少女は考えた。心とは、何ぞや?
それはそれは難しい問いである。
他人について考える事? なら、人々はもっと楽に暮らせているだろう。
優しさや気遣い? 私はそれを貰ったことなどないはずである。
数年間の思案の末に辿り着いた答え。
心とは、痛みである。
人は痛みで何かを判断するし、痛みの上に行動が伴う。
それが、3年間虐められ続けた少女の出した答えであった。
小学校4年生。
幼さからの変わり目、その転換点。
概ねこの時期になると何かしらの出来事を経験し始め、精神的な熟達が進む子供が多い。
それはこの少女においても同じところであった。
熟達の切っ掛け、転換点は人によって様々なのであるが、この少女のそれは禁忌であった。
4年生の夏休みに入る前、校舎裏にいじめっ子を呼び出した。
「伝えたいことがあるの、だけど、ちょっと恥ずかしいから後ろを向いて」
顔を赤らめながら少女は言った。
少年も満更ではないような感じで、少しつんけんしながらも素直に後ろを向いた。
それもその筈、少年の3年間の度が過ぎるいじめは、一目見た時よりから少女の美しさに惚れていたが故のものだった。
少女は木に隠していた長い柄を持つスレッジハンマーを手に取り、やっとの思いで背へと振り下ろした。
5㎏の槌は些か少女の体躯にはコントロールしにくいものだった為、頭を狙ったつもりが目測を誤り、背骨へと激突した。
少年は僅かなうめき声だけ上げて、成すすべなく地面へと倒れ伏した。
衝撃と苦痛に僅かな吐息と声を漏らすだけ、身体も動かせずにぐたりとしていた。
まだ息があることに気付いた少女は、少年の身体を転がして上を向かせた。
何が何だかまだ理解も出来ていないような少年は、ここでようやく少女から敵意を向けられていることに気付いた。
恐怖に歪んだ少年の顔を、無表情で叩き潰した。
炸裂した脳漿と血しぶきに、彼女はこの少年のぽちゃとした顔がずっと嫌いであったことを思い出した。
死体を運べるような力もなく、元より死体をどうにかする気もなかった少女は、2日後に捕まった。
児童自立支援施設に入所して、そこで「彼」と出会った。
そのころから他人の腕を抓る癖がついていた少女は、初めて声を上げない少年を見つけた。
「あなた、痛みを感じないの?」
「うん、そうなんだ」
無痛症の少年である。
二人は直ぐに仲良くなった。
元より不気味がられて避けられていた少年と、人殺しの少女は孤立した存在であり、必然的なものであったのかもしれない。
少年の方はその先天的な性質故のものであろうか、友人と言えるものは少女が初めてであった。
見た目通りの内気な少年と可愛らしい陽気な少女は相反するようでいて、親和性が高かったようである。
二人が日々話をしているところを様々な者が見ていた。
どちらかというと、少女の一方的なコミュニケーションであったのかもしれないが。
"痛み"をこころであると捉える少女にとって、少年との邂逅は未知との遭遇であった。
まさに、心が存在しないものと相対しているのである。
水や風に意志を感じないのと一緒であった。
しかし、彼は目の前で喋っており、意志がある。紛れもない心を持つように思えた。
少女は面白がって、不思議がった。
「ねぇ、腕切ってみたんだけど」
彼女は心を探求しようとたまに彼の事を傷つける。
彼は痛みを感じない故なのか、そもそも感情が薄いからなのか。
いずれにせよ、うっとうしくは思っても彼女を遠ざけようとはしなかったし、それを止めようとすることもなかった。
二人はいつも一緒に行動していた。
少女が付き纏っていたようでもあるが、少女の風呂上りを少年は待っていたりした。
二人は友情というものを知らなかった。
虐められていた少女に他の子は同情をしていたのか、あえて距離を置いていたのかは分からない。
ただ、二人とも周りに人はいつも居なかった。
年月が経過しても、二人の周りに人は寄り付かなかった。
進学先も自然と二人は一緒になった。
いつも二人で勉強しているので得意科目と苦手科目が同じになるかと思えば、意外とそうでもなかったりする。
互いに勉強を教えあったり、他愛のない話をしている二人は他では浮かべない笑みを浮かべていた。
友情とはこんなものなんだな、と少年は思っていた。
高校生となった二人は、身寄りがないのでバイトを始めた。
少女は地元では有名人でバイトができなかったので、ちょっと離れたところに行くことにした。
