ほぼ一階分の高さを飛び、はしごの1/3地点に着地、素早くもう一度跳躍。
『ギィィィイィ!!』
「っ!」
「わあっ!?」
更にもう一度跳躍する直前、キャリオンクロウラーがはしごに突っ込む。
建物全体が震動した。
一階部分とはしごを破砕し、巨体が止まった。
ガチガチガチ、と鋭い歯をならし、眼柄と触手が上を向く。
ベル達は落ちていなかった。
辛うじて、屋上のへりにベルの右手が引っかかっている。
「た、助かった・・・」
「これでもう追ってこれません・・・かな?」
キャリオンクロウラーは上体を持ち上げるが、それでも触手の先端はベル達にギリギリ届かない。
安堵のため息を漏らし、ヘスティアを屋上に上げる。
自分も上がろうとしたところでふと下を振り向き、その顔が引きつった。
かちかちかち、と鳴る大顎が、すぐ足下にあった。
体長7mの巨体が、いぼ足の先端の爪を壁にめり込ませ、壁面を這い上がってきている――
説明しよう! キャリオンクロウラーは垂直の壁でもオーバーハングでも普通に登れるのだ!
速度は地上の半分位だけどな!
「うわあああああああ!?」
「キシャァァァァァァァッ!」
悲鳴を上げながら一瞬で屋上に飛び上がるベル。
一瞬前まで体があった空間を、八本の触手が撫でて過ぎる。
再びいぼ足を動かし、登攀を再開するキャリオンクロウラー。
ヘスティアを抱き上げ、走り出すベル。
おいかけっこが再開された。
増築や改築ででこぼこした屋根の連なりの上を必死で走るベル。
屋根をきしませ、時には陥没させながらも、一直線にそれを追うキャリオンクロウラー。
自分と、腕の中のヘスティアの命を賭けた逃走劇。
だが、しばらくすると距離が離れ始めた。
無数のいぼ足で重量を分散しているとは言え、さすがに数十トンの重量を支えるには、ダイダロス通りの粗悪な建造物はもろすぎたようだった。
長い体ゆえに落下することは無いとは言え、足を取られる時間が明らかに長くなっている。
「これは・・・いける! いけるよベル君!」
「はい、このまま・・・えええっ?!」
明るくなりかけた表情が、驚愕に曇った。
静止したキャリオンクロウラーの体が黒くなり、ぶわっ、と大きくふくらむ。
無数のコウモリで構成された、直径10mを超す巨大な群雲。
それが、芋虫の時に倍する速度でベルとヘスティアに迫る。
スウォームシフター。
吸血鬼がコウモリの群れや霧に姿を変えるように、無数の小動物に変化できる特殊なアンデッド。
巨大キャリオンクロウラーの死体を改造した、本来この世界に存在しないカテゴリの怪物。
それが、この緑色の芋虫の正体だった。
「神様! 動かないで!」
「わきゃっ!?」
とっさにヘスティアを地面に下ろし、その上に覆い被さる。
数秒遅れて、キャリオンクロウラーが変化した無数のコウモリが彼らを襲った。
「ぐうっ!」
「ベル君! ベル君っ!」
「だめです・・・神様、動いちゃ・・・っ!」
ベルの体のアーマーに覆われていない部分をコウモリの牙が切り裂く。
みるみる増える血の筋。
ぽたり、ぽたりと血のしずくがヘスティアの体にしたたり落ちる。
泣き叫ぶヘスティアを押さえ込み、盾になることしかベルにはできない。
もっとも、ヘスティアがいなくとも、ナイフを振り回してコウモリ数匹を倒すのが精一杯ではあったろう。
いかに神の力を宿すナイフとは言え、数万匹の群れは武器で対処しきれる相手ではない。
「強くなれたって・・・強くなれたって思ったのに・・・!
兄さんみたいな魔法が使えれば・・・神様を守れるのに・・・!」
「ベル君・・・」
ぽたり、ぽたりと、血とは別の液体がヘスティアの頬を濡らす。
ヘスティアもまた無力感にうちひしがれる。
気がつくと、周囲のコウモリはいなくなっていた。
「う・・・ぐ・・・」
傷自体は小さな物ばかりだが、出血がなぜか止まらない。
ともすれば途切れそうな意識を叱咤し、上体を起こしたベルの目の前に、再び合体した巨大な芋虫がいた。
震える足で立ち上がり、ナイフを構える。
かちかち、とうれしそうに鳴らされる大顎。
その巨体を前にしては、ヘスティアナイフも蟷螂の斧にしか見えない。
「神様・・・逃げてください・・・僕が食い止めてる間に・・・」
「嫌だ! 嫌だよベル君! 帰ってくるって言ったじゃないか! ボクを置いて逝かないって言ったじゃないかっ!」
「そうだぞ、ベル。約束は守らないとな」
「「!」」
二人が揃って空を見上げる。
そこにいたのは天駆ける駿馬にまたがった、彼らのよく知る姿。
「《
次の瞬間、天から降り注いだ八条の火線が巨大な芋虫の頭部を焼き貫いた。
スウォームシフターはアンデッド専門本「Libris Mortis」出典です。
コウモリや虫の群れ、肉片、灰などに変化できる特殊なアンデッドですね。