恋こそが、人を動かす大きな力である。
◇◇◇
ウルザの町は沿岸部にほど近く、しかし海辺というには内陸よりの、そんな中途半端な町だ。あせた赤の屋根と白い石造りの壁に彩られた家並みを、趣があると評価する人もいるが、それだけでは観光には不向きだろう。この町が未だにぱっとしないことがすべての証明だ。住む者はそれなりに多いし、市もなかなか大きいのだが。
町の東側の十本マツを超えると、ナーセットの森に入ることができる。とはいえ、この森も東の深部へと分け入らなければただのつまらない森に過ぎない。時折ドライアドが森でとれたモノを売りに、行商として出て来る程度だ。
平和というよりは退屈といった方が近い、そんな倦んだ空気の町に、似つかわしくない事件の香りが迫っていることに初めに気づいたのは、ジンクという【操縦士】だった。
「お客さんかい?」
十本マツの足元で、ジンクは森から出てきた女に声をかけた。全身派手な服で固めた女だ。色味は全て赤系統、時折ショッキングピンクが混じる。色は派手だが、装備はそれなりにちゃんとしているようだ。腰には粗末なナイフ、両手には真っ赤な手袋がはめられている。彼を不審げに見つめる顔を見て、ジンクは慌てて説明を付け足した。
「俺はここでバスの運転手をやってるんだ、勿論私設というか、個人で勝手にやってるだけなんだがね」
バス停がおいてあるだろう、とジンクは道端の立て看板を親指で指した。
それはジンクが自分で勝手に立てたものだ。最初は住人に煙たがられたものの、彼も今では、善良な<マスター>の一人として受け入れられていた。町の中の移動は決してそこまで大変なものでもないのだが、それでもバスに乗れば時間は短縮できるし、重い荷物を運ぶにも楽だ。いつもは町の老人たちがメインだが、時折、旅の<マスター>が珍しがって乗ることだってある。そして、おおむねその乗り心地に満足するのだ。
「運賃は一律一〇〇リルの後払い、路線はこの町ぐるりだ。出発まであと少しなんでね、良かったらどうだい」
ジンクの言葉に、女はしばし考えてから、不愛想に首肯した。
「にしても、この町に人が来るのは珍しいよ」
バスのハンドルを握りながら、ジンクはたった一人しかいない乗客に声をかけた。彼が今運転しているのは、彼の半身たるtype:ギアの<エンブリオ>である。率直に言って、たとえ手を放しても問題なくバスは運航するのだが、それは彼の運転手の美学が許さないのだ。その美学に従って、ジンクは朗らかに続けた。
「それもあんた、ナーセットの森のほうから来たろ?森の奥で何かしてたのかい?」
質問と一緒に明るい笑顔も添える。ジンクの接客術である。
だが彼と違って、女は世間話をする気はないようだった。彼女は緋色の長髪を挑発的に振りながら、鼻で笑うように答えた。
「もっと早く走れないの?」
「この道をあんまり飛ばすと、人を轢きかねないんでね。それに、ゆっくり走るのもいいもんだ。ほら、ウサギがいるぞ!」
「興味ないわよ」
「そういうなよ……」
いささかしょげてしまったジンクには一瞥もくれず、女は後部座席にふんぞり返って外を眺めた。
ごとごとバスが揺れている。遠くでは農夫が手押し車を運び、子供たちが古ぼけた石垣の上で走り回っていた。背の高いアカシアのような大樹は、吹きゆく風に任せてその枝を揺らしている。窓の外の牧歌的な景色は確かに見るべき価値がある物かもしれない。それを楽しむ余裕さえあれば。残念ながら、今の彼女にはあまり余裕の持ち合わせがなかったのだが。
突如、窓の外に目をやった女は、その眼を見開いて叫んだ。
「ねぇ、ここで止めて!」
女の唐突な言葉に、ジンクは面食らいつつも運転を続けた。
「そりゃ無理ってもんだよ、お客さん。次のバス停まではまだちょっとかかる」
「そんなこと言ってる状況じゃないの!今すぐ降ろして!」
「そんなに慌てて一体…」
どうしたんだ?ジンクがそれを言い終わる前に、女は車窓を勢いよく開け放った。
ジンクが慌ててブレーキを踏み、女が外へと飛び出る。それと同時にバスに衝撃が走り、激しい光が——
◇◇◇