履歴書を噓で重ねていたのでどれも長続きはしなかったし、定期代の負担が重かったので、そのうちに家庭教師のバイトを始めていた。
少年はコンビニでバイトをしていた。
油が跳ねても気にしないし、ストレス耐性も高かったので楽な方の仕事ではあったが、なんとなく辞めた。
結局短期バイトが楽だと気付いて、治験や監視員など変なバイトを良くやるようになっていった。
勉強はそこそこであったが、やはり高校でも友人らしい友人というのは二人ともできなかった。
それは二人の関係性というのも影響はしていたけれど、女が男の手首をカッターで傷つける構図を見て、絡みたいという人は居るはずはないのだった。
二人は、より深い関係へと沈むことを求めた。
それは愛情と言えるものまで発展していたのかもしれないが、二人にとってはやはり友情だった。
入学してから二年。二人は高校三年生になった。
変わらず、二人の周りには人は寄り付かなかった。
ねぇ、一緒に死んでみよっか。
ある日、彼女はそう言った。
僕は、確かにこの世に成し遂げたい事や未練など大してなかったのでそれを受け入れた。
その話をしてから数日、高校をさぼって遊び散らかした。
バイト代を遊びに使って、月が見えなくなってもまだ喋っていたりした。
この世に僅かに残っていた未練というべきものが粗方なくなって、それがたった数日で為されてしまったことにちょっとショックも受けたが、まぁもうしばらくしたら死ぬので関係ないなと思った。
高々18年の人生だ。積み重ねてきたことが薄いだけに、欲求も大概薄いのだろう。
真夜中の学校にこっそりと侵入した。
警備の人はカメラに引っかかってから駆け付けると、集会の時に竹中が言っていた学校に不法侵入した男の例から知っていたので、速やかに屋上まで行けるようにルートを組んだ。
鍵を解錠できるような道具も知識もなかったので、ドアノブをハンマーで壊せるように大きなものを持ってきた。
彼女がそんなものを持っていることを知って驚いた。思い出の品らしい。
窓ガラスを叩き割って、屋上へと一気に駆けだした。
僕より彼女の方が体力があるのは何となく納得がいかないのだが、この期に及んでまで悩むことか? と考えた。
悩むことであるなと思った。
ハンマーを僕に預けていたから僕の方が疲れているのは当然であるというのに、彼女は僕を詰ってきた。
それを酷いと思う気持ちがあるなら、多分数年前に僕は彼女を刺していたと思う。
兎にも角にも、ハンマーを渡した。
彼女に上手から全力で振るわれたそれは、綺麗に持ち手を圧し折った。
豪快に彼女が扉を蹴ると、一気に開かれた扉の先に、美しい星空が見えた。
地を歩いていると上を見ない。普段は入れない屋上という場所だからなのか、空はより一層煌めいて見えた。
隣から、綺麗……と声が聞こえた。僕もそう思った。
少なくとも、僕たちが死ぬ前に見るには勿体ないくらい美しい光景だった。
彼女もそう思ってたのかどうかわからないが、とりあえずハンマーは柵の向こうに投げ捨てていた。
何故か投げる姿も妙に美しいもので、様になっていた。
じゃ、飛ぼうか。どっちが言ったのかはわからない。ただ、何となく夢心地のままでいた。
ここに二人で居るだけで幸せな気がした。
二人で手を繋いで花道を歩いた。空から雲を切って降り注ぐ月光がフラワーシャワーのように僕らを祝福してくれている。
靴を柵の前に揃えて、ゆっくりとそれを乗り越える。今から行うのが、僕たちの初めての共同作業だ。
二人でしかと抱き合って、虚空に身を投げた。
僕は彼女を見て笑った。
彼女は僕を見て顔を歪めた。
不思議なことに、これまで見せたことがなかったというのに。
何故か彼女は苦痛を感じているような顔をしていた。
彼女は僕を空中で突き飛ばして、僕たちは離れ離れになった。
数秒後、枝の折れる音と共に墜落した。
いくらかの衝撃があったが、折れた枝が緩衝となって大したことは無かった。
僕は飛び起きて彼女に近づいた。
何か許しを請うような表情で、苦痛と綯い交ぜになったそれを僕はただ暫く見ていた。
読み取れない顔と濁る眼を見ていたら、それから地面に線が繋がっていることに気が付いた。
彼女はもう、死んでいるのだろうと思った。
僕は彼女の首を絞めた。
頬を伝う液体が酷く皮膚を灼いた。
初めて、僕は痛みを感じた。