ダンジョンでドラゴンと戦うのは間違っているだろうか ~マンチキン・ミィス~ 作:ケ・セラ・セラ
「――っ!」
ベルの足が硬直する。
全身の汗腺が開くような感覚。
「ベル様? ベル様っ!」
リリが必死に呼びかけるが、その声もベルの耳には届かない。
『ヴゥゥゥゥゥ・・・・』
再びの「声」。
近づいて来ている。それがはっきりとわかる。
わかっているのに、ベルは指一本動かす事が出来ない。
かつて魂に刻み込まれた恐怖が、無力感が、絶望が。
その体を縛り付ける。
『オオオオオオオオオ・・・・』
そして、そいつは現れた。
牛の頭、蹄の足、片折れの角。優に2mを越える巨体。
身長はフリュネ改めレーテーと同じくらいだが、肩幅と肉の量が二回り多い。
常人が両手で使うサイズの大剣が、巨躯と比べると大ぶりの片手剣にしか見えない。
全身から発散される圧倒的な威圧感が「そいつ」が本物だと、何より雄弁に告げていた。
「み・・・ミノタウロス?! 何故12階層に・・・!」
通常、ミノタウロスが生息するのは17階層以下。
1、2階層なら昇ってくることもないではないが、5階層も上がってきた例は・・・一ヶ月前の例外を除いて、ない。
『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!』
「っ・・・!」
「ひっ・・・・!」
咆哮が魂を砕く。
精神を揺るがし、意志をくじく。
目の前にいるのは命を刈り取る死の化身。
圧倒的な、そして絶対的な死。
「べ、ベル様! 逃げましょう! 今のリリ達では太刀打ち・・・ベル様? ベル様ぁ!」
リリがベルの戦闘衣の裾を引っ張り、呼びかけた。
だがベルは凍り付いたまま動かない。
目には涙がにじみ、歯はかたかたと鳴っている。
一歩一歩、牛頭の死が近づいてくる。
死の化身が右手の大剣をゆっくりと持ち上げたとき、とっさにリリはベルに体当たりした。
一瞬遅れて地面が爆発した。
リリとベルを巻き込み、こぶし大の石の群が空間を蹂躙する。
「うぅ・・・リリ・・・リリ!?」
我に返ったベルが見たのは、ローブを朱に染めて倒れるリリだった。
背中にはバックパックの残骸。額から血を流し、それ以外にも数カ所に赤く血がにじんでいる。
「っ!」
リリを抱きあげ咄嗟に跳ね起きるのと、ミノタウロスが二の太刀を振り下ろすのがほぼ同時。
肩アーマーに大剣がかすっただけで少年の体はバランスを大きく崩し、吹き飛ばされた。
それでも体は自然と動いていた。
自ら飛んで距離を取りつつ、とんぼを切って両足から降り立つ。
「リリ、ごめん!」
小人族の軽い体を放り投げ、
猛烈な勢いで突進してくるミノタウロスの斜め上からの三撃目を、両手の武器を盾にしてほとんど体全体で受け流す。
バゼラードと『神のナイフ』の刀身を滑った斬撃は結果として横向きのベクトルをベルの体に与え、少年は再び吹き飛ばされた。
だが、数歩たたらを踏んで転倒を耐える。
双刀を構え直した瞬間、ミノタウロスが瞬時に間合いを詰める。
次の斬撃が来た。
右から左になぎ払う鋭い一撃。
頭を低くして飛び込み、髪の毛数本と引き替えにミノタウロスの右脇に抜ける。
姿勢を立て直し、素早く振り向く。
ほとんど同時に振り向いたミノタウロスの、打ち下ろしの斬撃。
「スコーチング・レイッ!」
「ヴォオオオッ!」
火線の連射。
ほとんど効いてはいないものの、ミノタウロスが僅かにひるむ。
ぶれた剣をかわし、後ろに飛んで間合いを離す。
「ヴォォォォォォォォォッッッ!」
「くっ!」
だがミノタウロスの踏み込みは、必死で稼いだ僅かな間合いを瞬時にゼロにする。
右上から左下の片手袈裟切り。
体を半身に構えると同時に、大剣の横腹をバゼラードで弾いてさばく。
その瞬間、左での追撃が来た。
破城槌のように打ち出される、左拳での突き。
重い斬撃をさばいて、体勢が崩れているベルにはかわせない。
咄嗟に床を蹴り、後ろに飛んだ。
腕を交差させ、左腕のプロテクターと右腕の『神のナイフ』でガード。
それでも体ごと、意識を持って行かれそうな衝撃が来た。
腕とあばらが軋む。
数秒間宙を舞い、ごろごろと転がって素早く立ち上がる。
軽い脳しんとうを起こしつつも、震える手で両手の得物を構え直す。
今度はミノタウロスも追わず、右手の大剣を両手で中段に構え直した。
(・・・あれ?)