横転した車体を横目に、女はバスを横転させた人影と向き合っていた。土煙が立ち込め、道が抉れている。遠くの子供らが慌てたように駆けていった。紛うことなき自動車事故だ。女の唇が忌々しげに歪む。
「…あンたもつくづくしつこいのね、ブラス」
「…ジンジャー・ロッソ。頼みがあるんだ」
「キモいから粘着すんなって言ったはずだけど?」
「……ダメなのか?」
「頭の危ないやつとは関わらない主義なの。《ヒート・ジャベリン》!」
いうが早いか、女——ジンジャーは、目の前の少年——ブラスに向かって炎の一撃を食らわせた。小手調べとはいえ、ダメージは免れ得ないはずの攻撃。しかし、ブラスの周囲、黒っぽい球形の障壁がそれを阻む。
「ドンガメのくせに…交通事故まで起こしておいてよく持つじゃない。引き籠るだけが取り柄だから?」
そう、この黒球の障壁こそ、ブラスの<エンブリオ>。彼はバスの前に飛び出し、自ら正面衝突することで強引に止めたのだ。ジンジャーはイライラした様子で唇を歪めた。
「だったら、息切れするまで殴るだけよ。あんたもそうしてほしいんでしょ?」
妙な言葉と同時に、彼女の掲げられた右手に光がともる。それは揺らめき、膨らみ、波打って大きな炎となる。そう、それなるは、上級奥義魔法の輝き——
「《クリムゾン・スフィア》——《
——だけにとどまらない。
本来火球を形成する筈の魔法が、彼女の手の中でまるで粘土細工のように歪められていく。実体のない筈の炎の輪郭が波打ち、火花が爆ぜる。そして炎が迸り、次の瞬間、彼女の手にはしゅうしゅうと音を立てる炎の大剣が握られていた。
「っらああああああっ!」
間髪入れずブラスへとそれは振り下ろされる。一撃、二撃、三撃。上級奥義を圧縮、成型した武具である。亜竜級なら触れるだけで消し飛ぶ熱量の剣戟は、しかしブラスの障壁を突破できなかった。
「こな、くそ、このぉ!さっさと割れろ!」
衝撃に揺らめく黒い球体の中で、ブラスが悲しげにうめく。
「違う、違うんだよ、ジンジャー、僕が欲しいのはそれじゃない!」
ブラスは悲観するように顔を覆い、そして手を広げた。
「《
瞬間、黒い障壁はその姿を変え、まるで黒い水のようにあふれ出した。その勢いのまま、密着していたジンジャーがはじけ飛ぶ。ジンジャーは地面をゴロゴロ転がると、素早く立ち上がってブラスをキッと睨みつけた。
「わかってくれ、ジンジャー。あれを使って、僕にもう一度——」
ブラスは涙を堪えるようにうつむくと、
「もう一度、彼女に会わせてくれ!」
絞り出すように咆哮した。
「気安く呼ぶなイカレ野郎!ならお望み通り、使ってやるわよ!」
負けじとジンジャーも声を張り上げる。彼女の開いた左手には、いつの間にか樹木と竜を象った短杖が収まっていた。それを掲げ、彼女は高らかに宣言する。
「《
「そこまでだ、お二人」
だが、二人の戦いは第三者によって遮られる。それを成したのは——
「ここで戦われちゃあ町の人が迷惑するからよ、いったん落ち着け」
バスの運転手、ジンクだった。
◇◆
ジンジャーは殺してやると言わんばかりの目つきでジンクを睨みつけると、ブラスの障壁を思い切り蹴り飛ばした。すでに杖は手の内から消え、炎の大剣もほどけるように見えなくなると、ジンジャーは踵を返して町の西側へと歩き始めた。面食らったようにジンクが声をかける。
「おいおい、どこ行くんだよ?」
「目的地。あたしも暇じゃないの。お分かりいただける?」
「しかし…」
これだけの騒ぎを起こしておいて…。その言葉をジンクは飲み込んだ。どちらが加害者かははたから見ても分かったし、なにより彼女の視線がそれを雄弁に主張していたからだ。釘は刺し終えたとばかりにすたすたと街道を闊歩していく背中を眺めて、ジンクはため息を吐くしかできなかった。
「大丈夫か?」
何より、こちらも気にしなければならないのだから。
ブラスと呼ばれた少年は今にも泣きそうな顔で呆然としていた。すでに障壁は解除されていたので、ジンクはその顔をしっかり確かめることができた。アバターであるにも関わらず、憔悴しきった顔だった。
ブラスはジンクの呼びかけには答えず、ただ黙ってジンクを見つめた。その眼には深い絶望、そして邪魔をした彼へのいら立ちが少しだけ見て取れる。
