ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~ 作:ケ・セラ・セラ
軽い音を立ててベルが着地した。
よどみない動きで軽やかにバックステップし、多條鞭の間合いから離れる。
ぽたりぽたりと血痕が床にひろがった。
「・・・・・・・」
「・・・・・」
そう、手傷を負ったのはベル。
先ほどの"
ベルの武器はナイフと長剣。
その一方でグラシアの多條鞭は4mを越す間合いがある。
グラシアが認識できないほどの速度をベルが発揮するか、多條鞭を全て迎撃できない限り、懐に入るのは不可能。
だがしかし、今渋い顔をしているのはグラシアの方だった。
その目は自らの武器と、そして自らの足元の床に注がれている。
そこに落ちているのは、九本あった鞭の一本。
半ばほどからバッサリと切り取られて床に落ちている。
信じがたいことだが、今やあの紫の光剣の収束率は、グラシア愛用の九条鞭の強度すら大きく上回るらしい。
剣技の冴えと剣の切れ味、双方が上昇したことによって不可能が不可能でなくなった。
迂闊に攻撃を仕掛けることも、突進を無造作に迎撃することも、もう出来ない。
グラシアが後退した少年を軽く睨む。
そのベルはベルトから素早くエリクサーの管を抜き、一息に飲み干していた。
試験管を投げ捨てるのと同時にぽたぽた垂れていた血が止まり、ナイフと剣を構え直す。
その視線の先で、グラシアがゆっくりと床に降りた。
ベル同様に腰を落とし、右手の鞭を油断無く構えて、ゆっくりとベルの外側を回り込もうとする。
これまでの、ベルの挑戦を待ち受ける上位者のそれではない、相手を互角の戦闘者と認める態度。
それに伴って吹き付けてくる、先ほどにも増して強烈なプレッシャー。
ごくり、とベルがつばを飲み込んだ。
じりじりと、すり足で右に移動して回り込もうとするグラシア。
普通ならばベルも右側に回り込むところだが、今ベルの後ろにはアイズの横たわる祭壇がある。グラシアに回り込まれないよう、祭壇を背に守るようにして左側に動く。
祭壇を中心にして、二人がゆっくりと同心円を描く。
四分の一ほどの円を描いたところで、グラシアの右手がぴくりと動いた。
「!」
グラシアの姿が霞んだ。
一秒の、数十分の一ほどの時間を置いてベルの姿もまた。
ベルに対してはなぶるか、迎撃ばかりだったグラシアが初めて見せた本気の踏み込み。
やや遅れたとは言え、ベルはそれに何とか反応してみせる。
火花が散った。
グラシアの九条鞭に埋め込まれた地獄の鉄を鍛え上げた棘と、ベルのナイフ、そしてサンブレードがぶつかった結果。
さしもの【神のナイフ】も、魔力剣なしで鞭を切り裂くほどの切れ味はない。
強化されたサンブレードも、純粋な物理的破壊力においてはその域に達していない。
耳障りな金属音と共に無数の火花が雨と降り注ぐ。
互いの生死と一つの世界の運命をかけた戦いと知らなければ、それは夜空に咲く祭りの花火のように美しい光景だった。
「くっ!」
ベルが僅かにうめく。
九条鞭の攻撃を防ぎきれず、数カ所から血が飛び散る。
わかってはいたが、魔力剣無しでの打ち合いは不利だ。
しかし魔力剣を形成するには一瞬とは言え集中が必要で、間違っても打ち合いの最中に出来ることではない。
さりとて魔力剣をずっと維持するというのは、その間精神力を垂れ流すのと同義だ。
10分と持たず、
左から切り返しの二撃目。
あらゆるものをズタズタに引き裂く鋼の大波。
顔面をかばうように構えたサンブレードの表面を九条鞭が舐める。
またしても火花が雨となって降り注ぎ、戦闘衣とむき出しの肌を焼く。
左手に伝わる衝撃と振動と、時折跳ねる鞭による裂傷に歯を食いしばって耐える。
だが下がれない。
後ろにはアイズがいる。
ベルにとって世界と同じくらいの重みを持つ、憧憬の乙女がいる。
ならばベル・クラネルは――絶対に、下がれない。
「うおおおおおおおおおおお!」
吼える。
自分を鼓舞して一歩前に出る。
同時に右側から三撃目が来た。
痺れた腕を鼓舞し、辛うじてサンブレードによるブロックを間に合わせる。
また火花の雨。
更に一歩進んだところにまたしても鋼の波。
火花の雨。
寄せては返す波のように、九条鞭の攻撃は途切れず続く。
それでも少年は下がらない。
ベル・クラネルは下がらない。
途切れない圧を受けながら、血しぶきを上げながら、前へ。一歩ずつ前へ。
思えばいつだってそうしてきた。
憧れの人に追いつくために全力で走り続けてきた。
ならここで、立ち止まるわけにはいかない。
(――――!)
攻撃を途切れさせず、少年を打ちすえ続ける。
そこに迷いも乱れもない。
しかし内心でグラシアは戦慄していた。
いくら能力が上がろうが、それでもグラシアとベルの間には歴然とした差がある。
神技か、イカサマか、あるいは吸血鬼に対する日光のような、そのレベルの何かがなければ埋まらない差だ。
だのに、少年は倒れない。
何合、何十合と一方的に打ちすえてもそれを凌いで、あまつさえ一歩ずつ間合いを詰めてくる。
それはグラシアにとって途方もなく――美しい光景だった。
(・・・ああ)
心の中で溜息をつく。
数ヶ月前まではシルバーパックに勝つのがせいぜいだった少年が、今やあらゆる魔の頂点である自分に肉薄している。
おそらくは、背中にかばう少女を助けるというただ一念のために。
それはまさしく英雄譚の中の英雄そのもの。
グラシアの愛してやまない人界の奇跡。
だが、グラシアも魔王だ。
九層地獄の階層の一つを預かる九人の
その
誇りと忠誠にかけて、譲れないものがある。
鋼の大波の中を一歩ずつ前進し続け、ついにベルが一足一刀の間合いに入る。
二人が、同時に動いた。
「っ!?」
「・・・・・・・・」
鞭の攻撃が、このタイミングで変わった。
薙ぎ払う動きから、長剣を絡め取る動きへ。
その一瞬に賭けて、魔力剣を形成しようとしていたベルが僅かに動揺する。
魔王としての圧倒的な戦闘経験によって、機先を制した。
その僅かな隙につけ込んで、ベルの右手のナイフを自らの左の手のひらに突き刺して貫通させ、拳ごと固く握る。
ナイフと剣を、両方封じられたベルの耳に聞こえたのは涼やかな声。
「ごめんね、ベル」
「・・・!」
一抹の寂しさをたたえた目。
次の瞬間、素早く九条鞭を離したグラシアの右拳が、ベルのみぞおちにまともにめり込んだ。
「か、はっ・・・!」
拳が背中まで貫通したかと思うほどの威力で横隔膜を強打され、呼吸が出来なくなる。視界が一瞬暗転し星が散った。
それでも立ち上がろうと足に力を入れたタイミングで、上から大腿骨を踏み砕かれる。
こめかみにだめ押しの一撃を受けて意識が遠のく。
更に下腹部に回し蹴りの強烈な一撃を受け、ベルは吹き飛ばされた。