そこでベルは、この状況のおかしさにようやく気づいた。
ここにミノタウロスがいると言うことに、ではない。
自分がミノタウロスの攻撃をしのげていると言う事にだ。
(見えてる・・・? ミノタウロスの攻撃が?)
確かにミノタウロスの攻撃はベルを圧倒している。
だが、対処できている。
都合六回の攻撃を、髪の毛数本とこめかみからの数滴の血だけで防ぎきっている。
動揺と恐怖が、すっと消えていく。
冷静さが戻ってくる。
少し離れた所に倒れていたリリの指がぴくりと動いた。
出血と苦痛に朦朧としながら、身を起こす。
「べ・・・ベル様?」
そしてリリは目を見張る。
再び始まった激しい打ち合い。
神のナイフと魔法の助けがあって辛うじてではあるが、確かにミノタウロスの攻撃をしのいでいるそれを。
「ベル様!」
「リリ! 無事かい!」
再び間合いを空け、振り返らないままに呼びかけに応えるベル。
その声音には明白な安堵の成分が含まれている。
「い、今すぐ援護を・・・!」
「ダメだ! リリのクロスボウじゃ援護にならない! "送信の石"で兄さんを呼んでくれ!
その後はどこか安全な所に! それくらいの間なら持たせてみせる!」
「っ・・・!」
仮にベルが今にも殺されそうであったら、リリはたやすく頷かなかっただろう。だが現状はミノタウロスに不利ながらも太刀打ち出来ている。
「~~~っ!」
腰のポーチから"送信の石"を取り出し、手に持ってイサミの顔とここの場所――ギルドの正式地図で割り振られているルームナンバー――を念じる。
「イサミ様達はすぐに来るそうです! リリは他の冒険者様に助けをお願いしてきます・・・ご無事で・・・!」
石をポーチに戻した後、リリは身を翻して11階層への階段の方によろよろと歩き出した。
赤いシミが点々とその後に続く。
ミノタウロスは僅かに反応するが追おうとはしない。
目の前の敵と戦うことに比べれば、取るに足りないとでも言うかのように。
「ヴォォォォォォォ!」
振りかぶっての打ち下ろし。
まともに食らえば脳天から股下まで真っ二つに切り割られ即死する、必殺の一撃。
速度も圧倒的。
だが大ぶりに過ぎる。
振り上げる準備動作。力の入りすぎている剣の振り。
金色の剣姫の流麗な剣さばきとは比べるべくもない、テレフォンパンチ。
視線が、振り上げた剣の切っ先が、握りが、足の位置が、これ以上ない程明白に次の剣の軌道とタイミングを教えてくれる。
その剣の軌道の範囲外に、一瞬だけ早く逃げ込む。さばく必要すらない。
直後に振り下ろされる鉄塊。だがその剣の届く先に、既にベルの体はない。
「ヴオオオッ!?」
剣を持つミノタウロスの右腕に血が散った。
脇をすり抜けざま、ベルが『神のナイフ』で切り裂いたのだ。
深手ではないが、確実にダメージを与えている。
「やれる・・・戦えない相手じゃ・・・ないっ!」
「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッ!」
少年の闘志を不遜と取ったか。
怒れるミノタウロスの咆哮が、再び迷宮にとどろいた。