「なぁ、差し支えなかったらでいいんだがよ、何があったのか事情を話してくれねぇか?」
それは好奇心から出た発言だった。ある意味不躾ともとれるその言葉を、しかしブラスは拒否しなかった。あるいは彼も、思いのたけを吐き出したかったのかもしれない。
彼が語ったのは、世にも珍しき“物語”だった。
◆◆◆
彼、ニッケル・ブラスがソレに出会ったのは、名を持たぬほどに深い森、そのまた深部だった。レジェンダリアに数多ある禁足地の間隙を抜け、亜人たちも訪れない森の深奥。見たこともないような獣が這いずり回るのを躱し、枝の上に棲む巨大な怪鳥の視線を潜り抜けて、ブラスはやっと安全に見えるエリアへとたどり着いた。巨大な猛獣の姿はなく、痕跡も見当たらない。鬱蒼としていた木々はいつの間にか木漏れ日を許すほどになり、苔むした大樹の周りには大きく清らかな泉が湧き出ていた。ブラスはほっと息をつき、黒々とした岩に背を預け——
『その矮躯でわたしの領域に入り込むか、愚か者め』
次の瞬間、人の胴ほどもある枝がブラスの<エンブリオ>に突き立っていた。
「っ!?」
完全なる奇襲。いや、おそらくはブラスが油断しすぎただけなのだろう。
『おや、我が《枝》を止めるか。よい盾だ』
考えるべきだった。なぜ恐るべきけだものたちがこの場所にはいないのか。
『だが、妙な手触りだ。単なる物理的な防御ではないな』
結論はシンプルだ。さらに恐ろしいモノが棲みついていたから。そう、
『なんにせよ、この【樹竜王】の住処に踏み入ったのだ』
——大いなる純竜をも超える存在、【竜王】。
『ただで済むとは思うまいな、ニンゲン』
“ソレ“はそういうと、酷薄に、しかし美しく笑った。
◆
ソレは人間の少女の形を模していた。肌はまさに白木のごとく滑らかで、すらりと伸びた手足は若木のごとく瑞々しい。肩の長さまで伸びた髪のようなものは細枝と若葉で編まれていた。だが、姿は似ていても、人ではないことは明らかだった。偶然人型を成した古木のうろを吹き抜けた風が、人の声に聞こえたかのようだ。
ただしその威圧感は凡庸な木々のそれではない。高密度のエネルギーの存在感。猛々しい純竜すら従えうる上位存在の証。
<UBM>が一柱、銘を【樹竜王 ドラグリンズ】という。伝説級上位の【竜王】がそこにいた。
ブラスは思わず見惚れていた。人であるはずがない、恐るべき存在を前にしたにもかかわらず、思わず動きを止めてしまうほどソレは美しかった。人としての美しさではない、人ならざる者としての美、一本の立ち木の如き美しさである。
『噂には聞いていた、近頃増えたらしいな。<マスター>の能力…<エンブリオ>とかいったか』
その少女の形の竜、彼女の口が開いた。ただし、それは開いているだけだ。おそらく口の中に発声器官があるわけでもないのだろう、話された言葉と顔の動きにはいささかの関連も見て取ることは出来ない。
『《ジャベリン・スプラウト》』
彼女はゆっくりと間合いを詰めると同時に、背後からひときわ大きな枝を生やしてブラスへ叩きつける。
『攻撃力の多寡にかかわらず手ごたえが変わらない。打撃の強さと同じだけの力で、自動的に打ち消されているのか…興味深い能力特性だ、<マスター>というやつは皆こうなのか?』
それはブラスの防御を正確に洞察するものだったが、その言葉に現れている脅威も今のブラスにはもうどうでもいいことだった。
『だが、あらゆる干渉を常に遮断できるはずもなし、何らかの制約がある』
彼女の言葉、一挙手一投足、人間味の薄い表情、全てが愛おしい。信じがたいことだが、ブラスは今、目の前の竜に恋をしたのだ。
『強い力は返される、ならば…ふふふ、当たりだったな』
そうして、目の前の少女に見とれていたブラスは、障壁をすり抜けてきた無数の枝に足の先まで絞殺されてデスペナルティとなった。
◆
そして、一週間の後。
『おや、また来たのか』
ブラスは再びあの泉のほとりに足を踏み入れていた。
当然、湧き出した大枝で即座に全身を締め上げられる。
「ぐぅっ…」
しかし前回とは違って、【樹竜王】は直ちに彼を殺す気は無いようだった。そのまま彼を持ち上げ拘束すると、彼女は口を開かぬまま話し始めた。
『興味深いな…わたしは前回、お前が確実に死亡したのを見た。噂通り、お前たちは死後に復活することが可能なのか?傷跡や治療の形跡はないな、完全に生前の状態を復元している』
楽し気に【竜王】が笑う。
『殺しても止められないうえに特殊な術理まで備えている。加えて、どこか不気味なまでの軽薄さ。亜竜どもがうろついている筈のこの森を、その矮躯でへらへら散歩する人間など見たことがないな、不死身ゆえの感性か?』
「……」
『ところでお前の能力、被弾の強さに応じた防御だろう?当て方が強ければ強いほど硬くなるが、ゆっくり触れてやればほら、すり抜けられる』
そう言うと、一本の細枝が伸びあがり、障壁をすり抜けて彼の顔をやさしくなでつける。
『ここまでは既にわかっていた事だ、ゆえに分からないのはお前の目論見。なぜ一人で、弱点を知られた状況で、ここへまた戻ってきた?』
目の前の【竜王】は心底不思議そうに首をかしげた。枝葉がざわめき、ブラスの喉を抑えていた枝が緩む。
『答えろ』
その声は前回と変わらず凛々しく、威厳に満ち溢れていた。その姿は前回となんら変わらず、たおやかな花のように見えた。
ゆえに、ブラスの口から出た言葉は——
「ぼ、僕と、友達になってくれませんか!?」
一瞬の静寂。ただ風の音だけが響く時間があって。
そして枝が万力のごとく絞めあがり、ブラスはデスペナルティとなった。
◆
また一週間後。
今度は問答さえもなく、しなやかな枝が蛇のようにブラスを襲う。
「ちょっちょっ、ちょっと待って、お願い、お願いします、話を聞いて!」
全身がんじがらめにされたブラスが叫ぶ。【樹竜王】はそれを聞いて渋々といった様子で枝を止めた。ここぞとばかりにブラスは続けた。
「僕と友達になってくれ!」
彼女の表情は不気味なほどに変わらなかった。
『それはどういう意味だ?友?【竜王】であり大樹たるこのわたしとか?愚かしいぞニンゲン、我が魂とリソースを武具に変えるべく寝首を掻こうとでも云うのか?』
「そんなことない!」
『口では何とでも云えるさ。どのみち、お前如きがわたしを害するなど夢のまた夢だ。レベルは未だ二〇〇の後半といったところだろう?』
さらに彼女の枝が伸び、ブラスを絞殺さんとばかりに近づく。
『お前の殻のカラクリは既に理解した、私がその気になればこうしてお前の首をじわじわと……おい、何をしている、何だ、お前……なぜ喜んでいる!』
動揺したようなその声をよそに、ブラスは静かに障壁を解いた。彼の<エンブリオ>は自動発動の能力だが、発動してからなら一時停止させることができる。彼は自身を縛る若枝を撫ぜ、首に触れる伸びやかな蔓にほっと驚嘆の息を漏らした。色硝子のような鮮やかな緑が滑らかに褪せてゆき、落ち着いた茶色の枝へと続く。節々からは色とりどりの若葉が芽吹き、外界へまろびでたことを喜ぶかのように身をよじっている。それは、愛らしい少女の輪郭と美しい樹木の完全な融合形だった。
「綺麗だったから。君がとても綺麗だったから、話したくて、近づきたいと思ったんだ」
少女は押し黙っていた。動かない彼女はまるで風景の一部で、森の木々と同質の存在だということは明らかだった。
「君のことを知りたい、もっと知りたいんだ!だめかな……」
樹々の隙間を風が吹き抜け、木漏れ日が揺らめく。次の瞬間、ブラスの身体は地面に投げ出されていた。
ブラスは顔を上げ、白木の少女を見つめた。彼女はやはり能面のような顔で口を開いた。
『……好きにするがいい、お前が私を切り倒そうなどと考えていないことはわかった。だが、住処を荒らしたなら即刻森の肥やしにしてくれるぞ』
◆
それからというもの、彼はその泉のほとりに通い詰めた。時折、森に跋扈する怪物たちの餌になりかけることもあったが、彼らは泉には決して近づいては来なかった。そう、彼の森での道行きは順調だったのだ。順調ではないのは——
「友達になろうって言ったのに……」
——彼の思慕の道行きである。
【樹竜王】はどうやら、彼を人間型の珍獣程度にしか思っていないようだった。もともと好奇心の強い彼女にとって、森は退屈すぎたのだ。ゆえに、彼女は新たな知識を欲していた。そのために<マスター>であるブラスを調べもした。だがそれはブラスという個人にではなく、生物としての彼に興味があるに過ぎない。
それでも彼に泉への出入りを許したのは、彼の、知りたいという言葉にわずかでも共感するものがあったからだろうか。その答えは彼女自身にも——最も好奇心にあふれ、知識に優れると自負する【竜王】にも分からない。
ただ、この関係には彼女も意図しなかった利点があった。それは、
『<マスター>……実に興味深いな』
彼のもつ情報量の多さである。
『お前のこの左手の紋章、入れ墨や着色ではないな、皮膚そのものが変色している。だが、ここに核などが存在するわけではないのか?リソース量の集中は見られない。ふふふ、面白い、実に面白いぞ、お前を追い払ってしまわなくて正解だった』
「<エンブリオ>が孵化するとそこに紋章ができるんだ、人によって違うらしいけど」
『個体により違う独自の能力特性、やはり我々<UBM>と近似のものか?リソースの収集により段階を踏んで強化される点にも類似が見られるな。だが根本は何だ?どこから来た?』
「分からないけど…管理AIじゃないかな」
『何者か、お前たちに力を授けたモノがどこかにいるというわけか、実に見てみたいものだ』
彼女は興奮を抑えきれないのか、ブラスを覆っている枝をざわざわと動かした。
「ねぇ、これ外してくれない?くすぐったいんだけど」
『駄目だな、全身をくまなく探査したい。内臓は通常のニンゲンとは差がないようだな、ふん、だが…』
ブラスは全身枝に覆われてため息をついた。彼が求めていたのは親しい友人としての会話であり、実験動物のように体をまさぐられることではなかったからだ。
「そういえば、君のことをなんて呼べばいい?」
『私の名を訊いているのか?』
「名前は【ドラグリンズ】じゃないの?」
『違う。それは世界に名付けられた銘に過ぎない。……なるほど、お前に力を与えたのがそれと同一の存在である可能性はあるな……』
再び自らの知識欲に溺れようとする彼女を止めるため、ブラスは慌てて口をはさんだ。
「じゃあさ、君の本当の名前を教えてよ」
『真名をか?知ってどうする』
「呼びたいんだよ」
『お前は奇妙な生物だな。それも<マスター>の特性か?それとも個体差か?』
そういうと彼女は立ち上がり、おもむろに水辺を歩いていたカエルを捕まえた。
『あらゆる生き物は同じ種族と番うものだ。カエルはカエルを、ニンゲンならニンゲンを求める……個体は種を存続するという使命のもとで生かされている。その点、お前は何だ?私は竜であり大樹だ。同じ人間範疇生物のドライアドに欲情するのならまだしも、ニンゲンからは程遠い、半分植物でさえある私に恋慕の情を抱くなど、理解ができないな』
彼女はゆっくりカエルを放してやった。迷惑げに泳ぎ去るカエルを目で追いながら彼女は続けた。
『わたしはただ己が無聊を慰めているにすぎない。お前も妙な期待は持たないことだ』
◆
だが、ブラスはそれからも“妙な期待”を抱いて泉へと出向いたし、彼女もそれを拒みはしなかった。二人は次第に、友、と呼べる関係性になっていたのかもしれない。いくばくかの時が過ぎ、あるとき竜王は少年へこんな問いを投げかけた。
『では、お前たちは向こう側で違う名前、違う顔を持って暮らしているのか?』
「そうだよ」ブラスはふと思い出して付け足した。「だからこっちでは死なないんだ」
『なら、お前がわたしに焦がれるわけも分かるというものだ。人のなりをして、本性は竜か、それとも木の精か?』
「僕はもともと人間だよ。大体、君だってそういう割には人間らしい姿をしてるじゃないか」
【樹竜王】はそれを聞くとからからと笑った。
『この身体はわたしの《枝》……発芽分身の一つに過ぎない。本体はお前の足元にあるさ。人を象ったのは森を歩くのに都合が良かったからだ。もっとも、この形が気に入っていることは事実だが…』
そういうと彼女は腕を伸ばし、唐突に、どこか煽情的にその肢体をひねって見せた。
『おや、体温が上がっているぞ。なんだかんだ言っても人間らしい外見が好きらしいな』
「別に見た目だけが好きなわけじゃ…!」
『情熱的だな。だが、恥じることはない。木々は虫を誘うために花を咲かせ、鳥を呼ぶために甘い果実をつける。わたしも同じだ。同じだよ。お前を誘う手段になるのなら、この《枝》も悪くはない。私の一部には変わりがないのだから』
そう言うと、美しい竜王は枝の一つを持ち上げ、ブラスのほほを撫でた。さわさわと葉擦れの音が響き、緑色の茂みが彼の肢体を包む。そして、人型の《枝》が立ち上がった。
『ついてくるがいい』
ブラスは困惑しながらもそのあとに続いた。苔を踏みしめ、泉のほとりを歩く。竜王はその歩みを止め、白い巨木の前に立った。かつては山のように大きかったのだろう巨木には、大きなうろがあり、既に半ば土へと還っているように見えた。苔や草、沢山の若木の苗床になっているのだ。
『父だよ』
竜王はそう言うと、その大きなうろの中へと進んでいった。
うろの中は陽の光も届かず、薄暗かった。どこか安心できるその薄暗さに、ブラスは思わずほっと息をついた。竜王は静かに言った。
『ここは我が中枢。我が心臓だ。見えるか?この幹が』
それは一株のねじくれた大樹だった。朽ちたうろの、その中いっぱいに根を張り、外界へとその枝を伸ばしている。人型を象った《枝》の尾もまたその一本へとつながっていた。
『お前に、このわたしはどのように見える?』
「樹……とても大きな、樹だよ。美しい樹だ」
竜王はそれを聞くと、静かに枝を揺らした。木の葉がざわめき、緑が香る。
『お前の本当の……向こう側での名前はなんという?』
不意に、竜王は訊ねた。
「エドワード……エドワード・ビーク」
『そうか』
竜王は口を動かさずに言った。
『エドワード。お前が名乗ったからには、わたしも名乗らねばなるまい。我が真名は……』
風が通り抜け、木漏れ日が揺れる。少年は少女から秘密を受け取り、そして、泉のほとりはほんの少しのあいだ静かになった。
◆
光陰矢の如し。太陽と月が何度も入れ替わり、またしばしの月日が流れた。季節が移り替わっても、泉のほとりは変わらず青々としていた。わたしの加護だ、と【樹竜王】は言った。日がたつにつれ、彼女はある一つの望みを口にするようになった。
『ああ、森の外へ行きたいものだ』竜王は涼やかな声で言った。『様々なものがあるのだろうに』
「僕以外にも沢山の人間がいるよ……ティアンも<マスター>も」
『すべてをこの眼に収めたい』
最も知識欲に溢れた竜王はそう呟いて、人のようなため息を吐く代わりに枝を揺らした。大地に根を張らねば生きてはいけぬその身で、広い世界を知りたいと願ったのが彼女の業だった。あるいは、だからこそ、か。
ブラスは張り切って言った。
「考えてみるよ。きっと手段がある筈だ」
<UBM>は【ジュエル】に入れられない。だが、ブラスは諦めなかった。彼女と様々なものを見、感動をともに出来たらどれほど楽しいだろうか。ほうぼうを周り、様々な道具を試し、大枚をはたき、術を組み合わせ、そして……
『ほぅ。これがそうか』
「うん。まだ未完成だけどね、可能性はある」
そこにあったのは大きな植木鉢だった。空間操作の魔法や土、水、風の魔法がかけられ、巨大な【樹竜王】本体を格納し、十分に根を張れるよう工夫されている。
「まだ安定しないんだ。すぐに効果が切れたりうまくいかなかったり…」
『わたしも手伝おう』
竜王は朗らかに言った。
『人間の道具には詳しくないが、それでも少しは知識の持ち合わせがある』
「うん、きっと完成するよ」
そう言って、ブラスは心底楽しそうに笑った。
◆
或る日の事、竜王は泉のほとりで
『きっと……』
自分もそうだった。大樹としての在り方なら、その生死の円環は何ら間違いのないものだ。あるいは、竜として、君臨者としてなら、この森と泉を治めることが正しい在り方だった。
外へ、変化を、新しい知識を。それは、竜でも大樹でもない、彼女自身の在り方だ。そして、心の底で静かに埋もれていたそれを露わにしたのは、エドワード――人間だった。
と、外縁の木々がざわざわと揺れ、茂みがそよいだ。人間一人分の足音が大地にこだまする。
『ついに、完成したんだな』
竜王は嬉し気に振り向き、枝をざわめかせた。
そして、森に火の手が上がった。
◇◇◇
「クエスト、スタート……伝説級の【竜王】。うふふふ、流行りに乗って、あたしも特典武具、ゲットしちゃうわよ!」
それは、派手な色で全身を固めた女だった。赤、白、ショッキングピンク。見た目に違わぬエキセントリックな仕草で、女が手を振り上げる。まるでオーケストラの指揮者のように、その両腕に合わせて炎が吹き荒れた。
「あはは、《ヒート・ジャベリン》!」
赤い炎が木々を舐め、茂みが焦げる。水分を多く含んだ生木が熱せられてしゅうしゅうと音を立てる。
『迂闊だったか……』
竜王は臍をかんだ。ブラス以外の人間が侵入してくる可能性などいくらでもあったと言うのに。だが、
『調子に乗るなよ、人間!』
【樹竜王】の枝がゆらめく炎を払いのけた。大地を割って現れた根が荒ぶり、大樹の全てが陽のもとに晒される。
其は、【樹竜王 ドラグリンズ】。葉が、枝が、根が、森が伸び上がる。それらの全てが一頭の竜を象った。めきめきと大樹が膨張し、紅い女に襲い掛かる。
「おっとと、《
その宣言とともに、女の周囲の炎が固まった。それらは固体の焔として、竜王の枝を防ぐ防壁となる。そして、
「《
女が突き出した掌が、そのまま炎となって【樹竜王】に組み付いた。
「うふふ、このビューティフル【
竜王の枝に組み付いた焔が燃え盛る。紅い熱の暴力が木々を蝕む。だが、その爆ぜる焔の中から新たな枝が伸び始めた。若芽が出で、樹皮が膨らむ。
『いたずらに炎を用いたぐらいでわたしを倒せるとは、思い上がりも甚だしいぞ』
彼女はただの大樹ではない。竜を総べるモノ、【樹竜王】だ。膨張し増殖する植物の生命力の化身を前に、並みの焔など意味をなさない。緑が爆発し、大樹の竜が牙を剥く。
だが、女——ジンジャーは唇を歪めてせせら笑った。
「ただの焔じゃないのよ……あたしの、【永火法掌 ヘスティア】がある限りね」
ジンジャーの両手、深紅の手袋。ギリシアの炉の女神をモチーフとするその<エンブリオ>の能力特性は、炎の固体化。固められた焔は炎熱と硬度を併せ持つ不可思議な物質となる。本来なら一瞬で消え失せる筈の熱と衝撃が、持続し、連続し、存続するのだ。
【樹竜王】の身体、樹皮に食い込んでいるのはそれだ。決して消えぬ、それでいて熱をばらまき続ける焔。
『火勢が…?弱まらん…!』
「消し炭にしてあげる、トカゲさん」
◇◇◇
ブラスは必死で走った。森は煙と灰に満ち、前方から熱気が流れてきている。間違いなくただ事ではない。
いつもなら避けて通る獣たちを突っ切って泉へと向かう。彼らもまた、ただならぬ事態を分かっているらしい。ブラスには目もくれず、素通りを許してくれる。
「早く…早く…!」
ブラスは必死で足を動かした。最悪の事態にならないことを祈りながら。
◇◇◇
【樹竜王】は己の不利を悟っていた。固形化した焔は消えることなく、それでいて周囲を燃やすのだ。そうして生まれた焔が新しく固められ、次への楔となる。樹木の再生増殖能力を限界まで回しているが、それでも追いつかない。あまりにも、
(あまりにも相性が悪い……)
そんな泣き言を考えないように、竜王は攻勢をかけた。枝が膨れ上がり、鋭い槍と、大質量の拳となる。持久戦では燃やされて終わり、ならば焔より早くジンジャー本体を潰す。だが、
「ざんねーん……簡単には落とせないわよ?《クリムゾン・スフィア》アーンド《
焔を固形化、さらに自由に成型し武具とする必殺が起動する。上級奥義の膨大な熱量が、一振りの大きな剣となる。
『《ジャベリン・スプラウト》!』
「無駄ァ!」
どれほど枝を叩きつけようとも、焔の大剣が容易く斬り払って……焼き払ってしまう。大樹の竜王は、猛火の前にあまりにも無力だった。それでも、枝を必死で食らわせる。燃え盛る焔。煮え滾る泉。立ち込める黒煙のなか、【樹竜王】の脳裏に死がよぎる。
自然の摂理だ。そう思っていたし、既に長く生きた自分を倒すほどのものが現れれば潔く、との覚悟もあった。だが、
『何故だろうな、死にたくない……』
不可解な感情だった。それほどに生にしがみつく理由などあっただろうか?
ふと、あの人間の少年の顔が浮かんだ。愚かで、しかし興味深い少年。
愛などではなかった。恋などでもない。人と竜の間にそんなセンチメンタリズムは生まれない。だのに、なぜか枝を走る感情がある。
彼女にとって、それは光だった。新たな可能性という名の光。木々を育むもの。
おかげで、沢山の知識を得た。沢山の経験を得た。そして、今、もうひとつ。
『そうか、これが、死か』
中枢にまで達した焔が幹を舐め、樹液が煮え立つ。枝が裂ける音が歌うように響く。否。それは言葉であり、歌であり、知識だった。最も知識を求めた竜王が蓄えた知識が、焔の中に消えてゆく。それは大いなる大樹の断末魔だった。
『ああ、でも……』
もっと。もっと。もっと、広い、世界を――
◇◇◇
【<UBM>【樹竜王 ドラグリンズ】が討伐されました】
【MVPを選出します】
【【ジンジャー・ロッソ】がMVPに選出されました】
【【ジンジャー・ロッソ】に【樹竜誕杖 ドラグリンズ】を贈与します】
「うん、いいわね、デザインも好み」
ジンジャーはそう呟くと、焔の中、感慨深げに頷いた。
◇◇◇
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
喉を枯らすような咆哮を上げ、ブラスはジンジャーに飛びかかった。漆黒の障壁が紅の焔の壁とぶつかり合う。ジンジャーは胡乱げにブラスを見つめ、焔の大剣を振り回した。その唇が動く。
「なに?誰よ、あんた」
「返せ……‼」
「あー、あんたも狙ってたの?残念だけどさあ、こういうのは早い者勝ちだって」
「そんなんじゃない!」
吠えるブラスをジンジャーは気味悪げに見つめた。ブラスが叫ぶ。
「《
必殺スキルの宣言によって、ブラスの<エンブリオ>、ダイラタンシーが変形する。黒い障壁が唸り、触れるものをーー焔をも溶かしていく。接触によって溶解をもたらす、黒の結界。
ジンジャーは半ばまで捩れてしまった焔の大剣を解除し、ため息をついて左手に握った杖を掲げた。
「ま、襲い掛かってきたし、正当防衛ってことで。ちょうどいい試運転ね」
「何をッ……?」
ブラスの反応を無視して、ジンジャーは愉しげに宣言をした。
「《
樹木を象った杖が淡く光り、周囲の焔がふっと消える。そして、
「へぇ、こうなるんだ」
次の瞬間、そこには森があった。
木々がうねり、伸びあがり、葉をつける。枝が揺らめき、輪郭を描く。そして、樹木で出来た小竜が三体、その場に屹立していた。
「あ……」
ブラスは思わず固まった。黒い障壁がほどけ、ブラスが焦がれるように前に出る。
色硝子のような鮮やかな緑、乾いた土のようにやさし気な茶色。それは彼がよく知っているものだったからだ。
「ぅ……ぁ」
ブラスは口の中で何事か呟き、そして次の瞬間、押し寄せた樹木竜に押しつぶされてデスペナルティとなった。
◆◆◆
ブラスの話を聞き終えたジンクは、困惑のあまり頭を振った。既にバスは紋章の中に戻している。あまりにも突拍子のない話に、どう声をかけたものか迷うジンクを一瞥して、ブラスは立ち上がった。
「それじゃあ、僕は行きます。聞いてもらえて楽になったかもしれません」
「ま、待てよ」
ジンクはためらいがちに声をかけ、言った。
「事情は分かったがよ、もうどうしようもないことじゃないか。復讐しても意味なんかないぜ」
それは本心から出た言葉だった。泣きそうな顔で死んだ竜の仇を追い続けるのが健康的だとは思えない。だが、
「復讐じゃありませんよ」
ブラスは首を振って否定した。
「特典武具の中には意思が宿ることがある、と聞きました。あの杖には樹木竜を作る機構もある。ひょっとしたら、それを通じて彼女に会えるかもしれない。ジンジャーと戦って、あれを使わせ続ければいつか叶うかもしれない」
あくまでも恨みではなく、竜王と再び会うことが、ブラスの望みなのだ。そのために、ジンジャーを追い、特典武具を使ってくれるよう頼んできた。
「そんなこと……」
ありえない。何の根拠もない。前例も聞いたことがない。希望的観測の塊だ。
そんなことをジンクが言えるはずもなかった。ブラスにとってはそれがすべてなのだ。単なる部外者たる彼に、かける言葉の持ち合わせなどありはしない。
「……すいませんでした、迷惑をかけて」
そう頭を下げて立ち去るブラスを、ジンクは黙って見送るしかなかった。所詮行きずりのバスの運転手でしかない彼に何ができるだろうか?
きっとこの先も、ブラスはあの希望を胸に、ジンジャーを追い続けるのだろう。それがジンクにはとても悲しいことのように思えた。
「何が正しいんだろうな」
ジンクの美学の中に答えは無かった。次第に小さくなってゆく後ろ姿を、ジンクはいつまでも見つめていた。
End